私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜17

出逢いほど
私の人生に
彩りを与えてくれたものはない。



誰かに恋い焦がれ、
誰かに大切にされるという経験。



大切にされことで
初めて自分を
大切にしようと思えたあの日…。



私の出逢いは
そこから始まった。



看護学校へ入学する前。
私は学費を貯めるために工場で働き始めた。



なぜ
製造業を
選んだのかといえば、

比較的
時給が高かった点と、

最寄り駅から工場まで
無料の送迎バスがついていたからである。

私にとっては好条件だった。



工場内部も比較的広く、
精密機器を扱っていたこともあり
衛生的であった。

 

私は派遣会社から貸与された
制服を着用し、

ベルトコンベアで
流れてくる機械に対して、

検査の一部を
担当することになった。

 

流れ作業であるため
時間内に決められた作業量をこなし、

次に引き継ぐことが
私の役目。



工場勤務は
初めての経験だったが、

単純作業の
繰り返しであったため、

慣れるのに
そう時間はかからなかった。


また、
立ちっぱなしでの作業に
体の疲れを感じることがあったものの、

その工場では
有線放送が流れていたため、

いくばくかの
気分転換になっていた。



現場には
同世代の若者達が多く働いていた。

ぎくしゃくとした人間関係も
煩わしい思うことも特になかった。



派遣会社の担当者や
職場の責任者からも、

好意的に
接して頂いた記憶が残っている。



当時の私は、
恵まれた環境の中で
雇っていただいていたと思う。



帰宅後は
学校へ入るための勉強を続けていた。

とはいうものの
夕食後は眠たくなることもあり、

勉強が進まぬうちに、
おふとんの中に
もぐり込んでいた日もあった。



それでも1年後に、

私はなんとか
入学試験に合格をすることができた。



それから、

ある程度の
貯えもできたため、
工場を辞めることができた。



だからといって、

自分の力だけで
次のステージに進むことが
できたわけではない。



さらに言えば、

勉強と労働だけを
していたわけでもない。



私にも
青春時代があり、

恋愛に
謳歌していた時があったのだ。



私はその男性と
10年ほどつきあっていた。



別れた後は
連絡を取ることもなくなった。



その後も
街中で似たような男性を見かけると、
立ち止まってしまう瞬間があった。



ともに過ごした
時間の長さとその厚み…。



別れを切り出したのは
私からであったものの、

あらためて
存在感の大きさに気づかされた。



エゴであり
自己満足でもあるが、

私以上に
幸せな人生を歩んでほしいと
思うようになった。

 

今となっては
懐かしい思い出…。



現在の私が
幸せの意味を実感することが
できているのも、

元を辿れば
その人との出逢いにさかのぼる。










つづく

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