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退廃美《音》

ぽとりと花首から落ちてしまう椿が好き。

物悲しさ、儚さ。

音楽も、そんな退廃的美しさがあるものが好き。

そんな歌詞を生み出すバンドマンのことを書きたいと思う。すいません。また読み手を置いてけぼりの音楽記事です。

田中和将 (grapevine)

退廃美をうたうひと

何が言いたいのかわからないことも多い。文学的というか、読書家ならではの世界観で、いつも何かにインスパイアされている。最近はどうやら日本昔ばなしやら日本書紀に感化されているのだろう。ちょっと前は海外文学にハマっていたのだと思う。

雀の子を歌われた時はどうしたものかと思った。そこのけそこのけお馬が通るロックなんてある?
田中にかかると、雀も鼠もこんな世界観になってしまうんだ!!!ライブで聴いたら圧巻だった。

だけれども、個人的には
救われない言葉を並べて、そこから光を見出していくような歌詞が好き。琴線に触れ心臓がキュッとする。田中は、結局は聞き手次第と言う。

壊れても手を差延べるわけもなく
問われてみたところで応えられない
はずみや軽さで人は悲しまされる
投げ出すも指さすも
「やがて夜は明ける」とあしらうだけ

here

五十嵐隆 (syrup16g)

身も蓋もないことをうたうひと

死んでいる方がマシさ、生きているよりマシさと
ポップに歌ったかと思えば
来世はお煎餅やさんになりたいなどと
身も蓋もない生きづらさをうたう

君に存在価値はあるかそしてその根拠とは何かと
存在意義を問われて痺れることもある。

だけれどもやっぱりこの人も
退廃的な美しさが魅力なんだ

当たり前に
月日は流れるだけで
その光の無い輝きも
いずれ闇に堕ちる 堕ちる

赤いカラス

中田裕二 (椿屋四重奏)

女の情景をうたうひと

叙情的な歌詞。文学やら大正浪漫に感化された世界観。最近はもっぱら仏教だけれども。その時の裕二の趣味が歌詞に現れるが、女の情念とか情景が浮かぶ。

虹色の濁った希望と共に
笑いながら君は 雨に流れて消えた
ずぶ濡れの紫陽花みたいに
綺麗で悲しい 悲しい

紫陽花

藤原基央 (BUMP OF CHICKEN)

痛みに寄り添うひと

藤くんは、厨二病と揶揄される。わからないでもない。社会からドロップアウトしたい者に、手を差し伸べてくれるような救いの言葉を紡ぐ。前述した作詞家よりストレートにわかりやすく歌う故に。未だに新規の若いファンがいる理由でもあるんじゃないかな。

何回迷ったっていいさ血の跡を辿り戻ればいいさ
目標なんか無くていいさ気付けば後から付いてくる

ダイヤモンド

因みに私は
田中と藤くんの顔が好きだ。(いらん情報)

番外編

音楽は同じ時代を生きてこそだけれども、
詩は永遠。

みたいな事を書いていらしたnoteを拝読した。
ちょっとニュアンス違うかもだけど、
なるほどなぁ。と思った。
ミッシェルを解散した意味が今はわかるような気がする。チバユウスケは詩人なんだ。

あー!
こういうの大好き。もっと書きたい。こういう話をしながら、ずっとお酒飲んでいたい。マニアックになりすぎるので、この辺でやめておきます。また書きます。

詩集

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