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自分の趣味に胸を張る。

最近感じた趣味についての話。
私は「趣味はなんですか?」と初対面の人に聞かれると、内心困る。なぜかというと「趣味はなんですか?」の後に(さあ、自由に使える時間をあなたはどういう風に過ごせる人なのかな?)という圧付きのセリフが隠されていると思ってしまうからだ。

「読書です」なんて答えると、「へえ、えらい。真面目なんだね」「活字読めるのすごい」ただの趣味のはずなのに、なぜか真面目なイメージ、えらいことを自由時間にできている人。みたいな風潮。
「筋トレです」と答えると、「自分を追い込むのが好きなんだね、Mなの?(脳みその小さい異性に多い傾向にある)」「お尻見たい(これは稀だけど)」となぜか気付いたら話はちょっとそっちの方へ。

「誰の本が好きなの?」「どういうジャンルを読むの?」とか話を広げてくれそうな相手であれば、少しは身構えず話すことができるのだが、感想のみが返ってくると内心、この人私の趣味に興味あったのかしら。と思ってしまう。

本来の趣味と「人に話す」趣味の違い

そして思うのは、「人に話す」趣味へのハードル。仕事は義務であり、私にとってはお金を稼ぐ手段として必要不可欠であるが、趣味は必要不可欠とは言い難い。自分の自由な時間に、自分の好きなことをする。それが本来の趣味だと思う。
しかし、「人に話す」ということが前提になった途端、趣味は、相手へ伝えることによって起こる自分のイメージへの影響を少なからず考える必要が生まれてしまうのだ。
経験として、ちょっと真面目で古風な女に見られたいなと思った相手に、敢えて趣味は読書です。といったことならある(ごめんなさい。余談です)


よって、相手が自由時間に何をしているのか本当に興味がある場合を除いては、趣味を気安く聞くのは厳禁にしよう。センスを問われているように感じてしまう「好きな曲」も同様に。

なんてね。(笑)

自分の趣味に胸を張る!

でも最近私は、変わってしまった自分に気付いて、悲しくなったのだ。

今まで書いた「人に話す」趣味なんてものを考え出したのはいつからだ?いつから私は、相手の抱く自分のイメージを考えることに憑りつかれているのだ?と。

昔、周りの女の子が皆、将来はケーキ屋さんやお花屋さんになりたいと口を揃えて言う中で、大人からの評価や周りからのイメージなんて何一つ気にせずに、シートン動物記で見た狼の話(詳しくは覚えていないが、人間から虐められる絶滅危惧の狼を飼育係が一生懸命助ける…みたいな話だった気がする)に感銘を受け、一人で「狼の飼育係に絶対になる!!」と胸を張っていた私はどこに消えたのだ?
(自問自答…)

変わってしまったのは育っていく環境の中で、その場での正解を答えること、行動することが一番楽だと気付いてきたからだろう。

そんなのは悲しい。
良い大人が、自分の趣味に胸を張れなくてどうするんだ。そう思った。
だから、最近は週に一回しか行けなくても、ボディメイクとしての成果が出ていなくても、自由時間にする筋トレが、私にとって意味付けの必要ない、ただ好きだからする行為、「趣味」なのだと胸を張って言うようにしている。私の趣味は、筋トレだ!


私が今までに書いた趣味の話を、理解できる!という人と、何言ってるんだろう…という人、どのくらいの割合なのか気になる。
そして、その思いの違いはその人の育った環境要因なのか?はたまた生まれつきの性格なのか?
研究でもしてみたいところである。

しかし、明日も私には仕事があるようなので、今日のところはこの辺で終わろうと思う。

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