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絵本探求講座 第3期、第2回講座を終えて

2023年5月28日(日)絵本探求講座 第3期(ミッキー絵本ゼミ)第2回講座の振り返りをします。


1冊持ち寄ったコールデコット賞受賞作品について、チームブレイク後、ミッキー先生から年代別に解説があった。

1、コールデコット賞について

コールデコット賞(Caldecott Medal)は、19世紀のイギリスの絵本作家、ランドルフ・コールデコットにちなんで、1937年にアメリカ図書館協会によって創設された賞で、翌年からアメリカで出版された絵本の中で、最もすぐれた作品を描いた画家に対して年に一度贈られている。第1回の受賞者は、1938年、ドロシー・ラスロップ(1891~1980)で受賞作は『聖書の動物たち』である。

『ベーシック絵本入門』生田美秋、石田光恵、藤本朝巳・ミネルヴァ書房より

2.私が選んだ1冊は…『おじいさんの旅』

『おじいさんの旅』(原題:Grandfather’s Journey)
アレン・セイ作 (原名:Allen Say)
大島英美 訳
ほるぷ出版 2002年11月

1994年コルデコット賞受賞

3.選書理由

  • 作者は日系アメリカ人であること、表紙の絵が日本人であることに親近感を持った。

  • 絵が美しく、古いアルバムを見ているような、懐かしい気持ちになった。

4.あらすじ

明治時代に渡米した作者のおじいさんの人生の軌跡を辿りつつ、彼自身の人生を振り返る自叙伝的な物語

5.アレン・セイ(Allen Say)の略歴

1939年に神奈川県横浜市にて、日系アメリカ人の母と、イギリス人夫婦の養子として上海で育てられた韓国人の父の間に生まれた。
1947年(8歳)両親が離婚し父親にひきとられた。
1951年(12歳)青山学院へ通うために東京都に住むことになるが、すぐに祖母と同意の上で、一人暮らしを始めた。セイは漫画家・野呂新平の弟子となった。精神的父親でもあった。
1955年(16歳)父親に連れられて渡米。私立学校でアメリカ人保護者から、「なぜジャップが」と苦情が出る。学校の退学勧告を伝えたのは、父親だった。その後、父親と決別する。一般高校に編入し、優等で卒業。美術学校では、フランス印象派のような完成された絵を描いて人々を驚かせた。セイは、卒業後に永住帰国のつもりで日本へ戻る。しかし、日本も著しく変わっており、結局アメリカに帰る。結婚して カリフォルニア大学で建築学を学ぶ。
1962年に米陸軍に徴兵され、2年間ドイツに駐屯する。ミサイル発射のアナウンス係に任命される。日本で育ったセイの英語が、かえって聞き取りやすかったという。セイには、耐えられない任務だった。軍に所属中にセイの撮影した写真が認められ、除隊後も写真で生計を立てていこうとする。絵の才能も認められる。
1972年に初めてイラストを描いた絵本が出版される。小説も書き、全米図書館賞に選ばれている。
1990年代、50歳を越えてセイは次々と絵本を発表する。
1988年『さんねんねたろう』(原題:The Boy of the Three-Year Nap)
(コールデコット賞オナーブック/ボストングローブ・ホーンブック賞受賞)
1994年『おじいさんの旅』(原題:Grandfather’s Journey)
コールデコット賞/ボストングローブ・ホーンブック賞受賞)

6.時代背景

絵本の重要性
1980年代のアメリカでは、絵本が幼児の成長に欠かせないものであり、子どもの読書の基礎をつくるものであるとうい認識が社会に定着してきた。この時代、インフレによる経済の低迷や、国際競争力の低下によって曲がり角に立たされていた。
1983年に政府の諮問機関が発表した「危機に立つ国家」と題する報告書は、アメリカ経済の危機は公教育の水準低下が原因であると指摘。
1994年「目標2000年―アメリカ教育法」制定。掲げられた8つの教育目標の一つに「すべての子どもが小学校入学前に学習の準備ができていること」という項目があった。
公共図書館が大きな力を持っていたが、予算の削減により、読者の足は書店にも向くようになった。児童書組合の加入店が1985年の40から5年後800になった。書店では特に絵本を重要視するようになった。
印刷技術も発展し、斬新な技法を試みる新しいイラストレーターやデザイナーたちを、絵本の世界に呼び込む結果となった。
【多文化社会の成長】
アフリカ系アメリカ人の社会への進出に伴い、絵本の中には、アフリカの文化を紹介するものだけでなく、今を生きるアフリカ系アメリカ人の子どもを描いたものも次々に出版されるようになった。
アフリカ系アメリカ人の絵本作家が台頭するにつれ、アジア系、ヒスパニック系などマイノリティと呼ばれる人々にも関心が向けられた、根強い人種差別を超えて、教育的にも「寛容を教える」ことが必要とされ、お互いの違いを認め、それを受け入れることが大切であると考えられるようになった。多文化社会の成長が、絵本にも強く反映された。

『絵本の事典』中川素子, 吉田新一, 石井光恵, 佐藤博一編集・朝倉書店より

7.受賞理由

  • 日本生まれのアラン・セイの絵本には、東西の文化の関わりや家族の絆を追求した静かなメッセージが込められている。戦前日本からアメリカに移民した祖父の実体験をもとに2つの国を思う感情を描き、自らのアイデンティをさがし続ける多くのアメリカ人の心に訴えた。

  • 母国の文化を携え、様々な理由でアメリカに移民してきた人達の共通の思いが、この絵本によって呼び覚まされ、安らぎを与えた。

8.作品を読んで

・見返しをめくると、はじめに「野呂新平先生に捧ぐ」と書かれている。セイの絵の先生であり、精神的父親でもある。
・表紙の絵は、高い波をバックに傾く船の甲板で、よろめきながら、帽子を風邪で吹き飛ばされないように抑えている若かりし日のおじいさん。ダボダボの大きな黒いコートは、初めて着た洋服で、表情が堅いのが印象的だ。
・どのページも黒い枠線の中に絵が描かれている。
「黒人、白人、東洋人、インディアン、みんなと握手した。」という場面では、融合・共存・多文化というメッセージが感じ取れる。
・幼い頃のセイとおじいさんを描いたページでは、おじいさんが家の庭でセイの後ろにまわって、「カメラの方を見てご覧」という声が聞こえてきそうな場面がある。「僕は、おじいさんの家に行くのが一番の楽しみだった。おじいさんは、カリフォルニアのことを、いろいろ話してくれた。」という文章からも、おじいさんの深い愛情を感じる。
・戦後になって、おじいさんとセイが最後に会ったページでは、セイが老いたおじいさんの後ろに回って肩に手を置いている。セイの成長を感じる。セイの両親の離婚や父親との決別という生い立ちから、おじいさんを恋しく思っていたのだと思う。「もう一度、おじいさんに会いたい」という文章から感じ取れる。
・成長したセイは、カリフォルニアに渡る。ヤシの木のところで立っているセイは、表紙のおじいさんとは違って、体に合った洋服を着て、しっかりと地面に立っている。「不思議なことに、いっぽうにもどると、もういっぽうが恋しい。」と文章に、日本人とアメリカの狭間で生きてきたセイの想いが込められている。
・受賞したセイはあとがきで「自伝的で個人的な絵本が、アメリカでの自分の人生のエッセンスが、他の無数のアメリカ人の人生と重なっていることに気づき、驚いた」と言っている。

9.ミッキー先生の解説から

  • コールデコット賞は、子どもの視点に立って、チャレンジした評価である。新しいトレンド、時代の流れに対して、敏感に反応した作家のチャレンジ精神が、絵本の可能性を広げた。

  • 話題性を取り入れた方が受賞しやすいのかもしれないが、芸術作品としてはどうか、自分の表現としてどうか、その葛藤を抱えながら、上手く自分の技法、テーマ、目的にあって、時代のニーズに重なり合った時に賞になる。見る側、評価する側も作家だけでなく、作家の環境や社会情勢も見ていく必要がある。

10.疑問に思ったこと

アメリカ図書館協会のサイトには、対象年齢4~7歳と書いてあった。母国の文化を携え、様々な理由でアメリカに移民してきた人達の「郷愁」の心を理解するには、年齢が低いのでは…と思った。
セイの作品は、どれも東洋系の子どもが主人公で、テーマは様々だ。調べていく中でセイの作品は「多民族社会アメリカを書き出した」と言われ、小学校の教科書にも採用されていることがわかった。
「僕のおじいさんの、そのまたおじいさんのお話だ」と子ども達の心にも響く力を秘めているのだなと感じた。

11.まとめ(考察)

16歳で渡米して以来、半世紀を経て、アメリカを代表する絵本作家になったセイは、「絵を描きたい」という少年の夢を見事に叶えた。商業写真家としての経験が反映されていて、水彩画による写実的で丹精な描写が特徴だ。
子供向け新聞『The Mini Page』の中の受賞作家インタビューで答えている。
「どの様に仕事をしているのですか?」
「漠然としたアイデアから始めて、順番にコマに描いていきます。そして、         言葉を書きます。絵は、写真を撮ってコピーすることはありません。リサーチはたくさんしていますが、頭の中から描き出したものです。人間のポーズ は、ほとんど何も見ずに描けます。」と答えている。
無名の日系移民の人生を描いたこの絵本は「今まで誰も描いたことがない数え切れないくらい多くの人の体験を美しい物語にした」と称賛された。
アルバムの写真を見ているようである。第二次世界大戦を経験した1世のおじいさんと3世のセイでは、苦労の中身は違うけれど、2人の人生は共鳴し合っているように思える。2年かけて28枚の絵をじっくり描き、出来上がった絵本だけあって、一枚一枚の絵には、想いが込められている。時間を超えた懐かしさがあり、風土や文化に対する郷愁を感じる。
セイはあとがきで、「ぼくが日本を出て50年、その間に日本人は世界を旅する国民になった。旅をすることは、ぼくたちを異邦人にする。つまり、ぼくたちは何処に行ってもしっくりくることのない、よそ者になるということだ。ぼくの物語が、そんな日本の人々になにか意味を持つならばたいへん嬉しく思う。」と締め括っている。
時代は変化し、グローバル社会へと進み、様々な文化の人々と関わる機会が増えてきている。セイのおじいさんの時代のような船ではなく、飛行機で行ける世の中になった。絵本の中の「不思議なことに、いっぽうにもどると、もういっぽうが恋しい。」が響く。この物語は、普遍的な人間の「郷愁」の心を掬い取ってくれる。

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