からだにまつわる #08
ハイボールを飲みすぎて吐いたのが1月
ハイボールを飲みすぎて電車を乗り過ごしたのが3月
この時思ったことは、なぜあの二日酔いのしんどさを知っているにも関わらず飲みすぎたのか、ということだ
わたしだってわからない
忘れてしまうのだ
それから1ヶ月
4月のこと
新しい年度を迎え、職場の仲間たちとお酒を飲み交わすことになった
目の前には飲み放題のメニュー
なんと!ものすごく種類が豊富だ
ハイボールもある
次の日が仕事であるにも関わらず、またしてもわたしは飲みすぎたのである
この、「忘れて飲みすぎる」現象が半年に1回であるとか、1年に1回であるとか、そういう頻度で来るのなら分かるのだ
どうしてこうも間を開けずに苦しんでいるのか
いい歳なんだからもっと学んでもいいはずである
そうだ、もう歳なのである
お酒を飲みすぎてどうにかなるには歳を取りすぎているのだ
まだ20代の頃
わたしはコンプレックの塊で(今もそうかもしれないけれど、あの頃は今よりもずっと)人と比べてばかりいて、まともに就職しなかったわたしは周りと比べてお金も地位もどん底だった、と当時は思っていた
だからお酒を楽しく飲む余裕なんてなくて、アホみたいにお酒を飲んでもまだまだ元気な身体に、アホみたいにお酒を入れる余裕なんてなかったのだ
今はどうか
40手前で新卒社員と大して変わらないお給料で、しがないフリーターをやっているわけだから、お金の余裕がないのは当時と変わらない
だけど、お酒の美味しさと一緒に楽しくお酒を飲む仲間を得て、コンプレックスもそれなりに落ち着いたわたしには、お酒の時間はとてつもなくかけがえのないものだ
その喜びは何ものにも変え難い
だからこそである
すっかり飲みすぎてしまうのだ
しかし身体はもうずっと前からアラフォー仕様になっていて、アホみたいに飲んだら当然ガタがくる
それでも、そのかけがえのない時間のために、わたしは何もかも忘れてお酒を飲む
歳を重ねて訪れる体の変化は数え切れない
低気圧には弱くなったし、ごはんもたくさん食べられなくなった
休みだ!遊ぼう!
と思っても、うまく体をコントロールできないのだ
このしんどさを前日の酒だと断罪することは簡単だし、低気圧だって今どきは薬も出ているらしく、治すことはできるのである
自分自身が「なぜ」と深めてしまう性格であることと、体調不良=よくないこと、という環境の中で育ったわたしとしては、「よく分からないなにか」で寝込むことが許せない
この頭痛の原因はなんだ、低気圧なのか、二日酔いなのか、いやきっと二日酔いに違いない、自分で管理できない自分が悪い、と、そうやって自分を追い詰める
体調が悪い時は休めば良いのだけれど、その原因を突き止め、それが自分にあるのか環境にあるのか、そこに答えが出るまで気がすまない
しかし実際にはそれが自分のせいではないもので寝込んだとしても、最終的には自分を悪者にして落とし込む
そういう性格なのである
「なんだか体調がよくない」ということを「弱さ」で片づける人がいる
人の身体はみんな違うから、自分の理解できないことが他人の体で起こることはあるだろう
それを「弱さ」と一蹴するのは、なんだか傲慢な気がする
だけど、わたしは自分で自分に対してそれらを「弱い」と断じる
他人には「それは自分ではコントロールできないことだから仕方ない」と言いながら、自分が同じ状態に陥ると「弱い」で片付ける
こういうことを「春だからなぁ」「こんな日もあるかぁ」なんて、自分を責めずに過ごしたいなと思う
こうやって、ようやく人並みに生活できるレベルになってきたと思ったら身体がついてこない自分につくづく、「なんだかなぁ」と思う
とことん、タイミングが悪いのだ
そして一方で「それもなんだか自分らしいなぁ」とも思う
お酒を飲みすぎても、それをゲラゲラ笑ったり、気遣ったりしてくれる友人がいる
お酒を一緒に飲んで、「元気になった」と言ってくれる友人がいる
それで十分じゃないか
他に何が要るっていうんだ
お金も、友人も、お酒も、身体も、なんて、求めすぎなんじゃないか
20代に手にできなかった何かを、今必死に足掻いて手にしようとしている
だけど、それに身体がついてこない
めちゃくちゃダサいと思うけど、それで楽しいなら、なんか最高じゃん!
そんなわたしと一緒にいてくれるみんな、心からありがとう
乾杯!
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