tawara

絵描きです。 呼吸をするように作品を描いています。 作品のこと・ふと感じた事や日常の…

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絵描きです。 呼吸をするように作品を描いています。 作品のこと・ふと感じた事や日常のことをポツポツと。 インスタはtawarartでポストしてます。

最近の記事

うっかりはまってしまったもの

子供の頃のこと。(黒電話、二層式洗濯機、ブラウン管テレビ、音楽はレコードとカセットテープの頃ですww) テレビの絶対的視聴権は父親だったので 時代劇、プロ野球中継、ゴルフトーナメント中継とかクイズダービーとか西部警察とか全く興味がない番組をヘビースモーカーだった父のタバコの煙プンプンのリビングで見させられていた記憶があります。 (当時、狭い社宅住まいだったので、姉と私の二段ベットと勉強机で隙間もない4畳半にも満たない様な子供部屋では勉強と寝ること以外は落ち着かず、圧迫感のある

    • 少しだけわかってきたこと

      若い頃は ちっぽけな自分の頭の中だけで考えあぐねて『自分が何をすることがベストなのか』と言う類の正解も不正解もない様なことで踠き悩んでいましたが。 幾ら躓いても投げやりにならずに今できること(理由もわからず何故か気持ちが向く方向)をとにかく誠実にやっていき日々素直に生きていれば自ずと導かれる様に進む道が照らされていくものだなあ、と思うのです。 命の業とでも言うんでしょうか。損得勘定抜きで時間も労力も惜しまず注力して自然と手が動くこと。おそらくそれが答えなんでしょう。 そ

      • 作ったもん

        無題 素材:絵画用キャンバスにリネン糸(縫い留めは綿糸)・木枠に真鍮釘留め size:330x330mm 数年前、とても美しい無染色生成りのリネンの太めの糸を見つけて購入。その後、自身で枇杷の葉で染めて保管していた糸を使いました。 ほぼ生成りですが、うっすらと枇杷の葉の色から抽出されたピンク色のベールを纏っています。 糸の気配を拾いながら作っていくとやはりマルになっていくのでそれに抗わずに縫い止めること数ヶ月。 ようやく出来上がったものは水の波紋の様でもあり、密集しているけ

        • 少しずつ。

          作業時間を少しずつ延ばしていっても右腕が悲鳴をあげにくくなって来ました。 私の身体もゆっくりだけれど確実に頑張って修復作業してくれている様です。 もちろん無理はできないし、重いものを右腕で持つのも避ける様にしているし、できるだけ左手で出来ることを増やして右腕の負担を減らしてはいます。 2年前の事故直前まで作業していたものは、怪我で右手が使えなくなっていたので一切手をつけていなかったけれど、 先月(3月)から少しずつ再開させていて、これを仕上げないとどうも次に進めない様な気が

        うっかりはまってしまったもの

          それがいいんです。

          誤解を恐れずに言うと、 ここ数年は何をするにしても“人のために”って思って行動しない事にしてます。 何かするときの原動力ってなんだろうと考える。 突き詰めていくと、結局は自分がどうしたいかで行動してるって事に気がついたから。 一つ例を挙げるとすると、 親のサポートをするのも親に倒れられたり怪我されたら自分が嫌だし悲しい気持ちになるから。 美化しようと思えばいくらでも簡単に親のため、人のためって置き換えていい話にできそうなことだし、そう言い続けていると自分もそうなんじゃないか

          それがいいんです。

          今を生きようってあらためておもう。 人生は『今』の積み重ねだけでしかないのだ。

          今を生きようってあらためておもう。 人生は『今』の積み重ねだけでしかないのだ。

          幾つになっても

          理由もなく惹かれる空気感というものが一人一人にそれぞれある様に感じます。 わたしの場合はそれを自らの手で具現化できているだろうかと常に自問自答しつつも、 本能的に手が動くのをコントロールせずにとにかく描いてみる、つくってみる。 それを繰り返し繰り返しで少しずつ成長できている…と信じたい。 常に路の途中。生きるって事はそういうもんなのか、と時折途方に暮れたり開き直ってみたり。 歳を重ねたってそれは変わらず。それでいいんだと思う。

          幾つになっても

          私がnoteをはじめて4周年だそうです。頻度少ないながらも意外と続いてます。 こんなニッチなわたしの記事を読んでくださってる稀有なみなさん、どうもありがとうございます。 パッと出てきたタイミングの時しか言葉にできないので、流れに任せてマイペースに言語化していこうと思ってます。

          私がnoteをはじめて4周年だそうです。頻度少ないながらも意外と続いてます。 こんなニッチなわたしの記事を読んでくださってる稀有なみなさん、どうもありがとうございます。 パッと出てきたタイミングの時しか言葉にできないので、流れに任せてマイペースに言語化していこうと思ってます。

          何にもならなくて良い

          ここ数日、ずっと 「何にもならなくっていいや〜🎶🙌」 って、根っこのわたしが連呼しながら小躍りしています。 ことのはじめはおそらく一昨年の出来事でしょうか。 一昨年の夏に思わぬ交通事故に遭って一旦全てにおいて強制的に休め!ってなってから、本当にちょっとずつちょっとずつ🤏本来の、のんびり性格だった自分がひょっこり顔を出し始めました。(それまでは、自分の理想とするものが強すぎて、それに向かって直走っていた感がありましたが本当に強制終了させられた感じでした) 私自身も『そうだった

          何にもならなくて良い

          備忘録

          自分がゼロから描いたり作ったりしたものを『作品』ではなく、『自分の手から作ったもん』という呼び方や認識に明確に切り替えてから 元々自分の中にあったものがようやく檻から解放された感覚が凄い…。 何を作ったって描いたって良い。作風だって一つじゃなくって良い。元々いろんなの作ってたんだから。 極端に言えば、生きてるだけで良い。何も作らなくったって良い。そんなシンプルなことなのに、『展示できる様な作品にしなきゃ』という思い込みや気負いが無意識にどこかで働いていたのかもしれない。 自

          近況。

          ずっと引っかかっていたこと。 自分の手からつくったもの・描いたものを“作品”と呼ぶことに対しての妙な違和感。 (なんだか仰々しい) 小さな頃から気付いたら既に常に手を動かして何か創ったり描いたりしていたので 特別なものでも崇高なものでもない、私にとって描いたりつくったりしたものは日常の気付きのカケラであります。 だから出来上がったものはシンプルに ただただ『つくったもん』『出来上がったもん』であって、それ以上持ち上げる必要も下げる必要もないんです。 もちろん日々何十年も

          空っぽの感覚

          note、ご無沙汰しております。 何かを発信する時って言語化して目に見える状態にしておく必要がありますが、 言葉や文章で表現/説明するには、今の私には少々難しい内面の変化が起こっていて、 どう伝えたら良いやら考えあぐねていたのです。 結局良い答えも出ぬままもう2024年、3月も半ば。 とにかく考える事を一旦放り投げて宙に浮かせて空っぽになっている状況です。 (夏休みの宿題の様にギリギリまで重い腰を上げられなかった確定申告は無事終えました。ホッ😌) 正確に言葉にできるかは自

          空っぽの感覚

          不思議な夢の話

          昨晩から起きる直前まで、不思議な夢を見ました。その時の話はちょっと自分で忘れないほうが良さそうな気がするので、自分自身への備忘録として書きとめておきます。 ************** 行ったこともない素敵な海の見える場所と行ったこともない素敵な山の見える場所に、 それぞれに素敵な人たちが自然と共におおらかに生活していて。 〇〇でなければならない、とかルールは全くないけれど、お互いを思いやり自分自身を大切にしながら暮らしている人たちばかり。 とにかくとてもおおらか。愛で溢れ

          不思議な夢の話

          土鍋で美味しいご飯が炊けた。そんなあたりまえのいつものことがとっても愛おしい。

          土鍋で美味しいご飯が炊けた。そんなあたりまえのいつものことがとっても愛おしい。

          やっぱりマル◯だった。

          昨年末から描き始めて、やっと完成しました。 無題 純楮紙に鉛筆 size 242×273mm いつも以上に塗り潰す面積が多かったので、 (怪我のこともあって腕の負担を極力無くす必要があって、力を入れて描かないようにしているため)ここまで色を濃くするのにちょっと時間がかかってしまいましたが。 体が資本。無理はしないと決めているので、(無理するとあとで痛むのがわかってるので)完全に回復するまでどのくらいかかるかわからないけれど、それまではゆるいペースです。 やっぱりマル◯

          やっぱりマル◯だった。

          作品製作<生活すること

          数年前からわたしの考えが少しシフトしてきています。 “絵描き”で在る前に(それもとても大事なのだけれど) 『生活すること』をわたしは大切に思う様になりました。その上で作品に向かっていこうという気持ちが若い頃より一層強くなっています。 若い頃は寝食忘れてキャンバスに向かって目の下にクマ作ってたり平気でしていて、どちらかというと作品製作の方が比重重めな感じでしたが、 今となっては若干本末転倒だったなあと思う様になって。 例えば崇高な仏像を彫り上げるより、日々のご飯を毎日最高に

          作品製作<生活すること