自立① #3
風邪をひいた。
今日はたまたま仕事は休みだったし、無理をしている自覚はあった。
思いきって、明日も休むことにしたのだ。
同僚は気にかけてくれ、ゆっくり休むといいと、そんな風に優しい言葉をかけてくれた。
心身がダメージを受けている中で、同僚たちの温かい言葉が、間違いなく回復に向かわせている。
体調を崩した時、頼りたいのは誰か。
独身ミドサー、一人暮らし、彼氏なし。
うわ、痛すぎるだろ。
しかも、時間当たりの労働が収入に直結するタイプの。
痛い、痛いよねえ。
おまけに、わたしは実家との関係も良くない。
母子家庭だった。
母方実家で育ったのだけれど、母は教員で、母方祖父も教員で住職、なんなら、離婚した父も教員、父の親族も教員。
とにかく厳しかった。
見たいテレビ番組を見る時は祖父に敬語でお願いしないといけなかったし、見てはいけないテレビ番組は決まっていたし、友達の家に泊まるのも禁止されていた。
今でも、年末年始にフェスなんて論外だし、夏休みをフェスに使うのも論外。そんな家だ。
一度、母に物を書く仕事をしたいと話したことがあった。
発狂された。
大学進学のために実家を出て、東京で一人暮らし。
この快適さを覚えたわたしは、地元へ帰る選択肢なんて捨てた。
悲しまれた。
正社員として働いて、体調を崩した。
だから正社員で働くのを辞めて、今は自由業。
パートタイム×業務委託で生計を立てていて、いつかはフリーランスとして生計をたてたい。
わたしは、母に正社員を辞めたことを言ってない。
かれこれ2年くらい。
昔は、母に本当のことを言えないことが苦しくて仕方なかった。
例えば、母が持っているシェーバーをこっそり持ち出したこと、生理がきたこと、彼氏がいたこと。
毛なんて自由に剃ればいい。親の許可を得る必要なんてない。
生理がきたことをいちいち報告しなくったって、別にいい(なんと!毎月報告していた)。
彼氏がいることを内緒にして、別れたタイミングでカミングアウト、意味不明である。
でも、なぜかそれらを黙っていることが苦しくて苦しくてたまらなった。
学校であったこともなんでも話した。
高校生の頃、部活終わりに母の迎えを待っていた時、同じ高校に通う特別学級の男性に追いかけられて怖い思いをした。母に電話をかけまくり、今どの辺まで来てるのか、あとどのくらいで着くのかとしつこくしてしまった。
わたしは、怖かったことを車中で母に話した。
それでよかった。それで終わりでよかった。もう誰にも話したくなかった。
それなのに。
夕食時、あの人は他の家族の前で「今日はとても怖い思いをしたのよね、話してごらん」と言ったのだ。
あの時の息が詰まるような思いは、きっとずっと忘れないだろう。
母がわたしの電話にイライラしたのかもしれない。それとも、これまで通りになんでも話すことをよしとしたのかもしれない。
母は公務員。
とにかく、ちゃんとした人なのだ。
仕事が安定していて、家族がいて、家事ができて、車の運転もできる。
感情的で、常識的で、自立した人。ちゃんとした人。
--------つづく--------
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