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社会に貸しを作らないためのゴミの捨て方


善と思われる行動が、実は社会に負の影響を与え、自分に返ってくることを感じながら生きています。
例えば、ゴミの捨て方が将来の人生にマイナスの影響を与える可能性があります。


朝に見かける違和感


私の仕事仲間の中には、30代の「ゆとり君」という人がいます(仮名)
私と彼は車の駐車場を共有しており、朝に彼をよく見かけます。道路を挟んで飲料水の自販機があり、そこには空き缶を捨てるゴミ箱もあります。
しかし、ゆとり君は車にため込んだ空き缶を大量に捨てていきます。ゴミを捨てること自体は間違っていませんが、その空き缶は、その自販機で買ったものなのでしょうか?1個や2個ならまだしも、10個近くも捨てられると違和感を覚える。

私も空き缶を捨てる時はあります。
コンビニでは、その分商品を購入して貸し借りがないようにしています。
ゴミを回収する人もいるので、大量の空き缶が入っていると迷惑でしょうし、余分な仕事量にもなります。

社会に負債を抱える人の末路


ゆとり君は仕事ではミスが多く、能力不足というレッテルを貼られているように見える。
人間的には問題がないかもしれませんが、社会に負債を抱えて返済しないまま、負の力となって自分に返ってくるのではないかと感じます。

考えの違い

数年前、仲間とバイクキャンプツーリングに行った際、キャンプ場ではゴミは持ち帰りルールでした。
当然、私たちはそれに従い、走行中でもゴミを持ち帰るよう心がけました。
しかし、仲間の中に「あっ!あそこのスーパーで捨てよう!」と声がインカムから聞こえ、たまたま通りかかったスーパーに捨ててしまう彼らに違和感を覚えました。

もし遠方であれば何か購入し一声かけて捨てるのは、まだ理解できますが、大量のゴミを設置されたゴミ箱に捨てるのはどうかと思いました。
私はスーパーをスルーして先の交差点で彼らを待つと、「なんで捨てないんだよ!ゴミ箱あるのに!?」と変わり者扱いされました。しかし、自宅まで30分程度で着くのにそこでゴミを捨てる必要性を感じません。

このような考え方の違いは他にもある。
例えば、高速道路のサービスエリアに置かれているゴミ箱でも同じです。通行料金を支払っているからといって、家庭のゴミの量並みの大量のゴミを捨てるのはどうかと思いますし、カラスがゴミを散乱させ、掃除する人が出ることで、結局は社会に負担をかけることになります。

捨てた先の事を考えよう


国道沿いの路肩には、大型トラックドライバーが捨てたと思われるペットボトル(中身はおしっこ)が大量に捨てられているそうです。仕事の忙しさから、トイレに行く時間や、コンビニや道の駅に寄る時間を惜しんでいるのかもしれません。私も同じ立場なら、ペットボトルに用を足すかもしれませんが、なぜそれを道端に捨てるのでしょうか?
誰が片付けるのでしょうか?
職場や家に持ち帰って処分する発想がないのは、究極の社会への負債です。


日本ではゴミ箱が設置されているお店や施設が普通にありますから、その辺に捨てることは避けられます。しかし、その捨て方が社会に負債をしていないか考える必要があります。

不思議なことに、悪い形で清算にやってくることがあります。冒頭のゆとり君の様に、いざという時ミスを犯すのはそのせいでしょう。


ゴミの捨て方が直接の原因であるかは分かりません。しかし、少し考え方を変えると、社会に負債を抱える行為と捉えることができます。

今回のゴミだけの話ではありません。
私たちはできるだけ「社会に貸しを作る」行為を避け、ゴミを拾ったり持ち帰ったりするなど、簡単な行動を取り続けることが重要です。

みなさんの周りでは、違和感を覚えるゴミの捨て方をする人がいますか?

余談ですが福島県のゴミの排出量は多い!

なんと第二位

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