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運命論者になろう:新生活を迎えるときの心得

タイトルである「運命論者になろう」は、私が青山学院大学文学部教育学科に入学したときに、鈴木宏昭先生が、新入生に向けて話してくれたメッセージの1つだ。

自分が18歳でこの話を聞いて、もう20年くらい経とうとしているが、自分の中でこのときのメッセージや情景はいまでも記憶に残っている。

先日、鈴木宏昭先生が急逝され、このお話がもう聞けなくなると思うと悲しいので、そのときのメッセージを、自分の記憶を頼りにまとめてみました。

大学生だけでなく、これから新しい生活をはじめる人にも応用できる考え方かなと思います。もう20年も経つので、記憶が不正確なところがあるかもしれませんが、そのときのメッセージのような形式で以下にまとめます。

「自分がここにいるのは運命だ」と思うこと

1年生のみなさん、入学おめでとう。入学したみなさんに私から2つのメッセージを送りたい。

みなさんの中には、ここが第一志望で入った学生もいれば、そうではない学生もいると思う。しかし、「ここは自分のいる場所ではない」と思って、大学生活を過ごすのはもったいない。

私の専門である認知科学の知見から、君たちに2つのことを伝えたい。

1つ目、「運命論者」になりなさい。

運命論者とは、「自分がここにいるのは運命だ」と思うこと。つまり「ここにいるのは自分にとって何かしら意味がある」と捉えることだ。

人間には「確証バイアス」がある。確証バイアスとは、自分が思っている意見を支持する証拠ばかりを探してしまうということだ。

例えば、あなたが「ここは自分のいる場所ではない」と考えていると、この大学のよくないことばかりを探してしまう。

・学食のメニューが微妙だ
・やっぱり、授業もつまらない

こういう部分ばかり探してしまう。

一方、「自分がここにいるのは運命だ」と考えてみるとどうだろう。ここにきたのは「こういう意味があるのではないか」と、「意味ある証拠」を探すことができる。

君たちがここに入学したことには意味がある。だから、運命論者になろう。

自分から周波数を合わせようとしてみること

2つ目、「チューニング」をしながら授業を受けよう。

ラジオのチューニングを経験したことがある学生はもう少ないかもしれない。でも、そのイメージで、大学の授業を聞く時に「ただ聞く」のではなく、自分から「周波数を合わせる」ように聞いてみることをおすすめする。

大学の授業は、ただ受け身的に聞いているだけでは「ザーザーと雑音」のように聞こえてしまうかもしれない。

しかし、自分から周波数を合わせるように聞いてみるとどうだろうか。

「もしかしたらこういうことを伝えたいのかな?」「こういうことと関連しているのかな?」といった具合にしているうちに、突然クリアに聞こえてくることがある。

先生たちは自分が面白いと思っていることを話している。最初はその面白さがわからないかもしれないが、「何を面白さとして感じているのだろう?」と考えて聞いていくことで、少しずつ話を理解できるようになってくる。

ただ聞くだけでなく、チューニングしながら授業を受けよう。

まとめ

はじめて聞いたのは20年前のことですが、いまでも意外と覚えているものですね。

自分が想定していない現実が起こったときに、そこに意味を見出すこと。
日常の中での「わからなさ」に対して、主体的に働きかけることで、理解しようとすること。

これらは私自身もいまでも大切にしている価値観です。

もちろん、なかなか受け入れ難い運命もあります。ただ、それが必ず自分の糧になることは、この20年間で経験することができました。だから、これからも前を向いて、自分もこうしたメッセージを伝えられるよう、私自身の研究者人生を過ごしていきたいと思います。

これから新しい生活がはじまるみなさんにとっても、少しでも何か伝わるものがあれば幸いです。


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