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緑の車はカエルの車。

 最近、可愛らしいお嬢さんたちの間で「蛙化現象」という言葉が良く使われているそうです。
 色々と変化している部分はありますが、元々の意味としては「片想いの相手が自分を好きだと思った途端、気持ち悪く思えてしまうこと」を指している言葉だそうですね。

(いや、引用元もっとあったろ! みたいなツッコミは一切禁止します。電蟹はいいぞ……!)

 この「蛙化現象」が起こる理由ですが、自分のことを好きではないために「自分が嫌いなものを好きと思っているなんて変!」と思っちゃうから、という説がありますね。
 うん分かるよ! もうお嬢さんどころかお姉さんも通過しそうな歳ではあるけど! こんな記事を書いちゃうくらいにはさ!

 はい。今まで作れていたはずの記事内の文字リンクが作れなくなっており、既に自己嫌悪が半端ではないことになっております。誰か今のnoteアプリでの記事内文字リンクの作り方を教えてください。
 いや、そんなの自分で調べろって? 気持ちは分かります。ただ調べた方法が悉く使えないのです。リンクにしたい文字を選択しても、下のバーを見ても「リンク」が選べなくなっているのです。

 閑話休題。いや、全然閑話じゃないけど。めちゃくちゃ大事な話をめちゃくちゃうるさくしてたよ。でも自分を大切に出来ないと、人とのコミュニケーションもうまくいかなくなってしまうんだよな。
 例えば、自分のことをあまり好きではない人間は他人から好意を向けられると「私みたいな人間が他人に愛されることなんてないんだから……」とかなんとか言って疑ってかかるんだよね。
 信じてそこに甘えてしまうことで、後々「面倒なやつ」と思われて見捨てられて傷つくよりも、自分の痛手が少ないと思ってるから。本当に身勝手な話なんですけどね。
 下手をすれば「何が望みだ? 金か?」「私は愛情に飢えていると思ったの?」「私を好きな人なんて痛い!」と相手を疑ってしまうことさえあるんだよな。クソ失礼な話で。
 ただ流石にその結論がクソ失礼ということは分かっているから、「私には(自分の生活を犠牲にしてでも)お金(を出しそうなこと)しか魅力が無い」「私が一番痛い」とか思っちゃうんだな。
 それで「私みたいな人間は人と関わらない方が良いんだ」とかほざいてどんどん人とのコミュニケーションを拒否して、人の心が難しくなっていくんですよ。ここまでもちろん全部私自身のマジの話ですけど。

 この負の連鎖をどうにか断ち切っていかなければならないと、棺桶に片足を突っ込んで漸く思ったんですよね。いや、もう両足かもしれないのですが。いいよそんな話は。
 色々言ってきたけど、要するに人生の中で受けてきた愛情の総量が少な過ぎて、愛情を正常に受け取る力が欠落しているんだな。そしてそこに直結してくるのが私の場合文章を書くことなんだろうな。
 本来であれば頭の良い人がめちゃくちゃ努力をして、それでようやくやるべきであろうことを、私みたいに頭が悪くてなあんにも努力していない私みたいな人間がやるのは滅茶苦茶申し訳ないのですが。

 前回「今後は自分の心の内に迫るnoteが増える」と言って初っ端からとんでもなく病んでる内容が出たけどダイジョーブ!(今日のタイトルは某バラエティ番組の某シーンからの抜粋です)つづく。

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