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サッカー人生振り返り「社会人編②」

6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。

『社会人編②』

3年間所属した東京海上サッカー部を退団しサッカーを続けるか迷いましたが、当時25歳でここでサッカーを辞めたら2度と戻れないと思いチームを探しました。

とはいえ先ずは仕事を頑張りたかったので、一旦カテゴリーを落として、そんなに必死にサッカーをやらなくてもよさそうなチームを探しました。

慶應のOBチームである慶應BRBと、SNSで何となく面白そうと認識していたTOKYO CITY FC(現SHIBUYA CITY FC)の二択で悩みます。

慶應BRBは気心の知れたメンバーが多く、所属も東京都2部リーグ。

一方のTOKYO CITY FCはHPのお問い合わせから練習参加したので誰も知り合いがおらず、所属は東京都3部リーグ。

どう考えても、BRBでプレーしたほうが良さそうだけど、TOKYO CITY FCは異常なまでに熱心に誘ってくれました。笑

BRBで気持ちよくプレーするのもいいけど、仕事で新たなチャレンジをするからサッカーでもとTOKYO CITY FCを選択します。

この選択は、今振り返っても面白いチャレンジでしたし、仕事でも良い影響がたくさんありました。

今の SHIBUYA CITY FCからチームをご存知の方は想像つかないと思いますが、TOKYO CITY FCは当時GKが僕しかいなくて試合のアップもままならなかったチームでした。笑

東京都3部となると、対戦相手にもチームメートにも太ってる選手がいて、「お前動けるの?」みたいな感じです。笑

そんな下位カテゴリーのチームに移籍したものだから、「峯どうした?w」みたいに言われましたし、僕もそう思ってました。笑

でも、チームのメンバーは本当に優しいメンバーばかりで、時間の経過と共にチームが大好きになりました。

3部リーグはレベルは高くないけど、意外と難しく、1位のみの昇格なので1敗でもすると昇格できない可能性が高いリーグでした。

10試合中2試合くらい、手応えのあるチームがいましたが、何とか勝利して2部昇格を果たします。

結果として、入団を迷ったBRBと1年で同カテゴリーに上がることができました。

そして、2部にチームが上がるタイミングであり得ないことが起きます。

元日本代表、我らが翔平ニキの加入です。
名古屋グランパス時代にJリーグ優勝メンバーの阿部翔平さんが加入しました。

いやいやいやいや、僕が東京都1部から東京都3部に移籍した時もあり得ないて言われたのに。

Jリーグから東京都2部ってどういうことですか???

来年は東京都2部に昇格して、元日本代表も加入して、チームが面白いことになってきました。

加入する時に、「このチームは面白くなる」といった僕の予言の的中が始まります。笑

2部に昇格して、翔平さんが加入して、チームは目立ち、他にも錚々たる選手が沢山加入してくれました。

なんと、東京海上で同期のハマチもここで加入してくれます。

きっと僕が辞めて寂しかったのでしょう。笑

2部で十分戦える、1部昇格を狙える戦力が揃いました。

話は変わりますが、僕も個人で新しいチャレンジをします。
母校である桐光学園のGKコーチに就任します。

「いつかはGKコーチになって母校の桐光学園の指導ができたらな」と漠然と思っていたことが、急に実現します。

仕事も軌道に乗ってきてはいたものの両立できるか不安でしたが、これまでの勉強とサッカーを両立した経験や、何よりチャレンジしてみたいという気持ちを優先しました。

自分の仕事やチームのことを正直に話して、GKコーチと両立できる環境を整えてくれた桐光学園に感謝しています。

この判断も本当に正しくて、素敵な選手達に囲まれてGKコーチという職業が大好きになりました。

GKが上手くなりたいという純粋な気持ちを持った高校生と、一緒にボールを蹴る日々は充実した時間になりました。

こうして、平日に桐光にGKを指導して、週末に自分のリーグ戦を戦う生活を1年間過ごしました。

結果として、チームは得失点差により昇格を逃すという辛い経験をしました。

個人としても、シーズン中に肩を7回脱臼してしまい肩が使い物にならなくなってしまいます。

誤魔化しながら1年間何とかプレーしましたが、手術をしないとプレー中に簡単に肩が外れてしまう状況でした。

一方、GKコーチとして指導した桐光学園では、インターハイを全国優勝して、GKも大会優秀選手に選ばれました。

指導者としての楽しさを知り、翌年以降は選手を引退して指導者に専念することを決意しました。

しかし、、ここで転機が訪れます。

新型コロナウイルスの流行です。

指導者に専念するとチームに宣言して、チーム活動から離れていたのですが、新型コロナウイルスの流行により部活もストップします。

手術により、一定期間まともに指導できないのがネックで手術を断念していましたが、手術をできるタイミングが急にきました。

「ここで手術をすれば、来年以降は不安なくプレーできるかも知れない」

もはや将来子どもとキャッチボールすらまともに出来ない肩になっていたので、いずれ手術をすることは既定路線でした。

であれば、どうせ手術するなら今しかないと急遽手術をしました。

手術は無事成功したものの、半年はGKとしてプレーできません。

この年は、コロナウイルスの影響で前年全国制覇を果たしたインターハイも中止になってしまい、高校生には可哀想な1年でした。

チームの方は、コロナによる特殊なレギュレーションでかなりの短期決戦による昇格を果たし、東京都1部リーグへ昇格。

元々、自分が所属していた東京海上と同じリーグに所属することになりました。

「東京都1部リーグでプレーしたい。東京海上時代に果たせなかった関東リーグ昇格をして、あの頃の自分を超えたい。」という気持ちが湧き起こってきました。

チームからも、「来年1部を戦うのにもう一度力を貸して欲しい」と要請があり快諾。

チームのセールス兼選手として、セミプロのような形でチームに復帰しました。

チームは来シーズンから、これまでの週1回夜練習から平日週3回午前練習にシフト。

Jリーグ参入を目指すと宣言して、大きく舵を切りました。

長くなったので、また次回に繋ぎます。笑

〜教訓〜

①やってみたいと心から思ったことはチャレンジしてみる

②本当にやってみたいことは本気で取り組むから大抵何とかなる

③サッカーの神様は実在する。笑

社会人編③に続く

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