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名駅と栄のちがい

結論

  • 新中日ビルが2024年4月23日全面開業(ホテル、オフィスは先行オープン)。

  • 江戸時代、清州から名古屋に引っ越した後、栄地区は武家屋敷、名駅地区は田園地帯だった。

  • 名駅、栄は再開発により、高層ビル化が進んでいる。


日本第4の都市、名古屋市

人口232.5万人(2024年3月1日時点)を抱え、東京、横浜、大阪に続く日本第4の都市、名古屋市。名古屋市は名駅地区、栄地区という2つの繁華街があります。

名古屋を訪れるとき、大須商店街に寄ってから、栄地区まで歩き、名古屋市営地下鉄東山線もしくは桜通線で名駅地区に行くことがルーティン化されています。栄地区はデパ地下、地下街が主な目当てです。名駅地区は、担々麺屋さんに行くことが目的でもあります。名古屋に行ったら、高確率で食べる担々麺については、こちらの記事をお読みください。

名古屋の街は徳川家康が造った

街ごと引っ越す一大プロジェクト、清洲越し

名古屋は徳川家康が1610年、清洲越しという清洲から約6km東にある名古屋へ街ごと引っ越すプロジェクトが行われたときに、名古屋城を中心とした街作り構想をしてました。家康の狙いは、唯一の対抗勢力、豊臣秀頼率いる豊臣家を滅亡させること。大阪の陣の備えのため、東海道の要所として、名古屋に引っ越すことを決意しました。

1600年頃、清洲には6〜7万人が住んでおり、江戸、大坂、京都に次ぐ規模の大都市でした。人、物資、街の機能、人々(町人、武家)の住まいだけではなく、寺社仏閣、橋、町名まで根こそぎ3年かけて移動させました。商人、職人、武士、町人、寺社仏閣など6万人、100もの寺社、67の街が名古屋へ移りました。

なぜ、清洲から名古屋へ引っ越したのか?

清洲は、低湿地帯にあり、災害に弱い難点がありました。特に水害に弱く、地震にあった場合、液状化現象の恐れもありました。

一方、名古屋城周辺は高台の上にあり、清洲より水害のリスクが小さいです。さらに、堀川の出口ある熱田に水路と陸路でつながっており、物流ルートも確保できました。

名古屋の城下町は碁盤の目状に整然と区切られ、都市計画は400年以上も受け継がれています。

名古屋駅から地下鉄東山線に乗って2駅です。名古屋駅から2kmほど東に離れた場所にあります。

栄には、PARCO、松坂屋、ラシック、三越という商業ビルが並んでいます。さらに、ラシックに入って地下で三越を経由して栄地下街に入ると、天候を気にせず、中日ビル、名古屋テレビ塔(中部電力MIRAI TOWER)へ行くこともできます。

地名の通り、江戸時代から名古屋の繁華街として栄えていました。

武家屋敷から発展

清洲越しのとき、栄周辺には下級武士の武家屋敷が移りました。1660年、万治の大火によって名古屋城の城下町が焼け落ちたことをきっかけに、長者町(東山線伏見駅付近)〜久屋町(東山線栄駅付近)の堀切筋を3間(5.5m)から15間(27.25m)に拡張して延焼を防ぐ計画を立て、広小路が整備されました。広小路は、名古屋城下町の碁盤の南の境界にありました。

広々とした通りに商店、茶屋、芝居小屋などが並び、クジラの見世物などイベントが行われました。その結果、大勢の人で賑わい、繁華街として広小路は発展しました。

明治時代、栄に変わり、名古屋の中心として繁栄する

広小路が栄えていたため、1871年、広小路から栄町へ改名しました。(諸説あり)。広小路通は1881年、堀川まで、1887年には笹島まで延長され、名駅地区と栄地区が結ばれました。その後、さらに延長され、現在は、笹島交差点〜東山公園口交差点が、広小路と呼ばれています。

明治時代には、電灯、ガス灯が建てられ、夜も明るい街に変貌を遂げました。ホテル、劇場も建ち、町の名前の通り、名古屋で最も栄えていました。赤レンガ作りの日本銀行名古屋支店なども建ちました。南北をつなぐ大津通も拡張されました。

昭和時代に集まった3つのデパート

1910年、現在のスカイル付近にいとう呉服屋が名古屋で初めてのデパートとして開業しました。いとう呉服店は、木造3階建てで、現在のデパートのビジネスモデルを確立したと言われています。3階に多目的ホールを設けて最初にお客さんを最上階に集め、下の階のお店へくまなく足を運んでもらうように人の流れを作ったり(シャワー効果)、3階から商品を並べて間近で手に取って購入できる対面販売のスタイルを確立しました。いとう呉服店は松坂屋に改名され、1925年、現在地に移転しました。

戦後、1953年、尾張藩の御用商人「十一屋」(1615年登場)を前進とする丸栄(2018年6月30日閉店し、跡地にマルエイガレシアが2022年3月31日誕生)、1954年オリエンタル中村百貨店(現在の名古屋三越栄店)が誕生しました。三越栄店には、現存する日本最古の観覧車が屋上に残されています。丸栄が閉店するまで、栄にあるデパートは3Mと呼ばれていました。

21世紀に入り、名駅地区に対抗して再開発が進む

栄も名駅地区に負けじと再開発が勧められています。丸栄の跡地では、再開発が行われ、2022年3月31日、マルエイガレリアがオープンしました。中日ビルも建て替えられ、158mの高層ビルに生まれ変わりました。

中日ビル

栄地区の北側にある久屋大通公園の整備も行われ、シンボルの名古屋テレビ塔は、中部電力によって中部電力MIRAITOWERとしてリニューアルされました。

名古屋テレビ塔

名古屋テレビ塔について、別の機会でお話しします。200m級の高層ビル建設計画があるなど、栄は、まだまだ進化の途上にあります。

名駅

名駅地区は、名古屋駅桜通口(東側)の地域を指します。名古屋駅は、鉄道の玄関口で、福岡から東京まで1本でつながります。名古屋駅周辺のことを地元では「名駅メイエキ」と呼ばれています。

元々、笹島にあった名古屋駅

名古屋駅周辺は江戸時代まで田園地帯でした。1886年4月、東海道本線が熱田〜清須間が開通し、5月、笹島地区に停留所が置かれました。翌年、笹島停留所から、名古屋停留所に名称変更されました。当時、午前、午後の各1往復しか運行されておらず、鉄道の必要性が理解されていなかったため、栄から離れた場所に停留所が造られました。

笹島が選ばれた理由は、武豊港からレールなどの資材を運搬するためです。東京~神戸間の大動脈を建設するために、笹島へ運ばれた資材を活用しました。1886年3月、武豊〜熱田間開業しました。現在も、武豊線として活用されています。

近代化

1889年、新橋〜神戸間の東海道本線が全線開通すると、駅舎もレンガ造りなど近代的建築に変化しました。1898年、京都に続いて、名古屋電気鉄道(現 名古屋市交通局、名古屋鉄道)が路面電車を開通させました。笹島停留所〜久屋町(県庁前)を走り、名古屋駅と栄を交通機関でつなぎました。

笹島に建てられた名古屋駅周辺も、旅館、料理、カブトビールの広告塔が立ち並び、栄えました。

1937年、現在地に移転

1930年代には名古屋の人口が100万人を突破しました。貨物量、乗降客が急増し、笹島にある駅では裁けなくなったこと、大都市化に乗り遅れないために、1937年、現在地に名古屋駅が移転しました。

空襲の被害も少なく、戦後、駅周辺は発展し、復興の中心的役割を果たしました。初代大名古屋ビルヂング、豊田毎日ビルなどが建設され、オフィス街としての機能も果たしました。名鉄百貨店、松坂屋名古屋駅店も建てられ、ショッピングも駅前で楽しめるようになりました。

さらに、新幹線(1964年開業)、JR線、名鉄線(1941年)、近鉄線(1938年関西急行電鉄乗り入れ開始)、あおなみ線(2004年開業)、地下鉄東山線、桜通線(1968年開業)が乗り入れ、名古屋、中部地方の玄関口として進化しました。バラバラの時期に付け足すように地下に乗り入れたため、複雑な構造になっています。

名鉄百貨店は、巨大なナナちゃん人形が名物です。ナナちゃん人形は、身長6.1mもあり、スイス出身です。1973年、名鉄百貨店セブン館(ヤング館→メンズ館)開業1周年記念として来日しました。巨人は遠くからでも目立つため、待ち合わせ場所の一つにもなっています。

毎月1,2回衣替えされており、映画のキャンペーン、ドラゴンズユニフォームなど季節やトレンドを反映した衣装をまとっています。

名古屋駅周辺の高層ビル化

1994年、名古屋駅を通常運行しながら、駅ビルの建て替え工事が進められました。

2000年、地上51階(左側ホテル連)、53階(右側オフィス棟)の245m(駅ビルとしては近鉄阿倍野駅に次ぐ高さ)のツインタワーのJRセントラルタワーズが全面開業しました。日本で最も広いビルでもあります。名古屋駅の建て替えをきっかけに、名駅周辺では高層化が進みました。2006年、ミッドランドスクエア(オーナーの一声で名古屋一高い247mになりました)、2016年二代目大名古屋ビルヂング(174.7m)、2017年JPタワー名古屋(195m
)、JRゲートタワー(220m)が誕生しました。

2037年以降開業予定のリニア中央新幹線建設のため、名鉄百貨店の建て替え計画など、さらなる開発も進んでいます。


今回は、栄地区と名駅地区の成り立ちの違いに着目してお話しました。本日全面開業した中日ビルのように、栄地区も名駅地区に対抗して再開発が行われていることを学びました。

3月、恵那市の明知鉄道に乗車したとき、宿泊先として名古屋に寄りました。開業前でしたので、次回、名古屋を旅するときは訪れます。

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参考文献

(2010),名古屋開府400年記念誌 尾張名古屋大百科,ぴあ
愛知県の教科書,JTBパブリッシング

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