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意味のない人生を生きる時代〜その1〜

今回ご紹介するのはJohn Vervakaeさんが「意味のない人生を生きる」という動画で解説されている内容です。
少し長いので2つの記事に分けて説明をいたします。。!

現在はトロント大学で心理学者・認知科学者をされております。著作としてMentoring the Machines: Orientation - Part One: Surviving the Deep Impact of the Artificially Intelligent Tomorrow (機械をメンターする:明日の人工知能から生き抜く方法を出版されています。
主に、ものごとのデジタル化や自動化が進み、「人間らしさ」が薄くなってしまったことについて研究、執筆されております。


適応的な人間になるということ

Johnsさんは、「人間らしさ」「意味のある」ものがなくなってきていると主張されていますが、その原因は「適応的な知識を得なければない時代」が私たちに意味の無い時代を生きさせてしまっている。と述べております。
変化の早い時代に置いて、質が低いものをスピーディーに作り上げたり、根拠を深掘りできていない情報を作り上げたりすることは、不安感や自信に置いての滑稽感などが増すことに繋がると仰っております。


知恵が飢えた世界

続けてJohnは意味の無いことをしなければならない時代になったりゆうとして知恵(wisdom)が飢えているからだ。との述べています。
トロント大学で現座も講師として心理学を教えている際に、よく生徒に「知恵はどこで手に入れるか?」という質問を生徒になげかけるという。
そうすると生徒たちは、スマホを片手に、情報というともに関してはインターネット、知識:社会についての疑問や質問、への答えは大学や各々の機構に聞くと答える場合が多いそうだ。ただ、「知恵」というものを探すのには決まった答えがあまり出てこないというのだ。
また、つづけてJohnは生徒や読者から

「わたしはスピリチュアルであるが、無宗教である」

ということをよく言われるそうだ。
これに関してJohnは、人々はでたらめな世の中から離れ、なにか本質のあるつながりをもとめているが、それを宗教に紐づけないようにするのが難しく宙に浮いた状態になってしまっている。その点でさまざまな宗教は神や信じるものを崇める場所ではなく、社会的な機能として”知恵を学べる場所”であったのではないかとも述べている。
どの神を信じるかなどではなく、宗教的な「救い」のようなことだが、その「救い」をもとめて作り上げられていたコミュニティー(あるいは拠点となるもの)は現代ではあからさまに数少なくなっている。

宗教から失ってしまったもの

上記でも述べたように、科学の進化によって宗教の信憑性が薄れ宗教的な人は数少なくなってしまった。
それと同時に、宗教の減少により少なくなってしまったものがあるという。それは 手続き的知識(procedural knowing)と、それに伴う(エピソディックメモリー|挿話的な出来事としての記憶)だそう。

これは宗教というものよりも前の話で4E認知(Embodied,Embedded,Extended,Enacted cognition)に関わる話だそうだが、現代に置いて、この手続き的知識(procedural knowing)というものが圧倒的に欠けているというのだ。

(余談ですが、東京大学大学院総合文化研究科の方が鈴木貴之さんが4Eについて活動されているようです。北海道大学でもワークショップなどが開催されていたようです。)

宣言的知識(propositional knowing)というものは主に世の中で生活していく上で汎用的に使われるものである。
例えば、『猫は哺乳類である』という知識を得る→記憶する→実際の世の中で哺乳類であるという理由を目撃する→確信する
という流れがある。

しかし、この現代の生活に欠けている手続き的知識(procedural knowing)というものは同じようには構築できないというのだ。この手続き的知識のスキルは定義できないものであり、正しい・正しくないにカテゴライズできるものではない。そしてこの手続き的知識は破壊されにくい知識である。

アルツハイマーを患った人が『猫は哺乳類である』(宣言的知識(propositional knowing))という知識を失うことがあっても、幼い頃に習っていたピアノが弾ける。などの現象もこの説で説明が成り立つ。

そしてこの手続き的知識(procedural knowing)というものの構築に関しては
今、この場所で、あなたがあなたらしく、存在しているという記憶(エピソディックメモリー|挿話的な出来事としての記憶)という感覚が非常に大切である。
現代ではこの感覚を経験できる場面が少なく、何かに直接「繋がっている」という感覚を失ってきてしまっている。と述べている

続く

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