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恋愛の傷は時間が解決するって本当?

三年間の沼を終えた後、(詳細は前回記事で…)私は毎日のように寝る前泣いて、後悔して、、を繰り返してた。でも、一緒に居れてた時も同じで、別々の時間を過ごすことが怖くて泣いてたし、結婚願望のない自由人な沼さん(急にあだ名。以後沼さんにしよう)との先のことを考えだすと、色んな感情がぐるぐるぐると頭を回って止まらなかった。ゼロになる辛さと、一緒にいる辛さ、どちらの方が辛いのだろう?

不器用すぎる私は、次の人を見つける。とか、誰かに甘える。とかそういう選択肢を取ることができなくて、この寂しさ、孤独は自分の問題で、一人で抱えていかなくてはいけないと思い込んだ。(こうゆうところすごく頑固)
そんな最中でも、頑固な私は周りに、いままでと同じように振舞ってしまうから、私の状況を誰も知るはずもなく、母は私の将来のことを詮索してきたり、妹は長年付き合っている彼氏との将来の話を楽しそうに話してきたり。被害者ぶった書き方をしてしまったけど、そういった周りの、当たり前で、普通のことに対して息が詰まりそうなくらいの辛さを感じていた。

時間が解決するは本当?

今はどうかというと、少しずつだが息苦しさが軽減してきているように感じる。沼さんと一緒に居たときは、自分の好きという感情には誇りをもってはいたけど、いつも私の心配をしてくれる母に彼との話をできないことが、我ながらいたたまれなくて、申し訳なくて、母と一緒に過ごす時間が何だか少し辛く感じてしまっていた。
今はそれが無くなり、家族と過ごす時間がとても楽しく、幸せに感じている。自分にとってはすごくプラスなことだと思う。

恋愛の傷は、時間が解決してくれるとよく言う。本当だろうか?以前大学の頃に数年付き合っていた彼と別れた後は、結局二年くらい引きずった記憶がある。それくらいの不器用さを持つ私が、今少しずつ前に進むことができているのは時間のおかげ3割、自分の思考を変える努力4割、自分の今の年齢3割・・・くらいな気がしている(なんだかとても刻んだけど)。

なぜ私がこのように考えるのかというと、時間は誰にでも平等に与えられていて、何も考えなくても経ってしまうからだ。重要なのは過ぎていく時間の中で、自分の考えをどう変えていけるのか。その努力ができるかどうか。なのではないかと最近思うようになった。
大学の頃の私は、若くて、自分の気持ちを振り返る間もないくらい遊びまくっていたと思う。そして若さゆえ、寄ってくる男も多くて、そこで自分の自己肯定感を満たす日々。自分の辛さと向き合う必要と時間があまり無かった。だから、時間だけが気付くと過ぎていて、一人になった時には「ああ、やっぱりあの人が好きだったなあ」と周りの不特定多数の男と比べては、嘆く。そのような引きずり方だったと思う。

今はどうか。歳をとり、自分の経験を客観的に振り返ることが増えた気がする。沼さんと離れて、自分がどうプラスになったのか、何が今でも辛いか、これからどうしていくべきなのか、気付くといつも頭の中で考えている。
不器用さも、考えすぎてしまうところも、根本的には変わってはいない私だけど、少しずつ時間の過ごし方が変わってきていることは確かなようだ。


今でも振り返って悲しくなる夜はある。だけど、前に進もうという気持ちをもって日々を過ごしている。二人でいたときは出来ていなかった読書なんかをして、白湯を飲んで、早めに就寝。毎日のお弁当作りだって欠かせない。その生活をしながらも、ぐるぐると頭の中を回る様々な思考を、この場を借りて整理できる気がしていて、とてもありがたい。(まだ書くの二回目なんですけど)
自分のために、また書きます。


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