(230814b+) ウソの信仰から目が覚める方法?

彼ら(創価学会信者や宗教2世虐待する人達や毒親の人達)が、
自分たちの落ち度(ミス)に気付く条件は、たぶん、残念ながら、
【信条などのロジックの間違いの指摘では無く】、
  (つまり、どこがどうオカシイから…という説得・説諭ではない)
自分たちが痛い目に会うなどの、
【現実の不具合】や、【うまく行かない事】が、【必要だ】と思います。

彼ら信者は、
【うまく事が運んでいる】事や、【自分に被害が無く処理できている】事で
信仰の中に居て、恥知らず等の、【強烈な不具合にも、気付かない】。

ハタから見ていて、救いようもないバカ・ゴミだが、
これが(大作等の)教祖が仕組んだワナ・落とし穴という事ではないか?

信条等の教義は、ともかく、
それ(不具合)が無いから(うまく行っているから)、
信仰の中に居て、自分たちの愚にも気付かない。という事だと思う。

たぶん、
あらゆる信仰を(つまり、ウソの信仰・信条を)打ち崩すには、
口先の説明・説得では無理であり、
現実に(その信仰のやり方では)うまく行かない事を、
信者自身に突き付けないと、無理だと、思う。

それほど、彼らは重度のアホ?である。
というか、信仰というモノは重度の不感症である。

宗教2世などに於いても、
自分自身がひどい体験をして、気付いたという例を、数多く聞く。

つまり、
自分がイタイ目に会わないと気付かないと思う。
(他人をイタイ目に会わせているのでは、気付かないと思う)

その信条(教義など)に乗ってさえ居れば、うまく行くという事が、
(この前提条件が)無くならない限り、
基本、信仰は消えないだろう。

それほど、信仰とは、身勝手なモノでは無いだろうか?

魔法や宗教がオソロシイとは、
自分のアホに気付かないという事である。

「信仰が正しい」とは、
(その正しいとする根拠とは)
(その教義にのっとって居れば)うまく処理できる事である。
その事(教義通りならばうまく行く)で、彼らは判断している。
ドンブリ勘定も甚だしいが。

思い返せば、
僕の場合(自分が信仰から醒めた時)も、そう。
ひどい矛盾や、痛い目に会って、気付いた。のだと思う。

被害者の皆さま(宗教2世や毒親の被害者や等々)も、
そう(ヒドイ目に会った)だったのでは無かろうか?
よくよく思い出して欲しい。

中には、ヒドイ矛盾を実行しても気付かない人も居るかも知れない。
だから、
自分自身が信仰の中に居て、イタイ目に会う事が、効果的だと思う。

もちろん、僕たちとしても、
こういう(ひどい目に会わせるという)方法は、
なるべく使いたくないが・・・。

信仰とは、身勝手な何かだったり、恐怖体験では無かろうか?
それらに基づいているのが、信仰(思い込み)では?無かろうか?

とりあえず、

以上です。

追加です。(2023/08/14 - 14:55 頃)

なぜ信者が、(不当な)教祖の言う事を聞き入れるか?
それは、たぶん、教祖(を名乗る奴)に怯えているから?
では、ないだろうか?

ある(創価学会)信者が、
(僕の何かを見て)怯えていた様子だったのを憶えている。
僕の何を見たかは判らないが、
その時(僕を見て怯えた様子だった時)に、教祖にイビラレテいる人を
思い出したのかも知れない。

こんな経験が、僕らにも有るだろう?

今現在でも、弱い者虐めが存在し、
それを見なかった事にして、黙って通り過ぎる大人たちって居るでしょ?
弱い者虐めをハタから見せられている時、
(他人が被害者だった時の)虐めを見ると、
自分にも、恐怖心理が働くよね。
「あんな風に虐められたくない!」って。
そして、そのタイミングで、虐めている加害者(教祖・神)に
「同じ目に会いたくなければ、お前も加担しろ」
っていう脅迫を言われる事って在るよね。
(この脅迫こそが教祖がやっている事かも)
そして、その言葉に従う事こそが、信仰の正体かも知れない。

そして、(虐めを)黙って見て、黙って通り過ぎている人達こそ、
信者というワケでは無かろうか?

この事こそが、信仰の正体かも知れない。
言っている意味が判るかな? 皆さま。

こんな感じの事を考えているから、
僕は、「信仰とは恐怖心理ではないか?」と言っているワケだ。

以上です。

誤字脱字は、後ほど、修正する予定です。