なりきるユーモア

何かになりきるというユーモアがある。

いくつかサンプルを作ってみたから、まずはこちらを確認していただきたい。

【Twitterにて】



【Youtubeにて】




いずれもあくまで私の創作なので、悪しからず。

TwitterやYoutubeなどのプラットフォームで、キャラクターや偉人、果ては現象まで、「何かしらをかたり、それになりきってコメントする」というユーモアが存在する。

私はこのユーモアが本当に、理解できない。

本当に。


まず、選挙した?という疑問がある。

「あなたが花粉/織田信長/ゾロを務めることについて、民主的な意思の統制をとった?」という疑問。

名乗ったもの勝ちは、秩序を乱す。

あなたよりももっと上手く信長をやれる人がいるかもしれないじゃないか。

お前、本当にゾロになりきれてるか?

ゾロが「笑」をつけたことがあったか?

2年前なら「笑」つけてたのかな?グランドラインの前半だったら。


次に、覚悟はあるのか?という憤りがある。

ツイートにしろ、Youtubeのコメントにしろ、履歴は必ず残る。

だが、アイコンやユーザー名は当時のまま残されはしない。

ちぐはぐなコメントになるんだぞ。

軽い気持ちでゾロを名乗るな。

そして、刀を捨てたなら、それまでの足跡を全て消せ。


最後に、「ウケのためだけに、ありもしないアイデンティティを作り出し悦に入るな」という怒り。

たとえば、織田信長になりきるアカウント。

いじめた結果その部下に謀反を起こされるという、自虐的なユーモア。

面白いよ。そりゃ。

ウケるだろうさ。

だが、その自虐は空虚だ。

明智という部下はいないし、安土城はお前のものではない。

ありもしないアイデンティティを宿して、ひとウケを頂戴しようというその魂胆が気に食わない。

誰がやってもいいんだ。そのポジションは。

その万バズはお前のものじゃない。

「国民的な偉人の有名なエピソードを交え、現代的な話題にいっちょかみすると生じるウケ」を、偶然その場所を占めているお前が享受しているにすぎない。

強いて言えば、そのウケは信長のものだ。

返しなさい。
自分の頭蓋骨を盃にして、そこにバズを入れて返しなさい。


100歩譲って、偉人やキャラクターになりきってウケを取るのはいいとしよう。

その人物への憧れが、同一視に駆り立てるというのは、おかしな話ではない。

だが、現象になりきっているお前はなんだ!?

憧れや同一視という言葉では説明できない、剥き出しの自己承認欲求がこのなりきりにはある。

たとえ、このリプライで「顔も見たくない」「大嫌い」「涙が出る」「鼻につく野郎だ」のような、軽妙なラリーが繰り広げられたとしよう。

あるいは花粉症に悩む人々の怨嗟がこのツイートを万バズに押し上げたとしよう。

それはお前の手柄ではない。

それは自然現象について上手いことを言ってやろうという人々のはやる気持ちを反映しているにすぎない。

それは世間に渦巻く共感という巨大な念が依代を見つけ、万バズという形で現れたにすぎない。

たとえ、花粉という現象にどんなリプライが寄せられようとも、本質的にはお前に対するコミュニケーションではない。

バズ本位のなりきりアカウント運営を私は厳しい目で見ている。

面白いなら構わない。

面白いなら構わない。

面白いなら文句は言わない。





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