私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜19

誰と過ごすのか。




この問いは、
心の充足率を底上げしたい時に
最も効果を発揮する。



世の中には
女子会と呼ばれるものがある。



以前の私は、
友達と過ごすことに
楽しみを見出していた。



けれども、
人とつるむことが
面倒臭くなっていった。



女子会に参加せずとも、

社会の中で
生きるということは、

少なからず
人とのつながりをもつことになる。



気づいた時には、

人に合わせようと
振る舞っている私がいた。



このパターンは
見事なまでに習慣化されていき、
「クセ」になっていた。



当然ながら、
無理を重ねていると
心は疲れてくるものである。



なぜ、
そんなことを
繰り返してきたのか。



何十年後の未来で、
私はその答えに
たどり着くことになった。



人間関係に対しても
持ち前の不器用さを発揮していた私は、

どこかで
寂しさを感じていた。



モヤモヤとしたものが
心の中を渦巻き、
気持ちが晴れなかったのである。



ただ、

当時おつきあいをしていた
彼との関係は、
別格だった。



なぜなら、
その人の前では
自然体でいられたからである。



居心地が良く、
私自身、伸び伸びとしていた。


 

最終学年をひかえた頃
私は退寮した。



何がキッカケだったのか
今となっては思い出せない。



それでも
新入生だった頃は、

同級生達と
楽しい時間を過ごしていた。



誰かの部屋に
食べ物持参で集まる。



長居の準備を整えた後で
女子会がスタート。



話も弾み
笑いも絶えなかった。



しかし
人と過ごすことが煩わしくなり、

ついには
息苦しさを感じるようになった。

 

週末ともなると
寮を飛び出し、

他府県にいる彼氏のもとへと
転がり込んでいたのである。

 

それは
自由を求めた
現実逃避でもあった。



私は
退寮したいと思い始めたものの、

学校を辞めたいとまでは
思わなかった。



学生生活では
一定の勉強量が求められ、

試験の数も多かったため、

決して
楽なものではなかったと思う。



この時点で
別の進路を選択していたら…

卒業後の就職先で
挫折を経験をすることもなかっただろう。



短期的に考えると
そのような結論に達する。



一方、
人生という物差しを使って
捉え直してみると、

退学という選択肢を
選ばなくて良かったと思っている。



なぜなら、

そのおかげで、
未来の私は命を救われることに
なるからである。



これも
運なのだろうか…。



とりあえず
ストレスがMAXに達していた私は、

私の心につきまとう
この鬱陶しさを、
早急に解消したいと考えた。



とは言うものの、

学校は
実家から遠隔地にあり、

寮を出ると
生活の場が失われる。



だからといって
一人暮らしを始めるだけの
貯蓄もない。



私は彼に相談し、

退寮後は
居候をさせてもらうことにした。



つまり、

彼の部屋に
潜りこむ作戦をとったのである。



彼は
他府県に住んでいたものの、

幸いなことに
かろうじて通学圏内にあった。



しかし、
この作戦には負荷を伴った。



徒歩圏内で通学できるという
好条件を手放したことで、

片道1時間半以上かけて
通学することになったからである。
  

作戦としては脇が甘かったものの、
いつものこと…。
  

私のワガママに
つきあってくれた彼。



彼との出逢いがなければ
今の私は存在しない。



素の自分を
臆することなく表現できる相手が
いること。



私の心ごと抱きしめてくれる相手と
おつきあいができること。



幸せとは
心の充足率に比例するが、

相手に求め続けるだけの関係は
長続きしないものである。 



さて。

3年生になると
半年以上にわたる実習が始まる。 
  

始発で通い続けながら
実習に臨むことは、

予想していた以上に
体を疲弊させることになった。

 

それでもなんとか
実習を乗り越えた私は、

いよいよ
国家試験に挑むことになったのである。





つづく

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