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私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜23

あなたは
どんな言葉にふれてきましたか。





職場環境を変えたことで、
私は自分に期待をしていた。



けれども実際は…
新天地でもつまずいていたのである。



ミスばかりが目につき、
その度に萎縮し、怖気づいてしまう。



次第に苦手意識が強くなり、
心の中でのさばっていた。



最初からできる人なんて
いないだろうし、

経験を積み重ねていくなかで
見えてくるものもある。



それでも
自分には無理だと思った。



おっちょこちょいだし、
すぐにテンパってしまう。



 

焦ると頭の中が真っ白になり、
何も考えられなくなる。



おまけに
迅速に情報を伝えなければいけない場面で、
口ごもってしまう。


どうしてなのか
咄嗟に言葉が出てこない…。



私は仕事を通して
自分の傾向に直面していた。



「私のトリセツ」があれば、
悩むこともないのだろうか…。



当時の私は
「あきらめること」で区切りをつけようとし、

自分について
それ以上深堀りをすることはなかった。



その一方で、
ささやかな楽しみに浸る時間もあった。



それは
患者さんとの雑談。



業務のちょっとした合間の
ユーモアを交えた対話が、

私の心に潤いを与えていた。



相手の笑顔を
引き出すことができた時、

なぜか
嬉しさがこみあげてくる。



気づいた時には、
患者さんに向かって冗談を口にしていた。



病棟では
患者さんの様々な姿を目にする。



体から
発せられる痛み、

心のなかで感じている葛藤、
虚しさ、孤独感…。

抱えている感情が押し出され、

なかには
眉間にシワが寄っている方もおられた。



それだけに
相手が笑顔を浮かべる瞬間に
立ち会うと、

私の気持ちは底上げされた。



その瞬間は
患者さんと看護師という関係性ではなく、

人と人とが
つながっているような気持ちに
駆られたのである。



最後の出勤日。

私にとって
忘れられない日となった。



業務終了前、

患者さん一人ひとりに
最後の挨拶をしたいと思い、

私は病室を回っていた。



奥の角部屋で過ごされていた
人生の大先輩でもあるその女性は、

とても品の良い方だった。



普段から身なりを整え
整理整頓を心がけておられる方だったが、

日頃から
体の痛みを訴えることが多く、

ナースコールを使って
看護師を呼ぶことが日課にもなっていた。



挨拶をさせていただくと、
患者さんは仰った。



「ここには
 何人も看護師さんがいるけど、

 あなたの名前だけは忘れないからね。
 元気でね。」


私はしばらくの間
女性の目を見つめていた。



それから
「ありがとうございます。」とだけお伝え。



会釈をすると
そのまま部屋を後にした。



胸がいっぱいになり、
それ以上のことは何もできなかった。



女性はなぜ
私に気持ちを伝えてくださったのか。



そこまで
伝えていただけるだけの看護が、
果たして自分にできていたのか…。



私はその時になって初めて、

相手の存在と気持ちに
励まされ続けてきたことに、

気づかされたのである。



痛みをこらえ、
最後に笑顔で送ってくださった女性。



あの日は
二度と戻ってこないが、

大先輩の笑顔と言葉が、
今も私の心の中で息づいている。



錯綜する思いのなか、
私は職場にも別れを告げた。



以後、
看護職に復帰することはなかった。



人生は
選択の連続であり、
何を選ぶかで未来は変わる。



ただ
選んではみたものの、

一筋縄ではいかないと感じる
選択肢もある。    


 

私の経験上、
それは自分に挑むことである。   



20代後半の春。

仕事を辞めた私は、
次の進路に向けて歩みを進めた。



今思えば、

その時の決断が
現在に続く長い挑戦の始まりとなり、

私を突き動かしている。






つづく

写真引用
https://www.town.shodoshima.lg.jp/kanko/iam_s/iam_s_sunset.html

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