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私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜21

ドラゴンクエスト、略してドラクエ。



子どもの頃に
私がハマりこんでいたゲームである。



ゲームの主人公は、
魔王を倒すため冒険に出かける。



最強の敵を倒すためには
いつくかの課題をクリアしなければならない。



・旅路に遭遇するモンスターをやっつけながら
 自らの戦闘能力を高める。

・仲間と出会う。

・謎を解くことで道を切り開いていく。



ドラクエでは
魔王を倒すまでに数々のドラマが
盛り込まれており、

主人公にとって必要な人物と出会い、
必要な道具(アイテム)を手にすることが
必須となる。




さて、
話は変わりますが…。

 

校庭や体育館に児童生徒を集め、

立ちっぱなしで
話を聞かせる恒例の学校行事。

それが全校集会である。


 

集会の日は、

必ずといってよいほど

たちくらみや貧血で
保健室に運ばれる人が出てくる。



私もその一人だった。



父親が
倒れてからというものの、

母は身を粉にして
働き続けてきたが、

その合間を縫って
私を病院へ連れて行ってくれた。



診断の結果、貧血。



我が家の食卓には、
レバニラ炒めが上がるようになった。



「レバーは貧血に良いから。」

…母の口癖である。



私は子どもの頃から
レバー特有の食感と味が苦手だったので、

おかずとして出てくる度に
うんざりしていた。



母がどんな思いで
食材を選び、
料理を振る舞ってくれていたのか。



今でこそ
親の愛情を感じるが、

当時の私は
箸が進まなかったのである。



貧血が治った後も、
大人になってからも、

たまに
めまいやたちくらみに襲われる時がある。



だから
出勤初日にたちくらみが起きた時も、

またかと思う程度で、
さほど珍しいことではなかった。



そうはいっても
体が何かに反応し、

気分が悪くなったのは事実。



今でも
覚えていることがある。



めまいを感じた時、
私はとても緊張していた。



最初の日
ということもあったが、

緊迫感のある
職場の空気感に圧倒されていたのである。



24時間つきっきりで、

手厚い治療を
必要とする重篤な人たち。



彼らはみな、

ベッド上で生命維持装置に
つながれていただけでなく、

いくつもの点滴や医療機器にも
取り囲まれていた。



患者一人に対して
看護師1名が配置されていたため、

きめ細かなケアを
要する状態にあることがわかる。



そしてフロアでは、

命を助けるために
迅速に職務をこなしている医療従事者達が、
忙しなく動いていた。



仕事とは
常に人を選ぶものである。

単なる
憧れだけでは務まらない。



それから
月日が流れた。

 

その日、
私は看護師長室にいた。


「ここで辞めたら、後悔しますよ。」



師長の言葉は
石のように重くのしかかり、

責められているような
気さえした。



『後悔をすることになるんだ…。』

言われるがまま、
私は心のなかでつぶやいた。



その反面、

業務の合間を縫って
言葉をかけてくださったことに対して、

ありがたみを感じていた記憶も
残っている。



私は眼の前にいる患者に対して
何もできず、

いつも
自分のことだけで精一杯だったと思う。



父亡き後に感じた自責の念が
再燃していた。



自分を責めるという心癖。

その後も何かある度に、
つきまとうようになった。



だが、
その先の未来において、
厄介な心癖とも向き合う日が訪れる。



あの頃の私は、

救いようのないほど
自己評価が低かったと思う。

 

職場にとって
私は足カセとなる人間であり、

使いものにならないという
レッテルを、

自らに
貼り付けていたのだから。



それゆえ、

師長のような
別次元の人から
気に留めていただいたことは、

驚きでもあり、

私の心に
ささやかなぬくもりをもたらしていた。



新人だった私は
早朝出勤から始まり、

帰宅する頃には夜も更けていた。



最初の頃、

私はチームの一員として
職場に入っていた。


しかし、

仕事で求められる
あらゆる能力についていくことができず、

上司の判断によって
私はチームから離脱することになった。



命を助けるという職務ゆえ、

極めて妥当な
判断であったと思う。



私は上司の監視下のもとで
雑務を任されるようになり、

患者に接する機会もなくなった。



一方
同僚達はというと、

先輩に指導を仰ぎながら
通常の業務に就いていたのである。



私の存在は
次第に職場のなかでも浮き始め、

先輩達から
冷たい視線を感じるようになった。



気づいた時には、

自分に対するダメ出しで
心の中が埋め尽くされていたのである。



当時の私には、

気持ちを
さらけ出せる相談相手がいなかった。



そもそも、

自分の情けなさを
人前で語る勇気がなかった。



ありのままの自分に向き合い、
受け入れること。



そのためには
莫大なエネルギーを消耗する。



「お母さん、私、辞めようと思う。」

辞職する直前。

私は田舎にいる母親へ
電話をかけたことがあった。



「辞めたらだめ、頑張るの!」

母親は語気を強め、
私の思いを突っぱねた。



電話越しに母の言葉を聞くやいなや、
私の目から
涙があふれ出した。



これ以上
頑張りきれないと思ったし、

「辞めてもいいんだよ」という言葉を
母親に期待している私がいた。



非情な人生を
生き抜いてきた母。

資格まで取ったのに
ここで辞めてしまうなんて…

母親にしてみたら
考えられないことだったのだろうか。



あの頃の私は
他人と自分を比較し、

自己嫌悪のループからも
抜け出せずにいた。



他の人にできることが
私にはできない。

自分に対する諦め。



これ以上の敗北感はなかった。



自ら希望して配属された部署。

私はなぜ、
いきなり厳しい現場を選んだのだろう。



この時の経験は
人生を左右するほどの分岐点となったものの、

そのおかげで、

私は自分に必要なアイテムを
手にすることができた。



そのための
機会を与えていただいたことに、
今は感謝している。



私にとって
劣等感とは諸刃の剣。

悩みの種ではあるものの、

源泉力となり
未来の私を迎え入れてくれたのだから…。





つづく

写真引用
https://www.town.shodoshima.lg.jp/kanko/iam_s/iam_s_sunset.html

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