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歯医者選びを間違えたら、歯なんて簡単になくなる ~ある日突然、インプラントしかないと言われたら~ 完結編


*こちらの記事は完結編(後編)になります。ぜひ上記の前編からお読み下さい。


C歯科医院へ行く前日、改めて「歯牙移植」について調べてみました。
 
特別なスキルがないと出来ない治療であることから、その成功率も歯科医次第なのだろうということがわかりました。

ただ、私の居住エリアだけでもいくつかの歯科医院で「歯牙移植」が診療内容に含まれていることから、それほど珍しい治療法ではないと思われ、うまくいく可能性に期待が膨らみます。
 
そして当日。
少し早めに家を出た私は、その日の青く澄み渡る快晴な空に歯の命運を委ねました。
 
15分ほど前にC歯科医院に到着した私は慣れた手つきで初診の問診票を書き、いよいよ奥歯の「最後の審判」を待ちます。心の中でずっと手を合わせ、祈りながら。
 
「まるおさん、どうぞ」
予定時間よりも早く診察室へ通され、緊張しながら私は診察台へ座りました。
 
「こんにちは。どうされましたか?」
物腰の柔らかそうなC先生のその言葉を口火に、私はここに来るに至ったその経緯について、まるで罪人が罪を認めて観念したかのごとく、洗いざらい話しました。
 
「では、お口開けてください」
C先生はじっくりと私の口の中を確認します。そして、今までと同じようにレントゲン撮影へ。
 
数分後、レントゲン画像を前にC先生の解説が始まったのですが・・・いきなり会話のかみ合わない場面がやってきました。
 
A歯科医院、そしてB歯科医院、そのどちらでもインプラントしかないと言われてやってきたC歯科医院でしたが、C先生は詰め物が取れた奥歯ではなく、その真逆の奥歯をインプラントにするのかと思ったようです。

───場所、違くない?ってか、間違えようがなくない?
 
だって、どう見ても詰め物が取れ、しかも割れた奥歯の部分にこそ、インプラントをすべきと思うでしょう。なのに、特に問題なさそうな逆側の奥歯についてC先生は語っているのです。
 
───もしかして、私は最後の最後でとんでもないヤブ医者を引き当ててしまったのか・・・
 
私への最後の審判、それはきっと「今までの罪は決して許されるものではない。観念し、潔くその事実を受け入れよ」そういうことなのでしょう。
 
つまり、今まで歯のメンテナンスをさんざんおこたった私の罪は決してゆるされるものではなく、もう取り返しはつかない。よって、そんな私に「いい歯医者」と巡り合う運命などない、そんな審判が下った瞬間でした。
 
深い絶望を前に、私は微かに残っていた希望のともしびを今まさに自らの大きく深いため息で吹き消す覚悟を決めました。
 
しかし───
C先生のその言葉の真意が明らかになったとき、一度は消えかかっていた希望の灯は再び光を放ち始めます。
 
レントゲン画像を見ると、逆側の奥歯の根の状態があまりよろしくないらしく、最悪の場合はインプラントにするという選択肢も検討すべき、ということだったようです。
 
そして、最も懸案していた「詰め物が取れ、そして割れた奥歯について」ですが・・・ここでC先生は衝撃的な言葉で私を驚かせます。
 
出来ることなら、奥歯残したいですよね?
 
口を開けているため声は出せませんが、私は大きく頷きます。しかし、既に割れてしまった奥歯です。割れた歯は抜くしかない、そんなことは素人の私でもわかります。が・・・
 
「・・・う~ん、どうかな」
C先生は誰に言うともなく、呟きます。もしかしたら、割れた私の奥歯に向かって問いかけていたのかもしれません。
 
数秒の間ののち、
「・・・よし!やってみますか」
 
──何を??
思わず私はツッこみました、心の中で。
 
この時、C先生がやろうとしていたこと。それは私の想像をはるかに超えた、まさに想像の斜め上をいくものでした。
 
奥歯を接着修復して、そこに詰め物を被せましょう
 
つまり、割れた歯を接着剤のようなものでくっつけて土台を確保し、そこに詰め物を入れるというのです。
 
───えっ!そんなこと出来るの!?
私からすれば、それはまるでマンガのようなお話です。
 
しかし、動揺する私の気持ちはどこへやら。
わけのわからぬまま治療が始まり、そして、あっという間に終わりました。
 
どうやら、なにか特別な接着剤のようなものを奥歯の割れた部分に流し込んで奥歯を修復し、次の治療段階に備えるべく、そこを仮の詰め物で覆ったようです。
 
「次回までは絶対に奥歯でモノを噛まないで下さいね」
C先生が念押しします。そして、
「次回、奥歯の状態を確認して、問題なさそうなら奥歯の型を取ります」
 
会計を済ませC歯科医院を出た私は、果たして自分の身に一体何が起きたのか、まずはそれを一から確認しました。
 
ほんの一時間ほど前まではインプラントにしなければならないことは絶対だとしても、なんとか歯牙移植に出来ないだろうか、それを祈っていました。もちろん、割れた奥歯とはもう永遠の別れだと思っていました。
 
なのに、インプラントはおろか歯牙移植でもなくなったどころか、割れた奥歯を特殊な接着剤によって生まれ変わらせてしまったのです。
 
それは「破折歯接着治療」という画期的な治療法。ざっくり説明するなら、歯の割れた部分に強力な接着剤を流して修復するという、本当にマンガみたいなお話です。
 
ちなみに・・・結論を先に言ってしまうと、割れた奥歯は完全に修復されたので一週間後にその箇所の型を取り、さらにその一週間後、詰め物を入れることで治療は終了。治療の回数は3回。そして費用は約一万円ほどでした。
 
詰め物が取れてからA歯科医院、B歯科医院そしてC歯科医院と歯医者を渡り歩いた私の長いようで短い旅の顛末。ほぼ一か月の間で起きた、始まりから終わりまでの奥歯の物語。
 
まさに絵に描いたようなハッピーエンド。終わりよければすべてよし!と言いたいところですが、果たしてそうでしょうか?
 
私は今回の出来事で、嬉しい気持ちよりも、凄く「怖さ」を感じました。
 
結果としては、割れた歯を修復して残し、インプラントや歯牙移植することなく治療が終わったわけですが、もし私がA歯科医院で何の疑問や不安を抱くことなく治療を開始していたとしたら、あるいはB歯科医院で確信を得て治療をお願いしていたとしたら、私の奥歯はどうなっていたのでしょう?
 
まず間違いなくインプラントになり、費用も30万円~40万円プラスその期間の通院代もかかるため、プラス5万円~10万円が上乗せされていたかもしれません。
 
治療期間も最短で半年、場合によっては一年以上かかるかもしれないと言われていたので、想像するだけで途方もない道のりです。
 
しかし結果は、C歯科医院での治療によって費用は約一万円、期間は実質三週間で終わりました。
 
おそらくですが、A先生とB先生には「破折歯接着治療」のスキルがなかったのでしょう。だから、それはそれで仕方がないのかもしれません。とはいえ、歯を失うというのはかなりの大ゴトです。精神的にも肉体的にもその負担は決して小さくありません。
 

仕事にはプロとアマチュアという分け方の出来る職種があります。例えば、プロのライターとアマチュアのライターのように。
 
しかし、例えば歯医者とか内科医とか外科医とか薬剤師とか、そういった仕事にはプロとアマチュアといった区別はありません。その仕事に就くすべての人が資格を有するプロなのです。
 
それはつまり「新人なら失敗しても許される」ような、お気楽で適当な仕事ではない、ということです。1年目だろうが10年目だろうか、常にプロとして完璧な仕事をしなければならないのです。
 
A先生もB先生も歯医者です。
歯のプロでありスペシャリストです。

歯医者という仕事をしている以上、最先端の治療スキルがあるかどうかはともかく、現時点でどういった治療法があるかぐらいは知っておくべきなのではないでしょうか?
 
「入れ歯にする、インプラントにする、そのまま放置する。それ以外の選択肢はないのですか?」という私の問いに、A先生とB先生はこう答えました。
 
「ありません」

 
はっきり、そう断言しました。しかし、実際には破折歯接着治療によって私は自分の奥歯を残し、そしてインプラントも歯牙移植もすることなく、以前と同じように食事が出来る状態になっています。
 
仮にもし、A先生とB先生が本当に3つの選択肢以外の治療法を知らなかったのだとしたら、それは歯医者として大問題であり致命的な資質です。勉強不足はもちろん、日々更新される治療法なり薬などを積極的に治療に活かして患者を救おうとする姿勢がないということですから。
 
では、もし他の治療法を知っていたにもかかわらず、それを言わなかった場合はどうでしょう?

感情論だけで言うなら、とんでもない歯医者だ!となりますが、私はこう考えます。
 
その治療法を知ってはいるけど、自分にはそれが出来ない。となると、それを正直に患者に伝えた場合、なかには「患者の気持ちを第一に考えるいい先生だ」と称賛する人もいるかもしれないけれど、最悪の場合「この歯医者はスキルがない」と思われ、歯科医院の評判を落とし潰れてしまうかもしれない。それを回避するために、良心は痛みつつも、医院を守るために真実に蓋をしてしまう、そんな歯医者がいても不思議ではありません。
 
そして一番考えたくないおぞましい可能性、それは、とにかくインプラントを勧めて利益を確保することしか考えてない歯医者がいるかもしれないということです。
 
基本的にインプラントは自費診療でかなりの高額です。患者の歯がどうなろうと、自分のふところが潤えばそれでいい。仮に、実はインプラントにする必要がなかったとしても、一度インプラントにしてしまえば、その時点で抜いた歯などの証拠はすべて消滅してしまっているので、万が一の場合の責任問題に発展することもないでしょう。
 
まるで完全犯罪のようです。
 
A先生とB先生が破折歯接着治療を知っていたかどうか、知っていたとしたら何故それを教えてくれずインプラントしかないと断言したのか、その真相は闇の中です。仮に今改めてAとB、二人の歯科医に訊いたとしても本当のことなど教えてはくれないでしょう。
 
もしかしたら、破折歯接着治療のデメリットを強く訴えて「だから私のところではその選択肢がなかった。そのため最初から治療の選択肢にはなかった」などと言い出すかもしれません。ああいえばこう言う、狡猾こうかつな理屈をこねて反論し、自身の正当性を主張するかもしれません。
 
他の多くの歯医者が全員こんな人だとは思っていませんし、A先生やB先生にもそれぞれ言えない事情や真実があるのかもしれません。
 
そもそも、今私がこうして書いていること自体、歯のことなどほとんど知らない素人の推測であり憶測なので大きく間違っていたり、誤解していることがあるかもしれません。
 
しかし、患者側から見える景色で考えたらやはり、A先生とB先生には大きな不信感と疑問だけが残る結果となりました。
 
改めて言いますが歯を抜くというのは一生に関わるとても大きな決断です。
 
なのに、自分の懐さえ潤えば患者の歯がなくなろうが、そのことで患者がストレスを抱えようが知ったこっちゃない。少しでも利益が大きい治療をやってお金稼いでやる!!などとドヤり、それで一人前の歯医者、成熟した大人を気取っている歯医者がもしいるのだとしたら、ただただ恐ろしく、悲しく、そして残念です。なんだか、人間の果てしなくみにくく、奥深い欲望を見せつけられた気がしました。
 
もし私が歯医者だとしたら、そしてもし自分にスキルがなくて破折歯接着治療が出来ないとしたらどうするか・・・そんな仮定の話など無意味なのはわかっています。人間誰しも、実際にその状況になってみないとわからないものですから。
 
ただ、もし私がその立場だったとしたら、私は患者さんにとってよりよき選択を伝えられるような強い人でありたい、そう思いました。
 
「私のところではやっていませんが、破折歯接着治療という方法があります。よかったらそちらもご検討されてはいかがですか?」そう言える心を持っていたいと思いました。
 
そんなことを言ったらホントに患者さんが来なくなるかもしれません。しかし、誰かを犠牲にして自分が幸せになろうなどという、そんな貧相で浅ましい人間性で人生を生きていくことに私は人生の価値も、そして人としての価値も見出せません。
 
残せたかもしれない誰かの歯を、躊躇なく殺して闇に葬って得たお金で、いい家に住んだり、いい車に乗ったり、美味しいモノを食べたり・・・それで幸せを感じるような人間性にはなりたくない、心からそう思います。
 
あるいはこれは都会のひずみのようなものなのかもしれません。

田舎だと、そこが田舎であればあるほど一度悪い評判が立てば客商売はやっていけません。田舎は良くも悪くも親戚ご近所によるネットワークが隅々まで張り巡らされていますから。
 
しかし、都会は圧倒的に人が多い。そして、隣近所はほぼ他人。自分さえ幸せになれば、自分さえお金持ちになれれば、他人がどうなろうと知ったこっちゃない。残念ながらこういった人は確実に、そして相当数います。私もそういう人をウンザリするほどたくさん見てきました。
 
 
メントスが教えてくれた今回の出来事。
メントスは私の奥歯の詰め物をはがしただけでなく、もしかしたら歯医者という職業を介して人間の欲望の闇というパンドラの箱を私の目の前で開いて見せたのかもしれません。
 
 
私利私欲にまみれたその欲望のみにくさや浅ましさ、それはまるで歯をむしばみ、虫歯へと変えてしまう細菌のように人間の心を蝕み、気づけばもはや治療不可能な状態にしてしまう。
 
最初は、虫歯で困っている人を救いたいという、歯医者にとっての高い志があったはずなのに、それがいつしか「もっとお金を稼ぎたい」「先生と呼ばれて人から尊敬されたい」「威張りたい」・・・年月を重ねていくなかでそのように変化していく人も少なくないのかもしれません。
 
虫歯によって蝕まれていくのは、患者の歯か、あるいは歯医者か?
 
しかし、これは歯医者に限ったことではありません。それはきっと誰にでも起こり得るであろう、心のすき間に入り込む「慢心からくる油断と傲慢」なのです。
 
そのすき間によからぬものを入り込ませぬよう、もし入ったとしても早期発見、早期治療することを心がけ、欲望と言う名の心の虫歯が取り返しのつかない状態にならないように、日々地道にコツコツとケアしていく、これが大事なのです。
 
パンドラの箱が開いたことによって、私はそんなことを考えました。
 
そして今回私は、その箱を奥歯の詰め物という名の蓋で閉じました。虫歯などの不具合が出ない限り、もうその蓋を開くことはないでしょう。
 
 
まさに九死に一生を得たかのような今回の出来事により、ようやく私は改心し、口腔ケアに目覚めました。

日々、電動歯ブラシ、口腔洗浄器、フッ素コート剤などを手にしつつ、私は思います。
 
人としての内面もいろんなものを使ってしっかりケアしていかなければ、と。

磨いたり、洗ったり、包んだりして心をピカピカに保つことが大事なのだ、と。
 
白い歯とピカピカな心で人生を生きていく。
そんな決意と教訓を得た、奥歯を巡る物語でした。

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