私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜16

職業の選択には、
個人の歴史や生き方も映し出される。



なぜなら
業種や目的、働き方、収入など、

仕事に求める価値観は
人それぞれ異なるものだから。



自分について学ぶこと。

この視点は
私にとって価値あるものになっている。





さて。

私には転職の歴史がある。


20代の頃、
まず看護師になろうと思った。


なぜか?
理由は4つ。



子どもの頃に父親が病気で倒れ、

その後
長期に及ぶ入院生活を余儀なくされたから。



それから、
家族を養うために
苦労して働き続けてきた母親から、

「手に職をつけなさい」と言われてきたことも
背景のひとつにあった。


また、

テキパキと動いている医療従事者の姿に、
あの頃の私は
漠然とした憧れをもっており、
「カッコよさ」を感じていた。



そして

家族のしがらみから解放され、
自立し、自由になりたいとも考えていた。



看護師の資格をとるためには、

専門学校へ進むか
大学へ行くか、2つの選択肢があった。



経済的な理由で
母親に苦労をかけたくないと思った私は、

学費や生活費を自分で賄うために、
国立で寮付きの専門学校へ行こうと思った。



それでも足りない分は、
奨学金でやりくりしようと考えた。



看護学校で学ぶためにはお金が必要。


私は比較的時給の高かった工場で
派遣社員として働き始めた。


専門学校に入るためには、
入学試験にも合格をする必要があった。


だから
働きながら試験勉強を始めた。


ブログで何度も綴ってきたように、
私は小学生の頃から勉強が好きではない。

  


そもそも勉強のどこが面白いのか
わからなかった。

宿題を済ませるのも
苦痛だったし、

俗に言う
優等生でもなかった。



ところで、
私は自分の歴史を振り返る度に、
「自分について学ぶ」ことがある。


そのひとつは、
勉強嫌いの私に
やる気スイッチを押させるためには、

自分を奮い立たせるだけの
明確な「動機づけ」が必要であること。


このことは
後の人生で実証されることになる。



ここで
話は一気に飛ぶが…

そんな私が
未来において大学院進学を決意する。


院受験に合格するまで
10年の道のりがあったこと、

その後
40歳で大学院を修了したことは、
私の歴史に刻まれている快挙の一つである。



「大学院に受かるはずがない。」

「病気になったのだから
 資格をとるなんてあきらめたほうがいい。」


世間から揶揄されたこともあった。



山を越えると
また別の山が見えてくる。



大学院修了後に
がんの告知を受けた時、

それから数年後に
パニック障害の診断を受けた時。



私はたしかに
挫折や絶望を感じていた。


渦中の
真っ只中にいた時は、

これまで経験したことのない
強い不安や恐怖の波に襲われ、
私はもがいていた。



もがけばもがくほど苦しくなるばかり…。

先が見えない状況のなかで、
私は突破口を探していた。



今から3年前。

45歳で公認心理師と臨床心理士の
ダブルライセンスを取得できた時には、
感慨深いものがあった。


志してから15年の月日が走馬灯のように流れ、
自分のことを
心からほめてあげたいと思えたのである。



不器用な私が、
未来でどんなことに挑戦しようとしているかなんて、

ましてや、
その道のりに
どんな出来事が待っているかなんて、

20代そこそこの私には、
想像すらつかなかった。










つづく

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