私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜14

境遇とは
その人が置かれた状況を意味し、
人間関係や経済状況、
家庭環境なども含まれる。


境遇は
人格形成に少なからぬ影響力をもつ。

例えば
どのような環境のもとに
生まれ育ったのか。


家族構成や
家族間の関係性といった点にも、

その人のルーツが
秘められているのかもしれない。


私は
末っ子として誕生した。

きょうだいがいること、

そして
末っ子として生まれたことは、

私の人生史に
影響力を持っていた。


子どもの頃の私は、

家庭内で不和が起きると
よく泣いていた。


問題を
解決するための術がわからず、

泣くことで
その場を乗り切ろうとしていた。


また
泣いている自分を憐れみ、

時に
無力さを悔やんだり、

泣くことで
苦しい胸の内を表現しようとした。


泣いたからといって
現実が変わるわけではない。



日常のなかには
非情な一面もあり、

あの頃から
身構えるような緊張感が続いていた。


そして
私は父親の遺影に
語りかけるようになった。


「お父さん
 私の家族を助けてください。」


目を閉じ
手を合わせながら
心のなかで強く願った。


再び遺影を見つめるも、
父親の表情は何一つ変わらない。


写真の中にいる父親は
いつもこちらを見ているだけだった。



父親の闘病生活が始まり、

その変わり果てた姿に
呆然としたあの日。


そこから
父親が奇跡的に回復し、

数年ぶりに
病院から戻ってきた時には、

胸が高鳴るような高揚感を覚えた。


しかし
自宅療養が始まってからも、

元気だった頃とは明らかに違う
父親の姿がそこにあった。


私はどうしても
ありのままの父親の姿を
受け入れることができなかった。


結局、
父親に対して
拒否反応を示すようになり、

心のなかでは
壁ができていた。


それからほどなくして
父親が発作で亡くなったことを受け、

私は自分を
咎めるようになった。


子どもながらに、

自分のあり様と父の死因との間に
因果関係をもち始めたのである。


「お父さんに
 もっと優しくすることができていたら、

 亡くならずに
 すんだのかもしれない。」



一方、
父親に対して後悔の念を
抱き続けながらも、

辛いことがあると、

私はこの世に存在しない父に
助けを求め続けていた。


生きていても
亡くなっても、

やはり
父は父なのである。



変わることのない日々。

こみあげる苛立ち。

張り裂けそうになる気持ちを
なだめながら
生き続けることは、

私にとって
日常の一部と化していた。


その矛先は、

父親に対しても
向けられるようになった。


「お父さんが
 元気で生きてさえいれば、

 家族がここまで苦しむこともなかった
 かもしれない…。」



私の想像をはるかに超える
闘病生活に打ち克った父。


退院後も
自分を取り巻く世界が
激変していたことを知った時、

父はどうやって
折り合いをつけようとしたのだろう。


愛する妻と
幼い子ども達を遺して

この世を
去らなければならなかったことが、

父親にとって
どれほど辛く無念なことであったのか…。



あの頃の私は
自分のことだけで精一杯だった。


次第に
しがらみから解放されたいと
思い始めた私は、

自由を求めて
自立の道を選んだのである。













つづく

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