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音を楽しむと書いて「音楽」 星野源さんのANNを聴いて思ったこと

いきなりうんちの話から始まった米須元帥さんをゲストに招いてのオールナイトニッポン。地元所沢から西武池袋線を下った飯能にある自由の森学園に中高と通っていた埼玉同郷人である星野さん。互いにゲームが好きとか、音楽談義もとても楽しそうに話していたが、これはリスナーに聴かせるための話でもあるのだなと思った。

だから、ラジオでたくさんの人向けに話さなくて済むときはさぞ二人で楽しく話していたのだろうなと思った。多分、こどものように無邪気にバカ話で盛り上がったりしているのだろう。

もちろん仕事だからたくさん苦労もあるけれども、好きや楽しいを根底にして、そこをとんがらせたから継続できているのだと思う。

で、まとまらないけれど、まとめるつもりもないのだけれど、noteをちょっとやってみて、いろいろと気づくことがあった。ここではわざわざ書くまでもないけれど。「うまく」活用しようと思う。

それと、私のスキは意見に完全に同意したとかではないということは断っておこう。全く反対のニュースを紹介していた二人の人がいても両方にスキをすることも大いにあるということ。

ツイッターでいいねしたら同意、共感ととられるなんてのがもし裁判で決まってしまったら息苦しくてたまらない。

現実社会で思想信条がみんな一緒の人のみ友達だったらコワイわ。
そんなわけで、私のいうことは無茶苦茶なことも首尾一貫しないこともあえて冗談で言っていることも多々ありますが、見逃してくださいというところです。

ここであらかじめ言っておくのは、ある意味宗教レベルで特定の思想に傾倒してしまっている人と、ある意味国家レベルで特定の思想に傾倒してしまっている人があるコミュニティーに一緒にいたときに、関係調整に苦労したからということにしておきましょう。

すごく仲良さげだったのに、互いのネットでの発言か何かを見て豹変したもんなぁ。

あの失敗があったから、予防線は大いに張っておかないとと思った。

この文章もこっそり修正していくかもしれませんから(笑)

星野源さんと米須元帥さんの話を聴いていて、音を楽しむのが音楽なのだなと思ったたわしおじさんでした。

そして最後に星野源さんの不思議の歌詞の一部を引用して終わりにする。

幼いころの記憶 今夜食べたいもの
何もかもが違う
なのになぜそばに居たいの
他人だけにあるもの

“好き”を持った日々をありのままで
文字にできるなら気が済むのにな
まだ やだ 遠く 脆い
愛に足る想い
瞳にいま宿りだす

『不思議』星野源

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