私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜18

私にも
挫折の歴史がある。



最初の挫折は
20代の時に訪れた。



私の心は
根元から折れた。



気づいた時には
顔が能面のようになり、

表情をつくることが
できなくなっていた。



あの時の私も、
とにかく逃げることばかりを
考えていた。



自分を傷つける全てのものから 
距離を置きたいと思った。



ただ、

心の修復作業に
それ相応の年月を費やしてきた一方で、
あらためて思うことがある。



たしかに
あの頃の私は、

自分のなかにある「個性」に
気づくことなく、

不器用な自分を
不甲斐なく思うばかりだった。



さらには、
挫折したことを
「汚点」だと思い続けてきた。



けれども、

もし
挫折という
強烈な経験をすることがなければ、
今の私は存在しない。





私はその年の4月に
専門学校へ入学した。



看護師という職業に対する憧れや
実家を離れることへの解放感。

未知の世界に対する期待が大きく、
なんの迷いも不安もなかった。



卒業までの3年間。

学校で受けた教育は
いわゆる「つめこみ式」と呼ばれるものだった。



最初の2年間は座学中心。

3年生になると
本格的に病棟実習が始まる。



そして
実習を終えると、

いよいよ
国家試験に向けた勉強に着手…。



学生時代にしたことを
もう一度できるかと問われたら、

もう二度と
同じことはしたくないと答えるだろう。



入学初日だったか…
授業で用いる教科書が配布された。


「いったい何キロあるんだろう。」


…当時の感想である。



学校では
数多くの試験が行われた。



言うまでもなく、
全ての試験に合格しなければ
卒業することができない。



そこで思い出されるのが
過去問の存在である。



試験週間ともなれば、
先輩から受け継がれた過去問が
よく出回っていた。



過去問を
手にしている友人を見る度に、

私はいつも
コピーをさせてもらっていた。



看護学校では、
ペーパーテスト以外にも
実技試験が課されていた。



はるか昔の
出来事ではあるものの、

放課後等の時間を使って
実技の練習をしていた記憶が残っている。



とにかく
次から次へと求められることがあり、
当時の私は必死だった。



あの頃を振り返ると
よく乗り越えたなと思う。



ところで
年齢や職種を問わず、

社会の中で生きている限り
「人間関係」というものがつきまとう。



子どもの頃は
それなりに友達にも恵まれ、

友人関係に困ることもなく
過ごしていた。



思春期の頃も、
それなりに
適応することができていた。



ところが

寮生活が始まって
一年ほど経った頃から、

私は人間関係に
苦痛を感じるようになったのである。






つづく

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