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映画レビュー『戦場にかける橋』1957年第30回アカデミー賞作品!

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#映画レビュー #戦争映画

もうすでに、あの戦争(アジア太平洋戦争)が終わって、80年にもなろうとしている。戦いの記憶が、忘れられ去られようともしているのではないか。私には過去3名の戦争体験者と話しをした記憶がある。彼らはすべて大正ボーイズ、1920年前後に生まれた人たち。事あるごとに話しを聞いてきた。よく考えてみると、この方々全て中国大陸で戦っていて、もっとも厳しかった南方の島々ではなかったのだ。だからこそ、話してくれたのかもしれない。

極めて小さな国、日本。そんな国が太平洋上の島々で暴れまくり、その地域を抑えた。物資の補給路は延びにのびてしまう。そこに制海権・制空権まで敵国にとられては、兵站(ロジスティック)は破綻する。戦線を拡大したエリアは、すべてそのようになっていた。

*この映画の背景
タイ王国の港町バンコクから、ビルマ(今のミャンマー)までをつなぐ1540キロメートルもある鉄道、これを日本軍が建設しようとしたことに始まる。本来ならば、物資は直接船で運べばいい。しかし、制海権を失ってしまい、陸路で輸送するしかなくなっていた。

この工事の一番の難所が、大河になる。ここに鉄橋をかけようというのだ。近くに捕虜収容所をつくり、相当数の捕えた外国人を使うことを考えた。しかし、食料は不足し、突貫工事で1日10時間以上の労働、そのうえ衛生面も整っていない状況である。コレラや赤痢、天然痘やマラリアまでが蔓延していた。戦後になって死亡者数を調べてみると、工事に従事した人たちのおよそ半分が死んだとされているようだ。(日本側の調査ではすこし違うとは言っているが…。)

*あらすじ(ごく簡単に)
この収容所の責任者は、斉藤大佐(早川雪州)だった。叩きあげの軍人ではあるが、「ジュネーブ協定」での捕虜の扱いさえ知らない。この協定では、捕虜といえども指揮官(将校)には労役をさせてはならないとある。しかし、その申し出をした英軍ニコルソン大佐(アレスク・ギネス)の言葉を、斉藤は無視した。

そうして従がわないニコルソン大佐を含めた英軍将校の全員を炎天下で一日立たさせておくという罰を与えた。さらにニコルソン本人に対しては、もっとも日照りつよい営倉に監禁するという刑をかした。

一方、米軍捕虜のシアーズ中佐(ウィリアム・ボーデン)。脱走不可能と言われたこの収容所を逃げ出すことに成功する。本隊に帰っていい渡されたのが、この収容所でつくっている橋の爆破だった。本人は断りたかったのだが、結局は行く羽目になる。山深く分かりにくい地形、脱走したものでなくてはたどり着けない。

工事の遅れに頭をかかえる斉藤大佐。結局ニコルソン大佐のいう「将校は労務を免除する」の申し出を受け入れた。ニコルソンとしても、英軍捕虜の規律が乱れていることに、内心面白くはなかったようだ。英軍将校のなかには、土木のスペシャリストもおり、急速に工事は進んでいく。

そして、英軍司令官ニコルソン大佐のもと、鉄橋はみごと完成する。そのころ米軍シェアーズ中佐は、橋の近くまで来ており、橋に爆弾を仕掛けていく。橋のうえから川を見渡すニコルソン。何か変だと気づく。……いろいろあって……ニコルソンは死に、橋はみごと爆発された。

*この映画の言いたかったこと!
英軍の将校は、すべて名門の家の出である。教養もあり、誇りもあり、とくに規律を重視した。ここに出てくるニコルソン、階級は大佐だ。大佐といえば大隊長で、部下は600名から1000名ほど。ということは各地域の現場責任者ということができよう。

英軍全体から見れば、この橋の建造は自軍にとっては不利となる。しかし、現場においては、部下に生きる希望を与えなくてはいけない。人間、辛い仕事でも、やる気になれば、心を保つことができる。とにかく部下を含めた現場の人たちを重視したということだろう。

利敵行為ではあるが、それは十分に承知していたはずだ。命をかけてまで、斉藤大佐に歯向かう。そして自分の誇りを守りきる。そんなニコルソン大佐に、英国人魂を見ることができた。

*監督と原作者
監督は、1908年ロンドン生まれのデビット・リーン。19歳から映画の世界にはいった叩き上げの映画人である。初作品『軍旗の下に』で、アカデミーにノミネートされたから、その才能には驚く。この作品でも、アカデミー賞7部門を獲得している。さらに5年後、1962年には『アラビアのロレンス』で再度、アカデミー7部門をとった。

原作者はピエール・ブール。『猿の惑星』でも名を残したフランス人の作家である。ブールは、この東アジアの戦争にも、自由フランス軍ゲリラとして従軍し、フランス名誉勲章をもらった。

まとめ
早川雪州について知ったのは、この作品から。なんとも味のある役者だと思ったものだ。経歴を見ると驚いた。無声映画(サイレント)時代、この早川は、アメリカ人女性の誰からも好かれていたと言うのだ。

日本においては、評価は分かれたという。とにかく米国映画では日本人は悪者である。そんなところから「国賊俳優」とも見られていたようだ。早川の才能は、舞台にもあったという。しかも自分で脚本も書いている。やはりこの早川雪州、本物のハリウッドスターだった。

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