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意味のない人生を生きる〜その2〜

今回ご紹介するのはJohn Vervakaeさんが「意味のない人生を生きる」という動画で解説されている内容です。
長い・深い内容ですので、2記事に分けて記載しております。
前回の内容はこちら
意味のない人生を生きる〜その2〜

トロント大学で心理学者・認知科学者をされており、著作としてMentoring the Machines: Orientation - Part One: Surviving the Deep Impact of the Artificially Intelligent Tomorrow (機械をメンターする:明日の人工知能から生き抜く方法を出版されています。


宗教から失ってしまったもの 2.Adverbial Qualia(副詞的クオリア)

この手続き的知識(procedural knowing)に紐づいて失ってしまったものとして、副詞的クオリア(Adverbial Qualia)も失ってしまったと述べています。このクオリアというものは感覚質とも呼ばれており、主観的に感じたり経験したりする質のことを言います。中でも、Johnはクオリアにも、形容的クオリア(Adjectival Qualia)と副詞的クオリア(Adverbial Qualia)の二つがあると説明しております。
形容的クオリア(Adjectival Qualia)というものは「青々しい青」「深い緑」などの感覚であり副詞的クオリア(Adverbial Qualia)とは

  • hereness(ここにあること)

  • nowness(今おこっていること)

  • togetherness(繋がっていること)

のことを指すと言います。
手続き的知識(procedural knowing)を構築することに関してこの副詞的クオリア(Adverbial Qualia)というものが大切だというのです。

(以下の考えに関しては個人の考えですが、確かに神社などにお願いをしに行く際に、自分がどこの誰かを名乗ってからお祈りをすることを勧められていることも、この副詞的クオリア(Adverbial Qualia)の3つの要素を重視している理由と沿っていると思いました。)

宗教から失ってしまったもの 3.物理的、文化的な繋がから構築される自己(アイデンティティー)

前回お話しをした『知恵』とこの副詞的クオリア(Adverbial Qualia)ーhereness(ここにあること)nowness(今おこっていること)togetherness(繋がっていること)を通し、自分のコミュニティー(地元や、現在住んでいるところ、友人など自分の周りの環境)で生活をすることにより、自己というものが肥やされていくとJohnは述べております

他人が投影するあなたのキャラクターというのもこの話に近いです。
agent arena relationship とも述べておりますが、自分が考えている自分を経験・体験するのはその自分の理解している範囲で行われるものであり、これが『自己とは? 私とは?』の質問に答えることができる種になるのです。

サイコテクノロジーが宗教に取って代わる

本題である『意味のない人生』についてですが、なぜ近代において「意味のある時間」や「意味のある経験」をするのが難しくなっているのか?ですが、Johnは
科学の発達に伴い薄まってしまった信仰心と宗教は自己とは何なのか?という不安や疑問に関して支え・ヒントであった手続き的知識やクオリアと共に消えてしまっているのではないか?
と述べております。
では、『宗教をまた復活させるのが対策なのか?』という発想に至るかと思いますが、Johnはそうではなく、この手続き的知識や形容詞的|副詞的クオリアを肥やす機会を増やすサイコテクノロジー(心理的技術)というものについて考えるべきだ。と述べております。


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