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ステロイドさんの喫茶喫飯

オリンピックのように数年に一度、大々的に開催される私の持病がある。壊疽性膿皮症えそせいのうひしょう と言って、免疫異常によるもの。

うっかり傷ができると、誤作動を起こした免疫さんたちが私の体を攻撃し、大きな潰瘍を作ってしまう。私の場合は左足にばかり再発を繰り返し、えぐれ方がえげつなく、眠れないほど痛い。幸い合併症はないので、足が痛いだけで済んでいる。

こうなると使われる薬はステロイド。
荒ぶる免疫力を抑え込む。

私の場合、経口では追いつかず、入院してパルス療法(3日間、点滴でステロイドを大量にぶち込む)を行う。

パルス療法のあとは徐々にステロイド量を減らし、外来で対応できる状態に仕上げてからの退院となるから、まず1ヶ月は入院しなくてはならない。

体調にもよるが、読み書き創作が趣味だと、入院はわりと苦にならない。では何が苦になるかというと、ステロイドの副作用である。

  *

食欲増進、体重増加、ムーンフェイス。
2014年に初めてパルス療法を体験し、苦しんだのがこれ。ステロイドの副作用というのは数えきれないほどあるようだが、私に強く影響したのはこの3つ。

「空腹」と「食欲」は別物だと実感したのもこのときだった。

空腹であっても、食欲がなければ、食べなくても平気。ところが副作用で「食欲増進」が発動すると、食べたい気持ちにストップがかからない。たとえどんなに満腹で、吐きそうでも、お腹が痛くなっても。

病室にしろ家にしろ、そこに食べ物があるといけない。葛藤と自己嫌悪で、激しく苦しむことになる。

「食べちゃダメだ」と我慢する苦しみ。
「それとも今、ちょっとだけ食べようか」と迷う苦しみ。
「お菓子があるからダメなんだ。そうだ片付けてしまえ」と一気に全部食べてしまうという暴挙。そして自己嫌悪。

入院中の私の思考回路は自分でもどうかしてると思ったし、それは退院しても、ステロイドが減るまで長いこと続いた。

  *

次にパルス療法のために入院したのは、4年後の2018年。今度は副作用に屈してなるものか、と強い気持ちで臨む。母にも協力してもらい、食べ物の持ち込みは完全に絶った。口にするのは病院食と水分だけ。

食べ物さえなければ、「食べるか我慢するか」という葛藤からは解放される。ないものはない。我慢の一択。その方がはるかに楽だ。

普段の食事に比べて、病院食は量的に物足りない。でも空腹のつらさは初めの一週間だけだった。あとは胃が縮み、すぐに満腹になる。これで体重増加は防げる。顔面体操にも勤しみ、なんとかムーンフェイスも防ごうと努めた。

しかし少量で満腹になっても、気持ちはどこか満たされなかった。

ただでさえあっという間に食べ終わってしまう病院食。テレビや見舞い客に気を取られ、上の空で食事をすると、なんだかわからないうちに終わってしまい、「食べた」「美味しかった」「しあわせ」という実感がさらに薄れた。

100ウマウマの食事であっても、30ウマウマしか感じていないような状態。

そこで私は考えた。少ない食事でもどうにかして満足感を得る方法を。――そう、満足したいのだ。満腹だけでは満たされない、ということを私は学んだ。

まず、あっという間に食べるのをやめた。
なるべく時間をかけて食べる。

それから上の空ではなく、集中して食べるようにした。テレビを見ながらでもいいが、食べるときには、食べるものを見つめてから口に入れる。

目の前の食事とちゃんと向き合う。これから口に入れる物の、見た目、香り、味、歯ごたえ、舌触りなど、存在を感じ、じっくりと味わう。ちょうど入院中にテレビで見た、『孤独のグルメ』の松重豊さんのように。

ひとつひとつ存在を感じながら食べていると、少ない量でも次第に満たされるようになった。100ウマウマの食事を、ちゃんと100ウマウマで、あるいはそれ以上に感受しているような気さえした。

これが入院中に編み出した、「少ない量でも満たされる食べ方」である。

  *

「それって喫茶喫飯きっさきっぱん ってことだよね」
姉が聞きなれない言葉を出した。
「喫茶喫飯、とは」
「よくわかんないけど。禅語的な?」

調べてみると喫茶喫飯とは、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」という意味の禅語らしい。

つまり、お茶を飲むときはお茶を飲むことに集中し、ごはんを食べるときはごはんを食べることに集中しなさいということ。ひいては今を大切に生きよ云々という禅ならではの深い意味もあるようだが、まずもって今の私にピッタリの言葉なのである。

「良いお言葉を教えていただきました」
「お気に召したようで何よりです」

その後も私は喫茶喫飯を胸に、病院食と向き合った。

それから数日後のこと。病室でテレビ番組を見ていたら、マインドフルネスなるものが紹介されていて震えた。

私が苦労して編み出した喫茶喫飯スタイルと似たようなことを言っている。私が自力で発見したと喜んでいる間に、世間ではとっくにマインドフルネスとか言って広まっていたのかと。

「ああ……マインドフルネスな。そうね、似てるかもね……」
姉も苦笑いだ。
「でも、ほら。答えを教わってやるよりもさ、自分でプロセスたどって得た答えの方が貴重だよ。うん」

そう慰められ、そうか、そうだよね、そうだそうだ、と私も不本意ながらも納得した。

  *

近頃はまた、上の空で食べるようになった気がする。特に間食。そうなると無意識に口へ放り込む量が増えてしまう。

せっかく2回目のパルス療法のときに食欲の暴走を止めたのだから、それを無駄にしてはならない。

今こそ喫茶喫飯を思い出さねば。



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