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madam

「めっきり葬儀が簡素になって花屋も暇になったでしょう」
いつも嫌味を言いにくるマダムに「買い叩かれるよりかはいいですよ」と答えた。
花が高いのだ。
だけど葬儀屋は初めからこの値段でこの量で、と指定されている。
薄利どころか諸経費込みではマイナスになることもある。
近々、葬儀屋と相談しなくては。と思っていた。
マダムは片眉をヒクリと上げた。
20世紀のドラマに出てきそうなマダム。
フルネームは存じ上げないが、苗字は知っている。
だけど私はマダムと心の中で呼んでいる。
マダムは店の中には入らない。
こんなふうに外に鉢を並べている時に寄ってきて、嫌味のひとつふたつ言って帰っていく。
年齢はひょっとして70歳を過ぎているかもしれない。背筋が伸び、髪もきちんとセットして、少し厚めの化粧をしている。
名前を知ったのは、時折店に来るマダムと同い年ぐらいの紳士が挨拶をしていたからだ。
「ご存知なんですか?」
「えぇ。でもお住まいは南側に新しくできたマンションだから、どなたかと一緒に来ているのでしょうかねぇ?」
聞けば、とある銀行の元頭取の奥様だという。
それがマダムが店に現れて3ヶ月ほど経った頃。今ら一年ほど前になる。
再開発によって住みやすいと言われているこの町に、ご主人共々移住したようだ。とのことだった。
「ずーっと都心に住まわれていたようだから、退屈なさってるかもしれないと思ってました」
つまり、私に嫌味を言いに来るのも退屈しのぎかと思った。
少し変わった観葉植物も扱っているので、割と客層は生活にゆとりがある方々が多い。
それとは別に市内の葬儀社と葬儀用の花の準備の契約をしている。
これに関しては花屋と葬儀屋それぞれ専属で一社ずつと決めている。
だからどことどう組むかは運である。
自分が契約している葬儀屋はそれでも「アタリ」の方だが、昨今の事情でいろいろ厳しくなっている。
双方がまた協議しなくてはならない。
そろそろ花卉組合長から連絡があるだろう。
花卉組合は販売店だけでなく生産者も一緒の組合で、以前の葬儀社との話し合いも生産者も含め、無理のない価格を協議した。
もっとも、こちらが提供した花々を葬儀屋がいくらで提供しているかは知らない。
普段は一言二言嫌味を言うと去って行くマダムが、佇んでいる。
「どうかしましたか?」と訊ねるべきだろうか?
「それは長く生きるの?」
私が手にしていたサボテンを指差した。
「そうですね。上手に育てると10年とか20年とか」
「そうなの」
「これは花も咲きますし」
と手にした鉢植えを見て言った。
「それ、いただくわ」
驚いた。

マダムがこの店で買った最初で最後のものだった。

葬儀屋から連絡があった。
故人が好きだったから、白い薔薇で祭壇を作ってほしい。
「定形外ですよね。ご予算は?」
「いくらかかってもいいと喪主様が言っている」
珍しい。そう思った。
「一度、喪主様と打ち合わせた方が…」
と葬儀屋の資料を見て驚いた。
「ひょっとして、ご自宅は南区のマンション?」
「そう。ひょっとしてお客さん?」
「えぇ。まぁ」
にこやかに笑うマダムの写真を囲むように白い薔薇で埋め尽くした。
喪主であるご主人が、娘と長男の嫁に付き添われ、作業を見ていた。
「お花屋さん」
私がふと手を止めたのを見てご主人が声を掛けてきた。
「フミがいつもお邪魔していたようで」
そう言って頭を下げた。
「この間、サボテンを買ってきてね。あなた好きだったでしょう?って」
「え?」
ご主人とマダムは幼馴染で、ご主人は学生時代、植物学それもサボテンが好きだったのだという。
「親が、そんなんじゃ飯は食えない。フミさんを嫁にもらえないというから、私は銀行員になったんだ」
隣に立っていた娘たちも初めて聞く話だったのだろう。驚いた顔をしていた。
「フミが、またサボテンを可愛がって、いろいろ調べて楽しんでくださいな、とね。あれは短毛丸たんげまるだよね。白い花をつける」
「そうです」
ご主人は「うんうん」と何度も頷いた。
「フミは白くて華やかな花が好きだったから。きっと気に入ったと思う」
ご主人が好きだった植物学を諦めてからマダム・フミさんは家に花を飾らなくなったのだという。
「そういえば、母は花柄の服は1枚もなかったような気がする」と娘が言った。
墓参用の花以外、花を買うということもなかったという。
「だから、お父さんが、お母さんが薔薇が好きだったから、と言っても全然ピンとこなかった」
死因は虚血性心不全と診断されたという。
朝になってもフミさんは目覚めなかった。
「まるで、短毛丸を自分の代わりというように置いていったけど、フミの代わりになるわけがないよ」
ご主人はそう言った。

マダムが店に訪れなくなって随分と経つ。
代わりにご主人・矢萩さんが時折、店に来る。
「先日お話ししていたミニバラが入りましたよ」
「じゃあ、それを」
サボテンだけでなく、マニアックな観葉植物や白い花が咲くものを選んで買っていく。
「どんなに鉢が増えても、一緒に見てくれるフミがいないと本当はつまらないんだよ」矢萩さんはそう溢す。
「自分が気が付かないだけで、フミは一緒に見ているのかもしれないけれど」
矢萩さんはそう言ってミニバラの鉢を抱えて帰って行った。
店先に出て矢萩さんを見送った。
「ボーッとしている暇があるなんて、羨ましいこと」
マダムのそんな声がするのを待っていた。
だけどどんなに店先で待っていても、もうマダムは私に何も言ってはこなかった。