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結局、「おままごと」のまま

Hi, there!


どうも、たっつーです。

今回は、私の愚痴(?)にお付き合いいただければと思います。
(タイトルも、ふと思いついたものを採用しました)

文字にすることで思考を整理したいと思って、記事を書いています……。




結論から言うと


冒頭で述べた「愚痴」とはなにか。

結論から言うと、

先日応募したラジオ局のDJオーディションに(おそらく)落ちたのです。


なぜ「おそらく」なのかというと、それは期日を決めたものではないらしく、つまり今後お声がけいただけるかもしれないからです。

ですが、「優秀者には2週間以内に連絡」とのことでしたので、今回はご縁がなかったんだなと思っているというわけです。

だから、負け惜しみというか、この悔しい気持ちを文字に残して、今後成長していく糧にしたいという願いを込めて書いております……。
(長いので、飛ばし飛ばし見ていただいてかまいません!)



わたしの経歴


結論を述べたところで、この話を理解するための予備知識として、私の「経歴」をお話ししようと思います。

前どこかで少し書いていたのですが、私は高校生のときから「放送部」という部活に所属しています。

今年で7年目を迎えました。
(正確には大学の部活は引退しているので、カウントに含めてよいか微妙ですが……)

部活に入ろうと思ったきっかけは、ただ一つ。

自分もラジオパーソナリティーみたいにしゃべってみたい!!


高校生のとき


「喋り手」でいえば、高校時代は基本的にお昼の校内放送を担当していました。
曜日ごとに担当が決まっており、担当の日には簡単なアナウンス原稿を考えてきて、リクエスト曲(とはいえほぼ喋り手の持ち込み)を流す……という日々を過ごしていました。

このほかにも、球技大会や体育会の司会を務めることもありました。

ここまででも、すでにラジオパーソナリティーぽいことはできているわけですが、飽き足りなかったわたしは大学でも放送部を続けることに決めたのです。


大学生になって


地元の国立大学に進学し、すぐ「放送部」に入部しました。
(当然「放送部」のある大学で絞って大学探しをしていました)

なぜここの大学なのかといえば、地元で放送部があるというのはそうなのですが、この「放送部」は「インターネットラジオ」の制作を主な活動内容としていたのです。

実は高校生のときから制作されたラジオ番組を聴いており、「自分も大学生になったらここでパーソナリティーをやりたい!」と思いを募らせていたというわけなのです。


自分のラジオ番組をはじめるまで


部活に入ってからは、いろんなことをやりました。

アナウンスを専門としていたので、1年生のときから「ナレーション録り」に挑戦しました。
学食で流れる感染症予防の啓発放送や、オープンキャンパスのナレーションを担当しました。(自分の声を聴きながら食べるランチは不思議な味がしました笑)

正直、力量は毛が生えたようなものだったので、先輩方にアドバイス……もとい指導をしていただきながら精一杯仕事をこなしていた気がします。

そして、2年生が近づいてきて大学にも部活にも慣れてきたころ。

同期で力を合わせて番組をつくろうという話が出ました。

他方、入部する前から「自分のラジオ番組をやりたい」と思っていた私は、そろそろ動かねばという気持ちに駆られていました。

と、いうことで慌てて企画書を書き上げ、友人に手伝ってもらいながら、はじめてにして「冠番組」を立ち上げることに成功したのです。



オーディションに応募した経緯


自分のラジオ番組を立ち上げるところまでお話ししたところで、なぜわたしがラジオパーソナリティーのオーディションを受けようと思ったのかという話になります。

この自分の番組について少し触れておくと、

○ 一人喋りスタイル(2回に1回、ゲストを呼びますが)
○ これまでに12回分を制作
○ 部活公式のYouTubeにて公開

このほかにも、2回の配信企画をやりました。
特に2回目のほうは、「24時間配信企画」と称し、事前収録分を含め24時間配信し続けるという、とても狂った企画をやり遂げました。

おかげさまで番組を聴いてくれるひともちらほらいて、「聴いたよ~」と声をかけてくれる機会も増えました。(教育実習先の生徒さんにバレたこともありました)

「じゃあ、無事に夢が叶ったじゃん!」、と思われるかもしれませんね。

たしかに、当初の夢は叶いました。

でも、ここまでやってきて満足できないことがひとつ。


リスナーとのコミュニケーション」です。


もちろん、たくさんのメッセージをいただいてきました。

ですが、どこか一方通行のまま。

私が憧れていたラジオパーソナリティーの姿には程遠かったのです。


どうすれば近づけるのか……、ずっとそんなことを考えていたときに飛び込んできたのが「DJオーディション」の告知だったのです。

ずっと幼いころから聴いてきたラジオ局でしたし、いつかこの局で喋ってみたいと思っていたので、速攻応募することに決めました。

地上波ラジオに進出できれば、自分の夢を叶えられると思って……。



「おままごと」のまま


結果は、冒頭で述べたとおりです。

人生は甘くありません。

当然、この結果は想定内でした。

これまでの人生、「いい声だね~」と褒められることは山ほどありましたが、「滑舌いいね」と言われたことはお世辞も含めて一度もありません

むしろ、滑舌が悪いことがキャラ(アイデンティティ?)の一つだったことすらありました。

放送部に入って日々練習したり、アナウンススクールに通ったりしたおかげで、素人耳で「普通」か「ややうまい」領域にまでは達したと思っています。(大学の入学式や定期演奏会、イベントの司会も担当しましたし……)

ですが、コンテスト上位入賞者のような「読み」にはたどり着けないままです。
残念ながら、努力が足りないゆえの結果です。

これが、今回の敗因となったことは言うまでもないんじゃないかなと思います。

と、今回の結果を振り返ったときに、

結局、「おままごと」のままじゃないか?!

と思ったのです。


私は、幼稚園生のころから「おままごと」含め「ごっこ遊び」が大好きで、よく店員さんになりきって遊んでいました。

ラジオを聴くようになってからは、ラジオパーソナリティーのマネを始めました。

これも一種の「ごっこ遊び」でしょう。

それから高校に入って……、大学で自分の番組を持って…………。


でも結局は、「ごっこ遊び」=「おままごと」の範疇の中に留まったままだと思うのです。

ただ自己満足でやって、それで終わっている。
(それだっていいのですが)

ということで、「なんか、昔から変わってないな……」と改めて感じさせられた出来事のお話でした。



あとがき


ここまで、愚痴というか、めんどうくさいやつだと思われそうなことをつらつらと書いてきました。

それだけのはなしといえば、それだけなのです。

ちなみに、今回の記事のヘッダーは、先日違うラジオ局からお呼ばれしたときの私の様子です。

この4月からはじまった新番組で念願の「地上波一人喋り」を経験させていただきました!

まあ、たった1回分なんですけどね(笑)


いろいろ書きましたが、一歩ずつ、ゆっくりと、でも着実に夢に向かって進んでいるのかなとも思うわけです。

あせらず、日々の訓練を怠らず、来る機会に備えて力量をあげていきます!!!




今回はここまで。
また次回、お目にかかりましょう!!

See You Next Time!!

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