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サッカー人生振り返り「③高校編」

6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。

『高校生編』

FC東京ユースに上がれずに、地元神奈川県の桐光学園に進学することになります。

特待生だったこと、大学進学に指定校推薦枠を沢山持っていること、1年生から試合に使ってもらうと言ってもらえたことから、桐光に決めました。

入学したら直ぐにスタメンで試合に出れると思っていたのですが、さすがにそんなに甘くなく。1年生だけの試合やリーグ戦で試合に出る日々が続きます。

「入学前に1年生から使うって言ったじゃないですか!いつから使ってくれるんですか!」とGKコーチに不満をぶちまけ、「GWの1年生大会で優勝したら使う」という約束をもらいました。

入学してから分かったのですが、自分の代の桐光学園は黄金世代で、2年生になった時には8人が3年生を押し退けてスタメンでした。現コンサドーレ札幌の福森晃斗と同級生です。

記憶では横浜FCユースやヴェルディユースを倒して無事に優勝。そこから3年生の試合でもスタメンを勝ち取ります。

さすがに3年生の試合ともなるとレベルが高く、対戦相手も昇格できなかったFC東京ユースをはじめJリーグのユースチームや名門高校だらけ。純粋に試合が楽しくて、刺激的な1年間でした。

特に、全国高校サッカー選手権は特別でした。

県予選の準決勝からは全校応援で、学校の全ての人が応援に来てくれて、1年生で試合に出て全国大会にも出ることができたのは、高校生の自分にとってはプライドを満たすには充分でした。

その年は結局、インターハイと高円宮杯と選手権と3つの全国大会全てに出場。且つ、神奈川県選抜として国体で全国優勝。

厳しい練習や毎週末のように遠征して試合して、かなりハードな生活の中で勉強も死に物狂いでやりました。

当初から指定校推薦での進学を狙っていたので、1年生の時の成績も非常に重要になります。

中学生の時に移動時間で勉強していた習慣が本当に役に立ちました。
行き帰りの通学時間はもちろん、遠征先への移動時間や、遠征先での自由時間はほとんど勉強に使いました。

勉強も結果として、評定平均5.0。
いわゆるオール5を取ることができました。

1年生で試合に出ながら結果も出せて充実した1年間でした。

ところが2年生になり、その反動がきます。
良くも悪くも厳しかった2個上の先輩が卒業して、自分達の代がスタメンで8人も出るようになると1個上の先輩達は権力がありません。そうなると、自分を律することができるのは自分しかいません。

本来、それが得意な人間なのですが、目標を見失った時に努力ができなくなります。

試合に出るのも当たり前だし、もう全ての試合を一通り経験してるし、不必要に厳しい先輩に嫌気が差しサッカーが嫌になり、半分燃え尽きたような感覚になりました。

とはいえ、試合に出れない自分も嫌なので、身が入らないなりに練習してました。

中学生の時は人工芝のグランドだったのですが、高校になり土のグランドになりました。

土だとセービングすると痛いので、出来るだけセービングの練習は避けて、残りの2年間はキックの練習ばかりするようになりました。笑

ひたすら蹴り続けたことから、思わぬ形で良からぬ形で、キックが誰にも負けない自分の最大の武器となります。

この時には、高校卒業時点でプロになることよりも慶應義塾大学に進学することが目標になっていました。

サッカーで生活していく自信が無かったことや、サッカーに少し飽きて他の世界も見てみたかったことが理由です。

プロでサッカーをやっている自分より、慶應大学でサッカーをやっている自分の方がイメージができました。

当時ちょうど、彼女もいてサッカー以外の楽しいことも知りはじめたタイミングだったかなと思います。笑

当然そんな状況では結果も出ず、インターハイも選手権も全国を逃しました。

3年生になり、最上級生になっても特に取り組みは変わらず。ただメンバーが強かったというだけでインターハイは全国3位になりましたが、選手権は県予選のベスト8であっさり敗退。高校サッカーが終わりました。

この時にベスト8で負けたのが、皮肉にも進学先で選択しなかった同じ神奈川の桐蔭学園。しかも相手には、小学生時代にあざみ野FCでチームメートだった選手が3人試合に出ていました。

きっと彼等も、死に物狂いで3年間なんなら6年間努力していて、サッカーの神様が見ていたんだと思います。

1年生の時をピークに、練習のレベルは下がるし、試合の緊張感も無くなるし、モチベーションが中学生の時まで戻ることなく、最後の2年間は勿体ない2年間でした。

それでも試合に出続けられたのは、中学生の時の圧倒的練習による貯金と、高1から試合に出ていたという信頼と、俺が一番上手いという自信があったからだと思います。

一方で、勉強の方は明確な目標があったので一切ブレることなく、3年間トータルでも評定平均は5.0。

勉強でもサッカーでも、校内で誰にも負けない完璧な成績表で慶應大学の指定校推薦枠を勝ち取りました。

大学でサッカー辞めることも考えましたが、特段他にやりたいことが明確ではなく一旦サッカー部に入ろうと慶應大学に進学しました。

大学編に続く

〜教訓〜

①目標が人生を創る。習慣が人生を切り拓く。

②不必要に厳しい環境はモチベーションを削ぐ


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