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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取… もっと読む
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記事一覧

力を受けて (使徒1:5-8, エゼキエル2:1-8)

力を受けて (使徒1:5-8, エゼキエル2:1-8)

◆ペンテコステ?
 
教会の暦では、「ペンテコステ」礼拝となります。「ペンテコステ」とは何だ? 実は、キリスト教の三大祝祭の一つなのです。訝しく思われても仕方がないような、知名度です。「クリスマス」は早くから日本でもおなじみになりました。大正期でしょうか、激しいブームすらあったのだとか。もちろん、宗教的な意味合いではなかったのでしょうが、良かれ悪しかれ「クリスマス」は知られるようになりました。近年

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守れない戒め (出エジプト20:17, 申命記5:21)【十戒⑩】

守れない戒め (出エジプト20:17, 申命記5:21)【十戒⑩】

◆家か妻か

十戒を辿る11週の旅が終わろうとしています。いよいよ最後の戒めとなりました。この第十戒を開くとき、私たちは戸惑います。出エジプト記と申命記とで、始まりから大きく違うのです。
 
隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛とろばなど、隣人のものを一切欲してはならない。(出エジプト20:17)
 
隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛とろばなど、隣人のものを

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偽りの証言を超えて (出エジプト20:16, 申命記5:20)【十戒⑨】

偽りの証言を超えて (出エジプト20:16, 申命記5:20)【十戒⑨】

◆偽証と嘘

隣人について偽りの証言をしてはならない。(出エジプト20:16)
 
出エジプト記も申命記も、殆ど変わりはありません(原語にわずかな違いはある)。「偽りの証言をしてはならない」とは、やはり裁判でのことでしょう。十戒というと、それぞれが自分にとって切実な問題であり得たものでした。神に対するものはもちろんですが、殺すな、盗むな、というように、一人ひとりの日常の倫理に関わる問題です(日常的

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結婚破り (出エジプト20:14, 申命記5:18)【十戒⑦】

結婚破り (出エジプト20:14, 申命記5:18)【十戒⑦】

◆性犯罪の事実

キリスト教は「愛の宗教」だと言われることがあります。眉に唾をつけておきましょう。皮肉かもしれません。キリスト教こそ、傲慢にもこれまで神の名を用いて戦争を起こしてきた張本人ではないか、と言う人がいます。言われてよいのです。言われなければなりません。
 
キリスト教が科学を生み出したが、その科学が自然を壊しているではないか。言われてよいのです。ギリシア文化も科学には大きく影響していま

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天を見上げて (ルカ24:50-53,使徒1:3-13)

天を見上げて (ルカ24:50-53,使徒1:3-13)

◆映画の真実

特に映画ファンだというわけではありませんが、話題のものや、好みのものは観たいなと思います。いまはあまり感じませんが、昔は、アクション映画を観た後、出て行く客が、すっかりアクションスターになったような気持ちでポーズをとっている、という風景もありました。そうでなくても、映画の主人公のような、清々しい気持ちで映画館を出て行く、というのは、よくあることでした。
 
映画を観て、勇気を与えら

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心を開いて (ルカ24:33-49,24:25-28)

心を開いて (ルカ24:33-49,24:25-28)

◆エマオへの道

復活のイエスを描く場面は、福音書それぞれ、いろいろに描かれています。全く同じことはなく、ばらばらであるために、復活の記事への信憑性が議論されることがあります。否定的な見解の根拠にもなりますが、弁護側の根拠もそれなりにあるようです。私はその人自身の受け止め方を尊重したいと思います。
 
ルカ伝をこの春にお読みしています。十字架への道を辿り、復活を前回迎えました。その復活後の出来事と

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イエスの言葉を思い出す (ルカ23:50-24:12)

イエスの言葉を思い出す (ルカ23:50-24:12)

◆復活はあるのか

キリスト教について、奇蹟が信じられない、と言う人がいます。そもそも「奇蹟」とは何か、問い直す必要もありますが、しかし聖書の記事の中の不思議さは、現実のようには思えないし、癒やしでさえ、どうかという気がすることは、理解できないわけではありません。ただ、奇蹟の中でも、イエスが「復活」したというのは、どうも子どもじみているほどに、ありえない、という声も聞くことがあります。
 
子ども

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十字架への道 (結) (ルカ23:26-49)

十字架への道 (結) (ルカ23:26-49)

◆自分のために泣け

一年中いつでも、イエスの十字架についてお話ししたいとの思いがあります。表にそれを出さなくても、いつでも十字架を胸にお話ししているのは本当です。今日は、この一か月の春の時期に受け止めているルカ伝23章の十字架の記事において、正にその十字架刑の場面を取り上げます。それを、四つの場面に分けて追うことにします。
 
26:人々はイエスを引いて行く途中、シモンというキレネ人が畑から帰っ

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十字架への道 (続) (ルカ23:1-25)

十字架への道 (続) (ルカ23:1-25)

◆判決への過程

ローマ帝国の領地であったユダヤ地方には、傀儡政権としての王政があったものの、ユダヤ人の自治には制限があったといいます。福音書で問題となるのは、死刑執行の権限がなかった、という点です。さて、歴史上どうなのか、私にはよく分かりません。ルカ自身による脚色や、誤解も混じっているかもしれず、歴然と事の次第を記すことは、相応しくない、と理解しています。
 
ユダヤの法律、つまり「律法」におい

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十字架への道 (序) (ルカ22:54-71)

十字架への道 (序) (ルカ22:54-71)

◆受難への道の始まり

受難と復活へ至る道を思いながら、神の声を聞いていきたいと願っています。今回は、ルカ伝を頼りに、その旅を続けたいと思います。どうしてルカなのかという、明確な理由はありません。去年は、ヨハネ伝から辿りました。別の風に吹かれながら、イエスを見つめていきましょう。別々の福音書から拾いながら辿ると、尤もらしいイエス像ができるかもしれませんが、ひとりの福音書記者のポリシーを無視すること

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殺すことと生かすこと (出エジプト20:13, 申命記5:17)【十戒⑥】

殺すことと生かすこと (出エジプト20:13, 申命記5:17)【十戒⑥】

◆神が殺せと命じる

「十戒」を一つひとつ受け止めています。後半に入りました。
 
ふと、考えてみます。「十戒」に「例外」はあるのでしょうか。
 
まるで憲法のようなものだとすると、例外があってはならないことになります。第一の「私をおいてほかに神々があってはならない」には、例外はないでしょう。「自分のために彫像を造ってはならない」も、やはりあってはならないと思われます。事実上教会に像が建てられてい

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神は父であるのか (出エジプト20:12, 申命記5:16)【十戒⑤】

神は父であるのか (出エジプト20:12, 申命記5:16)【十戒⑤】

◆父という存在

あなたの父と母を敬いなさい。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えてくださった土地で長く生きることができる。(出エジプト20:12)
 
あなたの神、主が命じられたとおりに、あなたの父と母を敬いなさい。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えてくださった土地で長く生き、幸せになることができる。(申命記5:16)
 
十戒の五つ目、ここまでは神に対する戒めでしたが、ここからは人の

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休みましょう (出エジプト20:8-11, 申命記5:12-15)【十戒④】

休みましょう (出エジプト20:8-11, 申命記5:12-15)【十戒④】

◆二つの十戒の大きな違い

十戒を一つひとつ味わう流れの中にいます。今日は第四戒です。いわゆる「安息日」についてです。面白いのは、この漢字の読み方です。日本の聖書には、少なくとも3種類あるのです。「あんそくにち」(文語訳・口語訳・新改訳)「あんそくび」そして「あんそくじつ」(フランシスコ会訳)。「日」という漢字には、読み方がいろいろあるのですね。ここでは共同訳関係のふりがなである「あんそくび」でお

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ビューティフル・ネーム (出エジプト20:7, 申命記5:11)

ビューティフル・ネーム (出エジプト20:7, 申命記5:11)

◆不思議な第三戒

十戒を、ひとつずつ聞こうとしています。3回目になりました。それで、三戒目となります。
 
あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主はその名をみだりに唱える者を罰せずにはおかない。(出エジプト20:7, 申命記5:11)
 
出エジプト記と申命記とで、特に差はありません。が、この第三戒、少々疑問を覚えるのです。十戒のほかのものは、それなりに理解できるのです。神で

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