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短編小説「不義理の日」

 かつて、我が国では今日、4月1日を「不義理の日」と呼んだ。
 しかし、それも今は昔の話だろうか。新たな生活を前に不安と期待に押し潰される人々と、突飛なジョークで他人を面白がらせようとする人々の所為で、著しく忘れられつつある。
 それでも、本来この日は長らく会っていない人にその義理を欠いていることを詫びる日であった。「会えない人を思う」気持ちも合わさって、実に我が国らしい風習である。
 この「不義理の日」で思い出したので、誰に頼まれたわけでもないが、5年前の私の話をする。この時点で面倒だと思った方は、これ以降の内容は読まなくても構わない。




 5年前も4月1日は月曜日で、私は中之島のとある中小企業の新入社員であった。同期は7人いたが、大学を卒業して中之島の本社で働くのは最年長の私ひとりだけであった。
 そうなると、自然に私は同期の中で「都会のお姉さん」としての振る舞いを期待された。その一方で、私自身はそんな「称号」が似合うような女ではないことを分かっていた。
 入社して最初の3日間で行われた本社研修で、私は心が荒んでいくのを感じた。そして、それを誰にも相談出来なかった。「頑張りが足りない」と言われるのは分かっていたからだ。
 木曜日からは社外研修が始まった。中之島各社の新人や若手社員が参加するこの研修には、弊社からは本社勤務になる私ひとりが参加することになっていた。
 社外研修ではグループワークが行われたのだが、私と同じグループにTさんという男性がいた。彼はとても頭の回転が速い人だった。そして、私は彼の前でも「都会のお姉さん」ぶろうとしていた。
 事件はその研修1日目のお昼に起こった。とにかく生活のすべてを自分の中に存在しない「『都会のお姉さん』らしくすること」に固執していた私は、ある危機に面していた。
 社外研修の運営会社から与えられた1時間で、会社から支給された1000円以内で買えるものを探さなくてはならない。それで、何とか「都会のお姉さん」を見せる必要があったのだ。
 この難問に対して私が出した答えが、近くで売っていた500円の高菜チャーハンをメインにした中華弁当と、スターバックスのキャラメルマキアートだった。
 都会の大企業で働くOLさんが会社の近くで売っているお弁当を買うシーンはお仕事もののドラマなどでよく見たし、都会にはスターバックスがたくさんある。
 結論から言えば、粗末なイメージで買ったお昼ご飯はひどくまずかった。当たり前だが、お弁当にもスターバックスにも何ひとつとして罪はない。この組み合わせを選んだ私だけが悪いのだ。
 高菜チャーハンを流し込むのに、キャラメルマキアートを選んだことが、いかに愚かしいか。今なら分かるが、当時の私はこれを最高に格好良いと思っていたのだ。
 ただ、Tさんは「高菜チャーハンもキャラメルマキアートも美味しいですよね」と言ってくれた。社会人として当たり前と言われればそれまでだが、私にはそれだけが心の救いだった。
 すっかり懲りた私は、2日目はTさんに誘われ、グループ全員で彼がおすすめだと言うハンバーグのお店に行った。中之島らしくお洒落なのはもちろんのこと、味も大変美味しかった。
 それだけでなく、サービスでテイクアウトのコーヒーも付いてきた。昨日のことを誰も気に留めてはいない様子だったが、私ひとりだけが恥ずかしかった。
 冴えない大学生に毛の生えたような小娘に、大金をはたいて研修を受けさせてくれた会社には申し訳ないが、この社外研修で何をしたかはもうあまり覚えていない。
 ただ、私はこの研修を通して「頭の良い人は何をしても頭が良い、逆もまた然り」と学んだ。もちろん、何をしても頭の良い人の代表がTさんで、何をしても頭の悪いのが私である。
 2日間の研修を終えて、グループの誰かからともなく「金曜日だし、皆で飲みに行こうよ」という案が出た。私も行くつもりでいた。出来ればTさんがいればいいと思った。
 しかし、Tさんは「ありがたいのですが、高校時代の友人と約束があるので」と言い、この話は立ち消えになった。もう、それさえ格好良かったのを、はっきりと覚えている。

 あれから5年が経つ。私とTさんはそれから一度も会っていないし、連絡先もお互い交換しなかった。Tさんは私を忘れているだろうし、正直に言えば私も彼の本名を思い出せない。
 2日間の研修で会っただけの人なら、それで良かった。多分これ以上行動を共にしていたら、本当に好きになっていた。それはそれで気持ち悪いし、Tさんにも迷惑だろう。
 それでも、私は生きている。色々なことをやらかして自己嫌悪に陥りながらも、5年前と同じ会社で仕事を続けている。つづく。

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