【スペイン語エトセトラ】人生はロシアの山のように…

ロシアによるウクライナ侵攻開始から10日あまり。避難している方々の状況や、ウクライナ国内に留まっている方々の窮状などを聞くにつけ、心がいたむ。少しでも状況を理解したいと新聞記事を読んだりするのだが、今更ながら自分の知識不足と想像力のなさを実感する。ウクライナの国内はどうなっているのか、ロシアの人々はこの侵攻をどう受け止めているのだろうか。

特にロシアは、地理的に北海道の「すぐ先」にある国なのだと頭では理解しても、なんだか遠い。政治や文化の中心が、いわゆる「ヨーロッパ側」にあるせいなのか。こんなとき、なるべく具体的な「人」の顔を思い描いて想像しようと試みて思い出したのは、ロシア人の唯一の知人、メキシコに住んでいたときの子供のクラスメイトのお母さんだ。

親しくなったきっかけは、クラス全員が招待された、メキシコ人の男の子の誕生日パーティーである。学校がスタートして一発目の誕生日会は、娘(と付き添いである私)にとってメキシコで参加する初の誕生日会。メッセージアプリで送られてきた招待状に記載されていた開始時間の午後2時に遅れてはいけないと、ナビを頼りに必死についたのが14時5分過ぎ。ああ、遅刻だと駐車場から娘の手を引いて小走りに駆けつけてみれば、会場はまだ設営中で、ケータリング業者がおつまみを並べたり、主役の子供のお母さんが届いたばかりのケーキを運んでいたりと、全く開始する気配がない。屋外の芝生に置かれたばかりの丸テーブルの一つにポツンと座っているのは、ロシア人のお母さんただ一人だったのだ。

後から聞けば、14時開始と言われれば少なくとも30分程度遅れていくのがメキシコ流儀らしいのだが(じゃあ、15時集合って書いてくれよと思うのが外国人だが、そうすると皆が集まるのは日の暮れる頃になるのだろう)、律儀に到着したのが私たち外国人だけって面白いよねと笑いあって同じテーブルに座り、それから学校行事で会うたびに話すようになった。だがしかし、私の方は勝手に彼女を「外国人枠」に入れて仲間意識を抱いたのだが、よくよく話を聞いてみると、彼女がメキシコに来たのは高校生のとき。そのまま大学に進学し、就職、結婚を経て今に至るという。「父が姉と私を二人、無理やりメキシコに送り込んだのよ。」と、未だにお父さんのその決定に遺恨がある口調だった。彼女が家で常に流しているのもロシア語のラジオ番組。メキシコに住んだ年月の方が長いだろうに、彼女からはメキシコに染まらないという強い意志のようなものを感じた。メキシコでは誕生日会が時間通りに始まらないことも知っていただろうに、招待状に書かれた時間通りに到着したのもその意思の表れだったのだろうか。ほどなくして彼女が二人の息子を連れて故郷に帰ってしまったとき、「やっぱりな」と思ったものだ。とはいえ、結局彼女が馴染むことを拒んだメキシコ行も、おそらくソ連崩壊時の混乱から娘を遠ざけようと苦心した父親なりの決断だったのだろう。メキシコはその昔、スターリンと対立して国外追放となったトロツキーを受け入れ、今や国民的アイコンとなった画家フリーダ・カーロなどの文化人と交流したことが有名だが(トロツキーが暗殺された家は、メキシコシティーの観光スポットにもなっている)、当時のメキシコとロシア間のつながりと彼女のお父さんと何か関係があったのだろうか。友人がメキシコに来た経緯には、何か政治的背景があるのだろうかと妙に勘ぐってしまい、かといって話を聞き出すだけの知識がない私は、それ以上を聞くことなく終わってしまった。

さて。ここで今回のタイトルに戻って「ロシアの山」。これだけ聞くと、ロシア民話に出てきそうな険しい山々を想像してしまうが、実はこれはスペイン語で「ジェットコースター」を意味する言葉、”montaña rusa”である。ここ最近、ニュースでロシアのことを耳にすることが多くなり、ふと、この「ロシアの山」の語源が気になって調べてみた。一説によると、もともとロシアでは冬の楽しみとして、雪上の大きな滑り台をそりで滑り降りる遊びがあったそうだ。この遊びをもとにして、サンクトペテルブルグの会社がそりを複数つなげて、傾斜やカーブのある氷上を走らせる施設を作ったところ大ヒット。時のエカチェリーナ二世までも、自分の庭に同じような遊具を造らせたという。これがナポレオン戦争下、ロシアに侵攻したフランス人兵士らの目に留まり、このアイデアを国に持ち帰ってジェットコースターの原型を作ったことから、「ロシアの山」と呼ばれるようになったらしい。スペインにおいてはフランス語由来の「外来語」ということになるのだが、紐解いてみればこんなところにもロシアとの戦争がひょっこり出てきたわけで、ヨーロッパの幾多の戦争の歴史が重たくのしかかる。

とにもかくにも、こうして広まったジェットコースターを人生に例えて、”La vida es una montaña rusa.”という表現も生まれている。

「人生はさながらジェットコースター」。

日本語でいう、人生谷あり山ありといったところだが、こつこつ徒歩で山を上り下りしている日本人の人生観に比べ、猛スピードで駆け抜けるジェットコースターに例えられる人生の方が、感情の浮沈みも含めてずいぶん激しそうだ。今はロシアに戻った友人も、そんな風に自分の人生を振り返っているだろうか。最後に会ってから数年経ち、たまにメッセージを送りあっていたチャットアプリの連絡先も変わってしまい、彼女に現状を聞くすべはない。でも私は、全くゆかりのない地に逃げて青春時代を過ごさざるを得なかった彼女が、背景は異なれども国外避難を余儀なくされているウクライナの女性や子供に自分の人生を重ねているような気がしてならない。

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