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【小説】東京ヒートウォール 第2話:東京へ

(第1話はこちら)

サイフが入ったショルダーバッグを引っつかんで、夕子は上り新幹線に飛び乗った。

――朝美と連絡が取れない。

「回線が混み合っている」ならわかる。でも朝美のケータイにかけると、「電源が入っていない」とか、「電源の届かない地域にいる」とアナウンスされるのだ。

ケータイのチャットアプリの画面に「どこにいるの? 無事なの? 連絡ちょうだい」という言葉を叩き込む。――朝美からの反応はない。

移動の間に車内モニターやケータイのネットを駆使して、できる限り情報を集める。気象の専門家たちが言うには、ヒートアイランド現象によって常日頃からビル壁面にはかなり高温の熱が蓄積されていたとのこと。

「常日頃から高温に達していたなら、なんでもっと早く対処しなかったのよ……っ」

そこへ代々木の大規模火災が起爆剤となり、あの灼熱の気流が発生。都心を駆け巡りながら街路樹や公園の樹木、車やガソリンスタンドを巻き込んで引火、爆発。高温を保ちながら――いや、上昇し続けながら広がったという。

そうやって超高層ビル群を核とした高温の空気は、激しい上昇気流を生み、天に届く柱となった。

内部の情報はまったくわからないが、「ヒートウォール」と名付けられたそれは、時間を追うごとに上昇気流の激しさを増しているという。つまり内部の火災がさらに拡大していることが考えられる。

車に次々引火すれば、道路に沿って網の目状に火は伸びるだろう。逃げ惑う車で道路は渋滞。しかもヒートウォールに囲まれているから逃げ場もない。

そもそも内部の気温がどこまで上昇しているかもわからないのだ。死傷者数は相当な数に上ると容易に想像できる。

夕子を乗せた新幹線は、当然ながら東京手前で停まった。乗客が皆、大宮で降ろされる。――肌にまとわりつく空気の熱が鬱陶しい。

ここからはヒッチハイクで行こう。もうまともな交通手段では近付けないはず。東京へ戻る人、それもヒートウォール付近の住人をつかまえたい。誰だって自分の家や家族の無事を、確認せずにはいられないはず。

夕子は駐車場でヒッチハイクを試みたが、行き先が違ったりと空振りばかりが続く。急がないと……早く誰か……!夕子の思いは、殺風景な駐車場にむなしく散った。

「朝美、今どこでなにやってるのよ。いつも心配させて、連絡くらいよこしなさいよバカ……っ」

朝美のケータイはいまだに繋がらない。なぜ繋がらないのか――その先は考えたくもない。

歯を食いしばり、顔を上げる。こんなところで立ち止まっている場合ではない。少しでも東京へ近付かなければ。「待っててよ朝美。お姉ちゃんが助けてあげるから」

男が一人、駐車場に入ってきた。年は男の方が夕子より一つ二つ上か。男と二人きりというのは抵抗があるが、そんなことを言っている場合ではない。

「大丈夫、大丈夫よ。ひょろっとしてるし、髪ボサボサだし、Tシャツの襟ヨレてるし。あれなら万が一襲われても……大丈夫、勝てる。大丈夫、大丈夫、いける――」

――行こう。

「あの! すみません! もし東京へ行くなら乗せてもらえませんかっ?」車のドアロックを解除していた男が、一瞬の間をおいてゆっくり振り向いた。「新幹線が止まって、私、どうしても東京へ行かなければならないんです!」男は何も答えない。長めの前髪に見え隠れするその目が、無表情にこちらを見つめている。

「東京?」男がようやく反応した。「なんでまたこんなときに。今あそこがどういう状況かわかってる?」

男は無表情のまま淡々と言葉を発した。ここで引くわけにはいかない。

「ヒートウォールのことは知ってます。でも私の妹があの中にいるかも知れなくて……っ」「『いるかも知れなくて』? そんな不確かな情報で東京に行くの?」

異常事態についての話題なのに、男の声には抑揚がなく、危機感もないように思えた。

「妹は……東京駅を中心に動くと言ってました」「東京駅周辺なら確実に火の海だ。下手に近づくとあんたも巻き込まれるぞ」

男が淡々と言えば言うほど、夕子は逆に感情が高ぶった。

「東京駅周辺じゃありません! 東京駅を中心に動くと言っていたんです! 近場にいるとは限らないじゃないですか! もしかしたらうーんと遠くにいるかも知れないでしょ! 東京駅を中心にして!」

自分でも屁理屈だとわかっている。日帰りだからそんなに遠くへは行かないと言ってたじゃないか。

わかってる。朝美は多分、東京駅の近くにいる――

「不確かな情報でいいじゃないですか。あんな……あんなところに確実にいるってわかるよりも、いるかも知れないってあやふやな方が、希望があるじゃないですか……」

希望?希望ってなんだ。そんな言い方したら、朝美の安否に希望がないみたいじゃないか。

「いるかも知れない。いないかも知れない。それで……いいじゃないですか……っ」

私が信じなくてどうするんだ!数分前に会ったばかりのこの男に訴えたってしょうがないのに。

泣いたらダメだ。泣いたらダメだ。泣いたら……不安に、負けてしまう――

「お願いですからっ、私を、東京まで乗せてください……!」直角にお辞儀して懇願する夕子を、男はあごに片手を当てて眺めた。「イベント発生か」え? と聞き返して頭を上げる。「いや。――いいよ、俺も東京に戻るとこだし。行きたいとこまで乗せてってやるよ」「本当ですかっ? ありがとうございます!」「ああ、その前に装備を整えようか」「装備?」「アイテムショップに行こう」男が指差したのは、ごく普通のコンビニ。「体力回復アイテムを補充する」

……しまった、重度のゲームオタクか。だが四の五の言っている場合ではない。男のあとを追って、夕子は「アイテムショップ」へ向かった。

飲料水は早くも品薄状態に陥っていて、最低限の量しか買えなかった。

コンビニから出て助手席に乗り込んだとき、かすかにいい匂いがした。スッとした爽やかさ。なんの匂いだろうと思いながらシートベルトを締める。

エンジンがかかると、スピーカーからラジオのニュースが流れてきた。都内では避難指示が発令され、周辺ではすでに買い占めが横行しているらしい。あんな異常現象を見ればそれも当然である。

「買わないと何も手に入らないというのは、いささか不便ですね……」「あんた、どこから来たの?」「岩手です。……柳瀬夕子といいます」「ふうん。俺は――」

そこまで言いかけて、ふと男の言葉が止まった。どうしたのだろうと運転席を見ると、男は何事もなかった顔をして「一真」とだけ言った。

「カズマさん……。名字ですか?」「下の名前」でしょうね。いきなり下の名前ですか。無愛想なくせに意外とフレンドリーなのだろうか。

「岩手だと食いもんは自給自足?」「うちは少ししか作ってませんけど。冷やし中華の野菜くらいは、畑から取ってこれますよ」「究極の産地直送だな。そりゃ食い物を全部店で買うって感覚、違和感あるだろうよ」かすかな笑みを浮かべている。どうやら少しは笑うことを知っているらしい。

一真がドリンクホルダーに置いてある粒ガムのボトルに指を突っ込み、二粒取って口へ放り込む。ほどなく、さっきの爽やかな香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。――ああ、さっきの匂いはこれか。一真が噛んでいるミントガムの香りだった。

「あの、お仕事は何か……」「してない。大学卒業して、今は毎日ゲームしてる」「……ゲーム、お好きなんですね」

親のすねかじりに皮肉を込めたつもりだが、一真はどこ吹く風だ。

「特別好きなわけじゃない。囲碁とか将棋もやった。今はたまたまロープレやってるだけ。どれも思ったより簡単ですぐ飽きるし、他にやることが見つかれば多分すぐそっちに移る」

大学卒業できる頭があるのに、何も活かされていない。

でも今だけの付き合いだ。乗せてもらっている以上、波風を立てるべきではない。

「妹さんと連絡は?」「……ずっと、電源が入ってないとか、電波が届かないとか言われてます」

もしかしたら、朝美のケータイが壊れているのかも知れない。それはもしかしたら、朝美がヒートウォールに巻き込まれて――夕子の脳裏に人々の悲鳴が蘇った。

「おい」一真の声にはっと我に返る。

「あれこれ心配したって状況は変わらないぞ。お前の顔がブスになるだけだ」ぴきっと顔が引きつる。無表情で言うから本気か冗談かわかりにくい。「それはそうですけど」でもたしかに窓に映った顔はひどいものだ。眉間にシワを寄せ、暗い顔をしている。

「そうですね、今は東京に行くことだけ考えます。乗せていただいてありがとうございます」「……普段ならこういうことしないんだけど」「今日はどうして?」「イベント発生だなって思ったから」また顔が引きつった。せっかく和やかになったのに、このゲームオタクめ。

「東京へ帰る途中、ヒートウォール発生。そして東京に行きたいと助けを乞う少女が現れる」「私21歳ですけど。まだ少女ですかね」「これはパーティー組んで東京へ行くイベント発生だなと」「私にとっては遊びじゃないんですけど」

一真の不謹慎さにいらつきを覚え、夕子はラジオに耳を傾けることに徹した。

一真とのおしゃべりはあまり楽しいものではない。だがラジオから流れるヒートウォールの情報についても、聞いていて愉快なものではなかった。

夕子はケータイのチャットアプリに、何度目かの「無事なの?」という文字を打ち込んだ。

「見えたぞ」返事の来ないケータイを見つめていたいた夕子は、はっと我に返って顔を上げた。一真の視線の先を追うと、夕子の顔は瞬時に強張った。

「あれが、ヒートウォール……!」

テレビの映像など比ではない。まだ遠くにあるというのに、天を目指して激しく昇る気流の壁がありありと見える。

そう、「壁」だ。上空からの映像だと柱に見えた。でも地上から見るそれはまさしく、巨大な灼熱の壁。

……あそこに朝美が、いるかも知れないのか。

ヒートウォールが見える場所に車を停めると、二人は外に出た。外気は恐ろしく暑い。ヒートウォールの真上に、巨大な積乱雲がふたするように鎮座している。まだ日は落ちていないのに、ヒートウォールに囲まれたそこだけが、豪雨で真っ暗になっていた。

「あそこだけ、天の底が抜けたよう……」豪雨による闇はどこまでも暗く、深く見えた。「停電だな。稲光が見える。あれだけの積乱雲なら、落雷だって半端じゃないはずだ」「避雷針とか、無停電装置とか、対策はしてあるんでしょう?」「それでも通信機や精密機器の被害は、完全には防げない。システムダウンは当たり前だな」

ラジオでも言っていた。中にいる者と誰も連絡が取れないのだと。

「だけど雨が降ってるなら、鎮火するんじゃないですか? 実際火が小さく見えるし」「どうかな」「どうして? あんなにすごい豪雨なのに」「あのヒートウォールと積乱雲を生みだした火災だ。簡単に消えるとは思えない。ヒートウォールの中じゃなくて、壁を見てみろ」

夕子が目を凝らす。灼熱の上昇気流の壁は、反転させた滝のように激しく天を目指している。

「ヤカンが沸騰した時の湯気みたい……」

そんなところに、今も大勢の人がいる。もしかしたら、朝美も――ぞくりと総毛立って自分の肩を抱く。あれほどの上昇気流が起こるということは、あそこの気温はまだ相当高いのだ。

「ここから見えない部分の火がまだ激しいんだろう。豪雨のあと積乱雲が晴れれば、太陽が出てまた気温が上がる。可燃物が残ってて乾燥すれば、また火は大きくなる」

同じものを見ているはずなのに、一真はどこか違うものを見ている気がする。夕子が見ているものより、もっと先のものを。

「これからどうする?」無関心とも思えるほど、冷静沈着な一真を見上げる。「もう、ここまでか?」見下ろしている一真を、ギリッとにらむ。「いいえ! 妹に会えるまで絶対にあきらめません! もう少し乗せてください!」「了解」車は再び東京を目指して出発した。

逃げ惑う人たちの中をゆっくりと進みながら、夕子はひたすら朝美の姿を探す。

一真が言った通り、巨大積乱雲は降るだけ降ると霧散し、再び灼熱地獄に陥った。

太陽の熱、アスファルトからの熱、ビル群からの熱――。乾燥し、小さくなっていた火もまた大きくなる。

ヒートウォールは健在。その上昇気流で再び巨大積乱雲を生むという、悪循環に陥っていた。




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