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楽園の記憶/真理の探究

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時々私の中に湧き起こる、とても強烈な、しあわせな感覚。「楽園の記憶」と名付けたこれを、もっと自由に呼び起こしたくて、その正体をつかみたくて、続けている観察。それとこの宇宙の秘密を… もっと読む
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あの結婚生活に「意味がある」としたならば

13年間の結婚生活。あれにはなんの意味があったのだろうかと、折に触れて考える。 ああそうか。 あのコロナ禍で、父を看取り、弔う。 そして母を支えること。 そのための準備期間だったのか。 夜中に病院へ駆けつけることも。 徹夜明けでオヅメガダ(※)に突入することも。 泣き崩れる家族の肩を抱くことも。 私は、初めてではないのだ。 13年間の結婚生活。 あれにはなんの意味があったのか。 そう。あれはきっと、次に来る運命の準備期間だったのだ。 ※オヅメガダ……亡くなってから

手袋が「私」じゃなくなった瞬間

「私」という存在は非常に曖昧である――とは、仏教や量子の話。 (たまにこういう話したくなる) 例えば肉体は、分解すると筋肉・臓器・骨などに大別され、もっと細かく見ると細胞や素粒子といったものになる。 ピラミッドは石の集まりであって、私たちがその石の集まりを「ミラミッドと呼んでいるだけ。「ピラミッド」という物質的なものは存在せず、ただ概念としてのピラミッドがあるだけ。 馬車もそう。馬や部品を外していくと、いつからか「馬車」とは呼べなくなって、「車輪」「木材」などと呼ばれる

自分の体もまた宇宙である、という視点で物事を見直してみる

よく聞く話で、「人生で起こることに無駄なことはない」とか「あのときは不幸だと思ったけど、あれのおかげで今の自分がある」というのがある。 でもそれって、今の自分が幸せという前提での話。今の自分は望んでいた姿じゃないという場合、「あれのおかげで」とはならないじゃないか。――と、以前の私はよく思っていた。 今は、そこまで頑なではない。 この宇宙は――システム的に考えて――私たちを良い方へ導こうとしているんだなあ、と思うようになった。 なぜそう思うようになったか。 以前にも語っ

私たちは相対するものの世界で生きている

10月30日(月) 朝5時台の澄んだ空気の中、愛犬と庭をダッシュして家の陰から畑へ飛びだすと、西の空にある大きな月と目が合った。満月直前の、有明の月というにはあまりにも堂々とした存在感。 背後からは今まさに日が昇ろうとしている。山の木々が遮って、我が家の日の出は少し遅い。木漏れ日と呼ぶには少々強すぎる光が、木々の隙間から差し始めていた。 夕方ならこれを黄昏と言うのだろうが、朝はなんと呼ぶのだろう。朝の黄昏。月と太陽。陰陽がまじり合う。境がなくなる。 私は愛読書のひとつで

遅い車は私を守るタイムキーパーかもしれない

私は過去に、何度か危険を運良くすり抜けてきた経験がある。 例えば高速道路を走っていたときのこと。 途中、トイレ休憩のためにサービスエリアへ寄った。用事が終わったならすぐ出発するべきなのだろうが、このときの私はなかなか出発せず、いつまでも車内にいた。 疲れていたのか、ケータイをいじりたかったのか、物思いにふけりたかったのか―― 今となっては思い出せないが、なんとなく「まだ出発したくないなぁ」とのんびり過ごしていた。 ケータイで姉から「まだちんたら休憩してたのか!」と叱られる

「世界は認識でできている」を実感した話

仏教だか量子だかで言われる、「世界は認識でできている」という話。これについて私は、アニメ『不滅のあなたへ』シーズン2の最終回を見ていて、実感した。 (ネタバレが気になる方はご退室ください) それはエンディングを見ていたときのこと。 やたらと木の動きが目についた。 ていうか木に動きがあったことに初めて気がついたし、枝のアップがあったことも今の今まで知らなかった。 これは姉も同様だったらしく、私より1日遅れて最終回を見たあと、 「いつも動いてた? あんなにモリモリ成長してな

長い目で見たら、あれはグッジョブだった

ステロイドを服用するようになってから、10年以上、皮膚科へ通院している。皮膚科の先生は2~3年で入れ替わるが、熱心な先生もいれば、そうでない先生もいる。 去年の春から担当になった先生は、私の見たところ「そうでない方」の先生である。 「最近はどうでしたか?」 「痛みもなく元気でした」 「そうですかー」 と話を聞いて終わり。 その目で私の体を確認してはくれない。 でもまあ、症状が落ち着いている今は、こういうあっさりな先生でもいいだろう。 満足ではないが、不足でもない。 夏頃

「気になる」をたどりながら、どこかで私は答えを得た

「きっかけのイスラーム」で記した、あの不思議な感覚。あれほど私の心を動かしたものの正体を知りたくて始めた、「気になる」をたどる思想の旅。 『コテンラジオ』オスマン帝国シリーズでの「イスラーム」を皮切りに、「倫理的ビーガン」や仏教の「自他平等」などなど。気になる方向へ流れては、納得したり違和感の正体をつかんだりと、自分なりに決着をつけながらここまで来た。 その結果―― 今はオスマン帝国シリーズを聞いても、なぜか前ほど気にならなくなった。 ということは。 「気になる」を旅し

天の祝福

イギリスの人気番組『ブリティッシュ・ベイクオフ』。アマチュアのベイキングコンテストで、イギリスでは社会現象にもなったとか。私も大好きで、シーズン7まで毎回録画し、何度も繰り返し見た。 (『Dlife』はとても良いテレビチャンネルだったのでできれば復活してほしい) どのシーズンもファイナルは特に好きで、優勝者の発表は私も固唾をのんで見守り、最後は拍手で称えながら涙したものだった。 最近Eテレで再放送されたシーズン1のファイナルは、なぜかとても、私の心に刺さった。 優勝者発

Facebook反省会~結局note街が住みやすい~

私にとって、苦手意識しかなかったFacebookを再挑戦しようと思った理由は、以下の4つだった。 ・地元で活動しようと思ったから。 ・リアル物書き仲間がほしくなったから。 ・バツイチ仲間(女性)もほしいと思ったから。 ・コミュニティー活動に関わりたくなったから。 バツイチ仲間については前回語ったとおり。 地元男性たちに掻き乱され、それで結局Facebookをやめることになった。肝心の女性とのご縁はほとんどなし。 10日間ほどのFacebook生活で、「友達」になったのは

Facebook菩薩ゲーム3.「地元同士」は諸刃の剣

国際ロマンス集団の件がようやく一段落という頃。菩薩ルールでFacebook再挑戦中の私へ、さらに試練がやってくる。同じ市内に住む独身男性たちである。 中でも特に厄介だったのが、年上のバツイチ男性たち。きっと私のプロフィールを見て、自分と同じバツイチだとか、自分より若いとか、同世代の部類だとか思って親近感が湧いたのだろう。 そして恐らく、私が「出会いを求めている」と勝手に思い込んでいる。 Messengerでのやりとりは、「友達リクエスト、承認ありがとう」というお礼から始ま

Facebook菩薩ゲーム2.国際ロマンス大喜利

Facebook再挑戦。 スタートしてすぐに、友達申請第1号が来た。 ほどよく身なりの整った、サングラス男性。 白髪交じりの70代前後。 英語表記の日本人っぽい名前。 プロフィールによると、長崎出身、アレッポ在住、配偶者と死別。 アレッポってどこかと思ったら、中東のシリアだった。――もしかして巷で噂の国際ロマンス詐欺かな、とうっすら思う。 私がバツイチであることを公にしたから、この「配偶者と死別」のロマンスさんが友達申請してきたのだろう。 私としてはバツイチ女性と友達に

Facebook菩薩ゲーム1.まずはマイルールの設定

以前、数ヶ月間だけFacebookを利用していたことがある。目的はオンラインサロンに入るため。ただそれだけ。やめた理由は、Facebookのシステムが私に合わなかったから。 Twitterやnoteは勝手にフォローできるから楽でいい。しかしFacebookは違う。 Facebookでも勝手にフォローはできるが、「友達申請」された場合は、いちいち承認・拒否・無視を判断しなければならない。 しかもほとんどがビジネス勧誘かエロティックお姉さんのアカウント。1人1人まじめにチェッ

「自分と他者は同じである」をようやく理解できた話

イスラーム、倫理的ビーガンの流れを受けて、次にしつこく考えたのは「自他平等」についてだった。「自分も他者も同じである」という仏教(ヒンドゥーもかな?)の話。 そうした方が幸せだよ〜っていう道徳的なことではなくて、宇宙のシステムとしてそうなのだ、という感じ。 自他平等については以前から理解したいと思っていたが、これぞという解説にはなかなか出会えない。「だからどうして自分と他者は同じだと言い切れるのか」という私の問いは、長い間解決されなかった。 唯識や量子力学の本を読んだとき