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人からではなく、神から

ガラテヤ1:11-17 
 
パウロは、人間から、人間の福音を受けたのではありませんでした。これだけでも、かなり特殊なことであったことでしょう。人の口が伝えるままに、伝聞の宗教を信じてしまうことが、世間では多いのです。人を信用することは美徳なのかもしれないのですが、殊神の事柄については、大きな誤りとなりかねず、危険が伴います。
 
パウロは、「イエス・キリストの啓示を通して」福音を受けた、と言っています。キリストとの出会いが、決定的なことでした。パウロの経歴については、ガラテヤの人々は、すでに聞いているようです。パウロが現地で語ったことがあるから、そのときにいた人々が、後々伝えているはずだ、というのですが、ここでも改めてそれを綴っています。
 
これはいまの私たちの許へも伝わるためにも、幸運なことでした。パウロの救いの体験については、ルカがまずその出来事を示そうと記し、その後パウロが人々の前で証しをする場面でも、詳細に説明しています。しかし、この手紙では、パウロ自身が書いているわけで、より信憑性が高いと言えるでしょう。パウロは確かにユダヤ教徒でした。
 
「神の教会」と呼ばれる、キリストの名の下に集う共同体を破壊していたのです。今でも、そういう破壊者はいます。しかし、パウロのような回心者が現れないとも限りません。教会の側からすると、破壊者と戦い退けないといけないのですが、神はそこからも、神の国の益につながるようにできるお方です。パウロはキリスト者を当初迫害しました。
 
敵と見なしたキリスト者を排除しようとしたのです。しかし、キリストと出会って、変えられました。母の胎にいるときから選び分けられていた、という意識は、すべての栄光を主のものとする姿勢を示します。パウロは「人に相談することはせず」行動しています。パウロの心の中は、人からのものでなく神からのものだ、と叫んでいるのでした。

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