寂しさから生まれたもの
誰かと うまくいかないとき
誰かに
気持ちが うまく伝わらないとき
大切な人への
言葉選びを
つい 間違えてしまうとき
信頼できる人を何故か 間違えてしまうとき
その根底にあるものって
「寂しさ」なんじゃないかと思う
人は寂しい時
「本当は寂しい」
そう素直に言えない時
認めたくない時
それを「反発」や「否定」や「拒絶」
や「意地悪」や「嫌味」に変換して
表現してしまう生き物のような気がする。。
そして関係がこんがらがって行くような気がする。。
ただ
「寂しい」
それが出発点になっただけで。。
♡♡
利用者さんとかに
何か文句言われたり
やつ当たられたとき
その利用者さんの言葉のうしろに
「だってわたし寂しいんだもん」
「だからわたし寂しかったんだもん」
を付けて聞いてみると
ちょっと優しくなれる
そして自分が相手に
「なんでわかってくれないんだよ!」って言いたくなるときも
「だってわかってもらえないととっても寂しいんだもん」
を付けてみると
ああ。。そうか今自分は
見たくない 認めたくない
「満たされない(と勘違いしてる)
心の寂しさ」
をなんとかしたくて相手に気持ちを向けて欲しくて
自分の気持ちを押し付けてたんだなあ
なんて思ったりする。
そしてそんな自分に気付いて
「そっかそっか。。よしよし 寂しかったんだもんね」
って寄り添ってあげるだけでも
何かが解れる気がするよ。。
♡♡
人って。。
大切な人から
自分の期待通りの優しさを与えて貰えないのも寂しいけど
自分が与えたい優しさを
期待通りに受け取って貰えなかった時の方が
実は傷付いたり悲しかったりするような気がする。
そしてお互い受取拒否してると
お互い 「寂しいんだよ!」
って
押し付け愛のエンドレスゲーム
になっちゃうんじゃないかと思う
いつも
寂しいさと一緒にいるのは
本当は甘えたいという気持ち。。
みんな大人の風貌でも
「寂しい気持ち」や「誰かに甘えたい気持ち」
は
あの頃となんにも変わらずに生きてる
それはお空に還るまで
ずーっとなんだと思う
大人になったからって
寂しさを感じなくなるわけでも
甘えなくなるわけでもないから
それを見せない術を沢山身に付けてきただけだから
だから
ついつい そんな仮面がふっと剥がれて
心にもないこと言ってしまうのは
それだけ「甘えても大丈夫なんだ」
って安心してる人ってことだね
♡♡
いつのまにか
本当に届けたい気持ちより
気持ちを入れる箱や
包むラッピングの形や色や
渡すタイミングや相手の受け取り方にばかり
こだわって 夢中になって。。
中身がなんだったかもいつのまにか忘れて。。
ああ。。
やっと。。渡せるかも
そう思った時に 大切な人がもういない。。
そんな失敗
何回してきたかなあ。。きっと今頃
呆れてるだろうなあ
もうすぐ母の日だね
母の日が近くなると
この動画を思い出すんだ
本当に大切な人にだけは
素直に正直になれるといいね
難しいけどね。。
最後までお読みいただき
ありがとうございます
今夜眠りにつくまでの時間が
あなたにとって
あたたかい愛に溢れて安心できる
素敵な夜でありますように
心を込めて
凛
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