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他人と距離を置くことと、他人への興味のなさを、一緒くたにしてはいけない 辻村深月/噛み合わない会話と、ある過去について


『噛み合わない会話と、ある過去について』

もうタイトルがね、秀逸。
しかも、タイトルだけでぐいぐい惹きつけてくるってだけじゃなくて、作品自体もしっかり「噛み合わない会話と、ある過去について」描かれているのだから脱帽です。

ジャンルは、「ホラー」としても過言ではないくらいの、恐怖感。
さらにその恐怖感といったら、ホラー映画なんかよりもよっぽど怖い。
じりじりと追い詰めてくるような切迫感。
浅くなる呼吸。
焦燥感。
落ち着かなくなり、椅子から腰を浮かせる。
吐きだされる息が居場所を失い、どんどんどんどん苦しくなる。
思わず、引きちぎるようにマスクを外す。

この、せり上がってくる恐怖感の出どころは―
どうして、こんなに乱される。

それは、どこか自分自身にも、心当たりがあるからだ。
「噛み合わない会話と、ある過去について」、わたしにも、思い当たる節があるからだ。

読み終えて、閉じた本の表紙。
改めて、帯を読んでみる。

「あなたの『過去』は大丈夫?」
キュートでカラフルな表紙に、この帯。
読む前のこの帯の文章に、悪意なんてどこにもない。
とてもシンプルな、質問だ。
しかし、読み終えてからこの文章を見返してみると、まるで別のメッセージを含み持つような、意地の悪さを感じる。「あなたの過去、本当に大丈夫ですよねぇ?」と煽ってくる。
やめて。それ以上、わたしを追い詰めないで。

もうとにかく怖い。

収録されている作品で言うと、「パッとしない子」「早穂とゆかり」
この二作品にある共通点。
「そんなつもりはない」、そんな軽い気持ちで放った言葉。その言葉は、放たれた瞬間凶器となって、放たれた側に突き刺さる。凶器はそのうち抜けても、傷跡は一生消えない、癒えない。

人は成長するにつれ、相手に放っていい言葉と、放ってはいけない言葉を学んでゆく。そして、放ってはいけない言葉を、人に対して放たなくなる。この、「放ってはいけない言葉」が、明らかに「放ってはいけない言葉」である時はわかりやすい。しかし、「そんなつもりじゃな」く放った言葉が、相手にとっては放ってはいけない言葉だった、ということはある。
この、とても曖昧な線。放っていい言葉と、放ってはいけない言葉の間にある、とても分かりづらくて、しかし確実に存在する線。
わたしは、この「そんなつもりじゃなかった」言葉は、相手との関係性にも依るのではないかと思っていた。相手との関係性によっては、「放ってはいけない言葉」も「放っていい言葉」になる。
けれど、そんなことを思っている時点で、わたしは過去に、たくさんの人を無意識に傷つけてきたんだろう。
そして今も。たぶん無意識に。誰かのことを傷つけてる。

悪と善にわかりやすく誘導する、メディアに溢れた言葉。
SNSで、地雷のように存在する悪口。

そんな言葉に触れているうちに、わたしたちはどこかで、線を引き間違う。
その線を、とっても強力な力で、引き直してくれる作品。

溢れてくる。ボロボロと。わたしが放ってきた、放ってはいけない言葉。「そんなつもりじゃなかった」言葉たち。

特に、複数の子どもを相手にするような仕事をしている人は、無意識にやっている可能性が高い。
悪意なく、コミュニケーションの流れで自分が無意識に発した言葉が、相手にどう伝わるか。
相手のことをきちんと理解した上で、無意識に放った言葉だっただろうか。
相手のことをほとんど知らずに、無意識に放った言葉だっただろうか。

他人と距離を置くことと、他人への興味のなさを、一緒くたにしてはいけない。

公園で、読んでいたこの本を閉じた時。
夕方になってすっかり冷えた空気の中で感じた、秋風だと思っていたそれは、秋風なんかじゃなかったのだ。
じっとりと手に滲む汗が、それが寒さではないことを教えてくれる。
そう、それは、わたしがある過去にした、噛み合わなかった会話の持ち主だ。
彼らは叫んでいる。あのときのわたしに、復讐しようとしている。それらが、秋風のふりをして襲ってきたのだ。自業自得だ。
寒いのは、秋風のせいなんかじゃない。彼らに、背中に刃を突きつけられ、背筋が凍っていただけなのである。

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