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突如現れ夢のように消え去った奇跡の車


LP112(1970)

1970年、それまでのミウラに代わるモデルとして「LP112」というプロジェクトネームで開発がスタートしました。

LP500(1971)

1971年3月に最初のLP500(LP500 Prototipo)は、明るい黄色に塗装されショーの時間に間に合わせるために、チーフテストドライバー兼開発エンジニアのボブ・ウォレスが、前夜、サンタガタからスイスまで約485kmを運転し3月11日のジュネーブショーのカロッツェリア・ベルトーネスタンドに出展されたその革新的なデザインは世界中の車雑誌等で取り上げられ反響を呼ぶことになります。

ボディワークは、故マルチェロ・ガンディーニのデザインスケッチに厳密に従ったもので、当初はドアウィンドウのすぐ後ろにあるルーバー付きベントからエンジンとサイドマウントラジエーターに空気が供給されましたが

ボブウォレスによる長時間の路上テスト中に収集したエンジンの冷却効率が悪くオーバーヒートが頻発し、このベントだけではエンジン温度を下げるには不十分であることが判明。エアインテーク、NACAダクト、検討用ドアミラー4個、シングルワイパー等が追加で改造され無骨な姿となりました。LP500は最終的にはクラッシュテストにて役目を終え、この世から消失しました。

このクラッシュテスト前に5リッターエンジンは降ろされ、ファクトリーの隅で保管されていました。それは後に石油王ウォルター・ウルフが購入したLP400の4リッターエンジンと取り替えられることになります。これがLP500S、ウルフ・カウンタックと呼ばれた個体です。

Pre LP400(1971)

LP500でのテストで得た改善点は2番目のプロトタイプ(シャーシ番号#1120001)以降に反映されました。

シャーシ番号#1120001

LP400(1974〜1978)

カウンタック初の市販モデルLP400が登場したのは1974年、2番目のプロトティーポ(シャーシ番号#1120001)以来オーバーヒート対策のためボディに多数のエアインテーク、アウトレットが設けられました。5リッターエンジンの開発が間に合わなかった為、ミウラで実績のある4リッターエンジンが積まれました。車体構造はLP500プロトティーポのテストドライブの際に剛性不足と判断されたためと上記スタンツァーニの外注コストに起因する考えから、セミモノコック構造全鋼製シャーシから丸鋼管を溶接して組み上げたバードケージ(鳥かご)フレームにアルミのボディパネルを溶接して付ける仕様に変更され、剛性向上と軽量化を同時にクリアしました。

LP400S(1978〜1982)

1978年にはLP400Sが登場。前後オーバーフェンダー付きでタイヤはミシュランから変更された当時の市販車用で入手可能な最も幅広のリアで345/35R15 、フロントは205/50R15のピレリCINTURATO™P7。オプションでV字型リアウイング(ビッグウィング、スモールウイング)が用意され、ほとんどのオーナーはウイング付きの車を注文したそうです。後端のエンブレムは「countach」の横に角張った「S」が追加されました。仕様変更でシリーズ1~3迄、計237台が生産されることとなりました。

LP500S(1982〜1985)

1982年ジュネーブ・モーターショーに出展。最高出力375hp/7000rpm、最大トルク41.8kgm/4500rpm、4,754 ccエンジンのLP500S(LP5000S)が登場し1985年まで323台が生産されました。外観におけるLP400Sとの見分け方としてはホイールの5つの穴のリムが無くなった点です。

LP5000QV(1985〜1988)

1985年には競合車種のフェラーリ・テスタロッサに対抗すべくV12エンジンを4バルブ化、キャブレターを冷却向上のためにサイドドラフトからダウンドラフト(DD)に変更し排気量を5,167 ccまで拡大しそれまでの12気筒エンジンをさらに進化させた5000 Quatro Valvole(5000QV)が登場しました。1988年までに合計610台(631台の説もあり)が製造されることとなります(うち66台が燃料噴射システム仕様)

25th ANNIVERSARY(1988〜1990)

1988年9月のパリ・モーターショーで、ランボルギーニ創立25周年記念モデルとして25thアニバーサリー(25th Anniversary)を発表。機械的には5000QVと同様でスタイリングを担当したのは後にパガーニ・アウトモビリ社を創業することになる当時ランボルギーニに在籍していたオラチオ・パガーニ (Horacio Pagani) 。OZ製の新デザインピアスボルト付き2ピースアルミホイールは15インチ径でリア12J。Pirelli P Zero Asimmetricoのサイズはフロント225/50R15、リア345/35R15でシャシーは新しいタイヤサイズに合わせて調整されました。カウンタックの最も洗練された最速のバリエーションであり、4.7秒で0〜97 km/hに加速、最高速度295 km/hを達成しました。電子燃料噴射装置が搭載された「米国」バージョンと、キャブレターを搭載したその他の地域向けのバージョンとで細部の意匠が異なります。内装はホールドがよりコンパクトになったシートは電動で調整可能になりパワーウィンドウも搭載されました。本モデルがカウンタックの最終モデルとなり各モデルの中で最多となる657台がランボルギーニ・ディアブロに代わる1990年まで生産されました。



L150

ランボルギーニがクライスラーに買収される前、創立25周年記念モデルの開発がスタートした時にL150という試作モデルが製作されました。デザインはジュリオ・アルフィエーリでベースとなったのは1986年式クワトロバルボーレのインジェクション仕様でした。クライスラーの意向で廃案になり市販されることはありませんでした。現存は1台のみで日本に生息しています。

Evoluzione

カウンタックの後継車の複数の技術をテストするために1987年に製作された試作実験車。この1台きりのEvoluzioneも衝突試験で破壊され現在しません。Evoluzioneは量産に繋がりませんでしたが1988年の25th Anniversaryと後継車Diabloには複合ボディパネルや、カーボンファイバー/ケブラーを含むエンジニアリングの一部、下部ドアシルに統合されたエアインテークなど、Evoluzioneの機能が反映されることとなりました。

LP500 Rebirth

2017年末、有名なコレクター、アルベルト・スピースからレストア部門のポロストリコに「LP500の復刻作製が可能か」打診があり、資料の分析調査が行われました。車両のディティールや技術的仕様が重視され、写真、文書、デザイン画稿などがオリジナルのLP500を正確に復元するために参照されることとなりました。パーツはランボルギーニのスペアパーツや復元されたコンポーネントを使用、車体の正確なボリュームを再現する目的で実物大モックアップが製作され、量産LP400 1号車の3Dスキャンを2000時間かけ実施されるほどの力の入れようでした。シザードア付け根も量産モデルと違う鍵形の構造線がちゃんと再現され、特徴的な内装も同じ手順で完全再現されています。



以上、カウンタックのプロトタイプから市販車までを紹介しました。

昭和の時代に、スーパーカーブームというものがあり、その代名詞たるものがランボルギーニ・カウンタックでした。

カウンタックとは、1974年に市販されるまでも、1990年に最後の1台がラインオフされた後も、似た車は1つとして存在しない、本当に奇跡でしかない車なのです。





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