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やっと初めての投稿☺(なのに長文)

noteを立ち上げただけで満足し、できていなかったけどやっと初投稿。日々感じたこととかをゆるく書いていこうと思う。
最近は、気持ち的にも体的にも疲れるなーと感じることが多い。その原因を考えてみるといくつか思い当たるものがある。

結婚って…

まず最初にくるのは恋愛。というか自分のこれからの人生について。今自分は27歳という絶妙な年齢(?)で、周りの結婚ラッシュとか、親のさりげなーい圧とか、色々なものに毎回毎回息がしずらくなってる。気にしなければいいとは思うけど、周りの人たちは当たり前のように誰かと結婚していって、落ち着いて。そういう周りに対して一番に思うことは、自分にとって両親とか以外で、絶対的信頼を置ける相手がいることは幸せなんだろうなということかも。でも、結婚相手=絶対的信頼を置ける相手。とは限らないなんてことを考えると、自分は結婚願望が強いわけじゃ別にない。・・・と思う(矛盾した思考がぐるぐると頭の中で回ってる)。
だけど、いくら仲の良い親友でも自分の人生に大きく関与したり、自分の人生を半分背負ってくれる訳ではなく、それぞれの幸せはそれぞれの物で、共有で精一杯だから。限界がある。けど、家族となる相手は別なのかと思う。所詮は他人なんて言うけど、家族と名の付くものになる相手。自分と一番近い存在になる相手。共有を超えて、一緒に紡いでいかなければいけない相手になるんだと、思う。その相手を見つけられている人たちがなんだか単純に羨ましくて。自分よりも優っている人間のように感じてしまう。そんなこと無いのかもしれないのに。自分は、きっと自分が思っている以上に自分の足で立っているはずなのに。考えすぎなのだろうか。

私の三年間の沼について

こんなことを考えている一番の原因は、自分がこの三年間も実らない恋愛に一生懸命になっていたからだと思う。最近の言葉で言い換えれば、沼に浸かっていたからだ。出会ってすぐに一目惚れをして、それからたくさんの時間を一緒に過ごした。家も近くて、気もあって、色んな相性も良くて。私の一番の理解者になってしまった。だから抜け出せなかった。相手にとっては、私は何人かの一人にすぎないことは分かっていたけど、私は本当に大切に思える相手だった。元々人に対してあまり興味がない私は、そんな風に相手を思えることが中々なくて、相手がどうであろうと、自分のその気持ちを大切にしなきゃ、自分がしっかり立っていれば大丈夫。そんなことを思いながら、気付いたら三年経っていた。とっくに限界だったし、相手も私に対して色々と限界だったんだろう。関係は些細なことで、あっけなく終わったんだけど、しばらくの間、私はそれがどうしても納得できなくて。必死に相手の腕を掴み続けようとしてた。今思い返すと、その行為をできる自分に酔っていて、かっこいいと思ってた。私だけがこの人のことを分かってあげられてるんだ、許せるんだ!とかいうダメ男にはまる典型的なタイプ(笑)相手にもその酔った私が伝わっていたんだろうなあ。
思い返しすぎると辛くなるだけだからやめよう。とにかくこの三年間の出来事が、するっと愛されて、するっと結婚していく周り(私にはそう見えた)に対して劣等感を抱く原因になったことは確か。

他のこともつぶやきたいけど、疲れたからまた次回に書こう。(笑)

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