(コラム-16) 令和5年(2023年)6月16日、「性犯罪の規定を見直した刑法改正(案)」が参議院本会議で可決、成立させた。-110年ぶりの刑法改正に続き、なぜ不十分なのか? 歴代の保守政権が、国連の各委員会から「とり組みが進んでいない」と“是正勧告”を繰り返し受ける中で、女性への暴力対策、DV・児童虐待対策が進まない、日本の異常性を説く-


はじめに。
1.保守政権による日本の国造り。人権解釈は存在しない
(1) 保守の「いままで(あのときまで)の」と『世界人権宣言』
 ① 日本の異質な保守、国民が無自覚な全体主義
 ② 冷たい戦争(冷戦)、西と東
(2) 保守派政党(政治家)の考える「いままで(あのときまで)」とは
 ① 所信表明演説で述べた「美しい国創り」
 ② 「道徳の授業」は、家父長を権威づける役割を担う
 ③ 藩閥政治。薩摩藩、長州藩、肥前藩、土佐藩の4藩が主流の日本
(3) 第2次安倍政権以降保守化傾向が一気に進み、危険な方向に
(4) 日本の立ち位置を表す『ジェンダーギャップ指数』『報道の自由度ランキング』
 ① 報道の自由度ランキング
 ② ジェンダーギャップ指数
(5) OECDの中で最下位、日本の男女間賃金格差
(6) 1970年代、若者が社会問題と距離を置き、政治に無関心に
 ① 『日米安保条約』の締結と安保闘争
 ② 高度経済成長を経て、国民は豊かに。
(7) 1990年代、55年年体制の崩壊で、少数政党の乱立。
 ① 55年体制の崩壊と政治の大衆化
 ② オール保守下での主導権争いと安倍政権の樹立

2.『世界人権宣言』『人権条約』で示す「人権」解釈と異なる日本の「道徳」
(1) 『国連憲章』と『世界人権宣言』、「人権教育」と「道徳教育」の違い
 ① 世界人権宣言
 ② 「人権」と「人格権」、「人権教育」と「道徳教育」の違い
 ③ 日本の「心のあり方」「心がけ」にフォーカスする『道徳教育』
(2) 批准・締結した『人権条約』と受け入れる日本の「人権」意識
 ① 9つの『人権条約』
 ② 批准・締結した『人権条約』とは嚙み合わない家父長制

3.「各委員会」の勧告(女性に対する暴力)に対する日本政府の対応
 -110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」と6年後の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」-
(1) 強姦などに対する罰則強化、近親姦を罰する法律の制定に対する勧告
 ① 性犯罪の厳罰
 ② 110年ぶりの法改正で、見送った「勧告」
 ③ 「欧州評議会」の『イスタンブール条約』が欧州諸国の法改正を後押し
(2) 「児童婚」に関する勧告
(3) ♯Mee Tooのもと、フラワーデモで、性暴力被害者が声をあげた
 ① 『教員による児童生徒性暴力防止法』
 ② 『男女雇用機会均等法及び育児・介護休業法』
 ③ 日本での「不同意性交等罪」の実現を巡る動き
(4) ⅰ)の勧告(成立要件の緩和など)に対し未対応(見送り)事案
 ① 性交同意年齢
 ② 「不同意性交等罪」の創設
 ③ 「撮影罪」の新設

4.「女性への暴力」としてのまったく進まないDV問題。
(1) 世界的に異例。保守政権、「女性解放運動家」をとり込み無力化
 ① アメリカの「暴力を振るわれた女性たちの運動」のはじまり
 ② DV介入プロジェクト(DAIP)
 ③ DVに関連する『連邦法』
(2) 日本の「女性運動」のはじまりと終焉。フェミニストのもとで
 ① 『女性差別撤廃条約』の批准から『配偶者暴力防止法』の制定まで
 ② 骨抜きで、不備だらけの『配偶者暴力防止法』
(3) 「女子差別撤廃委員会」の勧告
 ① 平成16年(2004年)の法改正
 ② 平成19年(2007年)の法改正
 ③ 「民法」と「民事訴訟法」の改正、『ハーグ条約』の批准
  a) シングルマザーの貧困問題と「養育費」の未払い
  b) 「婚姻破綻の原因がDV行為」であるときの「養育費」の持つ意味
  c) 『民法766条』の“改正”、司法判断が一転した面会交流の実施判断
  d) 「ハーグ条約」批准後、DV加害者が「子どもを連れ去られた」と主張
 ④ 平成26年(2014年)、改正新法の制定
 ⑤ 「DV=犯罪」として警察が介入するアメリカ。子どもの保護を前提
 ⑥ アメリカ、オーストラリアなどのDV対策は、次の段階に入った
 ⑦ 令和5年(2023年)5月12日成立、法改正
 ⑧ 今回の法改正でも、「女性差別撤廃委員会」の是正勧告を無視。
 ⑨ 家族優遇の「社会保障制度」、世界で唯一「夫婦同姓」の日本。背景は家父長制
  a) 世界で唯一の「夫婦同姓制度」
  b) 家族を優遇する日本の「社会保障制度」

5.家父長制と子どもや妻に対する「懲戒」
(1) 『子どもの権利条約』と『児童虐待防止法』の制定
 ① 日本社会における児童虐待問題
 ② 『子どもの権利条約』と『児童虐待防止法』の制定
  a) 「面前DV=心理的虐待」と規定
  b) 体罰の禁止、『懲戒権(民法822条)』削除の見送り
  c) 日本より先行して「体罰を禁止」した国々がとり組む姿勢
  d) 日本の「体罰禁止」、「懲戒権(民法822条)」削除に伴う条文
(2) ユニセフ、妊娠期を含めたDV被害、胎児-出生後の発達に及ぼす影響に言及
 ① 妊娠している女性のDV被害、それは、「胎児虐待」。
  a) 妊娠5週目以降の胎児、母体のDV被害で、コルチゾールに曝露
  b) 胎児の高濃度のコルチゾール曝露は、中枢神経系の発達を阻害
  c) 危険に遭遇し、ASD(PTSD)、うつ病発症のメカニズム
 ② 被虐待体験(小児期逆境体験)がもたらす後遺症。
  a) 脳の各所がもっとも発達する「感受期(臨界期)」
  b) 虐待行為と損傷を受ける脳の部位
 ③ 「加害トラウマ」と暴力の連鎖


はじめに。
 平成29年(2017年)6月2日の110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」にひき続き、令和5年(2023年)6月16日の参議院本会議で、「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」が可決、成立、同年7月13日施行となりました。
 「法律の改正」は、極めて政治的です。
 なぜなら、政治家の仕事は、国民の生活の基盤を支える法律をつくることだからです。
 各政党が成立させたい「法律」は、衆議院の委員会で議論を重ね、衆議院本会議で賛成多数で可決されると参議院に送られ、参議院本会議で賛成多数で可決されると、その「法律」が成立します。
 衆議院の委員会で議論を重ねるとき、各政党、あるいは、各政治家の意思・思惑が激しくぶつかり合います。
 問題は、日本の政治は、いまだに、スローガン「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)*1」の下で倒幕を掲げた新政府軍の薩摩藩と長州藩の主流2藩に加え、肥前藩(佐賀藩)、土佐藩の4藩(藩閥政治)の強い影響下にあることです。
 つまり、日本の政治の中枢は、明治政府の流れを汲む人たちです。
 その中で、太平洋戦争の戦前と戦後の政治の中枢として、常に、大きな権力を握り続けてきたのが、父方の祖父衆議院議員安倍寛、母方の祖父岸信介元首相、大叔父佐藤栄作元首相、父安倍晋太郎元外相の意志(神武創業、藩閥政治、ナショナリズム)をひき継いだ安倍晋三元首相です。
 この「岸家一族」の首相の在任日数は、実に7277日(19年11ヶ月、戦後77年の1/4(25%))に及んでいます(令和5年(2023年)7月現在)。
 ここに、党の幹事長など主要ポスト、外務大臣など主要閣僚の在任期間を含めると、ナショナリストの「岸家一族」の思い(自主憲法制定(憲法改正)、再軍備(軍備増強)、スパイ防止法制定など)が、日本の国造りの多くに十二分に反映されています。
 政治家の世襲制、つまり、2世、3世議員が度々問題になりますが、それ以上に、太平洋戦争に敗戦後の日本では、まるで首相が、「岸家一族」の世襲制のようになっています。
 「藩閥政治」「ナショナリズム」といった保守派の政治家が圧倒的多数の日本政治下では、国際連合(国連)が進める女性と子どもの権利拡大、女性と子どもに対する暴力の撤廃、家族制の見直し、社会保障、福祉、教育などが絡む人権問題の解決は困難です。
 法を制定し、制度を構築する政治家が、保守なのか、革新(リベラル)なのかは、その国の国造りそのもの、つまり、その国で生活する人々の「人権」を最優先に考える国造りか、「人権」を蔑ろにする(それほど重視しない)国造りかを決めます。
 その政治は、一国(自国)だけで成り立つものではなく、国際社会(他国)との関係で成り立っています。
 そこで重要になる視点は、日本が、国際連合(国連)の加盟国ということです。
 つまり、日本政府は、国連加盟国としてそのとり決め、ルールに従う必要があります。
 この「人権(人権侵害)」をそれほど重視しない、蔑ろにしている国が、国際連合(国連)の加盟国であるときは『世界人権宣言』、『人権条約』を批准、締結しているときには、その『条約』の「委員会」が、『条約』に添うように『国内法』を改正したり、新法を制定したりする必要があります。
 批准、締結した『条約』に添う動きを示していない国に対しては、各『条約委員会』が勧告書(是正勧告)を送付します。
 なぜ、『国内法』を批准、締結した『条約』に添う必要があるのでしょうか?
 それは、『条約』は『国際法』と同様に、『国内法』よりも“上位”に位置づけられているからです。
 平成29年(2017年)6月2日に可決、成立した110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」と今回(令和5年(2023年)6月16日)に可決、成立し、7月13日に施行となった「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」は、主に、「人権条約」である『女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)』『子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)』などの「委員会」から「改善を求める勧告」を繰り返されてきた流れの中で実施されたものです。
 日本政府が、各「委員会」から「改善を求める勧告」を受けることは、批准・締結した『条約』に添った『国内法』に改正したり、新たに新法を制定したりするなどの対応を進めていないことを意味します。
 ここには、歴代の日本政府が保守であることが大きな意味を持ちます。
 つまり、「人権問題」に対する日本政府のとり組む姿勢は、保守派政党の考え方・価値観、そして、目論見が大きくかかわります。
 したがって、この理解なく、なぜ、日本では、人権問題が改善、解決されないのかを理解することはできません。
 「保守(派)」とは、「いままでの伝統や文化や考え方、社会を維持していく」、つまり、「昔からのやり方に従うのがあたり前だ!」と考え、行動する人たちです。
 この「保守」の「いままで」「昔から」を“家族”のあり方で捉えると、儒教思想(道徳)にもとづく、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持ち、父母に孝行することであり、子どもにとっての幸せは、たとえ、暴力のある家庭環境(機能不全家庭)であっても、両親の下で育ち、両親を敬い、孝行することである」となります。
 この保守的な価値観(家族像)は、家父長制の下で女性に求める「内助の功」「良妻賢母」につながります*2。
 この保守的な価値観(家族像)は、「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」をスローガンに倒幕を果たした新政府軍、つまり、明治政府が、「富国強兵」「国民皆兵」を国民に浸透させるためにとり組んだ「家父長制度」を軸(「国民皆兵」「富国強兵」には、学制、兵制、税制改革は不可欠で、その学制、兵制、税制改革を進めるうえで大きな役割を果たしたのが「家父長制」)にしたさまざま価値観です。
 平成29年(2017年)6月2日の「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」が110年ぶり、つまり、110年間更新されず放置し続けたことは、太平洋戦争に敗戦後の日本には、明治政府が構築した国造りの流れがいまも継続しているからです。
 その日本政府は、『女性差別撤廃条約(1979年(昭和54年)12月18日、国連総会で成立、1981年(昭和56年)発効)』については、いまから38年前の昭和60年(1985年)6月25日に批准(20ヶ国目)、『子どもの権利条約(1989年(平成元年)11月20日、国連総会で成立)』については、いまから29年前の平成6年(1994年)4月22日に批准(平成2年(1990年)発効、158ヶ国目)しています(令和5年(2023年)7月現在)。
 しかし、『女性差別撤廃条約』の制定から20年を経た1999年(平成11年)、国連総会は、条約の実効性を強化し、一人ひとりの女性が抱える問題を解決するために『女性差別撤廃条約選択議定書(選択議定書)』を採択しましたが、日本政府は、以降24年間にわたり、この『選択議定書』を批准していません。
 『選択議定書』の批准国は、2022年(令和4年)10月現在、115ヶ国です。
 この『選択議定書』では、『女性差別撤廃条約』が保障する権利が侵害され、批准・締結国における裁判など国内の救済手続きを尽くしても救われなかったとき、個人や団体が国連の『女性差別撤廃委員会』に直接救済を申し立てられる「個人通報制度」を定めています。
 これは、『女性差別撤廃条約』の実効性を高めるための制度で、国内の権利侵害の事案が国際標準で審査される道を開くものですが、日本政府は、24年間にわたり、批准・締結を拒み続けています。
 ここに、歴代の日本政府の女性差別の撤廃にとり組む姿勢が表れています。
 つまり、歴代の日本政府は、女性差別の撤廃に前向きではない、積極的にとり組む必要はないと考えています。
 例えば、太平洋戦争に敗戦後、法的には家父長制はなくなったものの、世界で唯一、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」が、明治29年(1896年)の制定から127年経過しても残り続けるなど、「G7の中でもっとも遅れている。」、「G7の中で、これほどまでに後ろ向きな国は他にない。」と指摘される『家族法(民法)』の問題があります(令和5年(2023年)7月現在)。
 この問題に対し、「女性差別撤廃委員会」は、『女性差別撤廃条約』の批准・締結国であり、『選択議定書』の未加盟国である日本政府に対し、速やかに改善を求める「勧告」を平成15年(2003年)、同21年(2009年)の2回だしています。
 同28年(2016年)2月、「女性差別撤廃委員会」の63会期において、日本政府に対する2回目の勧告、つまり、同21年(2009年)の勧告に対する日本審査が行われました。
 その課題リストで、a)制度的枠組み、b)暫定特別措置、c)ステレオタイプおよび有害な慣行、d)女性への暴力、e)売春の搾取と人身売買、f)政治的・公的機関への参画、g)教育、h)雇用、i)健康、j)災害、k)不利な立場にある女性、l)結婚および家族関係、m)『(女性差別撤廃条約)選択議定書』への批准といった13の分野における情報を提供するよう政府に求め、同30年(2018年)12月、この日本側の報告に対し、さらなる行動に関する情報を求める見解が送られる(3回目の勧告)など、国連の「女性差別撤廃委員会」は、日本に対して法改正を繰り返し求めています。
 この中で重要なことは、d)女性への暴力、k)不利な立場にある女性、l)結婚および家族関係とあるように、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの女性に対する暴力は、一括りの女性問題と捉えていることです。
 日本は、欧米諸国と異なり、女性問題を一括りの問題と捉え、考えることができない、つまり、日本では、DV(デートDV)、児童虐待の家族問題と、差別・排除、レイプなどの性暴力、ハラスメントの女性問題は別のテーマ(カテゴリー)と捉え、問題提起をする人たちもそれぞれ違う立ち位置で論じることが少なくありません。
 また、「性的虐待は許されないけれども、しつけ(教育)と称する体罰は許される」と認識している人も少なくありません。
 しかも、日本では、「しつけ(教育)と称する体罰」を虐待行為と認識していない人も少なくなく、「いかなる理由があっても、いかなる虐待行為も等しく許されない」と考えられる人は少数派です。
 つまり、日本では女性問題は、それぞれのテーマ、カテゴリーで“分断”されて論じられ、対策が講じられる特徴があります。
 分断されるので、大きなパワー(力)とならないのが大きな特徴です。
 この状況は、欧米諸国と比べるとかなり異質な社会といえ、『世界人権宣言』『女性差別撤廃条約』『子どもの権利条約』にすべて反する行為です。
 普段は、「人権」のことはあまり意識しない人々であっても、ⅰ)差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)被害にあったり、ⅱ)暴力被害に起因する精神疾患(PTSDなどの後遺症)、貧困、進学、就職(性風俗業界での就労を含む)、ひとり親家庭、ヤングケアラー、アルコール・薬物、ギャンブル依存などに苦しんだりしたとき、多くの被害者は、法律の適用(警察、弁護士の対応を含む)や行政・支援機関の対応などで、「被害を受けたり、困ったりしても助けてもらえない、守ってもらえない」といった理不尽な体験(2次加害を受けるを含む)をします。
 この暴力(人権侵害)被害を受けたときに受ける理不尽な体験の原因は、法律を制定し、制度を構築しない、つまり、こうした人権問題に対応してこなかった日本の政治にある、つまり、歴代の日本政府にあります。
 歴代の日本政府の“保守的”な価値観のベースは「家父長制」であることから、日本においては、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者による)体罰対策、ハラスメントなどの暴力問題の解決に消極的になるだけではなく、法改正、新法の制定にあたり、予め抜け道を用意したり、適用条件を厳格にして、運用し難くしたりするなど不備があり、欠陥だらけ、ほとんど効力が見込めない条文にするなど、前に進ませようとする動きの足をひっぱり、後退させます。
 つまり、法改正、新法を制定しても、実効性を伴わないようにします。
 それは、実務にあたっている人にしかわからないような狡猾な手口で、しかも、政治的です。
 一方で、日本で生活する人々が、人権・社会問題と距離を置いたり、政治に無関心であったりし続ける限り、日本で暴力(人権侵害)被害を受けたり、貧困などの社会問題に直面したりすると、その被害を受けた当事者は、理不尽な体験をし続けることになります。
 人権・社会問題と距離を置き、政治に無関心であることは、人権問題に積極的にとり組もうとしない日本政府に対して、いわゆる「いじめの4種構造」の「観衆」「傍観者」に該当します。
 つまり、人権・社会問題と距離を置き、政治に無関心なままの「聴衆」「傍観者」は、無意識下で、人権問題に積極的にとり組もうとしない日本政府に加担していることになります。
 いまから16年10ヶ月前の平成18年(2006年)9月、第1次安倍政権が樹立されたときは、「ゆっくりでいいので、一つひとつ学んで。」と話していましたが、1-2)で述べているように、保守派が集い、反対の声を力でねじ伏せ、「緊急事態条項に関する憲法改正」を成し遂げようとの目論見が日々現実的になる中、もはや「ゆっくりでいい」「一つひとつ学んで」という余裕はなくなりました(令和5年(2023年)7月現在)。
 「緊急事態条項に関する刑法改正」は、第2次世界大戦前(太平洋戦争)のナチスドイツの『全権委任法』、日本の『国家総動員法』と同じで、国民の「人権」は奪われます。
 保守政権は、国民の多くが、人権・社会問題と距離を置き、政治に無関心な中で、密かに、確実に、「緊急事態条項に関する憲法改正」に向けて動いています。
 この「緊急条項に関する憲法改正」を含め「憲法改正」の動きを加速させるきっかけとなったのが、平成15年(2003年)9月、安倍晋三が幹事長に就任し、平成16年(2004年)4月、自民党史上初の全国的な候補者公募を実施(このとき、公募に合格し、当選を果たしたのが、「共同親権制度」推進をはかる柴山昌彦である)するなど、「憲法改正に賛成する」といった意に添う人物を登用しはじめたことです。
 「安倍チルドレン」と呼ばれる平成24年(2012年)の総選挙で初当選した自民党議員119人の2回生議員は「魔の2回生」「魔の3回生」と呼ばれ、さまざまな問題をひき起こしています。
 
*1 江戸幕府を倒した新政府軍のスローガンは、「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」でした。
 「神武天皇」とは、「多くの神々を統合した日本国の創始者」とあるように、実在した人物ではなく神話です。
 もともと、京都御所にあった天皇家の仏壇(御黒戸(おくどろ))には、神武天皇の位牌はなく、神武天皇を含む初期の天皇たちは、天皇家の祖先供養の対象になっていませんでした。
 つまり、突如として、天皇家に「神武天皇」が表れたのは、明治政府以降です。
 645年6月12日の「乙巳の変」にはじまる一連の国政改革(狭義には大化年間(645年-650年)の改革のみを指し、広義には大宝元年(701年)の『大宝律令』の完成までに行われた一連の改革を含む)が『大化の改新』で、この改革により、豪族中心の政治から天皇中心の政治へと移行したと考えらえれ、「日本」という国号、「天皇」という称号が正式なものになったとされています。
 この改革の中心人物の中大兄皇子と中臣鎌足が、皇極天皇を退位させ、皇極天皇の弟(孝徳天皇)を即位させ、この孝徳天皇即位を持って、新たな時代のはじまり、つまり、日本ではじめての元号「大化」が定められました。
 つまり、孝徳天皇以降が、日本国としての天皇史がはじまります。
 その後、「葦原中つ国を天皇が支配する」ことの“正当性”を示す歴史書としてまとめられたのが、『古事記(712年)』と『日本書紀(720年)』です。
 『日本書紀』は、中国をはじめ国外に対して、日本の歴史(天地開闢(てんちかいびゃく)といわれる世界のはじまり、神々の手によって日本の国が築かれていった神代から、第41代の天皇に数えられる持統天皇(女性天皇)の時代までの歴史)をアピールする目的から中国の歴史書のスタイルに則り、純粋な漢文でまとめられていることから、「国家の歴史書」として、一方の『古事記』は、変体漢文、つまり、仮名がまじった日本ならではの文章で書かれていることから、国内の読者を想定した「天皇家のための歴史書」としてまとめられたと考えられています。
 つまり、新政府軍は、「新政府軍が、江戸幕府を倒し、新政府を打ち立てる”正当性”を示すために、「葦原中つ国を天皇が支配する」ことの“正当性”を示す歴史書『古事記』『日本書記』で記した「天地開闢といわれる世界のはじまり、そして、その神々をひとつにまとめた神武天皇」を倒幕スローガン「神話(神武天皇の時代に戻れ!(神武創業))」とし、明治政府は、このスローガンに準じた国造りをしました。
 「天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅」を抜きに、『大日本帝国憲法』と『教育勅語』の文面は成り立ちません。
 「天照大神の神勅」とは、天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した「天壌無窮の神勅(葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚之隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。)、「宝鏡奉斎の神勅(吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎の鏡となすべし。)」、「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅(- 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。)」の“3つの神勅(三大神勅)”に加え、同段で天照大神が臣下の天児屋命・太玉命に下した「侍殿防護の神勅(願はくは、爾二神、また同じく殿の内に侍ひて、善く防ぎ護ることをなせ。)」、「高御産巣日神の下した神籬磐境の神勅(吾は則ち天津神籬た天津磐境を起樹てて、まさに吾孫の御為に齋ひ奉らむ。汝、天児屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れと。)」を加えた「五大神勅」のことをいいます(『日本書紀』の天孫降臨の段)。
 日本軍将兵は、古代の軍事氏族である「大伴氏(天忍日命(あめのおしひのみこと)の子孫)」に準(なぞら)えています。
 「天忍日命」とは、日本の建国神話「神武東征神話」で、神武天皇と東征に同行した軍隊である久留郡を率いて活躍した武将です。
 そのため、「自由民主党」の保守派と深い関係にある「日本会議」と「神道政治連盟」にとって、日本軍将兵を祭る「靖国神社」は特別な意味を持ちます。
 日本軍将兵が神(天忍日命)であることは、日本の精神医療のあり方にも大きな影響を及ぼしました。
 陸海軍病院などの一部を除き、日本の精神科医療において、砲弾ショック(PTSD)研究が致命的に遅れたのは、神の子孫である日本軍の将兵は、特異な精神疾患とされた「砲弾ショック(PTSD)」を発症してはいけないからです。
 つまり、日本では、「砲弾ショック(PTSD)」の存在そのものが隠され続けたのです。
 「砲弾ショック(PTSD)」は存在しないので、治療のしようがない(必要がない)、つまり、治療に対する研究は行われないことになります。
 結果、日本国内におけるPTSD研究は、欧米諸国から致命的に遅れました。
 そのため、PTSD発症者は、いまだに、専門医につながり難いだけではなく、PTSDの症状や傾向に理解のない精神科医による不適切な治療がおこなわれたり、2次加害として、心ないことばを投げつけられたりすることが少なくありません。
 また、「親の子どもに対する懲戒権(民法822条)」は、明治29年(1896年)の制定から令和4年(2022年)10月14日に削除されるまでの126年間、日本政府がお墨付きを与えてきたわけですから、被虐待体験(逆境的小児期体験)をしてきた人に対する治療、つまり、C-PTSD、解離性障害などの治療体制も整備されていません。
 かつて、「一度入院すると、生きてでられない」と比喩されるなど、日本の精神病院では長い入院生活を余儀なくされます。
 入院患者約26万人、10年以上の入院患者約4万6千人の日本は、世界の中で「精神科病院大国」として知られ、日本の精神科病院の入院ベッド数は、OECD(経済協力開発機構)加盟38ヶ国にある精神科の入院ベッド数の約4割を占めています。
 平成26年(2014年)、厚生労働省の患者調査では、認知症を含む精神疾患を抱える患者は全国で約392万人と推計されています。
 この数字は、同年10月1日現在の人口1億2708万人の3.09%、人口1万人あたり309.81人(54.3人の増加)、100人に3.10人(0.54人の増加)です。
 うつ病、双極性障害(躁うつ病)などの気分障害、統合失調症(精神分裂病)、不安障害、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、てんかん、薬物・アルコール依存症などの患者数は、顕著な増加傾向にあり、6年前の平成20年(2008年)に比べて68.7万人と激増し、その増加率は1.21と約20%に及びます。
うつ病や双極性障害(躁うつ病)などの気分障害がもっとも多く112万人(16.2万人の増加、増加率1.26)で、続いて、統合失調症(精神分裂病)で77万人(5.7万人の増加、増加率1.08)となっています。
なお、全体の精神疾患患者の約40%(156.8万人)が、「子育て世代」ともいえる25-54歳が占めています。
 このことは、「ヤングケアラー」の問題と深く関係します。
 すべての原因は、歴代の保守派の日本政府が、126年間にわたり、「親の子どもに対する懲戒権(民法822条)」を認めてきた、つまり、家父長制の下で、5-6世代の子育てにおいて、「しつけ(教育)と称する体罰(身体的虐待行為)」を認めてきたからです。
 つまり、被虐待体験(小児期逆境体験)者を増やし続けてきたのは、歴代の保守派の日本政府です。
 軍や国民学校(昭和16年(1941年)3月、「国民学校令」を公布し、初等科6年、高等科2年の8年を義務教育)で、体罰が横行したのは、薩摩藩の“郷中”、会津藩の“什”という武士階級子弟の教育法(少年集団をつくり研鑽し合うもので、この両藩は、その厳しさが際立っていた)の流れを汲むものです。
 例えば、戊辰戦争後の明治政府では、薩摩藩士(新政府軍)は軍の上層部、会津藩士(幕府軍)は軍の下士官と立場が大きく異なりましたが、“郷中”“什”の精神は相通じるものがあり、組織統一に大きな役割を果たしました。
 日本社会が、いまだに「気持ちで頑張れ!」「気合で乗り切れ!」「弱音を吐くな!」「歯を食いしばれ!」と精神論、根性論を支持するのは、国民1人ひとりに、この“郷中”“什”の流れを汲む精神教育が深く浸透していたことを物語っています。
 この精神教育は、家庭内教育だけではなく、教師や指導者などによる「しつけ(教育)と称する体罰」、職場などでの「ハラスメント」を容認する“礎”となっています。
 明治政府のもとで、学校教育に従事してきたのは、いうまでもなく武家出身者で、その武家出身者には、儒教思想にもとづく「男尊女卑」、家父長制にもとづく「内助の功」「良妻賢母」の価値観が叩き込まれています。
 とくに、裕福な子女に実施された女子教育は、「内助の功」「良妻賢母」の醸成でしかなく、この流れは、戦後、「家政科(高校、短期大学、大学)」としてひき継がれました。
 女性の大学進学率があがる一方で、その多くが「家政学」を学ぶことになり、「家政学」を学んだ女性の多くが、高度成長期以降の日本社会の中で、「内助の功」「良妻賢母」を支持する大きな役割を果たしました。
 結果、交際相手や配偶者からDV行為を受けても、子どものために耐え忍び、一方で、家を守り私が、しっかり子育てをしなければならないプレッシャーとともに教育的虐待、つまり、「しつけ(教育)と称する体罰」が横行していきます。
 太平洋戦争で喧伝されたスローガンのひとつは、神武天皇が唱えたとされる「八紘一宇」でした。
 「八紘一宇」とは、天下をひとつの家のようにすること、全世界をひとつの家にすることで、「天皇総帝論」、「唯一の思想的原動力」を意味します。
 日本の国家「君が代」の歌詞は、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌と なりて こけのむすまで」で、現代和訳すると、「男性と女性がともに支えているこの世は 千年も 幾千年もの間 小さな砂がさざれ石のように やがて大きな盤石となって 苔が生じるほど長い間栄えていきますように」となります。
 「君が代」の歌詞は、「八紘一宇」を表していることから、「神話の話」であることがわかります。
 この「君が代」の歌詞は、平安時代中期の905年(延喜5年)に奏上された『古今和歌集』に収録されていた「読み人知らず」の歌が元となっています。
 「詠み人知らず」とは、「誰が歌詞を書いたのかわからないが、ずっと昔から歌われていた歌」ことです。
 国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅、教育勅語、靖国神社、君が代、軍歌、唱歌などは、すべて「神話」と関係しています。
 神話、教育勅語にもとづいて学校教育がなされた戦前の日本教育の幾つかは、日本国民に根づき、学校で、地域で、日常生活で、いまもひき継がれています。
 「教育勅語」の全文は、「朕惟(ちんおも)ふに、我が皇祖皇宗(くわうそくわうそう)、国を肇むること宏遠(こうえん)に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民克(よ)く忠に克く孝(かう)に、億兆心(おくてふこころ)を一にして世々其の美を済(な)せるは、此れ我が国体の精華にして教育(けふいく)の淵源亦実(えんげんまたじつ)に此(ここ)に存す。爾臣民父母(なんじしんみんふぼ)に孝に、兄弟(けいてい)に友(いう)に、夫婦相和(ふうふあいわ)し、朋友相信(ほういうあいしん)じ、恭倹己(きょうけんおのれ)を持(ぢ)し、博愛衆(はくあいしゅう)に及ぼし、学を修め、業(げふ)を習ひ、以て知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務(せいむ)開き、常に国憲(こくけん)を重んじ、国法に遵(したが)ひ、一旦緩急(いったんくわんきふ)あれば義勇公(ぎゆうこう)に奉じ、以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こわううん)を扶翼(ふよく)すべし。是の如きは、獨り朕が忠良(ちゅうりゃう)の臣民たるのみならず、又以て爾祖先(なんじそせん)の遺風を顕彰(けんしゃう)するに足らん。斯(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗(くわうそくわうそう)の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうぐわい)に施して悖(もと)らず、朕爾臣民(ちんなんじしんみん)と倶(とも)に拳拳服庸(けんけんふくよう)して咸(みな)其の徳を一にせんことを庶幾(こいねが)ふ。」とあり、辻田真佐憲著『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』によると、この「教育勅語」は、天皇の祖先、当代の天皇、臣民の祖先、当代の臣民の四者で構成され、この四者が、「忠」と「孝」という価値観で固く結びついていると説明しています。
 忠とは、君主に対する臣民の誠であり、孝とは、父に対する子の誠ことです。
 つまり、『 歴代の臣民は、歴代の天皇に忠を尽くしてきた。当代の臣民も、当代の天皇に忠を尽くしている。また、これまでの臣民は自らの祖先に対して孝を尽くしている。当代の天皇もまた過去の天皇に孝を尽くしている。
 ほかの国では、君主が倒され、臣民が新しい君主になっており、忠が崩壊している。それはまた、そのときどきの君主が徳政を行わず、結果的に祖先からひき継いだ王朝を滅ぼしたという点で、孝も果たせていない。ところが、日本は忠孝がしっかりしているので、万世一系が保たれている。 』という意味です。
 「教育勅語」の内容は知らなくても、日本人の仕事観(自らを犠牲にしてでも、会社のため、組織のため、学校のため、恩師のためと自己犠牲をいとわない。結果、休暇をとらない、長時間労働・低賃金に不満をいわない)、日本人の道徳観(親の孝行を善とし、強要する(学校園の行事(親宛の手紙を書かせるなど)で「育ててくれて、ありがとう」「産んでくれて、ありがとう」といわせるなど)など、身近な価値観として醸成されています。
 海外の人が、日本人の特性を示す「礼儀正しい」「親切」「勤勉」「盾突かない」「規律的」などは、「教育勅語」の“教え(教育)”が、いまも国民にひき継がれていることを意味します。
 それは、“国民性”と呼ばれるほど、無自覚な価値観であり、行動規範となっています。
 権力者を賞賛し、褒め称え、「盾突かず」、権力者には気を使い、忖度し、しかも、低賃金・長時間労働に不平もいわず辛抱し、「忠義」を示します。
 一方で、こうした保守の定めた行動規範(枠組み)から外れる者、例えば、病気や障害を負い働けない者、学校に通学しない者、親に心配をかけたり、親の面倒をみたりしない者、子育てにすべてを注がすに仕事をする者、子どもの産まない者、そして、権力者に従順ではなく、歯向かったり、意を唱えたりする者などに対し、非常ともいえる冷酷な態度をとるのも日本人の特徴です。
 そして、保守派の政治家の特徴、つまり、日本の政治の特徴です。
 「行動規範(枠組み)に従い、はみでること(例外)は絶対に許さない!」、「やり直し、再チャレンジも許さない!」と徹底的に叩き、排除します。
 つまり、日本社会では、「よい考えがあれば、たとえ急でも、古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」と考えるリベラル(革新)的な価値観の人は、徹底的に叩かれ、排除されます。
 この「リベラル(革新)」的な価値観の根底にあるのが、「人権」です。
 「人権」は、日本の保守派が絶対に認めようとしない価値観です。
 なぜなら、保守派が求めているのは「儒教的道徳観」で、「人権」とは相反する考えだからです。
 実質的に、「人権」が認めていないような国において、『世界人権宣言』にもとづく「いかなる理由があっても暴力は許されない」といった考え方は受け入れられません。
 このことは、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)を受けた被害者の存在は、軽視されることを意味します。
 令和5年(2023年)6月9日、強制送還の対象となった外国人の長期収容解消をはかることを目的とし、難民認定の申請中は強制送還を停止する規定を改め、難民認定の申請で送還を停止できるのは原則2回までとする「改正出入国管理及び難民認定法(案)」は、参院本会議で可決し、成立しました。
 『出入国管理及び難民認定法』は、平成11年(1999年)の改正で、不法在留罪の創設、退去強制された者に係る上陸拒否期間の伸長、再入国許可の有効期間の伸長など、平成13年(2001年)の改正で、サッカーワールドカップの開催に向けたフーリガン対策等としての上陸拒否事由及び退去強制事由の整備など、平成16年(2004年)の改正で、在留資格取消制度の創設、仮滞在許可制度の創設、出国命令制度の創設、不法入国罪等の罰則の強化など、平成17年(2005年)の改正で、人身取引議定書の締結に伴う人身取引等の定義規定の創設等、密入国議定書の締結等に伴う罰則・退去強制事由の整備など、平成18年(2006年)改正で、上陸時における個人識別情報の提供義務付け、自動化ゲートの導入、一定の要件に該当する外国人研究者及び情報処理技術者を在留資格「特定活動」により受け入れる規定の整備など、平成21年(2009年)の改正で、在留カード・特別永住者証明書の交付など新たな在留管理制度の導入、外国人登録制度の廃止、在留資格「技能実習」の創設、在留資格「留学」と「就学」の統合、入国収容所等視察委員会の設置など、平成26年(2014年)の改正で、在留資格「高度専門職」の創設、船舶観光上陸許可の制度の創設、自動化ゲート利用対象者の拡大、在留資格「技術」と「人文知識・国際業務」の統合、在留資格「投資・経営」から「経営・管理」への変更、PNR(Passenger Name Record;航空会社が保有する旅客の予約情報)に係る規定の整備など、平成28年(2016年)の改正で、在留資格「介護」の創設、偽装滞在者対策の強化のための罰則・在留資格取消事由の整備など、平成30年(2018年)の改正で、在留資格「特定技能1号」「特定技能2号」の創設などと、年々、難民(外国人)の管理を強化し、難民(外国人)の排除姿勢を鮮明に打ちだしてきました。
 これらは、すべて、安倍政権以降のできごとです。
 つまり、安倍政権以降、『出入国管理及び難民認定法』を改正し続け、監視を強化し、排除姿勢を鮮明にしてきたのは、新政府軍のスローガン「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」は、神武天皇からはじまる日本の建国に立ち返ることから、そこには、「難民(外国人)は存在しない」からです。
 遺伝子学(骨格など)では、本土日本人は、大陸や南シナ海経由で日本島に辿りつき、住みついた人類(原アジア人)が、縄文・弥生時代(弥生人)を経て、いまに繋がる本土日本人となったことがわかっています。
 弥生人は、アイヌ、琉球人(沖縄人)と別れ、本土日本人は、大宝元年(701年)、『大宝律令』の完成前の4-7世紀ごろに住み着いた多くの渡来人(朝鮮半島(主に百済)、中国/原アジア人から大陸に住みついた北東アジア人)と交わり、いまに繋がる本土日本人ができあがりました。
 遺伝子学では、弥生人の流れを汲むのはアイヌ、琉球人(人)で、彼らは、オーストラリアのアボリジニ、北アメリカ大陸のインディアン、エスキモー、アレウトなどの先住民族と同じ凄惨な迫害・殺戮の被害を受けました。
 神話の存在しない神武天皇が日本建国の祖と考える人たちは、この事実を否定し、純粋の日本人でない人たち、つまり、外国人(難民)を受け入れようとせず、差別・排除しようと躍起になります。
 日本は、強固な神話国家に立ち返る、いよいよ危ない域に達してきました。

*2 明治政府が「国民皆兵(明治6年(1873年)の徴兵令発布)」を進め、欧米の国々に対抗するため、経済を発展させ、軍隊を強くする「富国強兵」を目指し、一気に「軍国化」を進めるためには、この教えを自分たちに都合のいいストーリーに仕上げる必要がありました。
 この国家キャンペーンを先導したのが、佐賀藩出身で日本の法典編纂を主導した江藤新平です。
 このときにつくられた学制、兵制、税制は、現代の基礎となっています。
 明治政府が目指した「国民皆兵」「富国強兵」には、学制、兵制、税制改革は不可欠で、そのうえで大きな役割を果たしたのが「家父長制」です。
 その「家父長制」のもとで、武家社会の思想の「男尊女卑(儒教思想)」、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」を浸透させました。
 つまり、「男性は皆兵、女性は家を守る」という家庭内での役割の明確化にすることで、国民に「国民皆兵」「富国強兵」のために一致団結、士気高揚を目論んだわけです。
 江戸時代の総人口約3000万人中、武家の人口は、「7%」の210万人でした。
 明治政府は、僅か「7%」の武家社会の思想の「男尊女卑(儒教思想)」、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」という価値観を、軍国化を進める中で、国家プロジェクトとして大々的なキャンペーンを通して、国民に浸透させていきました。
 結果、家父長に絶大な権力が与えられました。
 「内助の功」とは、「家庭において、夫の外での働きを支える妻の功績」のこと、つまり、「夫(男性)が働き、妻(女性)は家で家事をする」ということです。
 「良妻賢母」とは、「良妻とは、夫(男性)に従い、サポートを惜しまない貞淑な妻のこと、賢母とは、子どもの教育やしつけをしっかりできる賢い母のこと」をいいます。
 日本社会において、性別にかかわらず、この「家父長制」「男尊女卑」「内助の功」「良妻賢母」という価値観を肯定する人と肯定しない人では、男女の役割(ジェンダー観)の捉え方は大きく違ってきます。
 この“保守的”な価値観を支持する人たちは、この価値観を「日本古来の」「昔からの」という表現をよく使いますが、この価値観は、明治政府が“神武創業”のもとで「富国強兵」「国民皆兵」、つまり、軍国化を進める国家的なキャンペーンにより国民に浸透させたもので、「日本古来の価値観」でも、「昔からずっとそうだった」わけでもありません。
 この国家的なキャンペーンの期間は、いまから149年前の明治6年(1873年)の『徴兵令発布』の制定から、いまから77年前の昭和20年(1945年)8月15日の太平洋戦争の敗戦までの約70年です(令和5年(2022年)6月現在)。
 つまり、約70年間続いた国家的なキャンペーンの影響が、77年経ったいまも残り続けていることになります。
 その国家的なキャンペーン、つまり、その思想教育がどれほど凄まじいものだったのかがわかります。
 江戸時代268年間(1603年-1868年/1871年)は、「夫を支える妻」という“構図”は、日本の総人口約3000万人中、「7%」の210万人(江戸300藩、1藩平均700人程度(実際は大小かなりの差がありました))に満たなかった「武家」などに限られたものでした。
 つまり、2,790万人の人々には、「夫を支える妻」という“構図”はありませんでした。
 明治政府以降の国家的なキャンペーンは、この2,790万人に対する思想教育と捉えることができます。
 では、「武家」について、少し説明します。
 平安時代中期((900年ころ以降)/平安時代(794年-1185年))になると、官職や職能が特定の家系に固定化していく「家業の継承」が急速に進展し、軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称を「武家」というようになりました。
 約450年後の江戸時代では、「武家」は、武家官位を持つ家系のことを指すようになりました。
 当初、武家で求められた女性像は、家庭的であると同時に、男性よりも勇敢で、決して負けないというものでした。
 武家の若い娘は感情を抑制し、神経を鍛え、薙刀を操って自分を守るために武芸の鍛錬を積むことになりました。
 ところが、時代の変遷により、武家の女性たちが音曲・歌舞・読書・文学などの教育が施されるようになり、それは、父親や夫が家庭で憂さを晴らす助けとなること、つまり、武家の女性が担う役割は、普段の生活の中に、女性たちが音曲・歌舞・読書・文学などで“彩”と“優雅さ”を添えることに変わっていきました。
 少しくらいの高い武家の女性は、現代に例えると、「幼少期から薙刀(剣道)などの武術を身につけ、琴、ピアノやバイオリン、日本舞踊やバレエ、茶、生け花などを習い、それぞれ師範レベルの技術を身につけ、和歌や書道を習い、同時に、進学塾に通い、偏差値の高い大学に進学し、人に教授できる教養を身につけなければならない」という凄まじさです。
 しかも、武家の女性が、「家庭で、男性の憂さを晴らす」という役割には、男性を性的に喜ばす行為も含まれます。
 それが、武家の妻が夫を「もてなす(待遇する、応対する、世話する)」ということです。
 つまり、武家では、娘としては父親のため、妻としては夫のため、母としては息子のために、「献身的に尽くす」ことが女性の役割とされました。
 「男性が忠義を心に、主君と国のために身を捨てる」ことと同様に、「女性は夫、家、家族のために自らを犠牲にする」こと求められました。
 つまり、武家の女性は、自己否定があってこそはじめて成り立つような、夫をひき立てる役割を担わされました。
 この役割が、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」です。
 いまだに、日本社会における“男らしさ”は、国と職場のために身を捨てて働くことを意味し、“女性らしさ”とは、男性、夫、子ども、家族のために自らを犠牲にして尽くすことを意味します。
 これらの認識は、“性差別”そのものです。
 2020年のオリンピック誘致の最終プレゼンテーションで使われた「おもてなし文化」は、この武家の女性に求められた自己犠牲により成り立つ「内助の功」「良妻賢母」にもとづき、それが、遊郭などの風俗文化にとり組まれていったことに由来します。
 終戦してから13年後の昭和33年(1958年)に『売春防止法』を施行するまで、「公娼制度」は存続し続けました。
 その日本独特の「公娼制度」は、「内助の功」「良妻賢母」で示される武家の女性が男性をもてなす保守的な価値観が深く関係し、このことが、売春を禁止する法律があっても、買春を禁止する法律が存在しない要因の背景になっています。
 鎌倉幕府が、公的な宴席での接待役に遊女を招集し、管理する「遊君別当」を設け、室町幕府は、「傾城局」を置き、宿駅などの傾城(遊女)を統轄しようとしたことが、日本の「公娼制度」のはじまりです。
 その後、豊臣秀吉が大阪に最初につくったとされる「遊郭」などは、公的に認められた特定の場所に設け、その営業権を保証したことで、「公娼制度」は制度的に確立しました。
 「公娼制度」とは、特定の売春、接待行為を公的に保護し、特別の権益を与える制度のことです。
 日本独特の遊郭文化、つまり、遊女が歌を詠み(読み書き)、楽曲、歌舞ができたのは、政権交代で、身を落とした公家、武家の女性が遊女になったからです。
 武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」は、武家の枠をでた「遊郭」で、女性が、男性をもてなし、喜ばすという「日本特有のおもてなし文化」の礎となってきました。
 つまり、武家(家父長である男性)の客人を武家の妻と女性がもてなす作法が、「遊郭」で客(男性)をもてなす作法となり、それが、宿屋や店で客をもてなすようになりました。
 家父長的で、保守的な価値観を支持する人にとって、それは、いうまでもなく、「女性が男性をもてなす」ことです。
 それに反する女性は、「女性らしくない」「生意気だ」「女性のくせに、態度がでかい」などと非難されます。
 武家の女性が「遊郭」に流れた主な政権交代は、安土桃山から江戸、江戸から明治の2回です。
 明治政府は、この「公娼制度」を廃止することなく、太平洋戦争(第2次世界大戦)に敗戦後も赤線地帯として残り、終戦してから13年後の昭和33年(1958年)に『売春防止法』を施行するまで、「公娼制度」は存続し続けました。
 古今東西、勝利した剣闘士、功績をあげた兵士に奴隷(敗戦した国々)の女性をあてがったように、明治、大正、昭和前期にわたり、日本政府は、明治政府が進めた「国民皆兵」としての兵士(男性)に女性をあてがう仕組みを残し続けたことになります。
 驚愕なのは、太平洋戦争の敗戦から僅か3日後の昭和20年(1945年)8月17日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿は、直ちに、警視総監の坂信弥に「米軍相手の売春施設をつくるように。」と命じたことです。
 2週間後に40万人の占領軍上陸を控える中で、「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」が設立され、RAAは、使命を忠実に達成するため、真先に開業したのが「慰安所」です。
 「慰安」とは、本来、セックスを意味することばではなく、心をなぐさめ、労をねぎらうことです。
 つまり、武家(家父長である男性)の客人を武家の妻と女性がもてなす作法(おもてなし)は「慰安」そのものです。
 ところが、日本政府の考える慰安、つまり、RAAが、忠実に達成しなければならない使命とは、「進駐軍将兵の慰安で、なによりも重視したのが、セックスで満足させる」ことでした。
 敗戦国日本は、「左側通行から右側通行に替えるには、全国に設置されているバス停を移動させる必要があり、いまの日本にはその金はない」と「GHQ(正確には、連合国軍最高司令官(マッカーサー)=SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers)に付属する組織である総司令部(General Headquarters)のことであるので「連合国軍最高司令官総司令部」)」に回答するほどの財政難であったにもかかわらず、進駐軍将兵向けの「慰安所」をつくるために、霞が関、つまり、外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁などの主要官庁が動き、3300万円(現在の価格に換算すると10億円を超える)をだしたのです。
 このときの座長役は、大蔵省主税局長の池田勇人(のちの首相で、在任日数8位)です。
 同じ敗戦国のドイツ、イタリア、あるいは、ソ連に占領された東ヨーロッパの国々では、占領軍を相手にする売春婦は大勢いましたが、国が号令を発し、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国は、世界の中で日本だけです。
 そして、組閣から10日後、ポツダム宣言の受諾(8月14日)から13日「後の同年8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第1号」として、「小町園」を開店しました。
 このとき、「小町園」に集められた女性は、50人です。
 豊臣秀吉が「遊郭」を設けたのを機に確立した日本の「公娼制度」は、敗戦から13年後の昭和33年(1958年)に『売春防止法』の制定で、その歴史に幕を下ろしましたが、家父長制のその概念・価値観は残り続けてきたように、この流れは、トルコ風呂(ソープランド)にひきつがれました。
 いまでこそ、宿泊先のホテルにコールガールを派遣することが主流になりましたが、料亭での会食やゴルフの接待と同様に、「トルコ風呂(ソーブランド)」は、取引先への接待として利用されるなど、「遊郭」が担ってきた一部の役割はいまも残り、デリバリー型性風俗など、その形態は多様化しています。
 日本では、金品を支払い性行為する買春行為は、『売春防止法』でとり締まられますが、罰則はなく、逮捕されることはありません。
 唯一の例外は、平成11年(1999年)11月26日に制定された『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』の対象となる児童、つまり、18歳未満の児童に対し金銭を支払い、性行為等を行ったときは、同法の「児童買春罪」、「児童福祉法」違反、「青少年保護育成条例」違反などが適用できます。
 また、18歳未満の児童を買春し、裸や下着などの写真を撮影したときには、同法の「児童ポルノ製造罪」を適用できます。
 この撮影には、買春者が撮影するケースに加え、18歳未満の児童に撮影させ、送信させることも含まれます。
 また、出会い系サイトなどのSNSに、18歳未満の児童に対し、売春を促すような書き込みをしたときには、性行為に至らなくても、『インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律(出会い系サイト規制法)』)を適用できます。
 日本では、買春行為が法的に禁止されているのは、あくまでも18未満の児童に対する買春行為に限定されています。
 一方で、欧州では、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、北アイルランド、フランスが採用している「北欧モデル」の他、イギリスが、買春を禁止、買う側は罰せられます。
 「北欧モデル」とは、根本的な人権侵害である売買春の社会的廃絶に向けた法体系で、a)売春店の経営、売買春の周旋、売買春から第3者が利益を得ることなどを禁止すること、b)買春行為をも処罰の対象とすること、c)売春者を処罰せず、離脱(足抜け)に向けて社会的・医療的・経済的等々の支援を提供することという3つの柱にもとづいています。
 例えば、「北欧モデル」を採用しているフランスでは、性関連サービスに対価を払った者には罰金1500ユーロ(約18万円)、再犯者に対しては最大で3750ユーロ(約46万円)の罰金を科し、性労働者の窮状について学ぶ講習会への出席を義務づけています。
 また、売春産業から抜けだしたい外国人の性労働者には、半年間の在留許可を与え、売春防止のために補助金を拠出しています。
 人権解釈の乏しい日本では、こうした「北欧モデル」とほど遠い状況です。
 いまの日本に通じる近代国家としての礎をつくりあげ、家父長制、軍事国家下で日本の男性が求める「慰安」として、女性や妻は、夫や男性をセックスで満足させるという考え、価値観をつくりあげたのは、いうまでもなく明治政府で、その流れは、「藩閥政治(反政府軍の薩摩藩、長州藩の主流2藩に加え、肥前藩(佐賀藩)、土佐藩の4藩)」として、いまにひき継がれています。
 この理解なく、日本の人権問題としての「ジェンダー」認識、人権侵害行為としての差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなど日本特有の人権問題を考えることはできません。 



 では、今回(令和5年(2023年)6月16日)に可決、成立した「刑法改正(案)(性犯罪の規定を見直し)」について考える前に、かなり長くなりますが、『手引き(新版2訂)』の「はじめに。」の記述文を引用、リライトし、各「委員会」の勧告に対する保守政治の姿勢、保守政権下での法改正のとり組みと課題について考えていきたいと思います。


1.保守政権による日本の国造り。人権解釈は存在しない
 市民が生活をしている国の政府が、「人権」をどのように考えているのか、そして、批准・締結した『条約』に添った『国内法』に改正していたり、新たに新法を制定したりしているかは、その国で生活する市民の生活のしやすさ、楽しさ、生きやすさ、心の豊かさ、生き難さ、苦しみ、ツラさ、哀しさ、やるせなさ、心の貧しさに直接影響を及ぼします。
 人権・社会問題と距離を置き、政治に無関心、つまり、政党、政党の後ろ盾となっている支持母体の団体や支援者、そして、政治家に対して無関心であることは、その国で生活する市民として、生活の楽しさ、生きやすさ、心の豊かさ、生き難さ、苦しみ、ツラさ、哀しさ、やるせなさ、心の貧しさと向き合うことを放棄することを意味します。
 まず、政治を理解するうえで、政治家の思想・信条を避けることはできません。
 ここでは、日本政治の中枢としての“保守”、太平洋戦争に敗戦後の国造りの中での資本主義、社会主義、共産主義といった政治的な思想闘争、その思想闘争が終わりを迎えたあとの1970年代後半以降の異質な日本保守政治の弊害について考えていきます。


1) 保守の「いままで(あのときまで)の」と『世界人権宣言』
 「いままでの伝統や文化や考え方、社会を維持していく」、つまり、「昔からのやり方に従うのがあたり前だ!」と考え、行動する人が、保守的な価値観の人です。
 この「いままで通りに変えることはない」と考える保守的な人たちに対し、「よい考えがあれば、たとえ急でも、古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」と考える人が、リベラル(革新)的な価値観の人です。

a) 日本の異質な保守、国民が無自覚な全体主義
 「道徳(儒教思想としての道徳)」を尊重し続ける日本は、全体主義的な日本は、この「いままで通りに変えることはない」との考える人が多く、「古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」と大きく大胆な変革を試みることはなく、世間体(加盟国としての国連、条約批准国としての建前)を考え、必要最低限の範囲(小手先)で少しだけ変えようと目論みます。
 「全体主義」の特徴のひとつは、国家権力により恣意的に構築された「世界観」「物語」「イデオロギー(社会のあり方などに対する考え方、人の行動を左右する考え方や信条)」が、国民に共有されているということです。
 日本に例えると、「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」をスローガン(世界観と物語)に倒幕を果たした新政府軍、つまり、明治政府が、「富国強兵」「国民皆兵」を国民に浸透させるためにとり組んだ「家父長制度」を軸(「国民皆兵」「富国強兵」には、学制、兵制、税制改革は不可欠で、その学制、兵制、税制改革を進めるうえで大きな役割を果たしたのが「家父長制」)にしたさまざま価値観(イデオロギー)です。
 「国民皆兵」「富国強兵」の実現に不可欠だった学生、税制は、いまの教育制度、税制、社会保障の基本としてひき継がれ、その社会システムの構築に重要な役割を果たした家父長制の精神は、いまも多くの日本の家庭にひき継がれています。
 そういった意味で、太平洋戦争に敗戦から77年経過した日本のいまは、軍事国家としての全体主義に至っていないけれども、国民の圧倒的多数は、無意志下で全体主義にとり込まれている状況といえます(令和5年(2023年)7月現在)。
 この「全体主義国家」は、国家権力を掌握しなければ成立しません。
 なぜなら、権力を独占しなければ、“全体”の目的のために国民を動員することはできないからです。
 母方の祖父岸信介元首相、大叔父佐藤栄作元首相、父安倍晋太郎元外相の意志(藩閥政治、ナショナリズム)をひき継いだ安倍晋三元首相の下で進められたことは、一つは、支持母体の政治団体と支援者の個人的な目的(利益追求)に積極的に手を科すことと、日本のイデオロギー(美しい国造り)を示し、それを国民が共有する(愛国心の醸成)のために、特別な位置づけとしての「道徳」の授業の実施し、個人ではなく「全体」の目的のために行動する国民づくりにとりかかりました。
 「道徳」の授業は、戦前戦後を通じて、日本国民に慣れ親しんでいることから、家父長制に大きな役割を果たしていること、その家父長制が全体主義につながっていることに対し、日本国民は、驚くほど無自覚です。
 それどころか、若い世代ほど、皆と同じでない、皆より飛びでた個性を持つことに対し、異常なほどの恐怖心を示します。
 つまり、皆と違うことに怖れを覚え、皆と同じであろうとすることは、全体主義につながっています。
 日本国民は、無意識下で全体主義の一員にとり込まれています。
 そうした中で、第2次安倍政権は、「専守防衛」の建前さえ捨て、他国のために戦争する「集団的自衛権」を容認するなど、日本を「戦争する国造り」のための法整備を進めました。
 この「集団的自衛権」については、多くの憲法学者・弁護士が「憲法違反」と訴えるも「政府」は、その声(訴え)を無視し、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利と都合よく解釈して、強行しました。
 第2次安倍政権樹立後、平成25年(2013年)12月に『特定秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)』、同27年(2015年)9月に『平和安全法制整備法(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律)』と『国際平和支援法(国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律)』、いわゆる『安保法制(戦争法)』を捻じ込み、同29年(2017年)6月に『共謀罪(テロ等準備罪)』を押し通し、いま着々と準備を進めているのが、「1-2)」で詳述している「緊急事態条項に関する憲法改正」です。
 そして、いま、連日メディアを賑わしている「マイナンバーカード」については、平成25年(2013年)5月『行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(番号法)』が成立、同28年(2016年)1月1日、「社会保障・税番号制度(国があらゆる個人情報を紐づけ、12桁の個人番号で管理する「マイナンバー(個人番号)制度)」を導入、令和3年(2021年)9月に「デジタル庁」を発足させ、「健康保険証」機能を「マイナンバーカード」に統合するなど、全国民に「マイナンバーカード」の強制を進めています。
 国家権力を持つ者たちが、批准・締結国として『条約』の各「委員会」からの勧告を無視したり、『憲法』の専門家が「違反する」との指摘に対し、自分たちに都合がいい自己解釈をしたりする行為は、国の基幹を揺るがし、とても危険です。
 安倍政権は、これらを強行突破させるために、全体主義国家の構築に欠かせない基本手法の「プロパガンダ(マスメディアなどを通じて(味方につけて)特定の思想に誘導する)」、「言論統制(国家への批判や敵国を肯定することなど、特定の言論を禁止すること)」、「暴力による支配(国家に刃向かう(ヤジを飛ばしただけで逮捕するなど)人間を捕らえ罰を与えるなど)」を強め、その意志を継ぐ菅義偉元首相、岸田文雄首相のもとで、「緊急事態条項に関する憲法改正」の実現を目論んでいます。
 日本における「全体主義国家」は、軍がすべてを掌握していた太平洋戦争のときで、「緊急事態条項に関する憲法改正」に該当する『国家総動員法(昭和13年(1938年)4月1日)』を成立させました。
 世界の中で異質な日本の保守、政治家、政党、その支持母体の団体と支援者の考える「いままで(あのときまで)」は、太平洋戦争に敗戦する前の日本で、その実現を着々と進めています。
 その太平洋戦争に敗戦する前の日本をつくりあげたのは、「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」をスローガンに倒幕を果たした新政府軍、つまり、明治政府です。
 その明治政府は、神武天皇は実在しない「日本の神話(神々を統合した)」を礎に『第日本国憲法』『教育勅語』を制定するなど、日本の国造りをしました*3。
 こうした異質な国家観(神話にもとづく国造り)をひき継ぐ日本の保守派の政治家、政党、その支持母体の団体と支援者の考える「変える必要のないいままで」は、明治政府が構築した社会、つまり、明治政府が、列強強国に対抗するために進めた「富国強兵」「国民皆兵」を国民に浸透させるためにとり組んだ「家父長制度」を軸にしたさまざま価値観です。
 「緊急事態条項に関する憲法改正」を成し遂げ、「戦争する国造り」に不可欠なのは、いうまでもなく「家父長制」です。
 このイデオロギーとしての「家父長制」は、儒教思想としての「道徳」の授業、絵本・童話などを介し、戦前、戦後を通して、日本国民の心(精神)に確実に、深く浸透しています。
 問題は、日本国民の多くが、この事実に無自覚で、無意識下で受け入れていることです。
 人の「男らしさ」「女らしさ」の認知は、生まれ育った家庭環境、コミュニティで、3-4歳までにつくられ、その後、未意識下で(自然に)ステレオタイプとして構築されます。
 日本社会から「家父長制」の価値観がなくならない理由です。
 「家父長制」は、第2次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦後に法的にはなくなりましたが、日本は、世界で唯一、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」と法で定めていますが、令和2年(2020年)には、95.3%の夫婦が「夫の名字」を選択しています。
 このことは、第2次世界大戦後、家父長制はなくなったものの、「家に嫁ぐ」「嫁に行く」などの考えなど、その概念は、いまだに生活様式として深く根づき、その概念と深くかかわる「内助の功」「良妻賢母」という保守的な価値観は、多くの日本国民に支持されています。
 この多くの国民に支持されている「内助の功」「良妻賢母」という保守的な価値観は、儒教思想(道徳)にもとづく、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持ち、父母に孝行することであり、子どもにとっての幸せは、たとえ、暴力のある家庭環境(機能不全家庭)であっても、両親の下で育ち、両親を敬い、孝行することである」に通じるものです。
 この「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」は、明治29年(1896年)の制定から126年経過したいまも残り続け、国連機関から「G7の中でもっとも遅れている。」、「G7の中で、これほどまでに後ろ向きな国は他にない。」と指摘され、繰り返し改善を勧告されている『家族法(民法)』のひとつです(令和5年(2023年)6月)。

*3 詳細は、『(コラム-14)「改正出入国管理及び難民認定法(案)」の可決、成立を受けて、いま、新政府軍が掲げ、明治政府が構築した「神話国家」を考える -保守派のもとでは、DV・児童虐待・性暴力・ハラスメントなどの暴力対策は進まないーhttps://note.com/tasty_murre454/n/nfc48efe571bf』で述べています。

b) 冷たい戦争(冷戦)、西と東
 では、異質な日本以外の国々の保守派の政治家の「いままで(あのときまで)」は、各国の歴史の状況を踏まえる必要があるものの、一般的に、社会構造が大きく変わったときです。
 世界的に共通する社会構造が大きく変わるきっかけとなったのは、ひとつは、第2次世界大戦(太平洋戦争)で、終戦後の30年間、つまり、1945年-1975年(昭和20年-同50年)がその変革期といえます。
 1946年(昭和21年)3月5日、訪米中のイギリスの前首相チャーチルは「鉄のカーテン」演説で、ソ連の東欧諸国囲い込みを批判し、自由主義陣営の結束を呼びかけを機に東西対立が明確になり、「冷たい戦争(冷戦)」ということばは、1947年(昭和22年)ごろから使われはじめました。
 1949年(昭和23)年1月、ソ連・東欧圏諸国は、米国の欧州経済復興計画(マーシャル・プラン)に対抗して東欧諸国を西欧経済から切り離し、東欧経済圏を形成 することをねらいとして、ソ連、ポーランド、チェコ、ルーマニア、ハンガー、ブルガリアの6ヶ国で「コメコン」を発足させ、経済面でも東側陣営のひき締めをはかり、両陣営の対立を明確にしました。
 同年4月、アメリカなど「西側陣営は北大西洋条約機構(NATO)」を結成して、ソ連包囲網の構築を開始しました。
 この「東西冷戦」は、1989年(平成元年)12月、米ソ二大国のブッシュとゴルバチョフ両首脳が地中海のマルタ島でのマルタ会談において「冷戦の終結」を宣言するまでの約44年間続きました。
 もうひとつは、この「東西冷戦の終結」です。
 以降33年間、純粋な社会主義国家、共産主義国家はなくなり、資本主義(自由主義)経済下での社会主義国家、共産主義国家となりました(令和4年(2022年)12月現在)。
 太平洋戦争の敗戦後も「道徳(儒教思想としての道徳)」を尊重し続け、世界的にみると異質な日本以外の国々は、「一人ひとりの人権を尊重する」という概念の導入に大きな舵を切り、それが、社会の変革のモチベーション(動機)となりました。
 1948年(昭和23年)同年12月10日、国際連合(国連)は、人権法の柱石(すべての人民にとって、達成すべき共通の基準)として『世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)』を採択しました。
 この『世界人権宣言』では、第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」、第3条「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」と記述しています。
 ところが、日本では、太平洋戦争の敗戦後に家父長制はなくなったものの、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」の下で、「家に嫁ぐ」「嫁に行く」などの考えなど、その概念は、いまだに生活様式として深く根づき、その概念と深くかかわる「内助の功」「良妻賢母」という保守的な価値観は、いまも多くの日本国民に支持されています。
 この多くの日本国民が支持する保守的な価値観は、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」は、この『世界人権宣言』の第1条の「尊厳と権利とについて平等」に反する(違反する)ものです。
 そのため、国連機関から改善を求める勧告が繰り返されています。
 つまり、保守的な価値観、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」を多くの国民が支持する日本社会は、この第1条の「尊厳と権利」について“不平等”を支持していることになります。
 つまり、日本国民の多くは、男女(ジェンダー)平等は望んでいないことになります。
 本当に、日本国民は、「自身(特に、女性や子ども)の尊厳は認められず、権利は不平等でいい」「男女(ジェンダー)平等は望んでいない」と考えているのでしょうか?
 本当に、日本国民は、日本が「男尊女卑社会」であることを受け入れ(容認し)、結果、日本社会の「ジェンダー観(男女の役割)」に大きな影響を及ぼし、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなど日本特有の人権問題が解決されないことを受け入れているのでしょうか?
 私は、人権・社会問題から距離を置き、政治に無関心な(知らない)だけで、一部の強固な保守的な価値観の人たちを除き、「ジェンダー不平等が解決されない」「人権問題が解決されない」ことを認めたり、受け入れたりしていないと考えています。
 仮に、そうではなく、多くの日本国民が、「市民(特に、女性や子ども)の尊厳は認められず、権利は不平等でいい」と認め、心底、日本特有の人権問題が解決されないことを受け入れているときには、もはや絶望的です。


2) 保守派政党(政治家)の考える「いままで(あのときまで)」とは
 神武創業、藩閥政治の流れを汲み、ナショナリストの岸家3人目の首相となった安倍晋三元首相のもとで、保守化、戦争ができる国造りが一気に進みました。
 「ナショナリスト」とは、「ナショナリズム」を信奉する者のことです。
 「ナショナリズム」とは、自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語で、国家主義、国民主義、国粋主義、国益主義、民族主義とも呼ばれます。
 第1次安倍政権発足時の所信表明演説で、安倍晋三元首相が「美しい国創りを目指す」と決意表明し、その後、民主党から政権をとり戻した第2次安倍政権以降の保守派(日本政権・政治の中枢)の思想には、国家よりも民族中心で考え、政治的な判断を下したり、文化を守ったりする「民族主義」の傾向が強く表れています。
 「美しい国」は、倒幕を果たした新政府軍のスローガン「神武創業(神武天皇の時代に戻れ!)」を意味します。
 政治的な用語ですが、ナショナリスト、ナショナリズム、民族主義、保守、そして、異質な日本の「神武創業(神武天皇の時代に戻れ!)」などを理解できていないと、日本の政治がどこに向かっているのかを正確に知ることはできません。

① 所信表明演説で述べた「美しい国創り」
 平成18年(2006年)9月29日、第1次安倍政権の「所信表明演説」で、安倍晋三元首相は、「美しい国創り」を看板に掲げ、「“美しい国”の繁栄には安定した経済成長が必要」、「“美しい国”の実現には子どもや若者の育成が必要」と述べました。
 この「美しい国創り」こそが、新政府軍のスローガン「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」を意味します。
 自由民主党の保守派の支持団体の「日本会議」、「神道政治連盟」の考える「いままで(あのときまで)」は、「神武創業」をスローガンに倒幕を果たし、明治政府を樹立し、軍国化のために「国民皆兵」「富国強兵」を進める大きな役割を担った「家父長制」、その家父長を権威づける大きな役割を担った「儒教的道徳観」を礎としていた日本です。

② 「道徳の授業」は、家父長を権威づける役割を担う
 「“美しい国”の実現には子どもや若者の育成が必要」ととり組み、「教育再生実行会議」が提言し、“特別の教科”となったのが「道徳」の授業で、小学校が2018年度、中学校が2019年度から実施されています。
 “特別の教科”という意味は、美しい国創りのために、愛国心の醸成を目的と位置づけているからです。
 「男性は、忠義を心に、主君と国のために身を捨てる」、「女性は夫、家、家族のために自らを犠牲にする」というのが、保守派の考える“愛国心”です。
 「男性は、忠義を心に、主君と国のために身を捨てる」という“愛国心”は、「徴兵制の導入」につながります。
 保守派の考える女性に求める“愛国心”は、自己否定があってこそはじめて成り立つような、夫を、男性をひき立てる役割を担う、つまり、「内助の功」「良妻賢母」です。
 “特別の教科”となった「道徳」の授業は、家父長制を権威づける大きな役割を担った「儒教思想」にもとづきます。
 この「儒教思想」は、そのまま「男尊女卑」につながります。
 この流れは、『世界人権宣言』『子どもの権利条約』に添った「人権」、「尊厳」、「保障」とは対極にあります。

③ 藩閥政治。薩摩藩、長州藩、肥前藩(佐賀藩)、土佐藩の4藩が主流の日本
 いまの日本に通じる国の礎をつくりあげたのは、いうまでもなく明治政府です。
 そのメンバーは、スローガン「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」の下で倒幕を掲げた新政府軍の薩摩藩、長州藩の主流2藩に加え、肥前藩(佐賀藩)、土佐藩の4藩がほとんどを占めています。
 これを「藩閥政治」といいます。
 首相の在任日数の上位4人(安倍晋三、桂太郎、佐藤榮作、伊藤博文)は「長州藩」で、9位の岸信介を加えると、「長州藩」の在任日数は9645日(26年5ヶ月、明治18年(1885年)以降137年の1/5(19%))を占め、ここに、5位の吉田茂(土佐藩)、6位の小泉純一郎(薩摩藩)を加えると、上位6人(長州、薩摩、土佐)で、実に15163日(41年6ヶ月、137年の1/3近く(30%))を占めています(令和5年(2023年)7月現在)。
 これだけを見ても、戦前も戦後(いま)も、「藩閥政治」が、日本の政治の中枢であることがわかります。
 「藩閥政治」は、いうまでもなく、明治政府の国造りの礎となったスローガン「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」にもとづく国造りです。
 「藩閥政治」の流れを汲む日本における「いままで(あのときまで)」は、太平洋戦争で敗戦する前の日本社会、つまり、明治政府が構築した日本社会です。
 安倍晋三元首相は、東条英機に近くA級戦犯で逮捕されたものの解放され、政界復帰を果たした祖父岸信介元首相が「憲法改正・再軍備」を唱道した“志”をひき継ぎました。
 それは、太平洋戦争に敗戦する前の日本、「あのとき」をとり戻そうという目論見は「憲法改正・再軍備」に他ならない、つまり、「1-2)第2次安倍政権以降保守化傾向が一気に進み、危険な方向に向かっている」でとりあげた「緊急事態条項に関する憲法改正」を成し遂げることです。
 明治政府がとり組んだ政策の中心は、列強強国に対抗するために進めた「国民皆兵」「富国強兵」で、この「国民皆兵」「富国強兵」には、学制、兵制、税制改革は不可欠でした。
 その学制、兵制、税制改革を進めるうえで大きな役割を果たしたのが「家父長制」です。
 この「家父長制」は、太平洋戦争に敗戦後、廃止されましたが、保守派政党が政権を担い続けた日本社会には、いまも、家父長制にもとづく考え方・価値観が残り続けています。
 明治政府の国造りは、『(コラム-14)「改正出入国管理及び難民認定法(案)」の可決、成立を受けて、いま、新政府軍が掲げ、明治政府が構築した「神話国家」を考える -保守派のもとでは、DV・児童虐待・性暴力・ハラスメントなどの暴力対策は進まない-https://note.com/tasty_murre454/n/nfc48efe571bf』で述べているように、日本の「神話」にもとづく国造りです。
 嘘のような本当の話で、第2次安倍政権下で力を増した保守派の人々は、再び、この「神話」にもとづく国造りを目指しています。


3) 第2次安倍政権以降保守化傾向が一気に進み、危険な方向に向かっている
 国民が、人権・社会問題から距離を置き、政治に無関心な国では、知らないうちに、その国で生活する人たちにとって、さまざまな不都合なこと、危険なことが決まっていきます。
 いま、日本政府と保守派の政治家、その支援母体の団体、そして、支援者たちが、人権・社会問題から距離を置き、政治に無関心な国民の知らないうちに成立させてしまおうと目論んでいるのが、「緊急事態条項に関する憲法改正」です。
 現在進められている「条文案」では、「①武力攻撃、②内乱・テロ、③自然災害、④感染症のまん延、⑤その他、これらに匹敵する事態の発生を前提に、国民生活及び国民経済に甚大な影響が生じている場合又は生ずることが明らかな場合において、当該事態に対処するために国会の機能を維持する特別の必要がある場合には、原則内閣による発議と国会による事前承認を条件に、閉会禁止・解散禁止・憲法改正禁止の効果が発生する」と定めています。
 この「緊急事態条項」は、「国民」を守るためではなく、「国家」「体制」を守るためと、政権に都合のいい解釈(自由裁量)で「憲法をストップ」し、「国民を犠牲にする」ことをいとわなものです。
 大災害が起きたときの対応については、既に、『憲法』に定められています。
 ひとつは『憲法54条2項』で、衆議院が解散しているときに災害が発生したとき、参議院の緊急集会を開き法律や予算を審議・決議できます。
 もうひとつは『憲法73条8号』で、参議院を開くことも難しいとき、内閣が法律の範囲内で罰則付きの政令をだせます。
 また、『災害対策基本法(緊急政令)』では、緊急時、内閣に対して、生活必需品の配給や物の価格の統制など、4つの事項に限定して立法権を認めています。
 「人権」を制限する規定については、都道府県知事の強制権として、救助のための従事命令、施設管理や物資の保管・収用命令など罰則付きで命令できます。
 市町村長の強制権としては、設備物件の除去命令、他人の土地・建物・その他の工作物の一時的な使用・収用、現場の工作物または物件を除去させるなど多々あります。
 つまり、現行の範囲内で十分対応可能で、「緊急事態条項に関する憲法改正」は必要ないものです。
 では、現行の『憲法』などで十分対応が可能で、改正など必要がない中で、なぜ、保守政権、保守政党、その支援母体の団体、そして、支援者は、「緊急事態条項に関する憲法改正」をしようとするのかを知る必要があります。
 自民党改憲案の「緊急事態条項」の第98条(緊急事態の宣言)第1項には「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」として、法律で定めは、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。」と記しています。
 これは、「事後承認でもよく、しかも、承認の期限がない」ことから放置も可能です。
 第99条(緊急事態の宣言の効果)第1項では、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。」と記述しています。
 これは、「国会を無視し、内閣だけで人権を奪う法律をつくることができる」もので、政令を制定できる対象事項の範囲も決まっていません。
 第3項では、「何人も、~国その他公の機関の指示に従わなければならない。」と記述しています。
 これは、「国民は、罰則付きで、内閣の政令に従わなければならなくなる」ことを意味します。
 このことが示すのは、自民党改憲案の「緊急事態条項」は、“いつでも”、“法律で定めさえすれば、どんな理由であっても”、“あらゆる事項について”、“人権制限できる”という大変危険な内容になっているという事実です。
 これは、もはや『授権法』、ナチスドイツの『全権委任法』、日本の『国家総動員法』と同じです。
 1933年(昭和8年)、ドイツで制定された『全権委任法』のもとで、アドルフ・ヒトラーと国民社会主義ドイツ労働者党の政府は憲法改廃権を含む権力を手中にしました。
 また、昭和13年(1938年)4月1日、第1次近衛文麿内閣の下で公布され、同5月5日に施行された『国家総動員法』では、“国家総動員”を、「事変を含む戦時に際し、国の全力を最も有効に発揮せしむる様人的及物的資源を統制運用する」ことと定義し、国家総動員上必要と認められる事柄について、政府が広範な統制を行えるよう定めています。
 自由民主党を筆頭に保守派政党が目論む「緊急事態条項に関する憲法改正」が実現すると、気に入らない政党を禁止にすることも、都合が悪い言論・出版物を禁止にすることも、政府に対して批判的な番組・新聞社を潰すことも、労働組合を解散させることも、政府を批判する者を裁判にかけずに刑務所に入れることも、労働者を戦争に強制的に動員させることも、戦争のために国民から財産を奪うことや外出禁止にすることもできます。
 それに意を唱える声をあげると、いつでも、いくらでも「緊急事態宣言」ができるようにしています。
 例えば、大規模なデモやストライキを口実に緊急事態宣言をすることも可能です。
 しかも、「衆議院解散中」などの時期の限定がないので、いつでも緊急事態宣言ができます。
 つまり、いま、自由民主党を筆頭に保守派政党が手を組み、とりまとめを進めている「緊急事態条項に関する憲法改正(案)」は、政権、内閣の「独裁」を可能とするものです。
 それは、太平洋戦争時と同様に、国民には、政府を批判する正しい情報がまったく入ってこなくなり、政府をチェックすることもできなくなり、どんどん政府が暴走していく可能性を意味します*4。

*4  第2次世界大戦後に長く続いた東西冷戦下では、地政学的に、ソビエト連邦(現ロシア)、北朝鮮、中華民国、ベトナム、ラオスなどがあり、ヨーロッパ(東欧と西欧、中欧)の要所のトルコと同様に、アジア太平洋の要所は、フィリピン、台湾、韓国、日本で、その状況は、いまも変わりません。
 いまから21年前の2001年(平成13年)9月11日のアメリカ同時多発テロ以降、日本政府は、『テロ対策特別措置法』を制定し、自衛隊をインド洋での補給艦による給油活動を実施し、平成15年(2003年)には、『イラク人道復興支援特別措置法』を制定し、自衛隊をイラクに派遣し、イラクでの人道復興支援活動に従事させました。
 こうした自衛隊の海外での活動が広がる中で、平成27年(2015年)、『安全保障関連法』を成立させ、集団的自衛権の行使の一部を容認するなど、近年、日本政府は確実に軍事化を進めてきました。
 一方で、自衛隊の海外での活動が広がる中で、派遣先からの帰還兵(自衛隊員)、東日本大震災の津波被害後の遭難活動に従事した自衛隊員(他に消防隊員など)の多くが、アメリカ軍や多国籍軍の帰還兵と同様に、PTSDを発症し、その併発症としてのうつ病を起因とする自殺者がでています。
 戦争・紛争に自衛隊を派遣する機会が多くなることは、PTSDを発症する帰還兵(自衛隊員)が多くなり、その家族などがDV(デートDV)、児童虐待、性暴力に巻き込まれる機会が増えるリスクが高くなります。
 日本政府は、再び、軍備増強を目指し、行使・保持する防衛力を必要最小限とする「専守防衛」を否定し、抑止力としての反撃能力(敵基地攻撃能力)保有することを明記した「安全保障関連3文書」と閣議決定しましたが、日本には、54基(福島第一、第二原発を含む)の原子力発電所、131ヶ所米軍基地、約160ヶ所の自衛隊の駐屯地があり、これらが標的(攻撃目標)となると、幾ら追撃システムなどの防衛力を高めたとしても、近距離から複数の弾道ミサイルの攻撃を受ければ防ぎようがなく、攻撃を受けると被害は甚大となります。
 つまり、日本は、昭和30年(1955年)、『原子力基本法』が成立し、いまから56年前の昭和41年(1966年)、商業用原発として、日本原電の東海発電所が茨城県那珂郡東海村に建設し、運転を開始し、昭和48年(1973年)の第1次オイルショック、昭和53年(1978年)の第2次オイルショック以降、「エネルギーの安定供給」が重要な国家課題となる中、昭和48年(1973年)、首相の田中角栄(当時)は、国会で「原子力を重大な決意をもって促進をいたしたい。」と述べ、昭和49年(1974年)、「原子力発電所の立地地域への交付金を定める法律」を整備したことで、原子力発電所建設が一気に進みました。
 この間、1962年(昭和37年)10月、ソ連がキューバにミサイル基地建設を進めた「キューバ危機」が起きました。
 このとき、ソ連がキューバに配備しようとしたミサイルは、射程約1800kmの準中距離弾道ミサイル「R-12」、射程約4000kmの中距離弾道ミサイル「R-14」で、ともに、広島に投下された原爆の60倍以上の1メガトンの爆発力を持つ核弾頭を装着できるもので、配備されたときには、ハワイ州とアラスカ州を除く米本土のほぼ全域を攻撃することが可能でした。
 樺太(その海域を含む)がソ連の領土であり、北朝鮮、中華民国(いずれも海域を含む)との距離を踏まえると、この時点(太平洋戦争終結後17年)で、日本は、攻撃目標となり得る原子力発電所の建設の有無にかかわらず、「専守防衛」すら成り立たない国家になっています。
 多くの原子力発電所が建設され、運用をはじめて以降は、日本は専守防衛だろうが、反撃能力を持とうが、いったんことが起これば火だるま、あのときのように焼け野原になります。
 つまり、日本は、「専守防衛」は不可能な国家、「反撃能力」を持つことはあり得ない国家で、地政学的に東西冷戦時もいまも、地政学的に東側の盟主のアメリカの要所でしかありません。
 ロシアがウクライナに侵攻したように、中国が台湾に侵攻したときには、「抑止力としての反撃能力(敵基地攻撃能力)保有する」ことなど意味がなく、米軍基地、自衛隊の駐屯地などあらゆる土地が攻撃のターゲットとなり、再び、戦火に巻き込まれ、海路は閉ざされ、食料、燃料などあらゆる物資がなくなります。
 また、戦時下では、化学物質による「環境汚染」は深刻になります。
 大気汚染、水質汚染などは、発達障害の発症、不妊の原因となっているなど人体や生態系に深刻な影響を及ぼし、温暖化とともに「自然破壊」を促進させ、気候変動は、自然災害をひきおこすだけではなく、生物の生存環境に影響を及ぼし、それは、食料・水源破壊につながり、結果、貧困・飢饉をもたらします。
 貧困・飢餓は、なにより生存が優先されることから、人類の英知として獲得してきた「人権」という概念を無力化させ、無法化させるリスクを高めます。


4) 日本の立ち位置を表す『ジェンダーギャップ指数』『報道の自由度ランキング』
 太平洋戦争の戦前と戦後の政治の中枢にいて、常に、大きな権力を握り続けてきたのが岸家です。
 父方の祖父安倍寛元衆議院議員、母方の祖父岸信介元首相、大叔父佐藤栄作元首相、父安倍晋太郎元外相の意志(神武創業、藩閥政治、ナショナリズム)をひき継いだのが安倍晋三元首相です。
 安倍政権、特に第2次安倍政権を樹立させてから日本政府の政策、国家運営(報道規制など)の保守化が一気に加速しました。
 報道規制などは、報道とは関係がない一般市民の声(訴え)、つまり、反対意見、反対声明に対する規制につながるとても危険なものです。
 第2次安倍政権以降の顕著な報道規制が示されているのが、主に、国際NGO「国境なき記者団(Reporters Without Borders;RWB.本部はフランスのパリ)」が発表する『報道の自由度ランキング』と世界の政財界の指導者が集うダボス会議で知られる世界経済フォーラム(WEF)が発表する『男女格差(ジェンダーギャップ)報告書』です。

① 報道の自由度ランキング
 前者の『報道の自由度ランキング』は、平成21年(2009年)に民主党政権が誕生すると、平成20年(2010年)に17位から11位にランキングをあげましたが、平成24年(2012年)、自由民主党が政権を奪取し、第2次安倍(晋三)政権を樹立し、報道規制がはじまり、状況は一転し、ランキングは一気に下落します。
 平成24年(2012年)-令和2年(2020年)8月28日までを見ると、平成24年(2012)年は22位、同25年(2013年)は53位と就任(12月26日)して僅か4ヶ月で31位下落しました。
 安倍首相は、自分の「言論の自由」を口にする一方で、メディアを恫喝し、国会での虚偽答弁や公文書改ざんが明らかになった「森友・加計学園問題」、招待者リストの破棄まで行われた「桜を見る会疑惑」など、政権を揺るがすスキャンダルが続出した第2次安倍政権下で、安倍首相の側近の萩生田光一筆頭副幹事長(当時)、菅義偉官房長官(当時)、高市早苗総務相(当時)などが、報道機関に干渉・監視を強化していきました。
 同26年(2014年)は59位、同27年(2015年)は61位、同28年(2016年)は72位となり、就任前の22位から順位を50位落とし、同29年(2017年)は72位、同30年(2018年)は67位、同31年(2019年)は67位、令和2年(2020年)は66位で、主要7ヶ国(G7)の中で最下位です。
 その後、菅義偉前首相(令和2年(2020年)9月16日-)の下では、同3年(2021年)は67位、岸田文雄首相(令和3年(2021年)10月4日-)の下では、同4年(2022年)は180ヶ国中71位、同5年(2023年)は180ヶ国中68位で、いずれも主要7ヶ国(G7)の中で最下位です。
 民主党政権前が20位前後、民主党政権で11位、その後、第2次安倍政権が樹立されると、60位台後半-70位第前半となるなど、安倍政権以降の自由民主党が、メディアに対し、なにをしてきたのかが明確に表れています。
 「国境なき記者団(RWB)」は、日本の報道のあり方に対し、「ジャーナリストは、政治的圧力やジェンダー不平等などに対し、政府に説明責任を負わせるという役割を十分に発揮できていない」と批判しています。
 ウクライナへの侵攻が続くロシアは164位、イスラム少数民族ロヒンギャに対する迫害を続けるミャンマーは173位、中国は179位、最下位の180位は北朝鮮となっているように、『報道の自由度ランキング』は、人道・人権問題を抱える国々が下位に位置づけられます。
 他国に対する侵略、人民に対する弾圧など苛烈な人権侵害行為には見えないので、日本国民は、日本政府の人権侵害行為(積極的な対応を試みない行為を含む)には気づき難くなっています。
 しかし、平成元年(2019年)の衆議院選挙中の7月15日、JR札幌駅近くで街頭演説をしていた安倍晋三首相(当時)に対し、北海道県警が「安倍辞めろ!」、「増税反対!」とヤジを飛ばした市民を拘束し排除した行為は、立派な言論弾圧行為です。
 この言論弾圧行為は、1-2)でとりあげた「いま、自由民主党を筆頭に保守派政党が手を組み、とりまとめを進めている「緊急事態条項に関する憲法改正(案)」が成立」したときには、日本国民にとって日常となります。
 「言論弾圧行為」は、いうまでもなく、『世界人権宣言』『人権条約』に反する行為です。
 つまり、第2次安倍政権以降の日本は、市民の「人権」を尊重するつもりはなく、急速に、市民が政治批判をできない危険な国家になりつつあります。
 また、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力に及ぶ行為は、人権を侵害する行為です。
 つまり、これらの人権侵害(暴力)問題に対し、積極的な対応を試みず、野放し状態にする行為もまた、国(政府)の人権侵害行為といえます。
 そのため、これらの人権侵害(暴力)問題に対し、積極的ではない日本政府に対し、『女性差別撤廃委員会』『子どもの権利委員会』は繰り返し是正勧告をだしてきました。
 しかし問題は、日本政府のやり方は、表面上は真綿で首を締めるように緩やかで、日本国民はその問題点に気づき難く、被害を受けた当事者で、理不尽で、ツラく、苦しく、哀しく、やるせない体験をしていなければ、速やかに対策を講じることを求める声(訴え)をあげないことです。
 つまり、日本国民は、人権侵害(暴力)被害の当事者でない限り、暴力(人権侵害)問題に対し、日本政府がその対策に積極的でないことに対して無自覚、無関心、無反応です。
 「暴力行為は人権侵害である」との人権認識が、日本国民の隅々に浸透しない限り、これらの問題解決につながりません。

② ジェンダーギャップ指数
 後者の『男女格差(ジェンダーギャップ)報告書』は、経済、教育、健康、政治の4分野14項目でどれだけ格差が縮まったかを指数化し、国別に順位をつけるものです。
 日本は、初年度の平成18年(2006年)は115ヶ国中80位ともとから低い状態でした。
 4年後の平成21年(2009年)に民主党政権になると、平成22年(2010年)は、前年度の101位から94位とランキングを上げました。
 しかし、平成24年(2012年)、自由民主党が政権を奪取し、第2次安倍政権を樹立すると、ランキングは下がり続けます。
 平成25年(2013年)-令和2年(2020年)までを見ると、平成5年(2013年)は105位、同26年(2014年)は104位、同27年(2015年)は101位、同28年(2016年)は111位、同29年(2017年)は114位、同30年(2018年)は110位、令和元年(2019年)は153ヶ国中121位、同2年(2020年)は146ヶ国中116位、いずれも主要7ヶ国(G7)の中で最下位です。
 その後、菅義偉前首相(令和2年(2020年)9月16日-)の下では、同3年(2021年)は156ヶ国中120位、岸田文雄首相(令和3年(2021年)10月4日-)の下では、同4年(2022年)は146ヶ国中116位、同5年(2012年)は146ヶ国中125位、いずれも主要7ヶ国(G7)の中で最下位です。
 主要7ヶ国(G7)では、ドイツが6位、イギリスが15位、カナダが30位、フランスが40位、アメリカが43位、イタリアが79位で、アジアでは、フィリピンが16位、シンガポールが49位、ベトナムが72位、タイが74位、同じ儒教思想を重んじる韓国が105位、1党独裁国家といえる中国が107位で、日本ははるかに下位に位置しています。
 125位の日本より下位の国々は、ヨルダン、サウジアラビア、クウェートなど中東のイスラム国家が続き、下位3ヶ国は、アルジェリア、チャド、アフガニスタンです。
 日本をはじめ『ジェンダーギャップ指数』の下位の国々は、男尊女卑傾向が顕著で、「女性は政治参加せず、家庭に」といった保守的な社会です。
 日本の『ジェンダーギャップ指数』は初調査の平成18年(2006年)から115ヶ月中80位と下位(30.44%)で、令和5年(2023年)6月の発表では、146ヶ国中125位(下位14.38%)まで順位を落としています。
 このことは、第2次安倍政権以降、「女性参画社会の構築」を重要な政治課題とあげながら、上辺だけの格好のいいことばを並べているだけで、「女性は政治参加せず、家庭に」の姿勢は変えていません*5。
 この「女性は政治参加せず、家庭に」は、日本の女性や子どもは、他国・欧米諸国に比べ、家庭以外の社会的なつながりが限定的であることを意味します。
 このことは、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)被害の当事者となったときに、重要な意味を持ちます。
 なぜなら、家庭以外の社会的なつながりが限定的な日本社会では、家族に相談し難い差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力被害にあったとき、社会的なつながりを介して専門機関につながる機会が閉ざされ、圧倒的多数の人が誰にも相談できない要因となっているからです。
 日本人が、第三者に相談したり、助けを求めたりするのを躊躇するのは、子どものときから社会的なつながりの中で助けられる、守られる経験(体験)をしていないことが大きな要因となっています。
 子どもが、親に助けを求められなくても、自らの体験として、助けてくれる大人がいる、助けを求める子どもを助け、守ってくれる社会であることを見て、聞いて、そこに身を置き、安心感、安堵感を覚える体験をしているか、いないかは、女性と子どもが生活する国のとり組む姿勢が示される問題です。
 この視点に立つと、日本社会は、「ソーシャル・キャピタルが極めて低い」という深刻な問題が存在します。
 これは、歴代の日本政府が、積極的にとり組んでこなかったからです。
 「ソーシャル・キャピタル」とは、「家族以外のネットワーク(社会的なつながり)」を意味し、ボランティアや地域活動への参加など、地域社会での「人との信頼関係や結びつき」を示す概念です。
 平成30年(2018年)、英国シンクタンク「レガタム研究所」は、149の国や地域に対して、繁栄の度合いを経済、教育、安全などの9項目に分けて数値化した「繁栄指数」を発表しました。
 日本の繁栄指数は、健康や安全性などの項目が高い指数を示しましたが、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」の充実度は、149の国や地域の中で99位(下位33.56%)、OECD(経済協力開発機構)に加盟する先進国31ヶ国の中では、下から2番目の30位です。
 最下位のギリシャが、アメリカのRussell Investmentsにより発展途上国に範疇替えさせられているので、事実上、日本は先進国31ヶ国中では最下位です。
 日本は、決して豊かとはいえないガーナなどのアフリカ諸国を下回っています。
 この「日本社会が、ソーシャル・キャピタルがきわめて低い」という現実は、日本では、「圧倒的多数の人が、家族などのコミュニティ以外に居場所を持たない」ことを意味します。
 では、『ジェンダーギャップ指数』を「男性」の視点で捉えてみると、例えば、「国際男性デー」について、日本のメディアがとりあげ、そこで、語られるのは、「男らしさを求められることに生き難さを覚えているか、いないかに終始する」ことです。
 ここに、日本社会、日本国民が、いかに、「男らしさ」、「女らしさ」に固執し(こだわり)、重視している(「ステレオタイプ」的に保守的な価値観に縛られている)かが示されています。
 「ステレオタイプ」とは、多くの人に浸透している固定観念やイメージ、思い込み、概念、思考の型のことです。
 この「ステレオタイプ」的な固定観念、イメージ、思い込みは、就学前の4-5歳ころには身につけます。
 つまり、子どもは、自分が育つ家庭、国や地域、自分が所属する保育園や幼稚園などが、どのような価値観でものごとを見たり、捉えたり、考えたり、行動したりするかを見たり、聞いたり、話したりして、自分がその価値観に適応できているかを常に確認しながら、「ステレオタイプ」をつくりあげていきます。
 「国際男性デー」の目的は、性の関係を改善し、性の平等を促すこと、つまり、コミュニティ、家族、結婚、および、育児に関して男性と男の子への差別に光をあて、その問題にとり組み、解決していくことです。
 こうした「ジェンダー平等」のテーマについて、生き難さという「個人の心のありよう」にフォーカスしている限り*6、ジェンダーギャップ解消に向けた真剣な議論は望めず、結果、「ジェンダー平等」は遠のき、同時に、差別・排除、DV(デートDV)児童虐待(特に、しつけ(教育)と称する体罰)、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)問題に対する解決の道筋は見えません。
 問題は、保守的な価値観の人たちの集まる政党、政権は、「ジェンダー平等」は望んでいないし、「暴力(人権侵害)問題に対する解決」も望んでいないことです。
 日本で、「ジェンダー平等」「暴力(人権侵害)問題に対する解決」を望んでいる人は、まず、この現実を知り、変化をもたらす行動を起こさなければなりません。

*5 「女性は政治参加せず、家庭に」、「「女性の幸せは、結婚し、子どもを持つことであり、子どもが生まれたら仕事は辞めて育児に専念し、育児に余裕ができたらパートタイムの仕事をして家計を助ける」といった保守的で、家父長制が色濃く残る社会(国)の特徴は、男女間に高い賃金格差が生まれることです。

*6 生き難さという「個人の心のありよう」にフォーカスすると、なぜ、ジェンダーギャップ解消に向けた真剣な議論が望めないのか、差別・排除、DV(デートDV)児童虐待(特に、しつけ(教育)と称する体罰)、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)の問題解決に至ることができないのかについては、後述の「1-12)日本政府の「人権」は、「人権」ではなく、巧妙な「人格権」の置き換え」で説明します。


5) OECDの中で最下位、日本の男女間賃金格差
 日本は、平成29年(2017年)、OECD(経済協力開発機構)に加盟38ヶ国の中で、男女間の賃金格差が、韓国の34.6%に続いて、24.5%と2番目に高い国です。
 日本の男女間の賃金格差は、2005年(平成17年)は32.8%で、その後、緩やかな減少傾向にあるものの、欧米諸国は10%台なのに対して、韓国と日本の2ヶ国だけが突出しています。
 韓国と日本に共通しているのは、儒教思想にもとづく家父長制社会です。
 この結果は、家父長制が色濃く残る日本社会では、男性の自尊心を満たすために、女性が高収入を得られる仕事に就くことを奪っていると考えることができます。
 この男女間の賃金格差と「ジェンダーギャップ指数」と深い関係があります。
 ジェンダーギャップ指数で14年連続1位の「アイスランド」は、1972年(昭和47年)2月の「あさま山荘立てこもり事件」後、若者が社会問題と距離を置き、政治に無関心になっていった*7のとは異なり、1975年(昭和50年)、国内女性の約90%が参加したといわれるストライキを機に、ジェンダー平等のとり組みが活発になり、企業役員や公共の委員会の構成員を、男女ともに40%を下回ることを禁ずる「クオータ制(割り当て制)」などが、雇用機会の不平等改善に大きく寄与し、この実現には、誰でもすぐ入園できる保育園や幼稚園などのインフラの充実が支えています。
 2017年(平成29年)1月、世界で最初に、「ジェンダー(性別)による賃金格差を禁止する」法律を施行し、ア)男女の「同一労働同一賃金」を守ること、イ)その証明をし、認証取得することを企業や団体に義務づけ、ウ)違反したときには罰金を科すことができます。という拘束力が強いものです。
 2位の「ノルウェー」は、充実した福祉社会を維持するには、男女かかわらず国民一人ひとりが自立して「納税すること」が最重要事項と考えられているので、男女ともに就労者であると認識されている一方で、ノルウェーの企業では遅くとも16時ころには勤務時間が終了します。
 男性の育児休暇制度も浸透し、家庭では夫婦が分担して家事をし、夫婦で子どもの面倒を見るのが常識となっています。
 介護は政府と自治体が担い、女性の就労継続をサポートするなど、女性の就労継続を阻む「育児」や「介護」などの問題を解消するための制度や意識改善が進んでいます。
 一方で、ジェンダーギャップ指数125位で、男尊女卑傾向が顕著で、いまだに、保守的な価値観「女性は政治参加せず、家庭に」と考える人が圧倒的に多い日本社会において、男女間の賃金格差が、欧米諸国並みの10%台になったときには、日本のDV問題は新たな問題を抱えることになります。
 それは、交際相手や配偶者が、「男性は、世帯一の稼ぎ手でなければならない」という考え方であるとき、その考え方に女性が歯向かったり(違う考えを示したり、意に反する意見を述べたりする行為)、女性が男性よりも稼いだりしたとき、身体的暴力を加えられるリスクが高くなることから、いま以上に、DV(デートDV)案件は増加する可能性が高いということです*8。
 つまり、いま、交際相手や配偶者からDV行為としての精神的暴力が加えているとき、女性の輸入が男性を超えると、精神的暴力だけではなく、苛烈な身体的暴力や意に添わない苛烈な性的暴力(レイプ)に及ぶリスクがより高まります。
 男女間の高い賃金格差が、DV(デートDV)案件の抑止となっている日本社会は健全という意味ではありません。
 家父長制が色濃く残る日本社会では、男女間の高い賃金格差が解消された瞬間、この均衡が崩壊する矛盾を秘めています。
 ここには、均衡が崩壊したときのDV対策、女性と子どもの保護などのシステムの構築にまったくにとり組んでいない現実(支援機関でさえ、この問題に、まったく気づいていないか、問題意識を持っていない)があります。
 日本において、この男女間の賃金格差が社会問題化しない背景にあるのは、いうまでもなく、家父長制による「男尊女卑」、「内助の功」、「良妻賢母」、つまり、「女性は家に!」という認識です。
 その日本における男女間の賃金格差が大きい理由は、ア)正規・非正規の賃金格差と女性の非正規比率の高さと、イ)性別役割の固定化と就社型雇用システムの2つです。
 終身雇用を前提とする正社員雇用を守ろうとすると、非正規雇用との処遇格差が大きくなります。
 終身雇用と表裏一体の「長時間労働」や「会社都合の転勤」は、「男性は会社、女性は家庭」という男女分業(性別役割の固定化)を“前提”としていて、女性の多くが、非正規雇用で働いています。
 非正規労働者の70%近くが女性です。
 欧米においても、非正規雇用が少ないわけではありませんが、ヨーロッパでは、企業横断的に「同一労働同一賃金原則」が浸透していることから、日本と比べて、正規と非正規の賃金格差は大きくありません。
 もうひとつの日本の男女間の賃金格差の原因である「性別役割の固定化」と「就社型雇用システム」は、根が深い問題です。
 女性は、正社員として採用されたとしても、いまだに、結婚や出産を機に退職することが少なくなく、結果、昇格・昇給が抑制されています。
 『改正男女雇用機会均等法』が施行され、採用や昇進・昇格においては表面上(上辺だけ)の差別はなくなりましたが、女性に対する会社の姿勢、社会の捉え方はほとんど変わっていません。
 家父長制が色濃く残る日本社会と日本企業に長年染みついた性別役割分業意識と女性の昇進などに対する「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」は、とても根深い問題です。
 さらに近年、日本の問題の問題として指摘されているのは、女性の昇格・昇給が抑制されていることです。
 平成12年(2000年)と令和2年(2020年)の年間平均賃金額の比率を見ると1.02倍と、この20年間、実質賃金がほとんど上昇していません。
 一方で、他国の実質賃金の上昇を見てみると、韓国は1.45倍と非常に高く、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスは1.2倍程度となっています。
 平成12年(2000年)の日本の実質賃金は3万8085ドルで、世界第5位でした。
 日本の実質賃金は、アメリカの6万1048ドルよりはかなり低く(62.4%)、イギリスの4万6863ドル(81.3%)、ドイツの4万7054ドル(80.9%)、フランスの4万4325ドル(85.9%)と比べても低い一方で、韓国は3万6140ドル(105.4%)で、日本と大差がありませんでした。
 ところが、20年後の令和2年(2020年)になると、日本の実質賃金は3万8515ドルで、アメリカの6万9391ドルに比べ55.5%と、さらに両者の差は、6.9ポイントと広がりました。
 イギリスは4万7147ドル(81.7%)、わずか0.4ポイントの差が縮まったものの、ドイツは5万3745ドル(71.5%)で9.4ポイント、フランスは4万5581ドル(84.5%)で1.4ポイント差は広がり、韓国は4万1960ドル(91.8%)で、日本を逆転し、その差は実に13.6ポイントに及びます。
 いま、日本より実質賃金が低い国は、OECD(経済協力開発機構;ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め38ヶ国の先進国が加盟する国際機関)の中で、旧社会主義国と、ギリシャ、イタリア、スペイン、メキシコ、チリぐらいしかなく、最下位グループに入ります。
 では、なぜ、日本はこの20年間でここまで経済競争力を失ったのでしょう?
 その原因は、第2次安倍政権での「アベノミクス」の実施です。
 「アベノミクス」下で、日本では技術革新が進まず、実質賃金があがらない中で、円安を主導し、賃金の購買力を低下させることで株価をひき上げてきた(一部の大企業と株主だけに利益が得られるシステム)からです。
 正常にマーケットが機能していれば、価格の安い日本製品の輸出が増え、円高になり、その状況は、不均衡がなくなるまで続き、輸出の有利性は減殺されます。
 本来、企業は、円高を支えるために技術革新を実施し、生産性をひきあげなければなりませんが、アベノミクスでは、本質の問題を先送りし、円安を求めました。
 その結果、日本の実質賃金はあがらなくなりました。
 物価が低いことが問題なのではなく、賃金があがらなかった(企業側が賃金をあげるつもりがなかった)ことが最大の問題です。
 賃金があがらず、しかも円安になったことから、日本の労働者は、国際的に見て貧しくなりました。
 この事実は、ほとんどメディアがとりあげないので、多くの日本国民には知られていません。
 株価があがり、物価があがり、経済的な効果があるように見せかけた「アベノミクス」は、実際は、真逆の負の遺産をつくりあげただけです。
 大企業は、賃金を抑える中で株価があがっているので、利益剰余金(内部留保)としての純資産は増加しています。
 にもかかわらず、大問題は、技術革新を進める設備投資をおこなっていないことです。
 利益剰余金は、株式配当に充てられています。
 そのため、「過去最高の利益をだした」「株高が過去最高を更新した」とニュースが伝えますが、社員の給与には反映されていません。
 自社株を所有している経営陣と株主だけが懐を潤し、その潤ったお金が、支持政党、支持する政治家に流れます。
 「お上のいう(やる)ことを信じ」、「皆が苦しいのだから、がまんする(耐え忍ぶ)」という戦時下に植えつけられた(洗脳された)思考・行動パターンは、いまだに、日本国民のものごとの本質を知ることの大きな妨げになっている、その典型的なできごとです。
 加えて、GDP3位の日本の実質賃金が、OECDの中で最下位グループに入っていることを知り、なぜ、そうなったのかを理解している日本国民はどのくらいいるのでしょうか?
 平成8年(1996年)、1人あたりGDPはG7で2位、世界17位でしたが、25年後の令和3年(2021年)になると、1人あたりGDPは、G7では最下位で世界37位、物価変動の影響を除いた日本の実質経済成長率は約1.6%、世界157位と散々な状況となっています。
 日本と同じ主要先進国(G7)では、イギリスが7.4%、フランスが7.0%、アメリカが5.7%などと大きく成長しています。
 1人GDPが世界17位(平成8年(1996年))、G7では最下位で世界37位(令和3年(2021年))で、GNP世界2位(昭和43年(1968年)-)からGNP世界3位(平成22年(2010年))に転落後、3位をなんとか維持できているのは、「低賃金」、「長時間労働」で穴埋め、辻褄を合わせているからです。
 しかし日本は、早ければ、本年(平成5年(2023年))にもドイツに抜かれ、4位に転落します。
 日本は、バブル経済崩壊後、「失われた10年」といわれてきましたが、実は、「失われた30年」で、いまもその渦中にあります。
 20年間、実質賃金があがらない中で、正規と非正規の賃金格差は大きく、勤務する女性の多くが非正規である現実がもたらしたのは、子どもの7人に1人が貧困という現実です。
 日本社会は、いまだに、明治政府が推し進めた男性優位社会(男尊女卑)の下で、「内助の功」「良妻賢母」を支持する人が多数派であり、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持つことであり、子どもが生まれたら仕事は辞めて育児に専念し、育児に余裕ができたらパートタイムの仕事をして家計を助ける」という価値観・人生観が“主流”です。
 こうした“保守的”な価値観は、いまだに、男性だけでなく、多くの女性にすり込まれている価値観・人生観といえます。
 そのため、これがあたり前、普通と問題意識なく受け入れるだけではなく、これが理想、こうでなければならないと強います。
 例えば、職場における「マタニティハラスメント」で、女性が加害者であるとき、いずれ妊娠・出産に至る可能性があるにもかかわらず、こうした価値観・人生観に捉われる中で、休職などに伴う負担を強いられる思いが敵意となり、ハラスメント行為を激化させます。
 これは、企業側で、女性が出産・育児と仕事を両立させやすい職場環境、就労システムを構築することで、その多くは防ぐことができます。
 にもかかわらず、日本の多くの企業はとり組んでいません。
 家庭内や親族内で、男性である夫や祖父、叔父が、女性である妻や祖母、叔母よりも優位であるとき、その中で暮らし、育つ子どもは、この関係性を見て、聞いて、察して、すり込みます。
 きょうだい間における男性の優位性は、同じきょうだいであっても、女の子より男の子の教育にお金をかけたり、常に、男の子の意見を優先して育てたりすることなどに見られます。
 こうした家庭内や親族内での日々の体験は、子どもの心の成長に大きな影響を及ぼします。
 子どものすり込みには、この関係性に潜む暴力性も含まれ、パワーを使い方、パワーの回避する方法など、この関係性下で生活する(生き延びる)“術”を学び、身につけます。
 意識、無意識下にかかわらず、世代間でひき継がれていきます。
 「経済学」の世界では、いま、男女の社会的役割に関する固定観念を覆すような研究が相次いでいます。
 例えば、これまで、男女の賃金格差が生まれる背景のひとつとして、「女性は、生まれつき男性より競争を回避する傾向がある」といわれてきましたが、インドにある母系社会、つまり、女性優位社会での心理学実験では、「女性の方が男性よりも強い競争心を示す」という結果がでています。
 これは、「女性が競争を回避したとしても、それは、社会の中で身につけるものである」ということを意味します。
 つまり、「子育ては母親がすべきだ」というような、従来の「男らしさ」「女らしさ」の考え方はあてにならないということです。
 にもかかわらず、男性が多い社会(コミュニティ)では、露骨な女性差別でなくても、同性の男性を選びがちだという無意識のバイアス(差別・偏見)があり、格差の解消を難しくしています。

*7 「「あさま山荘立てこもり事件」後、若者が社会問題から離れ、政治に無関心になっていった」ことについては、「1-6)-a)『日米安保条約』の締結と安保闘争」で説明しています。

*8 別居令和3年(2021年)3月、男性の「権利意識と暴力行為のつながり」を示す論文が発表されました。
 それは、オーストラリア統計局が10年以上かけて実施した調査結果をまとめた論文で、「男性のパートナーより収入が高い女性は、身体的な家庭内暴力を受ける確率が35%高くなる」、「カップルの収入の半分以上を女性が稼ぐようになった瞬間、その女性が感情的な虐待を受ける確率も20%高くなる」、「感情的な虐待を受けるリスクは、女性が占める収入の割合が大きくなるにつれて高くなる」と述べています。
 調査員のロバート・ビリングと研究所特別会員のインユンジー・チャンは、「年齢、収入、居住国にかかわらず、男性のパートナーより稼ぐ女性は、家庭内暴力を受けるリスクが大幅に高くなる」、「家庭における女性の収入の割合が高くなっても、それが世帯収入の半分以下なら、身体的、及び、感情的な虐待を受ける確率はあがらない」、「男性が不満を感じるのは、世帯一の稼ぎ手になれないときだけ」と指摘し、「一家の大黒柱は男性というジェンダーに関する社会の標準から外れたときだけ、身体的な暴力と感情的な虐待を受けるケースが多くなる」、「この標準に対する意識は非常に強く、広範な人口学的特性にわたり一貫して見受けられる」、「しかし、男性に対する身体的暴力や感情的虐待のケースは増えない」と述べています。
 この論文で示されているのは、「男性が、世帯一の稼ぎ手でなければならない」という考え方であるとき、「それに女性が反する、つまり、女性が男性よりも稼ぐと暴力を加えられるなどのトラブルが生じる」ということです。
 この「権利意識」は、生まれ育った家庭、生活しているコニュニティで構築された“認知の歪み”といえます。


 では、なぜ、日本政府は、『世界人権宣言』『子どもの権利条約』に添い「人権問題の解決」に努力を続ける国々とは異なる姿勢、動きを示すことができるのでしょうか?
 それは、日本国民の多くが、社会問題と距離を置き、政治に無関心だからです。
 少し歴史的な説明になりますが、日本国民は、いつから社会問題と距離を置き、政治に無関心になったのかを見ていきたいと思います。


6) 1970年代、若者が社会問題と距離を置き、政治に無関心に
 第2次世界大戦後、例えば、敗戦国のドイツは西ドイツと東ドイツの2国(第2次世界大戦は、ヨーロッパではもともとドイツとロシアの戦争)に分断され、アジアにおいても、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と韓国(大韓民国)の2国に分断、ベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)の2国に分断されました。
 その後、同じ民族間で、国家統一を目指し、社会主義の北朝鮮が南下し、アメリカが韓国を支援した「朝鮮戦争」、共産主義による国家統一を怖れたアメリカが北ベトナムを攻撃した「ベトナム戦争」が勃発し、大日本帝国の統治下にあった台湾では、中華民国(中国)の施政下に編入(台湾光復)されるなど、アジアはとても不安定な情勢でした。
 不安定な政治情勢の中で、日本においては、保守か革新(リベラル)かではなく、地政学的に、資本主義か(アメリカ・イギリスを中心とした西)、社会主義か(ソビエト連邦を中心とした東)、共産主義か(中華民国)といった思想の選択(思想闘争)が長く続きました。
 それは、主に、昭和26年(1951年)9月8日、日本とアメリカの軍事条約『日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)』が締結され、その関係を推進する人たちとそれに反対する人たちによる思想闘争です。
 「地政学」とは、地理的な位置関係による政治的、軍事的、社会的な緊張の高まりが、その地域や世界経済に与える悪影響(リスク要因)を考えることです。
 日本は、日本海・東シナ海を挟んでロシア、中華民国(中国)、北朝鮮、韓国と対峙し、インド洋につながる南シナ海を挟んで、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、タイ、カンボジア、ベトナムと対峙するなど、極東の地、日本はいうまでもなく、アメリカにとって重要な軍事的な役割を担っています。
 アメリカにとって、日本における社会主義、共産主義に傾倒する人たちは脅威、つまり、排除しなければならない危険な存在でした。
 いま、日本には、北海道から沖縄まで、全国各地に130ヶ所の米軍基地(1024k㎡)があり、そのうち、米軍専用基地は81ヶ所で、他の49ヶ所は自衛隊との共用です。
 日本の主な米軍基地は、三沢空軍基地(青森県三沢市)、横田空軍基地(東京都福生市など)、横須賀海軍基地(神奈川県横須賀市)、岩国海兵隊基地(山口県岩国市)、佐世保海軍基地(長崎県佐世保市)、沖縄の米軍基地群です。
 沖縄の米軍基地郡は、沖縄県の総面積の約8%、沖縄本島では約15%の面積を有し、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の70.27%が集中しています。
 基地以外に、27の水域と20の空域が訓練区域として米軍管理下に置かれ、漁業の制限、航空経路の制限があります。
 米軍管理下に置かれている水域は54,938k㎡で、九州の約1.3倍、空域が95,416k㎡で、北海道の約1.1倍と広大なものです。

a) 『日米安保条約』の締結と安保闘争
 昭和25年(1950年)6月25日、朝鮮半島で戦争が勃発し(朝鮮戦争)、同年、中華民国では、日中先行以降、アメリカの援助を受け内戦の優勢を保っていた「国民政府」が、大規模な軍事的敗北(1948年)を喫し、海南島陥落により中国本土の拠点をすべて失い、中国本土から台湾へ移転するなど激動のアジア情勢のもとで、昭和26年(1951年)9月8日、日本とアメリカの軍事条約『日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)』が締結されました。
 太平洋戦争中、東条英機首相に近く、東条内閣の商工大臣となるなど権力中枢にいたナショナリストの岸信介*9は、戦後、A級戦犯として逮捕されましたが、昭和23年(1948年)にCAIの後ろ盾を得て釈放、昭和27年(1952年)に公職追放を解除されると「日本再建連盟」を結成、昭和28年(1953年)3月、「自由党」に入党し、翌月の総選挙で当選して政界復帰を果たしました。
 保守政界の中で急速に頭角を現し、憲法調査会長として「憲法改正・再軍備」を唱道しました。
 鳩山一郎の一羽が自由党を離党して「民主党」を立ちあげた鳩山一郎と行動をともにし、民主党の初代幹事長に就任し、昭和30年(1955年)、自由党と民主党が統合し「自由民主党」を立ち上げると、ひき続き幹事長に就任、その2年後の昭和32年(1957年)、首相の座に就きます。
 政界復帰後、わずか4年のことです。
 その2年後の昭和34年(1959年)-同35年(1960年)、昭和45年(1970年)の2回、『日米新安全保障条約(安保改定)』の締結を巡り、反対する国会議員、労働者、学生、市民、批准そのものに反対する左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動を伴う「大規模デモ運動(安保闘争)」がおこりました。
 きっかけは、昭和35年(1960年)5月、岸信介首相が『日米安保条約改定案』を強行採決したことです。
 成立を前に、軍備拡大への警戒感、政権への怒りはピークに達し、反対運動は勢いを増していきましたが、『日米安保条約改定案』が成立すると岸首相は退陣を表明しました。
 そして、反対運動は収束しました。
 しかし、「CIA(アメリカ中央情報局;Central Intelligence Agency)」は、左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動に警戒心を強めていました。
 そこで、CAIは、まず、朴正煕政権時代の大韓民国中央情報部(KCIA)の主導で、「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」の創始者文鮮明に支持をだし、昭和43年(1968年)1月13日、韓国で政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」を創設させました。
 ひき続きCIAは、同年4月1日、戦犯を免れさせ政界復帰をさせた岸信介、戦後最大のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫、日本財団の創始者である笹川良一らとともに、日本で、「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」を創設させました。
 以降、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合」と「自由民主党」の保守派はとても近い関係にあります。
 一方で、「第2次安保闘争」は、昭和46年-昭和47年(1971年-1972年)にかけて、共産主義化の理想のもと厳しい統制や教化が敷かれ、「総括(自己反省)」という名の下で、29名の同志のうち12人を殺し合った「連合赤軍の山岳ベースによる凄惨なリンチ事件」を起こしたメンバーらによる「あさま山荘立てこもり事件」を経て、若者の多くは、事件の陰惨さに目を背けるように社会問題から距離を置くようになりました。
 その後、「三無主義(無気力、無関心、無責任)」「ノンポリ学生」「ことなかれ主義」などの造語ができました。
 「ノンポリ」とは、「ノンポリティカル(nonpolitical)」の略、つまり、政治運動に関心がないことで、もとは、1960年-1970年代の学生運動(安保闘争)に参加しなかった学生のことでしたが、社会問題に関心のない学生や若者のことを広く指すようになりました。
 以降、日本における市民運動は、政治に影響を及ぼすような力(パワー)はなくなり、限定的なテーマで、ごく一部の市民の活動になっていきます。
 この限定的なテーマ、ごく一部の市民の活動に対し、社会問題と距離を置き、政治に無関心になった多くの日本国民の反応は、ほとんど興味を示さず、冷ややかでした。

b) 高度経済成長を経て、国民は豊かに。
 社会問題と距離を置き、政治に無関心となる傾向に拍車をかけたのが、高度経済成長を通じて、国民が豊かになったことです。
 つまり、以下のように、大学卒業者の初任給が上昇するのに合わせ、購買意欲が上昇していきました。
 大学卒業者の初任給は、調査がはじまった昭和43年(1968年)は30,600円、沖縄万博が開かれた昭和45年(1970年)が39,900円です。
 昭和46年(1971年)のニクソン・ショックを経て、昭和48年(1973年)に1ドル=360円の固定相場制から変動相場制に移行、同年、第4次中東戦争を機にはじまった第1次オイルショック渦中の昭和50年(1975年)が89,300円、5年後の昭和55年(1980年)は114,500円、5年後の昭和60年(1985年)は140,000円です。
 そして、日本だけにおける好景気の通称「バブル経済」、景気動向指数(CI)上は、昭和61年(1986年)11月-平成3年(1991年)5月までの55ヶ月間に起こった資産価格の上昇と好景気渦中の平成2年(1990年)は169,900円、5年後の平成7年(1995年)は194,200円です。
 以降、初任給の上場は緩やかになります。
 生活が豊かになるのに比例し、日本政府に対する不満は減少することから、国民の政治に対する無関心が進みました。
 一方で、日本は高度経済成長期に大きく産業構造が変わり(第1次産業から第2次産業・第3次産業にシフトし)、夫は会社勤め、妻は家で育児という「新たな家父長制的な(家父長制の価値観が持ち込まれやすい)構図」がつくられていきました。

*9 明治政府は、イギリスのアヘンマネーを背景に、薩長の下級武士が皇室を「錦の御旗」に政治利用し、徳川幕府から政権を奪取したクーデターを経て構築されました。
 その後も日本政府とアヘンは結びつきが深く、満州国の財政を支え、しかも、機密費の主な資金源になりました。
 日本政府は、満州や蒙古各地でケシを栽培させ、ペルシャなどから密輸した大量のアヘンを満州国に流し込みました。
 アヘンは膨大な利益を生み、軍の謀略資金となりました。
 この「アヘン密売」で絶大な権力を得たとされるのが、安倍晋三元総理の祖父で、満洲国総務庁次長(当時)、その後、昭和の妖怪と呼ばれ、「統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)」を母体とする政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」と連携して自主憲法制定運動やスパイ防止法制定運動に尽力した岸信介元総理です。
 昭和28年(1953年)3月に政界復帰を果たし、昭和31年(1956年)12月、自民党総裁選で7票差で石橋湛山に敗れたが、外務大臣として入閣を果たすが、このとき、「昭和天皇は、東条英機よりも太平洋戦争の中心人物であった岸信介が、外務大臣就任することに強く反対した」とのちに侍従長だった人物が述べています。


7) 1990年代、55年年体制の崩壊で、少数政党の乱立。
 資本主義か、社会主義か、共産主義かの思想闘争が終わりを迎え、日本国民の多くが社会問題と距離を置き、政治に無関心になる中、高度経済成長を経て国民生活は豊かになりました。
 そして、保守政党の「自由民主党」が長期政権を樹立し、社会主義の「日本社会党」は衰退の兆しが見えはじめ、創価学会を支持母体とする「公明党」が少しずつ議員数を増やしていく中で、「自由民主党」を離れたメンバーなどで結党した少数政党が乱立しはじめます。
 それは、いわゆる保守に対抗する革新(リベラル)の台頭ではなく、保守内部の権力闘争(政権を握るための主導権争い)として少数政党が数多くできただけです。

a) 55年体制の崩壊と政治の大衆化
 平成5年(1993年)8月、日本新党代表の細川護熙のもとで、日本社会党、新生党など非自民・非共産8党派の連立政権を樹立し、昭和30年(1955年)の結党以来、38年間単独政権を維持し続けた自由民主党が下野することになりました(55年体制の崩壊)が、この連立政権は1年も持ちませんでした。
 このとき、「熊本藩主の細川家(殿様)が首相になった」と話題になるなど、以降、バブル経済で有頂天になった余韻に浸るように、メディアがとりあげる政治的な話題は、芸能ネタと代わり映えのない内容になっていきます。
 政治家を招く討論番組では、大人が顔を真っ赤にして、中身のない非難合戦を繰り広げる様子を「激論」などと表現し、まるで吉本新喜劇のようなパフォーマンス化していきます。
 バブル経済崩壊後の日本の政治は、一気に大衆化していきます。
 そして、その政治の大衆化に併せるように、政党の政治戦略はポピュリズム的になっていきます。
 葛藤、悩み、苦しみ、哀しみ、不満、憎しみ、怒りなどの思い(感情)を秘めている人は、短く、わかりやすく、力強いことばでその思いを訴えられると、そのメッセージは、心に響き、共感しやすいという傾向があります。
 この傾向を巧みに利用するのが、政治指導者、政治活動家、革命家が、不満を募らせていたり、利得を求めていたりする大衆に対し、大衆の不満や利得など一面的な欲望に迎合して大衆を操作する方法である「ポピュリズム(populism)」です。
 ポピュリズムとは、大衆迎合主義ともいわれ、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想(政治姿勢)のことです。
 「大衆を操作する」とき、不満を募らせていたり、利得を求めていたりする大衆に対し、短く、わかりやすく、力強いことばで訴えることで、聴衆の心を捉えることだけにフォーカスします。
 このとき、正しいことを選択する理性よりも、気持ち(感情)に響き共感できること、つまり、承認欲求が満たされることが優先されます。
 そのため、その訴えの内容や実現のための方法が正しいかどうかは問題ではなく、大衆の欲望に沿うことができれば、聴衆の心を捉え、聴衆が大挙を成してシュプレヒコールをあげることを扇動することができます。

b) オール保守下での主導権争いと安倍政権の樹立
 平成6年(1994年)6月、自由民主党、日本社会党、新党さきがけによる村山富市政権が樹立されると、非自民・非共産は、次期総選挙で施行される小選挙区比例代表並立制への対応に迫られることになり、同年12月、新進党(平成6年(1994年)12月、新生党、公明党の一部、民社党、日本新党、自由改革連合などが結集し、「新進党」を結党しました(結成時の所属国会議員数は214人。1955年、自由民主党結党以外で200人以上は初)が、相次ぐ党内対立を経て、6党に分裂しました。
 続けて、平成10年(1998年)4月、旧民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合が合流し、「民主党」を結成した。
 党の基本理念を「民主中道」としたことから、海外メディアは、保守・中道右派を自認する自民党に対する「リベラル・中道左派の政党」と位置づけたことから、“リベラル(革新)”を期待する国民が支持しました。
 しかし実態は、自民党などの流れを汲む保守本流、保守中道、旧民社党系の反共色の強い議員も一定数存在し、「中道左派(社会主義インターナショナル)」といえず、まして、単に「自由民主党」のやり方を批判するだけで、それは、リベラル(革新)といえるものではありません。
 「民主党」がリベラル(革新)ではなく、保守であることは、平成15年(2003年)9月、保守政党の「自由党」が合流したことに表れています(民由合併)。
 保守本流の「自由民主党」と、保守と中道左派ごちゃまぜの「民主党」の保守の違いは、思想的な支持母体の「日本会議」、「神道政治連盟」、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」に近いか、一線をひいているかの違いしかありません(当時)。
 にもかかわらず、社会問題から距離を置き、政治に無関心になった日本国民の多くは、その違いに気づくことができず、『マニュフェスト(政権公約。単なる政治理念ではなく、財政的裏づけ、数値目標、実施期限なども記したもの)』を提示した民主党に対し、「いまの閉塞感を変えてくれる」と真新しさに期待した(誤認した)国民の支持を受け、平成19年(2007年)の参議院選挙、同21年(2009年)の衆議院総選挙で勝利して政権を獲得、「社民党」、「国民新党」とともに連立与党を樹立しました。
 しかし、平成23年(2011年)3月11日の「東日本大震災」を挟み、内部対立でぐらつき、急速に失速し、政権を失い、第2次安倍政権が生まれました。
 「55年体制崩壊」後、少数政党の合流、結集を繰り返し、一見、2大政党制のような雰囲気を醸しだしてきましたが、所詮は、保守派内での権力闘争に過ぎず、いずれも内部対立で終焉を迎えています。
 しかも、ひいていた一線を超え、平成28年(2016年)に、「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」を支持母体とする「維新の党(現.日本維新の会)」と合流して「民進党」に改称、法人格は「民進党」を経て、「(旧)国民民主党」にひき継がれました。
 令和2年(2020年)は、「(旧)立憲民主党」などと合流するために解党、合流組は(旧)立憲民主党などとともに「(新)立憲民主党」を結成し、非合流組は「(新)国民民主党」を結成しました。
 日本は、アメリカのように、保守政党の「共和党」と革新(リベラル)政党の「民主党」と明確な違いは存在せず、安保闘争後の50年間の政治は、「オール保守」と「その他」という構図でした。
 つまり、政治家の中にも、純粋に「よい考えがあれば、たとえ急でも、古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」という革新的(リベラル的)な人は、少ないながらも一定数存在しますが、純粋な革新(リベラル)政党は日本には存在しません。
 それどころか、第2次安倍政権以降、与党、野党の区別、国会議員、地方議員の区別なく、「日本会議」、「神道政治連盟」、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」に近い人たち*10、つまり、「緊急事態条項に関する憲法改正」を目論む危険な思想に染まった人たちが勢力を強めています。
 にもかかわらず、日本の一部のフェミニストは、いまだに、「立憲民主党」がリベラル(革新)と誤認したり、「日本共産党」にリベラルの役割を期待したりしています。

*10 安倍晋三元首相が銃弾に倒れたあと、朝日新聞が、令和4年(2022年)8-9月に実施した「都道府県議の他、国会議員、知事ら3,333人を対象に教団との接点の有無やその内容などを尋ねたアンケート」に対し、都道府県議は9割にあたる2,314人が回答し、292人(12.62%)が統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)と接点を持っていました。
 令和5年(2023年)4月9日、同4月23日の地方統一選挙において、カルトの統一教会(現.世界平和統一家庭連合)との接点を認めていた都道府県議で、立候補した228人のうち206人(90.35%)が当選しています。
 落選したのは僅か22人です。
 また、同選挙の結果、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」を支持母体とする「日本維新の会」の全国の自治体の長と地方議員が非改選も含めて774人になりました。
 「投票=支持」という視点に立つと、日本国民は、カルト教団の統一教会(現.世界平和統一家庭連合)を受け入れていることになります。
 しかも、露出が少なくなった「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」と政治家の関係性についても、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」の名をだすものの、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」が支持母体である政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」に言及していません。
 つまり、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」が支持母体である政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」を創設したのが安倍晋三元首相の祖父岸信介元首相、戦後最大のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫、日本財団の創始者である笹川良一であり、自由民主党の保守派の支持母体のひとつ(主な支持母体は他に、「日本会議」「神道政治連盟」)であること、加えて、この政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」を支持母体とする政党が「日本維新の会」であることには、メディアなどはいっさい触れず、見て見ぬふりを貫いています。
 「公明党」の支持母体が「創価学会(臨済宗から分離)」であるなど、日本の主要政党は、『日本国憲法』に定める「政教分離の原則(同法20条1項後段、20条3項、第89条)」に反し、日本国民は、その重大な問題に対し、なにも疑問を覚えることなく、無頓着で、容認しています。
 信じたくありませんが、それが現実です。


 社会問題と距離を置き、政治に無関心な人、特に、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)被害の当事者の人は、「人権問題」とはなにを指しているのかを知り、日本があらゆる「人権問題」に後ろ向きで、積極的にとり組もうとしない事実と、それはなぜか?を知ることが大切です。
 では、あまり馴染みがない純粋な革新(リベラル)、つまり、「よい考えがあれば、たとえ急でも、古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」という考え方・価値観をどこに見いだしたらいいのでしょうか?
 それは、国際連合が示す『条約』です。


2.『世界人権宣言』『人権条約』で示す「人権」解釈と異なる日本の「道徳」
 日本は、いうまでもなく、国際連合の加盟国です。
 日本は、国際連合が示す『条約』の多くを批准し、『条約』の締結国です。
 『条約』は、『国際法』と同様に、それぞれの国の法律(『国内法』)よりも上位に位置づけられています。
 したがって、国際連合の『加盟国』である日本(政府)が、『条約』を批准し、『条約』の締結国となると、『国内法』の規定と『条約』の規定に齟齬があるときには、『国内法』の規定を『条約』の規定に沿って改める、つまり、法律を改正したり、新たに法律を制定したりする必要があります。
 にもかかわらず、『条約』の規定に準じ、『国内法』の規定を改正したり、新たに法律を制定したりする動きがないと、『条約の委員会』は、その当該国に対し、「『条約』の規定に添うように、速やかに法改正などを進めなさい」と“書簡(勧告書)”を送ります。
 つまり、平成29年(2017年)6月2日に可決、成立した110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」と今回(令和5年(2023年)6月16日)に可決、成立した「刑法改正(案)(性犯罪の規定を見直し)」は、この『条約の委員会』による「勧告」にもとづくものです。
 『条約の委員会』に「勧告」を受けて、その「勧告」に速やかに応じるのか、なかなか応じようとしないのかは、その当該国の政権が、保守政党なのか、革新(リベラル)政党なのかと深い関係があります。
 では、保守政権下、日本政府の「人権」の捉え方(解釈、認識)ついて考えていきます。


1) 『国連憲章』と『世界人権宣言』、「人権教育」と「道徳教育」の違い
① 世界人権宣言
 「国際連合」の目的のひとつとして、『国際連合憲章(国連憲章)』の第1条3で、「人権及び基本的自由を尊重するよう助長推奨することについて、国際力を達成すること」を掲げ、第55条及び第56条で「人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守」のためにすべての加盟国が「共同及び個別の行動をとることを誓約する」と規定し、国連の主要機関のひとつである「経済社会理事会」は、1946年(昭和21年)、この「人権及び基本的自由の尊重及び遵守を助長するため」の機関として『国連人権委員会(Commission on Human Rights)』を設置しました*11。
 そして、1948年(昭和23年)同年12月10日、国際連合(以下、国連)は、人権法の柱石(すべての人民にとって、達成すべき共通の基準)として『世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)』を採択しました。
 この『世界人権宣言』では、第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」、第3条「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」と記述しています。
 つまり、『国際連合憲章』前文の「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権」を目指すための指標として具現化した『世界人権宣言』における「人権」や「権利」を基準に考え、その基準を満たすために行動する、つまり、「人権」や「権利」を基準することは、よい考えなので、「家父長制」のもとで、武家社会の思想の「男尊女卑(儒教思想)」、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」を浸透させた明治政府の流れを汲み、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持ち、父母に孝行することであり、子どもにとっての幸せは、たとえ、暴力のある家庭環境(機能不全家庭)であっても、両親の下で育ち、両親を敬い、孝行することである」という“これまで”の古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」と考え、行動する人が、「革新(リベラル)」的な人です。
 ところが、日本で実施している「道徳教育」は、「人権教育」とは異なり、「心のあり方(「人格」としての人柄)」という個々人の内面にフォーカスし、その枠組みにおいて問題を考えさせるものです。
 「人権の保障」は、人々の「多様性を否定」しては成り立ちません。
 人々の「多様性を否定」する保守的な価値観の人たちは、難民(移民)をはじめ外国にルーツのある2世・3世、外国人とのダブル(ハーフ。「混血」と侮蔑・卑下)、障害(身体・精神)のある人、特定の難病など疾患のある人、LGBTQ(Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割りあてられた性別とは異なる人)、QueerやQuestionning(クイアやクエスチョニング)の頭文字をとったことばで、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつ)などに対し、差別・排除的です。
 一方、革新(リベラル)的な価値観の人たちは、「多様性を肯定」します。

*11 『国連人権委員会』は、2006年(平成18年)3月、『人権理事会(Human Rights Council)』に改組されました。

② 「人権」と「人格権」、「人権教育」と「道徳教育」の違い
 日本政府主導の教育現場で、とても厄介で、狡猾なことばの置き換えがあります。
 それは、さも「人権教育」を推進しているように見せかけ、実は、儒教思想にもとづく「道徳教育」を実施していることです。
 問題は、日本国民は、明治以降、儒教思想にもとづく「道徳教育」にあまりにも身近で、慣れ親しんできたことから、「道徳教育」と「人権教育」の違いに気がつかないことです。
 例えば、昭和23年(1948年)に定められた『国民の祝日に関する法律』には、「こどもの日」は、「こどもの人格を重んじ、・・」と「人権」ではなく「人格」と記述しています。
 「人権」は、「人間が人間らしく生きるための権利で、生まれながらに全員が持っている権利のこと」です。
 人間であれば、誰もが持っている権利です。
 つまり、どのような人であっても、出生後、決して否定されない権利です。
 一方で、「人格」とは、個人の心理面での特性、人柄のことで、あるいは、人としての主体(中心となるもの)を意味します。
 「人格権」は、「個人の名誉など人格的利益を保護するために必要な権利のこと」ですが、人格権自体には、権利として、具体的に保障されているわけではありません。
 この「人権」と「人格」の違いは、日本の「人権教育」は、社会のあり方を考えさせるものではなく、個人のあり方にフォーカスする「道徳教育」を実施していることにつながります。
 「道徳」は、「子どもは父母に孝行しなさい」という儒教的道徳観にもとづきます。
 「儒教」は、武家社会の思想です。
 この「儒教思想」は、明治政府により、家父長制にもとづく「内助の功」「良妻賢母」の価値観構築の礎となり、結果、日本は、「男尊女卑」社会になりました。
 この「儒教的道徳観」は、明治政府下で進められた「国民皆兵」「富国強兵」を進める大きな役割を担った家父長の権威づけるものです。
 つまり、「人権」と対極にある家父長に権威づける役割を果たすのが「道徳教育」です。
 儒教思想にもとづく「道徳」、その「道徳」により家父長を権威づけ、その「道徳観」を保持しようとするのが、「保守」です。
 つまり、権威づけられた家父長制こそが「いままでの伝統や文化や考え方、社会」で、「その家父長制を維持していく昔からのやり方に従うのがあたり前だ!」といった保守的な価値観は、家庭やコミュニティはいうまでもなく、「道徳」の授業(絵本・童話の読み聞かせ、遊戯などを含む)で、ステレオタイプ(固定観念、イメージ、思い込み)として保守的な価値観が無意識下でつくられていきます。
 日本では、「子どもの日」は、『子どもの権利条約』と対極にある家父長制のもとで、親に感謝できる子ども(人柄)の醸成、つまり、保守的な価値観の子ども(国民)の醸成を目的としています。
 では、「人権教育」とはどのようなものでしょうか?
 人権教育は、「人が自らの権利を知り、権利の主体として、それを実現するために行動する」ことが、「人間性の回復であり、社会を変えることにつながる」ようにするものです。
 つまり、人権教育の目的は、構造的に問題を把握することであり、それにもとづく社会変革です。
 「人権」は、人類の歴史において、市民自らの手(力)で“獲得”してきたものです。
 それは、その時々の社会体制の中で虐げられ、人としての尊厳を踏み躙られてきた人たちが、自らの人間性の回復を「人権」や「権利」という概念で表現し、権力と闘うこと(市民的抵抗、レジスタンス)で勝ちとってきたものです。
 人権や権利は、「社会的」で「争議的」なものです。
 そのため、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念(国際連合憲章前文)」にもとづき、1945年(昭和20年)に設立された「国際連合(国連)」が、真っ先にとり組み目指したのが『世界人権宣言』です。

③ 日本の「心のあり方」「心がけ」にフォーカスする『道徳教育』
 日本では、「人権教育」にとり組んでいる教育者などが、「道徳教育」との違いに気づいていない、あるいは、日本政府に忖度し、気づいていないふり(見て見ぬふり)をして実施している、または、保守的な価値観の教育者が、率先して「道徳教育」を実施しています。
 平成12年(2000年)に制定された『人権教育及び人権啓発の推進に関する法律』の第2条では、「人権教育は、人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動である」と定義し、「人権啓発とは、国民の間に人権尊重の理念を普及させ、及びそれに対する国民の理解を深めることを目的とする広報その他の啓発活動(人権教育を除く)をいう」と記しています。
 この法律における人権教育や啓発は、「個人の精神を涵養し、理解を深めていくこと」と規定しています。
 つまり、この法律は、「個人の精神」と“人柄”“心がけ”に重点が置かれていることから、「人権教育」というよりも「道徳教育」の目的に近くなっています。
 人権に関する問題は、道徳では解決できません。
 なぜなら、それは個々人の心の問題ではないからです。
 『日本国憲法』の第14条にあるとおり、「差別は、政治的、経済的、または、社会的関係において発生」します。
 日本社会、あるいは、学校教育において、この「差別・排除」という問題は、「道徳」として、人の“思いやり”“優しさ”“心がけ”といった心の問題として扱われています。
 つまり、「道徳」の授業は、「個人の心のありよう」を問題とします。
 一見すると、個人の道徳性のあり方から差別・排除問題などの社会的な課題に対応していくことには効果があるように思えます。
 さまざまな差別問題は、常に具体的です。
 ある特定の誰かに起こる問題であり、そこでは、個人的な、ある人とある人との狭い範囲の関係のあり方が問われます。
 しかし、そうした視点だけでは、「差別・排除」について十分に考えることはできません。
 なぜなら、差別・排除は、個人的な「人間関係」を超えた、より広い社会関係の中で起きるからです。
 道徳教育では「狭い関係性」にばかり注意が集まり、その関係の中に、社会的に仕組まれたより広い構造的課題が凝集していることを考えることは困難です。
 つまり、「心のあり方」を問題とする道徳の枠組みでは、この社会的な構造は問い難いのです。
 日本では、明治政府が構築した「教育制度(教育勅語にもとづく)」で実施されてきた「道徳」の授業、昔話(絵本、童話)に組み込まれた「道徳観」により、日本国民の隅々まで根づいていることから、差別・排除だけではなく、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)問題に加え、暴力被害に起因する精神疾患(PTSDなどの後遺症)、貧困、進学、就職(性風俗業界での就労を含む)、ひとり親家庭、ヤングケアラー、アルコール・薬物、ギャンブル依存などの問題も、すべて個々人(特定の家庭、特定の職場、特定の学校)の「心のあり方」の問題と捉え、論議され、対策が講じられています。
 つまり、日本は「人権」を前提に議論し、対策を講じていないことになります。
 「人に危害を加える行為は、危害を加えられた人の人権を侵害する」ことです。
 人権意識が著しく低い日本社会と異なり、『世界人権宣言』『人権条約』にもとづく国際社会では、「あらゆる暴力行為=人権侵害」と捉えています。
 つまり、国際社会では、「いかなる理由があっても、人に危害(暴力)を加えることは、人権を侵害することに他ならない」と認識します。
 この視点に立つと、あらゆる暴力行為に対して、「許される」「許されない」、「耐えられる」「耐えられない」という“線引き”“尺度(基準)”は、いっさい存在しません。


2) 批准・締結した『人権条約』と受け入れる日本の「人権」意識
① 9つの『人権条約』
 「国内法より上位に位置づけられる条約」として、以下のa)-i)の9つの主な『人権条約』があります。
a) あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約、1965年(昭和64年)12月21日)
b) 市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約、1966年(昭和41年)12月16日)
c) 経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約、1966年(昭和41年)12月16日)
d) 女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女性差別撤廃条約、1979年(昭和54年)12月18日)
 * 女性差別撤廃条約選択議定書(選択議定書、1999年(平成11年)10月6日)
e) 拷問および他の残虐な、非人道的な、または品位を傷つける取扱いまたは刑罰に関する条約(拷問等禁止条約、1984年(昭和59年)12月10日)
f) 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約、1989年(平成元年)11月20日)
g) すべての移住労働者およびその家族の権利保護に関する条約(移住労働者権利条約、1990年(平成2年)12月18日)
h) 障害者の権利に関する条約(障害者権利条約、2006年(平成18年)12月13日)
i) 強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約(強制失踪者保護条約、2006年(平成18年)12月20日)
 日本は、『移住労働者権利条約』以外の8条約について批准・締結、つまり、「守る」と約束しています。
 d)の『女性差別撤廃条約』は批准・締結していますが、『女性差別撤廃条約選択議定書』については、いまだに批准していないことは、「女性差別撤廃委員会」が繰り返し是正勧告を受けても速やかな対応を避け続ける日本政府の姿勢を示し、また、g)の『移住労働者権利条約』を批准・締結していない日本政府の姿勢は、平成5年(1993年)に導入された「技能実習制度(Technical Intern Training Program)」、つまり、「出入国管理及び難民認定法」の別表第1の2に定める「技能実習」の在留資格により日本に在留する外国人が報酬を伴う実習を行う制度における実習生の低賃金、長時間労働、劣悪な居住施設を放置し続けたり、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさん(33歳)が死亡したりしたとき、適切な医療を提供しなかったことが大きな問題となる中で、令和5年(2023年)6月9日、強制送還の対象となった外国人の長期収容解消をはかることを目的とし、難民認定の申請中は強制送還を停止する規定を改め、難民認定の申請で送還を停止できるのは原則2回までとする『改正出入国管理及び難民認定法』を参院本会議で可決し、成立させたりする姿勢に表れています。

② 批准・締結した『人権条約』とは嚙み合わない家父長制
 これらの条約には、いずれの国家の立場からも独立である専門家からなる「委員会」を設置しています。
 その内容を守ることを約束した国が、本当に守っているかどうかを監視し、守られていないときには、当該国宛に勧告書を送付します。
 「守られていない」とは、国連加盟国の国が、批准・締結した『条約』にもとづき、自国の『国内法』を改正したり、新たに法律を制定したりする義務に対し、その義務を怠っている、つまり、対応していないことです。
 本来、国民の「人権」や「権利」を“守る”ためには、国をどう位置づけるか、どのいう法制度が必要なのかを問うものです。
 つまり、そこでの人々の暮らしをどう理解していくか、それを踏まえて、社会のどこに問題があるのかを見出し、どのように変革していくかを問うことが求められます。
 これらのことは、国任せ、つまり、政党、政治家、支持者任せではなく、市民が問い、考え、行動しなければならないことです。
 なぜなら、国、政党、政治家、支持者が、国民の「人権」や「権利」を守らないことがあるからです。
 問題は、日本国民が、市民は、国際的なとり決めの条約を守らなかったり、間違った方向に向かったりしないように監視する役割があることに無関心なことです。
 日本社会は、太平洋戦争に敗戦後も、戦前同様に、神武創業(神武天皇の時代に戻れ!)にもとづく教育勅語の精神がひき継がれ、儒教思想にもとづく家父長制に権威づける「道徳」を尊重し、しかも、幼児期から「道徳教育」が施されてきたことから、日本国民にとって、「道徳」は、あまりにも身近で、慣れ親しんできているので、この「道徳」という価値観が、「人権」「権利」と似通っていてもまったく違うという認識に至ることは簡単ではありません。
 しかも、政治に無関心で、政治と距離を置く人が圧倒的に多い日本では、世界基準の「人権」と「道徳」の違いを知る(学ぶ)機会はほとんどありません。
 そのため、日本国民は、太平洋戦争の敗戦後もひき続き、3世代にわたり、疑いもなく「道徳」を受け入れてきました。
 結果、「同じ人権問題」である差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力問題に対する解釈や対応がバラバラで、一貫性がみられないのが、日本国民の特徴です。
 例えば、同じ女性に対する暴力の範疇となる差別・排除、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントは「許されない」と声をあげたり、緊急避妊薬を導入したりすることには「賛成」を表明する一方で、DV(デートDV)、児童虐待、中絶薬の導入など家族の問題については、「許されない」「いま直ぐに対策(導入)を」といい切らず、「どこの家庭でも少なからず存在している」と容認しやすい傾向があります。
 性暴力に対する厳罰化を訴える一方で、中絶薬の導入には反対であったり、異性からのレイプ被害には同情的である一方で、同性からのレイプ被害には無関心だったりします。
 日本社会では、価値判断の基軸が「人権」に置かれていないので、個々人の価値観、イメージ(ステレオタイプ)や感情が判断基準となり、大きな括りとしての「人権問題」に対し、日本国民はひとつになることができません。
 そのため、女性議員が増えれば、性暴力(緊急避妊薬の導入を含む)に関する法改正が進む可能性がある一方で、DV(デートDV)、児童虐待、子どもの出生数とかかわる中絶薬の導入は、すべて「家族のあり方」が問われることから、保守的な価値観の女性議員、つまり、保守政党に所属する女性議員が増えると、逆に反対票となり、後退します。
 保守派政党が女性議員を増やそうと目論み、国民が投票で応えると、日本の「家族のあり方」は、いま以上に保守化傾向が進みます。
 つまり、明治政府が「国民皆兵」「富国強兵」を進める大きな役割を担った儒教思想(道徳)による家父長の権威づけが進みます。
 このことは、家父長制にもとづき、女性に「内助の功」「良妻賢母」を求める強固な「男尊女卑」社会の再構築を意味します。
 それは、保守派政党で、「日本会議」、「神道政治連盟」、「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合(共産主義に勝利するための国際連盟)」と近い女性議員の発言やふるまいを見ると、容易に想像できると思います。
 こうした問題に対し、無関心で、無頓着、無自覚であることは、自分たちの人権や権利を守ることを自ら、放棄することです。
 喜ぶのは、国の権力者、つまり、保守的な政治家とその支援者です。
 なぜなら、「民が愚か(無知(知らないこと)による無関心)」だと、政治家(その支持者を含む)、経営者など権力者にとって都合がよく、簡単に騙すことができるからです。
 それは、「民は愚かに保て!」の政治原則にもとづきます。
 つまり、人権教育が実施され、「社会的」で「争議的」な国民が醸成されると困るのは、国の権力者、つまり、政治家とその支援者です。
 歴代の法律を制定してきた保守派の国会議員、政党、政権は、安保闘争時の教訓を生かし、国民が人権意識に目覚め、こうした動きにつなげること妨害し、排除することに長けています。
 そのパワー(権力)に対するには、それはおかしい、間違っている、正さなきゃならないと「声をあげる活動的な市民になる」ために、一人ひとりが、自らの権利を学び、知識を得て、行動することはとても大切なことです。
 「声をあげ、行動する活動的な市民」が増えることで、はじめて人権認識にもとづき、「差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)を許さない社会、国がつくられます。
 人権侵害(暴力)を許さない社会、国では、人権侵害(暴力)に関係する『法律』の制定やその適用に対し、あいまいな基準を残さないようにします。


 しかし残念ながら、日本の保守派政党下における法制度の特徴は、『世界人権宣言』『女性差別撤廃条約』『子どもの権利条約』などの「人権条約」に則った“人権解釈”を避けることと、その“人権解釈”が必要な法律に改正したり、法を制定したりするとき、できる限り、「禁止」などと厳格な表現を避け、「防止」「理解促進(増進)」などと曖昧な表現を使い、その法律を本来の目的から少しでも逸らそうとしたり、無力化したりすることです。
 このとき、社会問題と距離を置き、政治に無関心で、こうした横暴を黙認している人たちは、いわゆる「いじめの4種構造」の「観衆」「傍観者」に該当、加害者に加担していると捉えることができます。
 「観衆」は、自ら手を下さないが、ときに、はやしたてたり、おもしろがったりして火に油を注ぐ役割を担い、加害行為を是認する後ろ盾の役割を果たします。
 加害行為を知りながら通報を躊躇ったり、見て見ぬふり(知らないふり)をしたりする「傍観者」は、加害行為に対する“暗黙の指示”となり、さらに、加害行為を助長する(加害行為を再び犯したり、加害行為を繰り返したりする)役割を担います。
 国民一人ひとりが、この視点を持つことがとても重要です。
 いまから17年前の平成18年(2006年)9月、第1次安倍政権が樹立されたときは、「ゆっくりでいいので、一つひとつ学んで。」と話していましたが、1-2)で述べているように、保守派が集い、反対の声を力でねじ伏せ、「緊急事態条項に関する憲法改正」を成し遂げようとの目論見が日々現実的になる中、もはや「ゆっくりでいい」「一つひとつ学んで」という余裕はなくなりました。
 なぜなら、「緊急事態条項に関する刑法改正」は、第2次世界大戦前(太平洋戦争)のナチスドイツの『全権委任法』、日本の『国家総動員法』と同じで、国民の「人権」は奪われるからです。
 保守政権は、国民の多くが、人権・社会問題と距離を置き、政治に無関心な中で、密かに、確実に、「緊急事態条項に関する憲法改正」に向けて動いています。
 いま、切羽詰まった状況で、手遅れになる前に正しく学び、「No」と声をあげ、行動する必要があります。


 では、次の「3.「各委員会」からの勧告に対する日本政府の対応」において、日本政府が批准・締結した『人権条約』に対するとり組み“姿勢”について、各『委員会』からどのような勧告(最終見解を含む)を繰り返し受けてきたのかを通じて見ていきたいと思います。
 その一連の流れの中に、平成29年(2017年)6月2日に可決、成立した110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」と今回(令和5年(2023年)6月16日)に可決、成立し、同年7月13日に施行した「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」があります。


3.「各委員会」の勧告(女性に対する暴力)に対する日本政府の対応
 -110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」と6年後の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」-
 国際連合(国連)の「各委員会」は、条約締結国の日本政府に対して、「女性や子どもに対する暴力」「性犯罪の罰則」等に関する問題に対し、とり組みが進んでいないと勧告し、その勧告後もとり組みが進んでいないと再度、勧告(最終見解を含む)します。
 これまで、「委員会」が、日本政府に対し、繰り返し勧告(最終見解を含む)をしてきた主な『条約』は、ⅰ)いまから38年前の昭和60年(1985年)6月25日に批准(昭和56年(1981年)9月3日発効、158ヶ国目)した『女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)』、ⅱ)いまから29年前の平成6年(1994年)4月22日に批准(平成2年(1990年)発効、20ヶ国目)した『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』、ⅲ)令和4年(2022年)11月3日、『市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)』です(以上、いずれも令和5年(2023年)7月現在)。
 これらの『条約』は、『国内法』より上位に位置づけられます。
 つまり、『条約』を批准(締結)した国は、自国の該当する法律(国内法)を改正したり、新設したりする義務が生じます。
 しかし、保守派の日本政府は、条約の締結国でありながら、積極的に法律を改正したり、新設したりすることに消極的で、一向に進めようとしないことから、以下のように、国連の各委員会から繰り返し是正勧告を受けています。

ⅰ) 平成15年(2003年)8月、「女子差別撤廃委員会」は、締結国である日本政府に対し、「ドメスティック・バイオレンスを含む女性に対する暴力の問題に対し、女性に対する人権の侵害としてとり組む努力を強化する」ことを要請しました。
 特に、女性差別撤廃委員会は、a)『配偶者暴力防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)』を拡大し、様々な形態の暴力を含めること、b)強姦罪の罰則を強化すること、c)近親姦を個別の犯罪として刑罰法令に含めること、…(中略)…を要請しています。

ⅱ) 平成16年(2004年)2月、「児童の権利委員会」は、締約国である日本政府に対し、a)少女の婚姻最低年齢を少年の最低年齢にまでひきあげること、b)性交同意最低年齢をひきあげることを勧告しました。

ⅲ) 平成20年(2008年)10月、「国際人権(自由権)規約委員会(令和4年(2022年)11月3日、『市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)』」は、締結国の日本政府に対し、a)『刑法177条の強姦罪』の定義の範囲を拡大し、近親姦、性交以外の性的暴行、男性に対する強姦が重大な犯罪とされることを確保すべきである、b)抵抗したことを被害者に証明させる負担をとり除き、強姦や他の性的暴力犯罪を職権で起訴するべきである。c)児童の正常な発達の保護と児童虐待の防止を目的として、少年と少女の性交同意最低年齢を13歳とされる現状のレベルからひきあげるべきであると勧告しています。

ⅳ) 平成21年(2009年)8月、「女子差別撤廃委員会」は、最終見解(勧告)として、締結国の日本政府に対し、a)被害者の告訴を性暴力犯罪の訴追要件とすることを刑法から撤廃すること、b)身体の安全及び尊厳に関する女性の権利の侵害を含む犯罪として性犯罪を定義すること、c)強姦罪の罰則をひきあげること及び近親姦を個別の犯罪として規定することと要請しました。

ⅴ) 平成22年(2010年)6月、「児童の権利委員会」は、締約国である日本政府に対し、男児であれ女児であれ、強姦の被害者すべてに同様の保護が与えられるよう刑法改正を検討することを勧告(最終見解)しました。

ⅵ) 平成26年(2014年)7月、「国際人権(自由権)規約委員会」は、委員会による前回の勧告(平成20年(2008年)10月、同委員会による最終見解*上記ⅲ))に沿い、締約国である日本政府に対し、『第3次男女共同参画基本計画』で策定したように、a)職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、b)1日も早く性交同意年齢をひきあげ、c)強姦罪の構成要件を見直すための具体的行動をとるべきであると勧告しています。

ⅶ) 国連で、いまから34年前の1989年(平成元年)11月20日に採択された『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』の19条では、「子どもが両親のもとにいる間、性的虐待を含むあらゆる形態の身体的、または、精神的暴力、傷害、虐待、または、虐待から保護されるべきである」と定め、「それが起こるとき、親権や監護権、面会交流の決定において、親密なパートナーからの暴力や子どもに対する暴力に対処しないことは、女性とその子どもに対する暴力の一形態であり、拷問に相当し得る生命と安全に対する人権侵害である」、「子どもの最善の利益という法的基準にも違反する」と規定しています(令和5年(2023年)7月現在)。
 平成26年(2014年)、「女性差別撤廃委員会」は、締約国である日本政府に対し、「面会交流のスケジュールを決定するときには、家庭内暴力や虐待の履歴があれば、それが女性や子どもを危険にさらさないように考慮しなければならない。」と勧告しています。

 では、日本政府に対する各「委員会」の勧告に対し、日本政府がどのような対策を講じてきたのかを見ていきたいと思います。


1) 強姦などに対する罰則強化、近親姦を罰する法律の制定に対する勧告
 ①「女子差別撤廃委員会」の平成15年(2003年)8月のⅰ)-b)c)の勧告、つまり、「強姦罪の罰則を強化すること」、「近親姦を個別の犯罪として刑罰法令に含めること」、②同委員会の平成21年(2009年)8月のⅳ)-a)c)の勧告、つまり、「被害者の告訴を性暴力犯罪の訴追要件とすることを刑法から撤廃すること」、「強姦罪の罰則をひきあげること及び近親姦を個別の犯罪として規定すること」、③「国際人権(自由権)規約委員会」の平成20年(2008年)10月のⅲ)-a)の勧告、つまり、「『刑法177条の強姦罪』の定義の範囲を拡大し、近親姦、性交以外の性的暴行、男性に対する強姦が重大な犯罪とされることを確保すべきである」といった勧告(最終見解)に対し、保守派の日本政府は、「平成29年(2017年)3月7日」、110年ぶりの刑法改正(性犯罪の厳罰化)の一環として、『強姦罪』を『強制性交等罪』と改めたり、『監護者性交等罪(同179条2項)』『監護者わいせつ罪(同179条1項)』を設けたりすることで、対応しました。
 それは、『女性差別撤廃条約』の批准・締結(昭和60年(1985年)から32年後、最終勧告(平成15年(2003年)8月)から14年後のことです。
 日本の刑法は、明治13年(1880年)7月17日、太政官布告第36号により発布された『旧刑法(明治15年(1882年施行))』、それから26年後の明治41年(1908年)1月1日に施行された『(現行の)刑法』があり、現行の『刑法』が施行されてから平成29年(2017年)が110年でした。
 110年間、手つかずの刑法は、『女性差別撤廃委員会』の勧告を繰り返された結果、漸く「性犯罪の厳罰化をはかる刑法改正」に辿りついたことになります。
 この事実は、保守派の日本政府が、太平洋戦争終戦後の72年間、批准・締結した「女性差別撤廃条約」を批准・締結してから32年間、この問題を重要視することなく、放置し続けたことを意味します。
 つまり、日本政府が、この問題を放置せず、速やかに対応(性犯罪の厳罰化をはかる刑法改正)していれば、その分、多くの被害を防ぐことができました。

a) 性犯罪の厳罰
 この刑法改正(性犯罪の厳罰)により、『強姦罪(刑法177条)』『強制わいせつ罪(同176条)』の法定刑が、以下のように強化されました(ⅲ)-a)前・中段の勧告)。
 被害者の告訴がないと起訴できない「親告罪」の規定がとり除かれ(ⅳ)-a)の勧告)、改正案は付則で、改正法施行前の時効が成立していない事件についても、告訴なしに原則立件可能と定めています。
 そして、強姦罪は『強制性交等罪』と改められ、被害者を女性に限らず、強制わいせつ罪に含めていた一部の性交類似行為と一本化されました。
 これまでの『強姦罪』は、「陰茎の腟内への挿入(姦淫)」のみが対象でしたが、「強制性交等罪」では、“口腔性交”と“肛門性交”も構成要件に含まれるようになりました。
 したがって、被害者が男性器を無理やり口に入れられたというケースもレイプと同じ扱いになりました。
 強姦は被害、加害両者の性別に関係なく処罰可能となり(ⅲ)-a)後段の勧告)、法定刑の下限を懲役3年から5年、致死傷罪の場合も5年から6年にそれぞれひきあげられ(ⅲ)-a)後段の勧告)、強盗や殺人と同等となりました。
 懲役6月以上10年以下の『強制わいせつ罪』の一部もこれに含められ、刑罰は強化されました(ⅲ)-a)後段の勧告)。
 準強姦罪も『準強制性交等罪(同178条2項)』に改められ、懲役4年以上とされている集団強姦罪の規定は削除されました(以上、ⅰ)-b)の勧告、ⅳ)-c)前段の勧告)。
 また、強盗を伴う場合の刑罰が統一されました。
 現行法では、強盗が先だと『強盗強姦罪』として「無期または7年以上」が科される一方、強姦が先なら強姦と強盗の併合罪で「5年以上30年以下」でしたが、改正案では、新たに『強盗・強制性交等罪(同241条1項)』を設け、犯行の前後にかかわらず「無期または7年以上」となりました。
 さらに、家庭内の性的虐待も厳罰化され、親が監護者としての影響力により18歳未満の子と性行為をした場合について、新たに『監護者性交等罪(同179条2項)』『監護者わいせつ罪(同179条1項)』が設けられ、暴行や脅迫、被害者の告訴がなくても処罰対象とされることになりました(ⅰ)-c)の勧告、ⅳ)-c)後段の勧告)。
 平成29年(2017年)6月2日、この性犯罪を厳罰化する刑法改正案は、衆院本会議で審議入りし、成立しました。
 しかし、この110年ぶりの刑法改正は、部分的に手直しをしたに過ぎず、本質的な刑法改正には至っていません。

b) 110年ぶりの法改正で、見送った「勧告」
 110年ぶり(太平洋戦争終戦後72年間放置し続けた末)の刑法改正は、『女性差別撤廃条約』の締結国として、日本政府は、「女性差別撤廃委員会」から繰り返し勧告を受け、国際社会から応じざるを得ない状況に追い込まれて、しぶしぶ応じたことになります。
 その日本政府の姿勢が明確に表れているのが、『強制性交等罪』の成立要件となる「性交同意年齢」「脅迫(解釈の限定)」の改正を見送ったことです。
 これは、さまざまな委員会の勧告、つまり、「児童の権利委員会」の勧告ⅱ)-b)、ⅴ)、「国際人権(自由権)規約委員会」の勧告ⅲ)-b)c)、「女子差別撤廃委員会」の勧告ⅳ)-b)、「国際人権(自由権)規約委員会」の勧告ⅵ)-a)b)c)に応じず、見送ったことに顕著に表れています。
 保守派の日本政府は、この110ぶりの刑法改正において、①「女性差別撤廃委員会」の平成21年(2009年)8月のⅳ)-b)の勧告、つまり、「身体の安全及び尊厳に関する女性の権利の侵害を含む犯罪として性犯罪を定義すること」、②「児童の権利委員会」の平成16年(2004年)2月のⅱ)-b)の勧告、つまり、「性交同意最低年齢をひきあげること」、③同委員会の平成22年(2010年)6月のⅴ)勧告、つまり、「男児であれ女児であれ、強姦の被害者すべてに同様の保護が与えられるよう刑法改正を検討すること」、➃「国際人権(自由権)規約委員会」の平成20年(2008年)10月のⅲ)-b)c)の勧告、つまり、「抵抗したことを被害者に証明させる負担をとり除き、強姦や他の性的暴力犯罪を職権で起訴するべきである」、「児童の正常な発達の保護と児童虐待の防止を目的として、少年と少女の性交同意最低年齢を13歳とされる現状のレベルからひきあげるべきである」、⑤同委員会の平成26年(2014年)7月のⅵ)-a)b)の勧告、つまり、「職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、b)1日も早く性交同意年齢をひきあげ」、「強姦罪の構成要件を見直すための具体的行動をとるべきである」との勧告に応じず、見送りました。
 勧告に応じず、見送った『強制性交等罪』の成立要件となる「性交同意年齢」「脅迫(解釈の限定)」の改正については、刑法改正の3年前の平成26年(2014年)7月、「国際人権(自由権)規約委員会」が、ⅵ)-c)「強姦罪の構成要件を見直すための具体的行動をとるべきである対応が不十分である」と2度目の勧告を示す中で、改正を強く望む被害者とその支援機関の訴えを黙殺し、見送りました。

c) 「欧州評議会」の『イスタンブール条約』が欧州諸国の法改正を後押し
 一方で、保守派の日本政府と異なり、ⅰ)ⅱ)の勧告、つまり、平成15年(2003年)8月、「女子差別撤廃委員会」の勧告、平成16年(2004年)2月、「児童の権利委員会」の勧告を受け、直ちに動いたのは「欧州評議会」です。
 「欧州評議会(CoE;Council of Europe)」は、第2次世界大戦終戦から4年後の1949年(昭和24年)、人権、民主主義、法の支配の分野で国際社会の基準策定を主導する汎欧州(パン・ヨーロッパ)の国際機関として、フランスのストラスブールに設立されました。
 「パン・ヨーロッパ」とは、欧州全体を一体的に捉え、統合を目指す思想や運動のことで、自国の利益に囚われ、繰り返される戦争を阻止するには、各国間で話し合いの場を持ち、関税や通貨、出入国、労働許可、福祉、防衛など多岐にわたる分野で、共通のルールを設けるという考え方です。
 欧州評議会は伝統的に人権、民主主義、法の支配等の分野で活動しており、最近では、薬物乱用、サイバー犯罪、人身取引、テロ対策、偽造医薬品対策、女性に対する暴力、子どもの権利、AI等の分野にもとり組んでいます。
 その欧州評議会は、2018年(平成30年)4月、『イスタンブール条約(女性に対する暴力と家庭内暴力の防止と撲滅に関する条約)』を締結し、性暴力を「同意にもとづかない性的行為」と規定し、欧州評議会のマリヤ・ペイチノヴィッチ・ブリッチ事務総長は、加盟国に対し、「強制性交の定義を見直すように」と処罰化を呼び掛けました。
 2021年(令和3年)現在、イギリス(2003年)、ドイツ(2016年)、スウェーデン(2018年)、アイルランド、ギリシャ、ベルギー、ルクセンブルク、アイスランド、オーストリア、オーストラリア、南アフリカ、キプロスは、「同意なき性交」が犯罪として認めています。
 イギリス、カナダ、ドイツ等の多くの国では「No Means No」、つまり、「No」を示している相手に対し無理やり性行為をすることをレイプとし、処罰する法改正を実現し、スウェーデン、デンマーク、スペインなどでは一歩進んで、「Yes Mean Yes」、つまり、とっさのことで混乱したり、フリーズしたりしてNoと意思表示できないときでも、「Yes」といっていないときにはすべて「No」と受けとり、相手の意志を確認しない性行為はレイプとし、処罰する法改正を実現しました。
 さらに、スウェーデンでは、上下関係が一般的な教員など「監護者」による性暴力、15歳未満への性虐待は、同意の有無にかかわらず『レイプ罪』を適用します。
 また、ドイツでは、1997年(平成9年)以降、夫婦であっても『レイプ罪』が成立しています。
 一方で、スペイン、デンマーク、オランダ、フィンランドでは、「同意なき性交」を強制性交とするかの是非を巡り議論が続いていました。
 フランス、スペイン、スイス、ロシア、中国をはじめとする多くの国は、暴力、脅迫、または、精神的圧力で強要された性行のみを「強制性交」としてきましたが、スペインは、2021年(令和3年)、『イスタンブール条約』に刑法を適合させる方針転換をはかり、2022年(令和4年)に可決し成立(イエスだけがイエス)、スイスでは、刑法改正が議論されています。
 このように、ヨーロッパでは、2018年(平成30年)4月、欧州評議会の『イスタンブール条約(女性に対する暴力と家庭内暴力の防止と撲滅に関する条約)』がきっかけとなり、性暴力を「同意にもとづかない性的行為」と規定し、処罰化する動きが一気に進みました。
 また、「児童の権利委員会」の平成16年(2004年)2月のⅱ)-b)の勧告、つまり、「性交同意最低年齢をひきあげること」との勧告に対し、カナダは、2008年(平成18年)5月1日、『暴力犯罪防止条例(the Tackling Violent Crime Act)』により、14歳から16歳にひきあげました。
 この勧告に応じてこなかった国々、つまり、韓国は、2020年(令和2年)に13歳から16歳、フランスは、2021年(令和3年)に13歳から15歳にひきあげるなど、15歳未満の国が性交同意年齢をひきあげました。
 結果、令和3年(2021年)以降、主たる国で、平成29年(2017年)6月2日、110年ぶりの刑法改正(性犯罪を厳罰化)において、「性交同意年齢をひきあげ」を見送った日本だけが、性交同意年齢13歳のまま残ることになりました。
 その結果、令和5年(2023年)4月現在の「性交同意年齢」は、アメリカ(州により異なる)は16-18歳、イギリス(2003年)、カナダ(2008年)、ロシア、韓国は16歳、ドイツ、イタリア、中国、台湾は14歳、日本は13歳となりました。
 日本政府が、対応を先延ばしにした理由は、勧告のⅱ)-a)「少女の婚姻最低年齢を少年の最低年齢にまでひきあげること」が深く関係しています。
 これは、『児童婚』の問題です。


2) 「児童婚」に関する勧告
 「児童の権利委員会」の平成16年(2004年)2月のⅱ)-a)の勧告は、『子どもの権利条約(児童の権利に関する条約』と『女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)』が禁止している「児童婚(18歳未満での婚姻)」に対する指摘です。
 明治9年(1876年)の『太政官布告』をひき継ぎ、『民法』で、成年年齢を20歳と定めていました。
 これは、国際社会から「G7の中でもっとも遅れている。」、「G7の中で、これほどまでに後ろ向きな国は他にない。」と指摘される『家族法(民法)』の問題です。
 婚姻開始年齢が男女で異なる状況は、昭和23年(1948年)12月10日に採択した、人権法の柱石(すべての人民にとって、達成すべき共通の基準)となる『世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)』の第1条「尊厳と権利とについて平等である」に反するものです。
 しかし、日本政府は、この状況を放置し続け、しかも、昭和60年(1985年)6月25日に『女性差別撤廃条約』、平成6年(1994年)4月22日に『子どもの権利条約』に批准した以降も、同条約が禁止する「児童婚」を認めてきました。
 保守派の日本政府が、「児童の権利委員会」のⅱ)-a)の勧告に応じ、『民法』の一部改正(民法731条)に至ったのは、いまから15ヶ月前の令和4年(2022年)4月1日です(令和5年(2023年)7月現在)。
 実に、日本政府が「児童婚」を禁止するまでに、『女性差別撤廃条約』を批准(昭和60年(1985年))してから37年、「女性差別撤廃委員会」の平成16年(2004年)2月の勧告から19年2ヶ月を要しました。
 令和4年(2022年)4月1日、『民法』の一部が改正されたことで、147年続いた成年年齢を18歳にひき下げ、婚姻開始年齢は16歳と定められていた女性も18歳とひき上げられ、ようやく男女の婚姻開始年齢が統一されました。
 この日本で147年続いた『児童婚』が禁止された(ⅱ)-a)の勧告)ことで、はじめて、ⅱ)-b)、ⅲ)-c)、ⅵ-b)の勧告に応じられる状況になりました。


3) ♯Mee Tooのもと、フラワーデモで、性暴力被害者が声をあげた
 2017年(平成29年)、性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとしてはじまった「♯Mee Too」は、同年10月5日、ニューヨーク・タイムズが、性的虐待疑惑のあった映画プロデューサーのヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクシュアルハラスメントを告発したことをきっかけに、世界中に広まりました。
 そして、この性暴力被害者の「♯Me Too」は、日本にも大きな変化をもたらしました。
 それは、a)平成29年(2017年)、110年ぶりの刑法改正(性犯罪の厳格化)で見送られた「性交同意年齢」「脅迫(解釈の限定)」の見直しを求める論議が活発になったこと、b)平成29年(2017年)1月1日、職場でのセクシュアルハラスメント防止対策を強化する『改正男女雇用機会均等法』の施行に至ったこと、c)令和3年(2021年)5月、『教員による児童生徒性暴力防止法』が成立したことです。

① 『教員による児童生徒性暴力防止法』
 c)の『教員による児童生徒性暴力防止法』では、わいせつ行為で懲戒免職を受けて教員免許を失っても3年経過すれば再取得できる仕組みを見直し、都道府県教育委員会の判断で免許の再交付を拒めるようにしました(同法の付帯決議に、保育士資格でも同様の仕組みを検討することが盛り込まれていることを受け、同年11月、厚生労働省は、「地域における保育所・保育士等の在り方に関する検討会」で、再登録を厳格化する対応案を示し、令和4年(2022年)の通常国会で、『児童福祉法改正案』の提出を目指しています)。

② 『男女雇用機会均等法及び育児・介護休業法』
 「国際人権(自由権)規約委員会」の平成26年(2014年)7月の(6)-a)前段の勧告、つまり、「職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、‥」との勧告については、2-4)-②で述べている『不同意性交等罪』の成立要件のh)「経済的、または、社会的な地位にもとづく影響力によって受ける不利益を憂慮させる(憂慮している)」が一部該当します。
 しかし、職場などでの性暴力被害、いわゆる「セクシュアルハラスメント」について訴追するには、多くの課題が残ります。
 昭和47年(1972年)に制定された『男女雇用機会均等法』は、平成11年(1999年)4月、「女性労働者に対するセクシュアルハラスメント(セクハラ)防止のための配慮義務」を盛り込み、同18年(2007年)4月、「男女労働者に対するセクハラ防止の措置義務」に改正、そして、平成29年(2017年)1月、「マタニティハラスメント(マタハラ)防止の措置義務」が追加しました。
 令和元年(2019年)6月5日、『女性の職業生活における活躍の推進等に関する法律等の一部を改正する法律』が公布され、令和2年(2020年)6月1日、『労働施策総合推進法』、『男女雇用機会均等法及び育児・介護休業法』が改正されました。
 この一連の法改正が進む中、平成30年(2018年)5月4日、麻生太郎財務相(元首相)は、訪問先のマニラで「セクハラ罪という罪はない」との発言し、続けて、同8日の記者会見で、「セクハラ罪という罪はない。事実を述べただけだ」、「親告罪であり、訴えられない限りは罪にはならない」と強調しました。
 この麻生太郎財務相の発言は、「国際人権(自由権)規約委員会」の平成26年(2014年)7月のⅵ)-a)前段の勧告、つまり、「職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、‥」との勧告の渦中でした。
 令和元年(2019年)5月、「雇用対策法」と呼ばれる『労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(労働施策総合推進法)』が改正され、職場におけるパワーハラスメント防止対策が事業主に義務付けられたことを受け、この『労働施策総合推進法』は、『パワハラ防止法』と呼ばれるようになりました。
 『パワハラ防止法』が定義する「パワーハラスメント」の成立要件は、①優越的な関係を背景とした言動、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの、③労働者の就業環境が害されるものといった3つの要素すべてを満たすことです。
 そして、「パワーハラスメント」の代表的な言動の類型として、ア)身体的な攻撃(暴行、傷害)、イ)精神的な攻撃(強迫、脅迫、名誉棄損、侮辱、ひどい暴言)、ウ)人間関係からの切り離し(隔離、仲間外し、無視)、エ)過大な要求(業務上、明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)、オ)過小な要求(常務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)、カ)個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)の6つをあげています。
 しかし、パワーハラスメント行為に至った社員は、直ちに(そのまま)、『暴行罪(刑法208条)』『傷害罪(同204条)』『強要罪(刑法223条)』『侮辱罪(同231条)』などの刑法犯として事件化(立件、起訴)されるわけではなく、被害者が警察に出向き、提出した「被害届」、あるいは、「告訴状」を受理してもらう必要があります。
 この『パワハラ防止法』のスタートに合わせ、令和2年(2020年)6月1日、『男女雇用機会均等法』も改正され、職場でのセクシュアルハラスメント防止対策が強化されました。
 この改正で追加されたのは、①不利益取扱いの禁止(均等法11条2項)、②他の事業主への協力義務(均等法11条3項)、③セクハラ防止の啓発活動とセクハラに必要な注意を払うべき努力義務(均等法11条の2)の3つです。
 つまり、麻生太郎財務相が強調した「セクハラ罪という罪はない。事実を述べただけだ」、「親告罪であり、訴えられない限りは罪にはならない」ように、職場などで、セクシュアルハラスメント行為に至った社員は、直ちに(そのまま)、『強制性交等罪(同177条)』『強制性交等致傷罪(同181条2項)』『強制わいせつ罪(同176条)』、『強制わいせつ致傷罪(同181条1項)』などの刑法犯として事件化(立件、起訴)されるわけではなく、被害者が警察に出向き、提出した「被害届」、あるいは、「告訴状」を受理してもらい、立件、起訴してもらう必要があります。
 しかも、日本では、有罪を勝ちとるには高いハードルがあります。

③ 日本での「不同意性交等罪」の実現を巡る動き
 a)の「性交同意年齢」「脅迫(解釈の限定)」の見直しの議論が活発になる中で、大きな焦点となったのが、意に反する性行為を処罰する「不同意性交等罪」の実現です。
 日本の刑法では、相手の意に反する性行為をしただけでは性犯罪が成立せず、「暴行・脅迫」、「心神喪失・抗拒不能」という成立要件が必要でした。
 この成立要件は、加害者には都合がよく、被害者にはとてもハードルが高く、多くの被害者が、事件化(立件し、起訴する)を断念したり、被害を訴えることあきらめざるを得なくなったりして、泣き寝入りを余儀なくされてきました。
 このとき、被害者は、相談した弁護士から「起訴は困難である」と告げられる(説明される)ときに、度々、2次被害を受けてきました。
 平成29年(2017年)の110年ぶりの刑法改正(性犯罪の厳罰化)に先立つ『法制審議会』において、「改正案の「強制性交等罪(177条)」「準強制性交等罪(178条2項)」の規定を柔軟に解釈すれば、相手の意に反する性交を処罰することは可能なのだから改正の必要ない」との結論に至り、見送られた経緯があります。
 しかし問題は、それは机上の空論であることです。
 現実の性暴力事件の多くは、被害を相談したり、訴えたりした警察署で、対応した警察官(刑事)に、「暴行・脅迫、心神喪失・抗拒不能という要件を満たす証拠がない」と応じられ、「被害届」を受けつけてもらえず、事件化(立件し、起訴する)できず、泣き寝入りを余儀なくされています。
 こうした中で、性犯罪の実情が可視化されたのが、平成28年(2016年)ジャーナリストの伊藤詩織氏が受けたレイプ被害(加害者の男性は、被害者が酩酊状態で意識がなく、同意がないまま性行為に及んだ)に対し、『準強姦罪(刑法178条2項)』で「被害届」が受理されたにもかかわらず、加害者の男性の逮捕が直前で見送られ、結局、加害者の男性を「嫌疑不十分で不起訴」にしたレイプ事件です。
 以降の3年間、つまり、令和元年(2019年)12月18日、民事事件として、「レイプの事実(加害者の男性は、被害者が酩酊状態で意識がなく、同意がないまま性行為に及んだ)が認定され、加害者の男性に対し、330万円の損害賠償金の支払いを命じる」判決(一審)が下されるまで、日本の♯Mee Tooの顔となり戦ってきました。
 その後、令和4年(2022年)7月8日、最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)は、加害者の男性の上告を退け、約332万円の賠償を命じた二審・東京高裁判決が確定しました。
 一方で、平成31年/令和元年(2019年)、被害届が受理され、立件・起訴に至った「性犯罪事件」において、4件(岡崎、静岡、浜松、久留米各地裁支部決定)の無罪判決が下されました。
 この4件の無罪判決のうち3件で、裁判所は、「性行為が、被害者の意思に反していた」と事実認定する一方で、「抗拒不能という要件やその故意を満たさない」という理由で無罪にしました。
 この4件の無罪判決は、日本では、無理やり性交(レイプ)されても、加害者は処罰されることなく、なにくわぬ顔をして日常生活を送り、一方で、被害者は泣き寝入りを強いられるだけではなく、意に反しレイプされた事実と後遺症としてのPTSDなどのさまざまな症状に苦しみ、被害前の日常を破壊され、人生そのものを奪われます。
 性暴力を受けた当事者たちが、「こうした被害者が理不尽な思いを強いられ、苦しむ現実を変えなければ、被害者である私たちは、安全に、尊厳を持って生きていけない」との悲痛な思いが広がり、全国ではじまったのが「フラワーデモ」です。
 この「フラワーデモ」のもとで、被害者に寄り添った刑法改正を求める声が少しずつ高まっていきました。
 その中で、一般社団法人Spring、一般社団法人Voice up Japan、認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウの3団体は、a)不同意性交等罪の導入、b)性交同意年齢のひき上げ、c)地位関係性を利用した性犯罪規定の創設を求める新たな刑法改正を求めるオンライン署名をスタートさせ、令和元年(2019年)6月末までに6万筆、令和3年(2020年)3月までに9万筆、今回(令和5年(2023年)6月16日)の刑法改正(性犯罪の規定を見直し))の前には14万筆の著名が集まっています。

 そして、平成29年(2017年)3月7日、110年ぶりの「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」から6年3ヶ月を経て、令和5年(2023年)6月16日、「性犯罪の規定を見直した刑法改正(案)」が、参議院本会議で可決し、成立し、同年7月13日、施行されました。
 では、平成29年(2017年)3月7日、この110ぶりの刑法改正において、日本政府が見送った勧告の中で、今回(令和5年(2023年)6月16日)の「性犯罪の規定を見直した刑法改正」において、どの勧告に応じ、再び、どの勧告を見送ったのかを見ていきたいと思います。
 前回、日本政府が見送った勧告は、①「女性差別撤廃委員会」の平成21年(2009年)8月のⅳ)-b)の勧告、つまり、「身体の安全及び尊厳に関する女性の権利の侵害を含む犯罪として性犯罪を定義すること」、②「児童の権利委員会」の平成16年(2004年)2月のⅱ)-b)の勧告、つまり、「性交同意最低年齢をひきあげること」、③同委員会の平成22年(2010年)6月のⅴ)勧告、つまり、「男児であれ女児であれ、強姦の被害者すべてに同様の保護が与えられるよう刑法改正を検討すること」、➃「国際人権(自由権)規約委員会」の平成20年(2008年)10月のⅲ)-b)c)の勧告、つまり、「抵抗したことを被害者に証明させる負担をとり除き、強姦や他の性的暴力犯罪を職権で起訴するべきである」、「児童の正常な発達の保護と児童虐待の防止を目的として、少年と少女の性交同意最低年齢を13歳とされる現状のレベルからひきあげるべきである」、⑤同委員会の平成26年(2014年)7月のⅵ)-a)b)の勧告、つまり、「職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、b)1日も早く性交同意年齢をひきあげ」、「強姦罪の構成要件を見直すための具体的行動をとるべきである」です。


4) ⅰ)の勧告(成立要件の緩和など)に対し未対応(見送り)事案
 前回(平成29年(2017年)3月7日)の110ぶりの刑法改正(性犯罪の厳罰化)から6年3ヶ月を経た今回(令和5年(2023年)6月16日)の刑法改正(性犯罪の規定を見直し)のもっとも重要なポイントは、前回変更となった『強制性交等罪(旧強姦罪)』が、再び、『不同意性交等罪』と罪名が変わり、「相手の意に反する性行為を広く性犯罪と定義した」ことです。
 では、改正された内容、新たに設けられた内容を見ていきたいと思います。

① 性交同意年齢
 この「性犯罪の規定を見直した刑法改正」において、「性交同意年齢」が13歳から16歳にひきあげられました。
 しかし、「13歳以上16歳未満」に対して、「被害者より年齢が5歳以上上の行為者」に対してのみ適用されるとの要件がつきました。
 つまり、「13歳の中学2年生と18歳の高校3年生、専門学校生、大学生、社会人との性行為」、「16歳の高校1-2年生と21歳の専門学校生、大学生、社会人との性行為」では、同意の必用はないことになります。
 または、「中学校や高等学校に「教育実習」で訪れた大学生との性行為」は、同意の必要がないことになります。
 2-4)-②の「不同意性交等罪」の成立要件「h)経済的、または、社会的な地位にもとづく影響力によって受ける不利益を憂慮させる(憂慮している)」は、「教師から生徒、スポーツの指導者から選手に対する行為などを想定した」とありましたが、法文には「どのような関係性」を指しているのか記述はなく、適切に運用されるか懸念が残ります。
 しかも、性的な行為を目的に子どもを手懐ける「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)に対する処罰規定(面会要求罪*12)を想定している」とありますが、最初から、先の「中学生・高等学校の生徒と「教育実習」で訪れる大学生との“構図”を想定していない」ことになります。
 本来、教員による性暴力事件が表面化し、繰り返され、大問題になり、令和3年(2021年)5月、『教員による児童生徒性暴力防止法』が成立する中で、文部科学省、教職課程のある大学、「教育実習」として受け入れる教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、そして、少なくとも中学校・高等学校の校長や教頭などの幹部が、今回の刑法改正に向けた動きに関心を持ち、被害者支援機関とともに声をあげ、働きかけなければならない重要なテーマのはずです。
 「教育実習」に臨む大学生にとって、教育実習先の中学校・高等学校の生徒と性交渉を持ったら、『不同意性交等罪』の適用されるのと、年齢が5歳以内の差であれば、恋愛として性交渉を持ったといい逃れることができるのとでは、“抑止力”としては雲泥の差があります。
 「教育実習」に臨む大学生の心構えがまったく違ってきます。
 今回の「年齢制限」の規定は、「中学生・高等学校の生徒と「教育実習」で訪れる大学生との性行為」を容認しているようなものです。
 そして、教育関係機関、教育者たちは、この問題に無関心です。
 そもそも「13歳」は、性的サディズム、窃視症(のぞき、盗撮)、性的マゾヒズム、窃触症(さわり魔、痴漢)、露出症など「パラフィリア(性的倒錯/性嗜好障害)」に含まれる「ペドファリア(小児性愛)」の捕獲対象者です。
 なぜなら、「ペドファリアは、13歳未満の小児」を対象とする」という定義があるからです。
 また、同じペドファリアであっても、「幼児期期(3-6歳)」、「学童前期(6-10歳)」、「思春期前期(10-12歳)」のいずれかを主ゾーンとするように、ペドファリアにとって、その時期の体型が重要なファクターなります。
 つまり、ペドファリアは、「幼児体型を好む者」、「学童児体型を好む者」、「第2次性徴前の体形を好む者」に分かれ、この主ゾーンはほぼ破られることはありません。
 そのため、欧米社会では、小児を狙ったペドファリアの犯罪が発生したときには、前歴リストの中から、対象となったゾーンに沿った捜査が進められます。
 そのペドファリアをはじめとする「パラフィリア」が見せる「性的興奮のパターン」は、思春期前の幼児期・学童期の前半、つまり、6-8歳ころに(小学校1-3年生までには)既に発達を終え、その性的興奮のパターンがいったん確立されると、その多くは一生続きます。
 このことは、6-8歳の児童が、3-6歳以下の小児を性的対象とする「性的興奮のパターン」が確立されているときには、十分に性的な行為に至る可能性があることを意味します。
 つまり、17歳の高校生のペドファリアにとって、13歳の児童は、十分な捕食対象者となり得ることになります。
 ちなみに、ペドファリアなどの「パラフィリア」、つまり、性的な加害行為に及ぶ可能性のある者が見せる「性的興奮のパターン」の発達には、①不安または早期の心的外傷が正常な精神性的発達を妨げていたり、②性的虐待を受けるなど、本人の性的快楽体験を強化する強烈な性体験に早期にさらされることにより、性的興奮の標準的パターンが他のものに置き換わっていたり、③性的興奮のパターンとして、性的好奇心、欲望、興奮と偶然に結びつくことによって、そのフェティッシュ(物神崇拝、特殊な細部や部分対象への偏愛)が選択されるなど、しばしば象徴的な“条件づけ”の要素を獲得していたりするといった3つのプロセスが関係しています。
 加えて、『民法734条(近親者間の婚姻の禁止)』で、「直系血族、または、3親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない」と記述されているように、日本で結婚が禁じられているのは3親等以内までで、「4親等のいとこ」とは婚姻が認められています。
 このことは、幼少期の親族による性的虐待被害と絡む問題です。
 婚姻が認められる「4親等のいとこ」が、同年代同士の自由な恋愛と意思表示をしめすと「18歳と13歳のいとことの性行為」は、「同21歳のいとこと16歳のいとことの性行為」には、この「性交同意年齢」は適用されないことになります。
 つまり、いとこによる性的虐待が野放しになる怖れがでてきます。
 しかも、5歳差があると、『不同意性交等罪』の成立要件となる②-h)の「性的グルーミング」の高いリスクがあります。
 にもかかわらず、適用は「5歳以上」の年齢差を設けています。
 まるで、いとこによる性的虐待を容認しているかのような「年齢差」の条件です。
 保守派の日本政府が、「同年代同士の自由な意思決定による性的行為を処罰対象から外すために設けた」と説明する「年齢差の条件」は、愚策でしかなく、性犯罪、性的虐待を助長するものです。

*12 2-)-②の「不同意性交等罪」の成立要件h)の「*」で詳述していますが、今回(令和5年(2023年)6月16日)の刑法改正(性犯罪の規定を見直し)で、注目を浴びている「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)」は、実際は『面会要求罪』と置き換えられ、本来の手懐ける行為に「金銭を支払うことを約束」との限定的な成立要件を設けていることから、本来の「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)」とはかけ離れたものになっています。
 「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)」という“ことば”だけが独り歩きしています。

② 「不同意性交等罪」の創設
 『強制性交等罪(刑法177条』と『準強制性交等罪(同178条』を統合し、『不同意性交等罪』になり、平成29年(2017年)3月7日に成立した「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」で見送られた成立要件、つまり、『強制性交等罪』では「暴行または脅迫を用いること」、『準強制性交等罪』では「人の心身喪失もしくは抗拒不能に乗じること」としていたものが、以下のa)-h)の「8つの行為や原因」により、被害者が「同意しない意思を形成し、表明し、もしくは全うすることが困難な状態にさせる」または、「その状態にあることに乗じて性交した場合」と変更しました。
 「形成するのが困難」とは、睡眠やアルコールの影響等で意思決定が困難なケースなど、「表明するのが困難」とは、急に性行為を求められ、恐怖のあまりフリーズして動けなくなってしまったケースなど、「全うするのが困難」とは、Noと意思表示を示したのに、相手が無視して無理やり性行為をしたケースなどが該当します。
 再三の国会質疑で、「困難であればその程度は問わない」と確認されています。
 この「国会質疑」で確認された重要なフレーズ(キーワード)は、加害者、ならびに、加害者である代理人の弁護士が繰りだす「いい逃れ」の言動が、被害者にとって2次加害となり得ることから、前もって釘を刺す意味でも、ぜひ、覚えておいて欲しいと考えます。
a) 暴行、または、脅迫を用いる(暴行、または、脅迫を受ける)
b) 心身の障害を生じさせる(心身の障害がある)
c) アルコールや薬物を摂取させる(アルコールや薬物の影響がある)
d) 睡眠やその他意識が明瞭でない状態にさせる(意識が不明瞭な状態にある)
e) 同意しない意思を形成・表明・全うするいとまがない
*不意打ちの状態を想定
f) 予想と異なる事態に直面させて恐怖させる、または、驚愕させる(恐怖し、または、驚愕している)
*恐怖やショックでからだが硬直してしまう、いわゆる「フリーズ」状態を想定
g) 虐待に起因する心理的反応を生じさせる(虐待に起因する心理的反応がある)
*長時間にわたり性的虐待を受けることで、拒絶する意思すら生じないケース、いわゆる「学習した無力感」に陥っている状態を想定
h) 経済的、または、社会的な地位にもとづく影響力によって受ける不利益を憂慮させる(憂慮している)
*教師から生徒、スポーツの指導者から選手に対する行為などを想定し、これは、性的な行為を目的に子どもを手懐ける「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)」に対する処罰規定としています。
 ただし、この「性的グルーミング」は、『面会要求罪』と表現が置き換えられ、16歳未満の子どもに対し、a)わいせつ目的で騙したり、誘惑したりして面会を要求する行為、「お金をわたす」と約束して会うことを求める行為、b)オンライン上でのグルーミング行為を想定し、性交や性的な部位を露出した映像をSNSなどで送るよう求める行為が該当します。
 「援助交際」、「パパ活」などを取り締まる目的が強く、「お金をわたす」との約束がない、多くの一般的なペドファリアの子どもを手懐ける手口としての「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)」は、事件化(立件し、起訴する)できない可能性があります。
 つまり、性的な行為のあとに、口止め料として「お金をわたす行為」には、『面会要求罪』は適用できない可能性がでてきます。
 しかも、この『面会要求罪』は、教師から生徒、スポーツの指導者から選手に対する行為などを想定していながら、金銭の授受の約束のない、恋愛感情につけ込むなど「チャイルド・グルーミング」を利用した学校の教職員や塾講師、指導者などによる性暴力が加えられたとしても、『面会要求罪』は適用できない可能性があります。
 なぜなら、「性的グルーミング(面会要求罪)」も、①と同様に、被害者が13歳から16歳のときは、行為者の年齢が5歳以上上であることが適用の条件としているからです。
 「性交や性的な部位を露出した映像をSNSなどで送るよう求める行為」においても、「未成年者のセクスティング」被害を防ぐ意味はあります。
 「セスクティング」とは、sex(性的な)+ texting(メッセージのやりとり)からの造語で、スマートフォンなどを介し、性的なメッセージや画像をやりとりする行為のことです。
 出会い系サイトで知り合った異性とのセスクティング、恋人同士のポジティブなコミュニケーションの中での「セクスティング」は、リベンジポルノ、無許可(盗撮・隠し撮りを含む)の性的動画・写真のSNS投稿、いじめ、ハラスメントまでさまざまなリスクを伴いますが、「年齢制限内の出会い系サイトで知り合った相手や交際相手との「セクスティング被害を防ぐ」という意味では、まったく無力、意味を持ちません。
 一般的なペドファリアの子どもを手懐ける「性的グルーミング(チャイルド・グルーミング)」としては、名ばかりで、まったく実態を伴っていません。
 この「表現の置き換え」のもとでの「金銭の約束」、「年齢制限」などの「適用条件」がある限り、被害を助長します。
 加えて、性暴力の被害申告の難しさなどを踏まえ、性犯罪に関する公訴時効はいずれも「5年」延長されました。
 『不同意性交罪(現.強制性交等罪)』の公訴時効は10年から15年に、『不同意わいせつ罪(現.強制わいせつ罪)』は7年から12年になります。
 被害者が18歳未満のとき、18歳に達するまでの期間がこれに加算されます。
 つまり、18歳未満ときに、『不同意性交罪(現.強制性交等罪)』『不同意わいせつ罪(現.強制わいせつ罪)』が適用される性暴力を受けたときには、公訴時効の起算点は18歳となります。
 また、『強制わいせつ罪(同176条)』と『準強制わいせつ罪(同178条』も統合され、『不同意わいせつ罪』になります。
 平成29年(2017年)3月7日に成立した「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」で、『強姦罪』から『強制性交等罪』に改正されたときに、男性器(陰茎)を膣に挿入する以外の「性交類似行為」として、男性器(陰茎)を肛門、口腔内に挿入、または、挿入させる行為を加えました。
 そのときに見送られた「膣、または、肛門にからだの一部、または、物を挿入する性交類似行為」も性交と同じ扱いにすると定めました。

③ 「撮影罪」の新設
 『性的姿態撮影罪(性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律(案)』が新設されました。
 「盗撮」行為については、これまで『刑法』に規定はなく、各都道府県の『条例』を適用してきました。
 しかし、各都道府県の『条例』は、地域ごとに罰則や対象となる行為にばらつきがありました。
 改正案とともに可決された新法案では、性的な部位(性器、肛門、臀部、胸部など)や人が身につけている下着などの盗撮を処罰する『性的姿態撮影罪』が盛り込まれ、わいせつ行為わいせつな行為や性交などがされている間の撮影(以上、性的姿態等撮影行為)、第3者への提供などの行為に対して適用できるようになります。
 しかし、アスリートの性的画像対策は盛り込まれていません。
 「第3者への提供などの行為」については、第1に、撮影された影像記録を提供・保管・送信すること、第2に、これまでは、「捜査機関が、被疑者に対し、スマートフォンなどに保存された写真や動画のデータを削除するよう求め、これに被疑者が任意に応じたとき、その場で削除する」といった流れが、「検察官の判断により、撮影データを一括して削除する措置を取ることができる規定が追加されました。

 では、保守派の日本政府がとり組んだ、平成29年(2017年)3月7日に成立した「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」で見送った勧告、そして、今回(令和5年(2023年)6月16日)、成立した「性犯罪の規定を見直した刑法改正」で、勧告に対応せず、見送りした勧告を整理します。
 前回の「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」で見送った勧告の中で、今回の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」で改善されたのは、②「児童の権利委員会」の平成16年(2004年)2月のⅱ)-b)の勧告、つまり、「性交同意最低年齢をひきあげること」、➃「国際人権(自由権)規約委員会」の平成20年(2008年)10月のⅲ)-c)の勧告、つまり、「児童の正常な発達の保護と児童虐待の防止を目的として、少年と少女の性交同意最低年齢を13歳とされる現状のレベルからひきあげるべきである」、⑤同委員会の平成26年(2014年)7月のⅵ)-b)の勧告、つまり、「1日も早く性交同意年齢をひきあげ」、「強姦罪の構成要件を見直すための具体的行動をとるべきである」です。
 ⅱ)-b)とⅵ)-b)前段は勧告から19年4ヶ月、ⅲ)-c)は勧告から14年8ヶ月、ⅵ)-b)後段は8年11ヶ月を要しています。
 一方、前回の「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」で見送られた勧告の中で、今回の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」においても、再び、見送られた勧告は、①「女性差別撤廃委員会」の平成21年(2009年)8月のⅳ)-b)の勧告、つまり、「身体の安全及び尊厳に関する女性の権利の侵害を含む犯罪として性犯罪を定義すること」、③「児童の権利委員会」の平成22年(2010年)6月のⅴ)の勧告、つまり、「男児であれ女児であれ、強姦の被害者すべてに同様の保護が与えられるよう刑法改正を検討すること」、➃「国際人権(自由権)規約委員会」の平成20年(2008年)10月のⅲ)-b)の勧告、つまり、「抵抗したことを被害者に証明させる負担をとり除き、強姦や他の性的暴力犯罪を職権で起訴するべきである」、⑤同委員会の平成26年(2014年)7月のⅵ)-a)前段の勧告、つまり、「職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、‥」です。
 ⅳ)-b)は勧告から13年10ヶ月、ⅴ)は勧告から13年、ⅲ)-b)後段は14年8ヶ月、ⅵ)-a)前段は勧告から8年11ヶ月、未対応です。
 整理すると、前回の「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」で、日本政府が対応した勧告は、ⅰ)-b)c)、ⅳ)-a)c)、ⅲ)-a)の5勧告で達成率38.46%、未達成率61.54%、今回の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」で、日本政府が対応した勧告は、ⅱ)-b)、ⅲ)-c)、ⅵ)-b)の3勧告で併せて8勧告、達成率61.54%、未達成率38.46%、今回、再び、日本政府が見送った勧告は、ⅳ)-b)、ⅴ)、ⅲ)-b)、ⅵ)-a)前段の4勧告です。
 ⑤の「国際人権(自由権)規約委員会」の平成26年(2014年)7月のⅵ)-a)前段の勧告、つまり、「職権による強姦及び他の性的暴力の犯罪を訴追し、‥」との勧告については、『不同意性交等罪』の成立要件のh)「経済的、または、社会的な地位にもとづく影響力によって受ける不利益を憂慮させる(憂慮している)」が一部該当し、また、「2-3)-②」で述べているように、平成29年(2017年)1月1日、職場でのセクシュアルハラスメント防止対策を強化する『改正男女雇用機会均等法』を施行しています。
 しかし、この勧告は、「犯罪として訴追」とあることから、『改正男女雇用機会均等法』において、「職場でのセクシャルハラスメント防止対策の強化」とはまったく次元の違うものです。
 職場などでの性暴力被害、いわゆる「セクシュアルハラスメント」に対する訴追は、ほぼ手をつけていない状態で、多くの課題が残ったままです。
 そして、いま、懸念しているのが、2017年(平成29年)、性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとしてはじまった「♯Mee Too」は、日本にも大きな変化をもたらし、「フラワーデモ」など性的虐待・性暴力被害者たちが直接声をあげ、性暴力被害者の当事者団体(グループ)と連携し、幾つかの政党、政治家に働きかけ続け、平成29年(2017年)3月7日、110年ぶりの「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」、そして、今回(令和5年(2023年)6月16日)の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」の実現に向けて、ひとつの成果を示しましたが、それは、締約国として、「女性差別撤廃委員会」「子どもの権利委員会」などから繰り返し是正勧告を受け、他国との絡みの中で避けられない状況下での規制路線から目を逸らすため、つまり、政治的に「外圧に屈した日本」ではなく、「被害者(国民)の声をきき、法改正・政策に結びつける日本」をアピールする道具に使われたことを、当事者団体(グループ)が自覚していない可能性です。
 この懸念は、1970年代の「ウーマンリブ運動(女性解放運動)」の活動家が保守政党にとり組まれ、無力されて以降、同じやり口(パターン)が繰り返されてきた体験にもとづきます。
 自分たちの声(訴え)を形(法改正や新法の制定など)にするために、政権、政党、政治家を利用する、一方の政権、政党、政治家も利用する、つまり、win-winの関係性を自覚しての行動であれば問題はありませんが、「政権、政党、政治家に私たち被害者(当事者)の声(訴え)が届いた! ありがたい。」と感謝の念を抱く関係性には、政治的に無防備なだけに危うさが残ります。


 ここまで、各「委員会」から性暴力、性犯罪に対する勧告に対し、日本政府が、平成29年(2017年)3月7日、110年ぶりの「刑法改正(性犯罪の厳罰化)」、そして、今回(令和5年(2023年)6月16日)の「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」で対応したこと、対応せず、見送ったことを見てきました。
 ここからは、性暴力、性犯罪以外の人権問題に対する各「委員会」の勧告に対する日本政府の対応、その姿勢を見ていきたいと思います。


4.「女性への暴力」としてのまったく進まないDV問題。
 性暴力、性犯罪以外の人権問題に対する各「委員会」の勧告は、①「女子差別撤廃委員会」の平成15年(2003年)8月のⅰ)の勧告、つまり、「ドメスティック・バイオレンスを含む女性に対する暴力の問題に対し、女性に対する人権の侵害としてとり組む努力を強化する」こと、特に、a)「『配偶者暴力防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)』を拡大し、様々な形態の暴力を含める」こと、②「女性差別撤廃委員会」の平成26年(2014年)のⅶ)の勧告、つまり、「面会交流のスケジュールを決定するときには、家庭内暴力や虐待の履歴があれば、それが女性や子どもを危険にさらさないように考慮しなければならない。」です。
 つまり、DV問題に対する勧告です。
 では、DV問題に向けたとり組みがどのように進められてきたのか、その経緯をアメリカと比較しながら見ていきたいと思います。
 このアメリカの「DV問題」に対する社会的なとり組みを知ることで、日本の「DV問題」に対するとり組みの違いが明らかとなり、日本政府のとり組みが、いかに後進的(進歩的でない)で、なぜ、「女性差別撤廃委員会」から繰り返し是正勧告を受けているかのを理解できます。


1) 世界的に異例。保守政権、「女性解放運動家」をとり込み無力化
 「1-5)1970年代、若者が社会問題と距離を置き、政治に無関心に」で述べた「安保闘争」「山岳ベースリンチ事件」「あさま山荘立てこもり事件」後、若者の多くが社会問題から距離を置き、政治に無関心になりはじめた直後に、世界中で大きな市民運動がはじまりました。
 それは、「ベトナム戦争(1960年代初頭から1975年4月30日)」が長引き、泥沼化する中で、アメリカ合衆国ではじまった「反戦運動」と「女性の解放運動(ウーマンリブ運動)」です。
 「ウーマンリブ運動」の“ウーマンリブ”とは、女性解放を意味する「ウィメンズ・リベレーション(Women's Liberation)」の略です。
 ベトナム戦争は、建国後、先住民族を虐殺するなど血みどろの歴史を抱えるアメリカにおける「女性や子どもへの暴力、黒人など人種差別の根絶を目指すとり組み」の大きなきっかけ、転機となりました。
 先住民族を虐殺するなど血みどろのアメリカの歴史、つまり、迫害、虐殺された人々(民族・人種)の子孫、そして、移民が、貧困、アルコール依存、DV、レイプといったアメリカが抱える社会病理のひとつの背景となっています*13。

*13 その後、ここに、「ベトナム戦争」の帰還兵のPTSD発症を起因とするDV、レイプ、自殺、アルコール・薬物依存、貧困が加わり、さらに、不法移民の増加、「湾岸戦争」「イラク戦争」「アフガン戦争」の帰還兵のPTSD発症に起因する問題が、この社会病理を深刻にしています。

① アメリカの「暴力を振るわれた女性たちの運動」のはじまり
 1960年代-1970年代前半のアメリカにおいても、親しい男女間の暴力は、個人の問題であり、社会問題、人権問題といった意識はありませんでした。
 なぜなら、社会的な背景として、「男だから女性への暴力は、許される」、「女性は、男性の暴力に耐えなければならない」、「親の子どもへの暴力は、許される」といった暴力行為を正当化する考え方(価値観)が世代間で受け継がれてきたからです。
 ここには、アメリカの保守基盤である「キリスト教的家族主義」の信仰が大きく関連しています。
 加えて、日本はいうまでもなく、アメリカ、そして、ヨーロッパ、アジア、南アメリカ、アフリカなど全世界が、第1次世界大戦、第2次世界大戦に出兵した兵士、空爆を受けた被災者などの砲弾ショック(PTSD)の影響によるDV、児童虐待、性暴力、自殺、薬物依存といった戦後の社会病理が影響しています。
 そのため、1970年代になるまで、性的暴行を受けたり、DVに苦しんだりする女性に対する助けや支援を求める公式の場はなく、刑事、あるいは、民事裁判所、警察、病院、社会福祉機関もDVにはほとんど対応しませんでした。
 アメリカ社会や公的機関は、日本と同様に、DVを“私的”な問題とみなしていました。
 日本と異なり、アメリカで「女性解放運動(ウーマンリブ運動)」がはじまると、アメリカ社会において、この問題に対する意識や認識が高まり、女性グループができると、被害者の安全確保の必要性とDVの一因となる制度上の問題や社会の考え方へのとり組みに焦点があてられ、「権利擁護運動」を組織するようになりました。
 ボランティアたちが、自宅をDV被害者用の避難所をとし、危機対応のサービスを提供しました。
 この自宅を「緊急一時避難所(シェルター)を被害者に提供した」ことに端を発して、アメリカでの「DV活動」がはじまったといえます。
 このとき、女性解放運動家たちが、「DV(ドメスティック・バイオレンス)」ということばをはじめて使いました。
 また、女性解放運動家たちは、集会を開く中で、女性への暴力を社会問題、つまり、政治問題と捉えるようになりました。
 一般に「暴力を振るわれた女性たちの運動(Battered Women’s Movement)」と呼ばれるこの草の根運動は、その後、女性への不当な行為に対抗するとり組みとして、全米に存在するDV関連の「地域密着型の権利擁護プログラム」の基盤となる社会運動へと大きな変貌を遂げていきました。
 なぜなら、DV被害者に対し、安全な選択肢を提供するには大きな社会変革が必要だったからです。
 日本とあまり変わらない状況だったアメリカ社会は、日本とは異なり、社会変革に大きく舵を切りました。
 「暴力を振るわれた女性たちの運動」には、共通の“ビジョン”にもとづく、固有の“基本理念”がありました。
 それは、①被害者とその子どもの安全を確保すること、②虐待するパートナーのもとに留まるか、去るかについての決定を含む被害者の自己決定権を確保すること、③社会的および刑事上の制裁を通じDV加害者に責任を負わせること、④被害者に対する社会的抑圧と闘い、被害者の権利を推進するための制度改革を実施することです。
 フェミニスト、地域活動家、性的暴行やDVを克服した被害者たちは、この共通の“ビジョン”にもとづく、固有の“基本理念”のもと、主に、「3つの目的」を掲げて対応しました。
 それは、①被害者とその子どものための避難所と支援の確保、②法的および刑事司法分野での対応の向上、③DVに対する一般の人々の意識改革です。
 ③の「DVに対する一般の人々の意識改革」のとり組みのもと、DVは、「成人または青少年が親密なパートナーに対して行使する身体的、性的、精神的あるいはことばによる攻撃および経済的支配を含む、威圧的で攻撃的な行動パターン」と定義され、一般の人々のDVに対する認識は、「親密なパートナーを支配しようとする者が、日常的に入念な方法でそのパートナーを脅迫、どう喝、操作し、身体的な暴力を加えること」、「虐待する者は、特定の方法で、あるいは、複数の方法を組み合わせて、パートナーに恐怖心を植えつけ、支配する」、「虐待する者の戦略の目的は、被害者を自分の思い通りに行動させ、その行動パターンを確立すること」、「加害者はしばしば、被害者の特定の行動を虐待の理由、または、原因とすることから、加害者によることばや身体的虐待は、そうした特定の行動を改めたり、制限したりすることを目的とする」とDVの“本質”にまで至っています。
 このDVの“本質”の理解に至っていない限り、DV問題の解決はほど遠いものになります。
 この視点に立つと、いまの日本の現状は、アメリカから40-50年遅れていることがわかります。

 アメリカにおける「配偶者からの暴力(DV)」に対する認識は、日本の捉え方とは異なり、配偶者からの虐待(DV)問題について、虐待(DV)が女性に及ぼす影響だけではなく、他の人々や社会機関にも計り知れない結果を及ぼすと先進的に捉えています。
 それは、DVは、誰もが直面しうる社会、経済、健康面の問題であると捉え、全米の地域社会が、暴力の撲滅とDV被害者に安全な解決策を提供する戦略の策定を達成しつつあります。

② DV介入プロジェクト(DAIP)
 1980年(昭和55年)、アメリカのミネソタ州ドゥルース市において、地域社会の裁判所や警察、福祉機関など9つの機関が集まり『DV介入プロジェクト(DAIP)』を組織しました。
 4年後の1984年(昭和59年)、被害女性たちの声をもと、暴力を理解する理論的枠組みとしてつくられたのが『パワーとコントロールの車輪』です。
 この『パワーとコントロールの車輪』と『暴力のサイクル理論』は、『配偶者暴力防止法』第二条の三にもとづいて作成される『都道府県(市町含む)基本計画』やDV(デート)防止を啓発するパンフレットなどで、頻繁に引用されているDV理解の基礎となる理論です。
 そこで示されている「車輪」は、第1に、暴力は、突発的なできごとでもなければ、つり積もった怒りや欲求不満、傷ついた感情の爆発でもなく、「あるパターン化した行動の一部分」であり、第2に、暴力には“明確な意図”があり、車輪の中心にある「パワーとコントロール」が車輪を動かす原動力となります。
 車輪の一番外側には、「身体的暴力」と「性的暴力」があり、内側には8つの「精神的暴力」があります。
 「精神的暴力」の8つは、ア)脅し、怖がらせる、イ)情緒的虐待、ウ)孤立させる、エ)暴力の過小評価・否認・責任転嫁、オ)子どもを利用する、カ)男性の特権をふりかざす、キ)経済的暴力を用いる、ク)強要と脅迫です。
 DV被害者は、その外からは見え難い「精神的暴力」によって力を奪われ、無力になり、服従を強いられていきます。
 外側の「身体的暴力」や「性的暴力」は、他の行動の効果を高めるため、恣意的に使われ、結果として、被害者(交際相手や配偶者)の自立する能力を奪っていきます。
 自立する能力を奪うことは、逃げたり、別れたりする力を奪うことに等しいといえます。
 この状態を、『父-娘 近親姦』の著者ジュディス・L.ハーマンは、「逃走を防ぐ障壁は、通常目に見えない障壁」と表し、「繰り返し、暴力が反復される中で、恐怖と孤立無援感を感じ、他者との関係における自己という感覚が奪われる」と説明しています。
 この『DV介入プロジェクト(DAIP)』は「ドゥルース・モデル」と呼ばれ、妻に暴力を振るう男性が更生するためのプログラムで、その後、北米だけではなく、世界中で臨床家のもとで実施されています。
 「暴力を振るわれた女性たちの運動」における共通の“ビジョン”にもとづく固有の“基本理念”は、40-50年あまり経過したいまもひき続き、「地域密着型のDV対策プログラム」や「権利擁護活動のネットワーク」の“指針”となっています。
 現在、米国各地の「地域密着型のDVプログラム」は、ア)避難所や隠れ家、イ)国・州・地域が運営する緊急ホットライン、ウ)危機に陥った場合のカウンセリングと介入、エ)支援グループ、医療や精神衛生の専門機関の紹介、オ)法的権利の擁護、カ)職業相談、職業訓練、経済的な援助機関の紹介、キ)住宅供給・転居サービス、ク)交通手段、ケ)安全計画、コ)子どものためのサービスなど多様なサービスを提供しています。
 アメリカの「DV対策プログラム」は、ア)一般の意識を高める運動の計画策定、イ)社会奉仕活動に従事する人々との連携、ウ)被害者とその子どもの安全の向上を目指す政治的ロビー活動への積極的な参加などの継続的な権利擁護活動にとり組んでいます。
 こうした活動によるDVに対する意識の向上がもたらす効果は、避難所、警察、司法制度だけでなく、社会のさまざまな部門がこの問題の特定および対処で重要な役割を担わなければならないという認識が高まることです。
 これらの部門には、児童福祉、医療、精神医療、薬物乱用治療、経済界、宗教界などが含まれます。
 法的制裁が必ずしも最良の対応ではないという認識に加え、地域社会が住民のニーズを満たすプログラムやサービスを創設し、DVの防止や被害者支援の責任を負うべきだという意識が高まりつつあります。
 アメリカ社会では、その意識の高まりの中で、「DVはもはや私的な問題ではなく、広くまん延した社会問題である」と認識しています。

③ DVに関連する『連邦法』
 アメリカには、いま、2000もの避難所やDVプログラムが開設され、すべて州にDVを犯罪とみなす法律があり、市民保護命令を求める法的権利があり、資金の拠出と国によるDV問題の深刻さの認識を規定する連邦法があります。
 DV問題に対処し、この問題に関するサービスの提供や介入についての法的枠組みと指針を規定する『連邦法』の概要は、以下のとおりです。

a) 家庭内暴力防止・サービス法
 1984年*14に制定された『家庭内暴力防止・サービス法』は、米国連邦議会が、はじめてDV問題に対処した法律です。
 DVに対する一般の意識の向上を目指す州政府のとり組みを支援し、DV被害者用の避難所や支援サービスの資金を連邦予算から拠出することを目的としています。
 また、州政府と非営利組織に、DVおよび児童虐待に関するプログラムの創設と、警察官および地域サービス提供者に訓練および技術支援を提供するための助成金が供与されました。

*14 昭和62年、いまから36年前です(令和5年(2023年)7月現在)。

 日本が、『配偶者暴力防止法』を制定したのは、それから、13年後のことですが、『家庭内暴力防止・サービス法』で盛り込まれている「DVおよび児童虐待に関するプログラムの創設」などは、日本では、いまだに組み込まれていません。

b) 女性に対する暴力防止法(VAWA)
 1994年*15、連邦議会による『女性に対する暴力防止法』の可決が、DV問題の広がりと深刻さを連邦政府が認識する転機となりました。
 同法は、連邦政府のDV問題にとり組む決意を示すもので、ア)安全市街地法、イ)女性のための安全な住居、ウ)女性の公民権と法廷における女性の平等な裁判、エ)暴力を振るわれた移民女性と子どもの保護という4つの要素で構成されています。
 それぞれDV、性的暴行、ストーキング、ジェンダーにもとづく暴力からの保護を扱っています。
 『女性に対する暴力防止法』の規定は、警察および刑事司法機関の対応の改善を求めており、新たな刑法犯罪と一層厳しい罰則を設け、被害者への賠償と、加害者を訴追する間の被害者の保護を図るための制度改革を義務づけています。
 さらに、「予防・教育プログラム」の拡充、被害者サービス、地域の専門家向けのDVに関する研修、暴力を振るわれた移民女性を本国送還から守るための支援を許可しています*16。

*15.16 平成6年、いまから29年前で(令和5年(2023年)7月現在)、『CEDAW(女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約))』が、国連総会で1979年(昭和54年)12月18日、国連総会で採択(昭和56年(1981年)9月3日発効)されてから15年後で制定しました。
 日本の『配偶者暴力防止法』は、それから6年後に制定されましたが、「予防・教育プログラムの拡充」どころか、いまだに、国主導の下では「予防・教育プログラム」さえも導入していません。
 さらに、「暴力を振るわれた移民女性を本国送還から守るための支援の許可」は人道的で、『世界人権宣言』『女性差別撤廃条約』に添ったものです。
 令和3年(2021年)3月、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさん(33歳)が死亡したとき、適切な医療を提供しなかったことが問題となりましたが、令和2年(2020年)8月、「不法残留の疑い」で収容された理由が、夫のDVから逃れるためでした。
 日本の人道・人権認識はいまだに、いまから29年前にアメリカで制定された『女性に対する暴力防止法』に遠く及ばないほどひどく、『世界人権宣言』『女性差別撤廃条約』の批准・締結国として許されるものではありません。

c) 個人責任および就労機会調整法(PRWORA)
 1996年に制定された『個人責任および就労機会調整法(PRWORA)』により、『要扶養児童家族扶助(AFDC)制度』に代わり『貧困家庭一時扶助制度』が導入されました。
 『個人責任および就労機会調整法(PRWORA)』の「ウェルストーン・マレー修正条項」には、「家庭内暴力に対応する選択肢」と題する規定が含まれ、DV被害者が抱える安全および経済的な問題に対処しています。
 同修正条項により、認知されたDV被害者に対し、特定の期限要件やその他の労働要件から一時的に免除する手続きを法制化する選択肢が各州に与えられました。

➃ 日本の「女性運動」のはじまりと終焉。フェミニストのもとで
 世界的な盛りあがりを見せた「女性の解放運動(ウーマンリブ運動)」の影響を受け、日本では、「婦人運動」がはじまりましたが、安保闘争後、社会問題から距離を置きはじめた若者の多くは、この問題にとり組むことはなく、一部の女性に限られた運動でした。
 昭和45年(1970年)10月21日の「国際反戦デー」には、東京・京橋の水谷公園では「男は立ち入り禁止」とした集会が開かれ、約200人の女性解放団体のメンバーが数寄屋橋から新橋までのデモ行進を実施し、同年11月14日、東京・渋谷で女性解放運動を広めるための日本初の「ウーマンリブの大会」が開催されました。
 このとき、メディアの対応はかなり冷淡で、無視するか、「過激な女性の集会」という印象を与える記事を載せるかするものでした。
 女性に対するマスコミの表現は、「女性特有の嫉妬心」「黄色い歓声をあげて‥」「男性顔負けの‥」といった女性蔑視表現が多く見られ、女性解放運動の動きには、冷やかしや悪意のある表現が数多く使われました。
 また、反戦歌としてのフォークソングは歌謡曲化し、フォークソンググループはアイドル化し、ほとんど政治的、社会運動的な役割を担うことはありませんでした。
 この流れは、いまも芸能・映画、音楽関係者にひき継がれ、芸能・映画、音楽関係者の政治的、社会問題に対する発言はタブーとなっています。
 一部の女性、学生の運動でしたが、安保闘争のように活発な運動になるのを怖れた日本政府、保守政党は、婦人活動家、学生活動家をとり込むことで、無力化することに成功しました。
 この成功体験は、日本政府、保守政党の思想、政策と異なる目立つ動きを示したり、まさにいま旬で勢いがあったり人物は、「その考え、行動を自分たちと一緒に」「私たちと一緒なら実現できる」という掛け声(誘い文句)でとり込み、購う声(訴え)を無力化させる戦略として続いています。
 「女性の解放運動(ウーマンリブ運動)」として「婦人運動」の活動家が、保守政党にとり込まれ、より強大な権力に屈し骨抜きにされた瞬間、日本の市民運動は終わりを告げたといえます。
 保守政党にとり込まれた婦人運動の活動家たちの根底は保守なので、日本ではDV問題はそれほど大きな動きにならず、しかも、ごく一部の市民の活動となりました。
 いまの政権に改革(革命)の声をあげた人物が、政権の中核を担ったり、政権を握ったりしたとき、その権力を保持することに注力し、より強固な保守に変貌を遂げることは、古今東西同じです。
 つまり、保守派政党にとり込まれた婦人活動家は、一転して強固な保守に変貌を遂げました。
 しかも、芸能・映画、音楽関係者を保守政党がとり込むことで、政治が大衆し、庶民の味方に見せかける隠れ蓑(広報活動化)としました。
 この隠れ蓑(広報活動化)に大きく寄与したのがメディアで、特に、情報番組の司会、コメンテーターに多くの芸能・映画、音楽関係者を登用したことで、難しいことを簡単に伝える役割が、ポピュリズム政党を勢いづけました。

a) 『女性差別撤廃条約』の批准から『配偶者暴力防止法』の制定までの経緯
 他国での第2波フェミニズムは、産む・産まないにかかわる当事者としての女性の 自己決定権(リプロダクテイブ・ライツ)に加え、女性の社会進出と性暴力反対とを主軸として進みました。
 特に、雇用における男女平等のための特段の施策の必要性は、1979年(昭和54年)12月18日に国連で採択された『女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)』に盛り込まれました。
 日本政府は、滑り込みで調印を決断し、採択から6年後の昭和60年(1985年)6月25日に批准し、不十分な内容でありながらも、昭和61年(1986年)施行となる『男女雇用機会均等法』を制定しました。
 他国のレイプなどの性暴力対策は、草の根運動が「レイプ救援センター(強姦被害を予防したり、被害者のケアにあたったりする他、「強姦罪」を含む性犯罪処罰の厳罰化を要求して刑法改正を求める運動などをして成果をあげた)」や、NPOが、DV被害女性のための「駆け込み施設(以下、シェルター)」を各地に設立するなど、対策が進んでいきました。
 一方の日本では、家父長制の認識下で、夫から妻への暴力は「よくあること=自然なこと」と見なされ続け、社会的・政治的問題として立ちあげることが困難でした。
 昭和57年(1982年)に書籍化された『積み木くずし(副題、親と子の二百日戦争)』は、その後、映画化、テレビドラマ化されるなど、1980年代に社会問題化した「家庭内暴力」は、家に閉じこもり続ける思春期後期(12-15歳)-青年期前期(15-18歳)の子どもが、親、特に母親に対し加える暴力行為(椅子を壁に投げつけたり、金属バットで壁や食器棚を叩きつけたりするなどの暴れるを含む)を指していました。
 一方、アメリカでは、1986年(昭和61年)、合衆国最高裁判所は、ヴィンソン対メリター・セービングス・バンクの裁判で、「セクシュアルハラスメント行為が人権法に違反する性差別である」と初めて認めました。
 1989年(昭和62年)には、北米の炭鉱でセクシュアルハラスメント行為に対する労働者による集団訴訟で勝訴し、「性的迫害から女性を守る規定」を勝ちとり、その後、全米の企業に、「セクシュアルハラスメント防止策の制定」「産休の保障」などが適用されることになりました。
 アメリカ社会において、漸く「DVとは、女性の基本的人権を脅かす重大な犯罪である」と認識されるようになったのは、1990年代になってからです。
 ここに至るまで、実に、20数年の歳月を要していますが、その後の展開は、「4-1)-①②③a)b)c)」で述べているように、進歩的で先進的です。
 1993年(平成5年)、国連総会で『女性への暴力撤廃宣言』が採択されました。
 女性に対する暴力には、夫やパートナーからの暴力、性犯罪、売買春、セクシュアルハラスメント、ストーキングの他、女児への性的虐待が含まれます。
 日本社会では、これらの女性に対する暴力に対する問題提起は、一括りではなく、それぞれ家庭、企業、個人の問題として別々に扱われます。
 そのため、性犯罪・性暴力被害を訴える支援者グループが、DV行為としての性的暴力、性的虐待には無関心であったりする状況が生まれています。
 『女性への暴力撤廃宣言』が国連で採択されてから6年経過した1999年(平成11年)12月、国連総会は、「11月25日」を「女性に対する暴力撤廃国際日」と定めました。
 セクシャルハラスメントは、DVと異なり、職場や教育の場など、性的でないことが前提となる“公”の場所における「性的嫌がらせ(性暴力)」ですが、セクシャルハラスメントが公的なアジェンダになってくると、親密なカップル間という私的な場所での女性に対する暴力に対しても、「男性による女性への支配の重要な形態」として認識が広まっていきました。
 一方で、政治・行政の責任者においては、私的な場での女性への暴力は「公的アジェンダ」として意識されることは極めて稀なことでした。
 1970年代、訪米中の佐藤榮作首相(当時。安倍晋三元首相の祖父岸信介元首相の弟)は、インタビューで、「あなたは妻を殴りますか?」と訊かれ、躊躇なく、肯定 的な回答をしたことから、アメリカの新聞に「ワイフ・ピーター」と掲載されましたが、日本国内では、この発言はまったくスキャンダルになりませんでした*17。
 民間の「夫(恋人)からの暴力調査研究会」は、平成4年(1992年)-平成6年(1994年)に、被害者の手から手へと回す形でアンケート調査を実施していますが*18、住民一般に占める暴力被害の頻度を示すものではありませんでした。
 その後、青島幸男都知事(当時)は、1997年度に、DVに関する無作為抽出による大規模調査を実施し、「女性の5人に1人がDV被害にあっている」という結果を得て、DV被害の頻繁さ、深刻さを明らかにしました。
 この東京都の調査結果は、警察に従来の「民事不介入」の原則を踏み超えさせるような立法と行政の対応を促すパワーとなりました。
 そして、橋本龍太郎内閣(自由民主党、社民党、さきがけの連立政権)での2党首が土井たか子と堂本暁子であり、フェミニスト問題に対する関心が高かったことから、政府がDV問題を政治課題として検討しはじめました。
 平成6年(1996年)6月、総理府「男女共同参画室」付属の男女共同参画審議会は、「男女共同参画ビジョン」を示し、同7年(1997年)2月には、「男女共同参画2000年プラン」を発表しました。
 この「ビジョン」には、国内のほとんどすべての解決しなければならない暴力問題が含まれていました。
 しかし、「プラン(計画)」になると、「女性に対する暴力を人権問題として考慮していない」など、幾つかの点で後退しました。
 「プラン(計画)」の方が、「ビジョン」より権威があったことから、現行法制度でDV対応可能だと考える保守的な価値観の政治家、官僚たちが目論んだと考えられています。
 橋本首相(当時)は、平成9年(1997年)6月、男女共同参画審議会に対し、「女性に対する暴力の問題」の検討を諮問しました。
 その橋本首相は、平成10年(1998年)7月の参議院選挙後に辞任に追い込まれると、小渕恵三首相となり、「自由民主党、社民党、さきがけ」の連立政権から「自由民主党、小沢一郎が率いる自由党」、その後、「自由民主党、自由党、公明党」、「自由民主党、公明党、自由党」の組合せの連立政権となりました。
 そして、この保守の組合せの連立政権下で、ジェンダー問題に対する関心は低くなりました。
 男女共同参画審議会は、橋本首相退任後の平成10年(1998年)10月に『中間報告』を発表、続けて、同11年(1999年)5月、報告書『女性に対する暴力のない社会』を発表しました。
 総理府男女共同参画室は、最初の両性間の暴力に関する全国調査を実施し、平成12年(2000年)2月、調査結果を公表しました。
 同年4月、男女共同参画審議会は、『「女性に対する暴力」に対する基本的な手段 中間報告』を発表しました。
 この『中間報告』は、「立法の必要なし(既存の法律や制度手段(刑法の傷害罪や民法の仮処分手続きなど)により十分だと結論)」と後退した内容となりました。
 この審議会は、同年7月、最終報告を行いました。
 日本がもたもたする間に、夫から妻への暴力が「当然のこと」ではなく、「犯罪となることもある人権侵害である」との認識が広まり、「保護命令(Protection Order)」を含む立法が進んだのは、欧米諸国だけではなく、東アジアの韓国で、1997年(平成9年)に立法化、続けて、台湾が1998年(平成10年)に立法化しました。
 日本は、欧米諸国だけではなく、韓国、台湾とアジアの近隣諸国にも後れをとりました。
 2000年(平成12年)6月、国連の「北京プラス5会議」において、日本政府は、「親密なカップルにおける暴力に国家が介入するようなDV政策をアジェンダに載せる必要がある」と迫られました。
 これを受けて、日本の内閣府の「男女共同参画推進本部」は、「女性に対する暴力は、女性への人権を侵害するものであり決して許されるべき行為ではない」としました。
 一方で、先の参議院議員選挙後、女性の参議院議員数は43人と史上最高となると、「共生社会調査会」がつくられ、最初のアジェンダとして「男女共同参画」を選択し、女性の立法機関への進出を促す方途を調査するとともに、DV対策立法に最重点を置きました。
 女性の参議院議員が42人と史上最高だったのは、平成元年(1989年)の参議院選挙で、当時日本社会党委員長土井たか子が女性候補を積極的に擁立し、社会党を大勝に導くなど、このときの女性候補は全党派併せて過去最多の146人だった流れを汲んでのものです。
 この「共生社会調査会」のメンバーは女性議員が多く、行政府や連立与党の消極化を睨みながら、「DV新法をつくるには、議員立法しかない」と考えていました。
 そして、自由民主党、公明党、民主党、社民党、共産党の調査会メンバー1人ずつと各党1人の「プラス・ワン」と調査会メンバーで無所属だった堂本暁子との11人 が「DVプロジェクト・チーム」として立法のための調査にあたりました(男性は、自由民主党の1人)。
 平成13年(2001年)4月6日、小泉純一郎政権下で5人の女性大臣を交えて成立する26日に先駆け、『配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(配偶者暴力防止法)』が成立しました。
 橋本龍太郎首相が退陣し、保守政権となり後退し、平成12年(2000年)6月、国連の「北京プラス5会議」に参加したときには、「立法の必要なし(既存の法律や制度手段(刑法の傷害罪や民法の仮処分手続きなど)により十分だと結論)」としていた日本政府が、その10ヶ月後に『配偶者暴力防止法』を制定したことに対し、当時のフェミニストは「制定は、奇跡だった」と口を揃えます。
 とはいっても、この日本の『配偶者暴力防止法』は、「4-1)-①②③a)b)c)」で述べているように、アメリカの『女性に対する暴力防止法』とは異なり、直接、配偶者からの暴力を禁止する規定はなく、被害者の保護と暴力の防止が目的となっています。

*17 平成13年(2001年)の『配偶者暴力防止法』の施行後、カナダ駐在の日本人男性外交官が妻に対しDVを加えたとして逮捕されたとき、その外交官は、「妻を殴るのは、日本の文化だ」と応じ、居直っています。

*18 この調査は、日本ではじめてDVの経験を明らかにする貴重なものとなりました。

b) 平成13年(2001年)に、日本で制定された『配偶者暴力防止法』は、『女性差別撤廃条約』『女性への暴力撤廃宣言』を経て、「男女共同参画推進本部」が示した「女性に対する暴力は、女性への人権を侵害するものであり決して許されるべき行為ではない(暴力を禁止する)」という基本概念からかけ離れた骨抜きの法律となりました。
 日本政府の姿勢は、平成13年(2001年)の法の制定に表れています。
 例えば、平成6年(1994年)4月22日に批准した『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』の19条で定める「子どもが両親のもとにいる間、性的虐待を含むあらゆる形態の身体的、または、精神的暴力、傷害、虐待、または、虐待から保護されるべきである」、「それが起こるとき、親権や監護権、面会交流の決定において、親密なパートナーからの暴力や子どもに対する暴力に対処しないことは、女性とその子どもに対する暴力の一形態であり、拷問に相当し得る生命と安全に対する人権侵害である」、「また、子どもの最善の利益という法的基準にも違反する」との規定とかけ離れています。
 法の制定時に、配偶者間にDV行為のある家庭で暮らし、育つ子どもを保護するのではなく、子どもは、その加害者である配偶者のもとで生活を続け、一方のDV被害者である配偶者だけが『配偶者暴力防止法』の対象とした背景は、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持ち、父母に孝行することであり、子どもにとっての幸せは、たとえ、暴力のある家庭環境(機能不全家庭)であっても、両親の下で育ち、両親を敬い、孝行することである」との考えにもとづいています。
 さらに、日本の『配偶者暴力防止法』の深刻な問題は、『配偶者暴力防止法』第二条の三にもとづいて作成される『都道府県(市町含む)基本計画』の中で、「配偶暴力防止法で対象とする暴力として、身体的暴力、性的暴力、精神的暴力(社会的隔離、子どもを利用した精神的暴力を含む)、経済的暴力がある」と“規定”していることと、同法に準じて、地方裁判所に申立て発令される「保護命令」と、女性センター長、警察署長名で決定する「一時保護」の対象となる暴力の“規定”が異なることです。
 『都道府県(市町含む)基本計画』にもとづき、啓発活動として作成せれる「リーフレット(パンフレット)」では、「このような行為がDVにあたる(該当する)」と身体的暴力、性的暴力、精神的暴力(社会的隔離、子どもを利用した精神的暴力を含む)、経済的暴力について、具体例を踏まえて説明し、「ひとりで悩まずに、相談して!」と記していますが、いざ、相談窓口を訪れ、「苦しくて、もう耐えられない」と訴えた「精神的暴力」「性的暴力」には、担当職員から「保護命令をだせないし、一時保護の対象にもならない」とにべもない対応をされます。
 つまり、DV被害支援の現場では、「このような行為がDVに該当する」と広報(啓発活動)している一方で、いざ窓口を訪れ、助けを求めると「精神的暴力、性的暴力は保護対象にはならない」と応じています(法がそうなっているので、法に添う対応せざるを得ない)。
 このことは、日本政府主導のもとで、「いっていることとやっていることがまったく違う状況」をつくっているダブルバインドです。
 この異常な状況を22年間にわたり放置し続ける日本政府は、あまりにも無責任です(令和5年(2023年)7月現在)。
 この状況は、意を決して相談に訪れるDV被害者に「誰にも助けてもらえない!」と失望させるだけでなく、DV被害者を暴力のある家に留めさせ、状況を深刻化させます。
 それは、被害者の女性と子どもの命にかかわる問題です。
 このDV被害者に子どもがいるときには、その子どもは、面前DV=心理的虐待被害を受け続けることになります。
 つまり、DV被害者をDV被害から逃げ難くし、同時に、「『配偶者暴力防止法』の適用を受けていない」と、「離婚事由としての『民法770条1項5号(その他、婚姻を継続し難い重大な理由がある(例えば、配偶者からの暴力・暴言、その他の虐待行為を受けた)』に該当しない。」と主張されて離婚し難くなり、結果、慢性反復的(常態的、日常的)な暴力被害による(C-)PTSDなどの後遺症を重篤化させる高いリスクを抱えさせることになります。

 こうした不備のある『配偶者暴力防止法』の恩恵を受ける(徳をする)のは、いうまでもなく、DV行為に及ぶ配偶者、つまり、加害者です。
 このDV行為に及ぶ配偶者の後ろ盾になっているのが、保守的な価値観の加害者寄りの人たち、そして、保守派の政治家たちです。
 こうした保守派の政治家たちは、アメリカのように「DV行為を犯罪」とすること、つまり、革新(リベラル)なことには反対し、結果、『配偶者暴力防止法』を効果のない、不備があり、欠陥だらけの法律にしたままにしようと目論みます。


3) 「女子差別撤廃委員会」の勧告
 日本が、平成13年(2001年)4月6日に『配偶者暴力防止法』を成立、同年10月13日施行(一部の規定を除き)した1年10ヶ月後の平成15年(2003年)8月、「女子差別撤廃委員会」は、締結国である日本政府に対し、「ドメスティック・バイオレンスを含む女性に対する暴力の問題に対し、女性に対する人権の侵害としてとり組む努力を強化する」こと、特に、「女性差別撤廃委員会」は、a)「『配偶者暴力防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)』を拡大し、様々な形態の暴力を含めること」を要請しました。

① 平成16年(2004年)の法改正
 制定から3年後、「女性差別撤廃委員会」からの勧告から1年後の平成16年(2004年)の法改正で、制定前から問題視されていた対象者が「被害者だけ」に限定されていた(子どもを家に残して、一時保護を受けられない)問題は、ア)「被害者の子どもの保護」が加わり、イ)配偶者には事実婚、DV行為の後に離婚(事実婚解消)したケースも含まれ、ウ)対象となる暴力は、「身体に対する不法な攻撃であって生命または身体に危害を及ぼすもの」に加え、「これに準する心身に有害な影響を及ぼす言動」が加わりました。
 ただし、警察の介入については、身体に対する暴力のみが対象であるのは変わりがありません。
 この法改正のウ)「これに準する心身に有害な影響を及ぼす言動」は、「女性差別撤廃委員会」の平成15年(2003年)8月のⅰ)-a)の勧告「様々な形態の暴力を含めること」に応じたように見えますが、極めて限定的で、“さまざまな形態の暴力”には未対応といえます。
 このウ)の「言動」という表記は、いわゆる「ことばの暴力」で「精神的暴力」を意味することから、一見、身体的暴力に、新たに「精神的暴力」が加えられたように見えます。
 しかし、記述されているのは、「生命または身体に危害を及ぼすほどの(に準する)言動」であり、しかも、「心身に有害な影響を及ぼした言動」とあります。
 つまり、DV被害者は、同法に準じ、地方裁判所に「保護命令の発令」の申立てをしたり、女性センターや警察で「一時保護」の決定を受けたりするときには、「DV加害者である配偶者の言動が、ⅰ)生命または身体に危害を及ぼすほどのものであることと、ⅱ)心身に有害な影響を及ぼしたこと」を立証しなければならないことになります。
 この「言動」という文言を踏まえ、多くの支援者は、「精神的暴力」も同法の適用になったと喜びましたが、ⅰ)ⅱ)の条件を踏まえると、「精神的暴力」が加えられたと解釈できるものではありません。
 そして、ⅱ)については、PTSDなどの症状があり、その診断があれば、比較的立証は難しくありません(ただし、因果関係を立証することは簡単ではありません)が、ⅰ)の生命、身体に危害を及ぼすほどの言動を立証することは困難です。
 したがって、ウ)の適用はかなり困難です。
 これは、「言動」=「ことばの暴力(精神的暴力)」の適用(効力)を無力化するものです。

② 平成19年(2007年)の法改正
 続けて、2年後の平成19年(2007年)の法改正で、保護命令の発令の対象が、「身体に対する暴力」だけでなく、「脅迫により、生命または身体に重大な危害を受ける恐れが大きいときにも発する」ことができるとなりました。
 この「適用要件」についても、「言動」を「脅迫」に置き換えただけで、「生命または身体に重大な危害を受ける恐れの大きさ」を立証しなければならないのは同じです。
 つまり、法改正による前進したように見せていても、適用し難さはほとんど変わっていません。
 これは、『強制性交等罪((旧)強姦罪)』などの性犯罪において、その適用要件となる「脅迫」の立証の困難さを踏まえると、名ばかりの改正であることがわかります。
 この法改正においても、「女性差別撤廃委員会」の平成15年(2003年)8月のⅰ)-a)の勧告「様々な形態の暴力を含めること」には、未対応です。

③ 「民法」と「民事訴訟法」の改正、『ハーグ条約』の批准
 いまから12年前の平成23年(2011年)6月3日、民法等の一部を改正する法律が成立し、『民法766条』の“子の監護”について必要な事項の例として、「父、または、母との面会やその他の交流、子の監護に要する費用の分担」が明示されるとともに、「父母がその協議で、子の監護について必要な事項を定めるときには、子の利益をもっとも優先して考慮しなければならない」と規定されました(令和5年(2022年)6月現在)。
 「子どもの監護」とは、「子どもの養育」という意味で、「監護者」となると「養育者」のことです。
 したがって、「子の監護に要する費用の分担」とは、子どもの監護者(養育者)ではないもう一方の親とともに、養育費を分担し合うということです。
 つまり、離婚後、子どもの養育費の負担を子どもの監護者(養育者)だけが担うことなく、もう一方の親が「養育費の支払う」ことで、分担し合う状況が成立するということです。
 この『民法766条』の“改正”の背景には、日本政府が、1983年(昭和58年)12月1日に発効した国境を越えての子どもの連れ去りを禁止する『ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)』の批准を強く迫られていたことがあります。
 なぜなら、当時、既に84ヶ国が加盟し、主要国の中で、未加盟なのは日本とロシアだけだったからです。
 つまり、日本政府は、『ハーグ条約』の批准にあたり、世界各国が採用している共同親権制度に添う必要性がありました。
 このことは、国家間の『条約』は、国内法よりも優先されるため、日本が、これまでの「単独親権」から「共同親権」に則る考え方を主流にしていく意思表示と捉えることができます。
 しかし、OECD(経済協力開発機構)など世界の主流の「共同親権制度」の運用に対し、日本政府は、国連の『女性差別撤廃(条約)委員会』から繰り返し是正勧告を受けています。
 なぜなら、日本社会は、いまだに、家父長制による「男尊女卑」、「内助の功」、「良妻賢母」、つまり、「女性は家に!」という保守的な価値観が“主流”で、日本政府が、この問題にとり組んでいないからです。
 この保守的な価値観は、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)行為の起因となるものです。
 太平洋戦争に敗戦後、制度として「家父長制」はなくなったものの、多くの人が保守的な価値観を支持する日本社会、つまり、いまだに、家父長制が息づいている日本社会において、「共同親権制度」を導入することは、かなり深刻な人権侵害問題をもたらすリスクがあります。

a) シングルマザーの貧困問題と「養育費」の未払い
 シングルマザーの貧困問題の背景として、日本社会の家族観、つまり、家父長制にもとづく家制度のもとで、子どもが養育者の家に帰属すると、養育していない親からの養育費が未払いになったり、そもそも養育費のとり決めがなかったりしていることがあげられます。
 日本の離婚全体の約9割を占める「協議離婚制度」は、他国にはない特殊な制度であることから、一方的な届け出が可能であったり、夫婦間で、「面会交流」「養育費の分担」など、文書(離婚協議書)としてとり決めをまとめて、公証役場で公正証書にしていなかったりする現実が存在します。
 夫婦関係調整(離婚)調停で、離婚後の養育費の支払いを約束して離婚が成立した案件であっても、離婚後に子どもの養育費の支払いは30%程度に留まり、しかも、離婚後3年を経過すると15%ほどに低下しているのが、日本の現状です。
 こうした中で、いまから3年前の令和2年(2020年)4月、養育費を回収しやすくする『改正民事執行法』が施行されました(令和5年(2023年)7月現在)。
 この改正により、離婚後に子どもを養育している親が、養育していない親の「銀行口座」「勤務先」などの情報を取得しやすくなりました。
 こうした情報が取得しやすくなることの意義は、養育費が未払いになったときに、速やかな差し押さえ(強制執行)につなげられることです。
 つまり、夫婦関係調整(離婚)調停において、離婚が成立したときに作成される『調停調書』に「養育費について定めた条項」を盛り込むことで、離婚訴訟の判決などの債務名義にもとづく“差し押さえ(強制執行)”が、これまでよりもやりやすくなりました。
 それは、「監護親」について、新たに、①金融機関から預貯金の情報を取得できる、②登記所(法務局)から土地建物に関する情報を取得できる(令和元年(2019年)5月17日から2年を超えない範囲内で、政令で定める日から運用が開始される)、③市町村・日本年金機構から給与債権、つまり、勤務先の情報を取得できるようになりました。
 例えば、養育費の支払いが滞り、ひき続き支払いを求めたいと思ったとき、被監護者が離婚後に転職をし、いまの勤務先がわからず、養育費の支払いを諦めるしかなかった事態を防げる、つまり、養育費の支払いを諦めずにすむということです。
 シングルマザーの貧困は、深刻な社会問題であることから、生活保護の受給を受け入れることも踏まえて、離婚後の生活を破綻させないことは重大テーマといえます。
 しかも、「婚姻破綻の原因は、配偶者からのDV行為である」ときの離婚では、DV被害者が、暴力被害の後遺症として「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)」、「PTSD」、「うつ病」、「解離性障害」など症状や傾向に長く苦しみ、仕事ができなく退職したり、就職できなかったり、日常生活に支障が生じたりすることが少なくないことから、離婚後の生活が破綻しやすいリスクを抱えます。
 そのため、離婚後、子どもの親権者に対する「養育費の支払い」において、この『民事執行法』の“改正”は、被害女性の大きな支えになります。
 しかし問題は、夫婦関係調整(離婚)調停において、離婚が成立したときに作成される『調停調書』や、離婚訴訟の『判決(判決文)』などの「債務名義に、養育費について定めた条項が記載されている」ことが“前提”となっていることです。
 つまり、夫婦関係調整(離婚)調停において、このことについて、前もって主張し、「離婚調書の覚書」として文書化しておく必要があります。
 この『改正民事執行法』の上記のような“前提条件”は、離婚全体の約9割を占める他国にはない特殊な日本の「協議離婚制度」の下では、その効果はかなり限定的です。
 なぜなら、「協議離婚」に至った夫婦で、『調停調書』に準じる「覚書」を作成し、公証役場で『公正証書』にしていることはほとんどないからです。
 つまり、家庭裁判所に、「夫婦関係調整(離婚)調停」を申立てた約1割(離婚調停、離婚裁判)で、しかも、上記条件を『調停調書』に残すことに合意したり、『判決文』に明記したりしてなければ、『改正民事執行法』はあまり意味を持ちません。
 この『改正民事執行法』を有効にするためには、離婚全体の約9割を占める他国にはない特殊な日本の「協議離婚制度」を廃止することが必要です。

b) 「婚姻破綻の原因がDV行為」であるときの「養育費」の持つ意味
 「婚姻破綻の原因は、配偶者からのDV行為である」ときの離婚における「養育費の支払い」には、他に2つの側面があります。
 ひとつは、DV被害者で、子どもの監護者であるとき、「今月も養育費が振り込まれるだろうか?!」と不安の日々を強いられる、つまり、一種の経済的暴力が継続し続けることです。
 もうひとつは、「養育費の支払い(あるいは、未払い)」が、復縁を目論む被害者である元配偶者との面会の強要だったり、子どもとの面会の強要だったり、脅しの手口として利用されることです。
 弁護士と委任契約を結び、家庭裁判所に「夫婦関係調整(離婚)調停」を申立て、離婚が成立した事案であっても、離婚後は、弁護士との委任契約は終了しています。
 離婚調停を申立てられたDV加害者には、DV弁護士が介入している状況が鬱陶しく、忌々しいと感じ、調停では、速やかに離婚に応じ、子どもの養育費の支払いなどで合意し、意図的に、敢えて弁護士が介入しない状況をつくりだす者が一定数存在します。
 そして、離婚後、意図的に、養育費の振り込みをおこなわず、「養育費はどうなっているの?」と連絡がくるのを待ち、目論見通りに、養育費の支払いを催促する連絡が入った機会を逃さず、「会って直接、話し合おう。」と誘いだし、「もう一度、やり直そう。」となげかけます。
 このとき、元配偶者が、「弁護士など介さず、直接、話合えば、わかるはず」との(自信満々な)期待を打ち砕く、「復縁する気持ちはありません。」とのひとことに激怒し、苛烈な身体的暴力に至ったり、レイプ(意に反する、同意のない性行為)に及んだりすることがあります。
 後者のレイプは、「4-3)-⑥」で述べる「b)「暴力に対する和解の強要としての性行為」とは、「暴力後の“仲直り”としての性行為」のことで、基本的に、加害者の一方的な仲直りを意味します。」に該当します。
 中には、その性的行為を写真や動画に収め、それを脅し材料として、復縁を迫ることもあります。
 また、「自由に子どもと会える」ことを「養育費の支払い」の交換条件とし、子どもが通う学校園を伝えると、その学校園に迎えに行ったり、下校時に迎えにきたりして、子どもを連れて帰り、そのまま子どもを帰さない、つまり、「子どもの連れ去り」に至ることもあります。
 このとき、子どもを人質として、子どもの母親は子どもの育児を担うべきだと考えのもと、子どもの待つ家に戻ってくる、つまり、復縁目的であったり、あるいは、その子どもが男児であるときには、家の後継ぎ目的であったりします。
 後者のケースでは、連れ去った元配偶者の親も連携していることが少なくなく、このとき、子どもの母親である元配偶者は、「跡継ぎの子どもの母親はいらない(あなたではない)!」と排除されます。

c) 『民法766条』の“改正”、司法判断が一転した面会交流の実施判断
 この『民法766条』の“改正”は、『配偶者暴力防止法(同16年改正)』が施行された平成13年(2001年)以降の子どもとの面会交流に対する司法判断を一転させました。
 DV行為の後遺症としてのPTSD、その併発症のうつ病などの症状に苦しむ被害者にとって、離婚後(離婚調停/裁判期間を含む)、恐怖心を拭い去ることができない加害者である配偶者(元を含む)と子どもとの面会交流は、大きな精神的な負担になります。
 しかも、この夫婦間にDV行為があったことは、少なくとも、子どもは心理的虐待(面前DV)を受けてきた被虐待児(小児期逆境体験児)です。
 「発達過程に負う適切な養育によるストレス」は、認知機能の発達を阻害し、知的障害・学習障害のような様相を示したり、記憶や情動を適切に制御する力を損なうことで落ち着きのなさや多動傾向・衝動的な傾向を示したり(ADHDなどの発達障害)、フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり、記憶が欠落したりするような解離症状をもたらします。
 子どもが幼少時期に安心して生活することができず、いつも不安や恐怖に脅え、自分を大切な存在であると感じることができずに育つと、良好な自己像を形成することが難しくなります。
 「自分は、愛される価値のないダメ人間だ」と感じ、“自己肯定感”を育むことができず、対人関係の築き方にも障害をきたします。
 なぜなら、怒りや恐怖などの感情をコントロールすることができず、不適切なところで急に、感情を爆発させてパニックになったり、衝動的、攻撃的な行動に走ってしまったりすることもあるからです。
 その結果、対等な対人関係を築いたり、円滑な集団生活を送るためのルールを身につけたりすることが困難になり、年齢相応の社会性の発達は阻害されていくことになります。
 抑うつに陥りやすかったり、ささいなことで不安を強めたり、無気力や自己嫌悪から「自傷(リストカット(セルフ・カッティング)/OD(大量服薬)/過食嘔吐)」・「自殺企図」などを示したり、かつての心的外傷(トラウマ)体験の影響を心身に色濃く残し、「不眠」や「悪夢」、「パニックアタック(パニック発作)」、「解離性障害」や「身体化障害(身体表現性障害)」、「独特の対人関係の問題」、薬物・アルコール依存等の「嗜癖行動等の情緒的、行動的問題」を抱え続けることなります。
 さらに、子どもの精神的な発達と脳に大きな傷跡を残し、青年期、成人期になってからも精神的後遺症となって残ります。
 つまり、トラウマが“固定化(固着)”し、「(反応性)愛着障害」、「後発性発達障害」、「人格障害(パーソナリティ障害)」のかたちをとったり、「解離性障害」や「身体化障害(身体表現性障害)」、「疼痛」や「不定愁訴」などの症状も認められたりします。
 身体疾患に罹患しやすくなるのは、長期的にストレスホルモンの「コルチゾール」が分泌されると、免疫力の低下がおこるからです。
 虐待経験者の怒り、恥辱、絶望が内に向かう場合には、抑うつ、不安、自殺企図、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)を生じ、虐待の影響が外に向かう場合、攻撃性や衝動性が高まり、「行為障害」「反抗挑戦性障害」を起因とする「非行」につながります。
 アルコール依存、薬物依存は、「C-PTSD」の過覚醒状態における“自己投薬(自傷行為)”ともいわれています。
 このような胎児虐待・児童虐待(面前DV被害を含む)にある子ども、つまり、DV環境下で暮らす子どもに対し、「国内法」より上位に位置づけられる『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』の19条では、「子どもが両親のもとにいる間、性的虐待を含むあらゆる形態の身体的、または、精神的暴力、傷害、虐待、または、虐待から保護されるべきである」と定め、「それが起こるとき、親権や監護権、面会交流の決定において、親密なパートナーからの暴力や子どもに対する暴力に対処しないことは、女性とその子どもに対する暴力の一形態であり、拷問に相当し得る生命と安全に対する人権侵害である。」、「また、子どもの最善の利益という法的基準にも違反する。」と規定しています。
 ところが、いまだに“保守的”な価値観を支持する人たちが主流の日本社会においては、「虐待を加えてきた人であっても親、人を殺した人であっても親、肉親の絆は切れるものではない」、つまり、「子どもにとって、どんな親でも親であることには変わらない」と、親と会ったり、親と過ごしたり、親と暮らしたりするのは子どもの義務、責任との考えを子どもに押しつけ、決まりごとと行動を押しつけます。
 子どもの思いや考え、意志、子どもの人権を尊重することはなく、ほとんど大人の都合で決められます。
 それでも、平成13年(2001年)に『配偶者暴力防止法』が施行されると、「婚姻破綻の原因は、配偶者のDV行為である」として、家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)調停を申立てたり、その後、調停不調となり提訴し裁判となったりした民事事件で、「被害者であり、親権を得た、あるいは、監護者となった母親と暮らすことになる子どもが、DV加害者である父親と面会交流をおこなうことは、加害者に対する恐怖心を拭えない母親の精神的苦痛となり、相互の意思疎通ができない中での子どもの面会交流は子の福祉に反する(その後、「子の利益」に変更)」と、「加害者である父親と子どもとの面会交流が及ぼすリスクと悪影響」を主張することで、離婚後、加害者である父親と子どもの面会交流を拒むことができました。
 例えば、平成19年(2007年)8月22日、東京高等裁判所は、「子の監護に関する処分(面会交渉)審判に対する抗告事件」で、「子の福祉の面から恐れが高い」として、面接交渉の申立を却下しました。
 この審判は、「父(相手方)から母(抗告人)に対して、面接交渉を求めた事案の抗告審において、母には、父が未成年者らを連れ去るのではないかと強い不信感があり、面接交渉に関する行動につき信頼が回復されているといいがたく、未成年者らも将来はともかく、現在は相手方との面接を希望しない意思を明確に述べているような状況においては、未成年者らと相手方との面接交渉を実施しようとするときには、未成年者らに相手方に対する不信感に伴う強いストレスを生じさせることになるばかりか、父母との間の複雑な忠誠葛藤の場面にさらすことになる結果、未成年者らの心情の安定を大きく害するなど、その福祉を害する恐れが高く、未成年者らと相手方の面接交渉を認めることは相当ではないとして、面接交渉を認めた原審判をとり消し、面接交渉の申立を却下した」ものです。
 この時期、東京家庭裁判所(平13.6.5審判)、横浜家庭裁判所(平14.1.16審判)、東京地方裁判所(平14.5.21審判)など、同等の解釈による判決が多数下されました。
 ところが、いまから11年前の平成24年(2012年)4月に改正された『民法766条』が施行されると、この「離婚後の面会交流のあり方」は、「父親を怖れている子どもとの面会は、子の利益(福祉)の観点から好ましくないので実施しない」との主張は認められ難くなり、「夫婦間にどのような経緯・懸案事項があろうとも、父親と子どもとの面会は子の利益(福祉)の観点から必要不可欠であり、家庭問題情報センター(FPIC)などの第3者機関を介することで、面会は可能である」との考え方に大きく舵を切りました(令和5年(2023年)7月現在)。
 しかし、先に記しているとおり、被害者にとって、子どもを加害者である父親と面会交流させるには、大きな精神的負担を伴います。
 なにより、父親が、母親にDV行為としての暴力を加えるのを見たり、聞いたりしてきた子どもが、その父親と面会交流するのは、大きな精神的負担となります。
 このことは、被害者である元配偶者の暴力被害による後遺症(PTSD、その併発症のうつ病)の治療と心身の回復に大きな影響を及ぼし、同時に、加害者である父親と面会せざるを得ないもうひとり被害者である子どもの治療と心身の回復にも大きな影響を及ぼします。
 父親ともうひとりの被害者である子どもとの面会交流は、仮に、FPIC立ち合い。時間が限られたものであっても、暴力的ではない外面のよい父親を演じ切る可能性があります。
 面会交流に臨む子どもが、被虐待児という視点に立つと、父親が暮らす家に行ったり、その家に宿泊したり、旅行に行ったりすることはあり得ないことです。
 この日本の状況を危惧した「女性差別撤廃委員会」は、平成26年(2014年)、日本政府に対し、「面会交流のスケジュールを決定するときには、家庭内暴力や虐待の履歴があれば、それが女性や子どもを危険にさらさないように考慮しなければならない。」と是正勧告をだしています。
 ところが、日本の家庭裁判所では、「FPICなどの第3者の立ち合いなどで、面会交流は可能である」との判断を示すことが多くなりました。
 その中で、「民法733条」の改正前と同様に、「加害者である父親と子どもとの面会交流が及ぼすリスクと悪影響」を主張し、面会交流を実施できない医学的な根拠を示すがより重要な意味を持つようになりました。
 『子どもの権利条約』19条の規定、「女性差別撤廃委員会」の平成26年(2014年)の是正勧告などを重く見た締約国の中には、DV被害を重視した法制度の見直しに動きました。
 デンマークは、1997年(平成9年)、親の監護権/権限ならびに面接交渉権法改正法1条「子どもはケアおよび安全に対する権利を有する。子どもは、その人格を尊重して扱われ、かつ、体罰または他のいかなる侮辱的な扱いも受けない」と、監護権、面会交流で、「子どもはケアおよび安全に対する権利を有する」と明記しました。
 これは、国連総会で、『子どもの権利条約』が成立した1989年(平成元年)11月20日から僅か8年後のことです。
 日本は、この「デンマーク」の法改正から26年経過したいまも「監護権、面会交流で、「子どもはケアおよび安全に対する権利を有する」との考えに至ることができていません(令和5年(2023年)7月現在)。
 その中で、令和4年(2022年)6月25日、一般社団法人『日本乳幼児精神保健学会』は、離婚後の子どもの養育のあり方について発表した声明の最後で、「以下、当学会は、乳幼児・児童・思春期の精神医学の観点から、子どもの権利を最大限尊重するという理念を基本に、最新の科学的研究および豊富な臨床現場の知見に基づき、離婚後の子どもの養育に関して声明を発する‥」と目的を明確に示したうえで、ⅰ)離婚後の子どもに必要なことは、子どもが安全・安心な環境で同居親と暮らせること、ⅱ)子どもには意思がある、ⅲ)面会交流の悪影響、ⅳ)同居親へのサポート、ⅴ)離婚後の共同親権には養育の質を損なうリスクがあるとして、「離婚後の子どもの養育に関する法制度の改正には、子どもの視点に立った慎重な議論を求めるものである。」と締めくくった声明を発表しました。
 この声明は、日本政府がこの問題に背を向け続けているだけではなく、保守派が「共同親権」の導入に向けて活動を活発させるなど、世界の流れに逆行しかねない中で、大きな意味を持ちます。
 オーストラリアでは、2011年(平成23年)、離婚後の交流に肯定的な親が養育を担うのに相応しいという「フレンドリーペアレント(FP)」条項を開始5年で廃止しました。
 これは、「離婚後の父母と子どもの交流の継続よりも子どもの安全を優先する」法改正です。
 このオーストラリアの方向転換を見ると、平成24年(2012年)4月の『民法766条』の改正後、日本政府、ならびに、日本の家庭裁判所のあり方は、世界の動きに逆行していることがわかります。
 そして、アメリカは、2019年(令和元年)、子どもとの面会交流や監護を検討するとき、子どもの安全を最優先する必要があり、家族間暴力が訴えられているときの裁判所審理の改善を求める勧告を下院が決議しました。
 イギリスでは、2020年(令和2年)、司法省の専門委員会が「DVの可能性のある親と子どもの交流の危険性」を指摘し、離婚後も父母が子どもとのかかわりをけいぞくすることが子どもの健全な生育につながる」という“推定規定”の見直しを勧告しました。
 カナダでは、2021年(令和3年)、離婚法が改正され、「フレンドリーペアレント(FP)」の考え方にもとづく規定を見直しました。
 「子どもの安全と健全な生育が確保できることを条件に、父母と子どもとの関係の継続について考慮する」という考え方に大きく舵を切りました。
 オーストラリアからは少し遅れていますが、各国が、「離婚後の父母と子どもの交流の継続よりも子どもの安全を優先する」方向に舵を切る中で、「4-3)-➃」で述べる「平成26年(2014年)、改正新法の制定」、「4-3)-⑦」で述べる「令和5年(2023年)5月12日成立、法改正」では、こうした視点は皆無、日本政府は無視し続け、一方で、「共同親権」の導入を求める保守派の動きが活発になっています。
 平成24年(2012年)4月に『民法766条』が改正されてから10年後の令和4年(2022年)6月25日、一般社団法人『日本乳幼児精神保健学会』は、離婚後の子どもの養育のあり方について、「以下、当学会は、乳幼児・児童・思春期の精神医学の観点から、子どもの権利を最大限尊重するという理念を基本に、最新の科学的研究および豊富な臨床現場の知見に基づき、離婚後の子どもの養育に関して声明を発する‥」と目的を明確に示したうえで、ⅰ)離婚後の子どもに必要なことは、子どもが安全・安心な環境で同居親と暮らせること、ⅱ)子どもには意思がある、ⅲ)面会交流の悪影響、ⅳ)同居親へのサポート、ⅴ)離婚後の共同親権には養育の質を損なうリスクがあるとして、「離婚後の子どもの養育に関する法制度の改正には、子どもの視点に立った慎重な議論を求めるものである。」との声明をだしました。

d) 「ハーグ条約」批准後、DV加害者が「子どもを連れ去られた」と主張
 DV事案では、配偶者からのDV行為に耐え切れず、DV被害者である母親が子どもを連れて実家などに避難したときに、その避難先の実家、子どもが通う学校園から力づくであったり、下校時に迎えに行ったりして、子どもを連れ去ったり、面会交流として子どもを夫の家に行くと、そのまま子どもを帰そうとしなかったりする状況に対し、文字通り「子どもの連れ去り」と表現していました。
 ところが、平成23年(2011年)6月の『民法766条』の改正で、“子の監護”について必要な事項の例として、「父、または、母との面会やその他の交流、子の監護に要する費用の分担」が明示されるとともに、「父母がその協議で、子の監護について必要な事項を定めるときには、子の利益をもっとも優先して考慮しなければならない」と規定したことを受け、2年後の平成25年(2013年)5月22日、日本政府は、『ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)』を締結すると、本来の「子どもの連れ去り」とは違う解釈が横行するようになります。
 それは、一部のDV加害者が、この『ハーグ条約』の批准・締結前後から、配偶者である妻が子どもを連れて家をでて、『配偶者暴力防止法』に準じ一時保護が決定、「母子生活支援施設(いわゆる行政機関のシェルター)」に入居(保護)し(その後、アパートなどの賃貸契約を経て)、居所を隠して生活をし、子どもと会えない状況に対し、「子どもの連れ去り(子どもを連れ去って逃げた)」という表現を使うようになったことです。
 当初、その一部のDV加害者はブログを立ち上げ、そのブログに、「子どもに会えない父親」などと題し、ツラく、苦しい胸の内を訴え、それを招いている元凶は、『配偶者暴力防止法』による「一時保護の決定(母子生活支援施設に入居後、転居)」、「住民基本台帳事務における支援措置(転居先の住所を閲覧できなくする手続き)」であり、子どもを連れ去った(元)妻は、「「境界性人格障害(バーソナリティ障害)/ボーダーライン」、あるいは、「産後うつ」などを発症し、精神的不安定で、子どもが無事にせいかつできているのかが心配でいたたまれない。」などと投稿していました。
 こうしたブログを見た夫婦関係調整(離婚)調停中のDV加害者が、こうしたプログの情報をもとに、「子どもを連れ去った妻は監護者として不適切」「子どもの親権はわたせない」と主張するようになりました。
 こうしたSNSツールが急速に発達する中で、DV加害者たちが情報交換をするようになったり、知恵をだし合い対策を練ったりするようになる中で、一定数のDV加害者は、社会に向けて、「子どもに会えず、ツラく、哀しい」と訴えはじめ、その理由を「(元)妻に子どもを連れ去られたからだ!」とし、「(元)妻と暮らす子どもから父親を奪った! 子どもは片親疎外になり、子どもは精神的な不調に陥る。もはや虐待だ!」と声を荒げるようになりました。
 DV加害者が、「片親疎外」と表現するようになったのは、子どもを連れて逃げた(避難した)DV被害者である母親が、夫婦関係調整(離婚)調停で、面会交流に応じられない根拠として、「子どもは父親のことを怖がっている」、「子どもが会いたくないといっている」、「精神的に不安定になるから会わせられない」と述べたことに対し、DV加害者が「片親引き渡し症候群」をひきあいにし、「妻が子どもを洗脳している」と反論したことがきっかけです。
 「片親引き離し症候群(Parental Alienation Syndrome;PAS)」とは、1980年代初めにリチャード・A・ガードナーによって提唱され、「洗脳虐待」と訳されることもあります。
 両親の離婚や別居などの原因により、子どもを監護している方の親(監護親)が、もう一方の親(非監護親)に対する誹謗や中傷、悪口などマイナスなイメージを子どもに吹き込むことでマインドコントロールや洗脳をおこない、子どもを他方の親から引き離すようし向け、結果として、正当な理由もなく片親に会えなくさせている状況を指します。
 また、子どもをひきとった親に新しい交際相手ができたときに、子どもに対してその交際相手を「お父さん(お母さん)」と呼ぶようにしつけ、実父・実母の存在を子どもの記憶から消し去ろうとする行為も該当します。
 そして、配偶者からのDV行為に耐え切れず、子どもを連れて家をでて避難したDV事案で、DV加害者が「自分こそが被害者である!」と訴える(主張する)ときの常套句(キーワード)が、「子どもを連れ去った」、「片親疎外(片親疎外は、子どもの心身の成長に弊害をもたらす虐待行為だ!)」、「共同親権(子どもとの面会交流の実現)」です。
 なぜ、「子どもの連れ去り」と「共同親権」がつながるのでしょうか?
 それは、DV行為に耐え切れなくなり、子どもを連れて身を隠し、子どもに会わせることを拒む母親に対し、当事者であるDV加害者の論理展開は、「子どもが片親となったことで覚える疎外感を防ぐには、子どもが片親で不憫な思いをしないようにする」、それには、「共同親権でなければならない」となるからです。
 さらに、もっとも望ましいのは、「子どもが片親にならなくする、つまり、離婚をせず、一緒に暮らすこと」という考えです。
 つまり、DV加害者が「片親疎外」と訴えることは、子どものためではなく、自分が望む「離婚はしないで、関係を修復して親子4人で生活をする」ことを実現するための方便といえます。
 なぜなら、この夫婦間の関係性には、DV行為が存在し、同時に、子どもとDV加害者の親との関係性には、少なくとも、虐待行為(面前DV=心理的虐待)が存在している“前提”は存在しないからです。
 にもかかわらず、こうしたDV加害者の声(訴え)に対し、次々とDV加害者が賛同し、つながり、連携し、「親子の面会交流を実現する全国ネットワーク(親子ネット)」など幾つかのグループができました。
 こうしたグループの活動が広まった背景には、メディアの存在があります。
 それは、配偶者からのDV行為に耐え切れず、子どもを連れて実家に避難した事案にもかかわらず、この“前提”を無視し、DV加害者が、「突然、妻が、子どもを連れて実家に帰ってからずっと子どもに会えていない。」とその苦しい胸の内を明かすことだけにフォーカス(転じて、被害者となっている)した記事を掲載したり、テレビ番組でとりあげ放映したりしたことです。
 そして、こうしたDV加害者グループの訴えに対し、政治的に便乗し、後ろ盾になったのが、議員連盟の「共同養育支援法 全国連絡会」などに属する国会議員たちで、いま、活発な活動を展開しています。
 DV加害者と保守派の政治家が結びつく理由は、「保守的な家族観」として「家父長制」をベースにあることから、家父長の懲戒としてのDV行為、児童虐待行為に対し、耐えられないと子どもを連れて家をでて行く妻の行為はあってはならない(許さない)との考え、価値観が一致するからです。
 離婚(婚姻破綻)の原因の多くがDV行為を起因とする日本において、「共同親権制度」が導入されたときには、日本のDV対策はいま以上に大きく後退します。
 その後退は、DV被害者である子どもとその子どもと生活をともにしている親にとって、絶望的といえます。

➃ 平成26年(2014年)、改正新法の制定
 それから7年後の平成26年(2014年)、改正新法として、『配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法)』となり、「婚姻関係になくとも同じ居住地で生活を営んでいる者(元を含む)」に対して、同法が適用されることになりました。
 つまり、「生活の本拠をともにする交際相手から暴力等を受けたあとに、生活の本拠をともにする関係を解消したあとも、ひき続き暴力等を受けた」ときも、同法が適用されることになりました。
 ただし問題は、婚姻関係における共同生活に類する共同生活を営んでいない(いわゆる同棲していない)交際相手には、『配偶者暴力防止法』は適用されないということです。
 つまり、自宅から通学している中学高校生や大学生、もしくは、自宅から通勤していたり、一人住まいをしていたりする大学生や社会人には、『配偶者暴力防止法』は適用されません。
 このことは、デートDV対策として不備、機能しないことを意味します。
 暴力のある家庭環境に嫌気がさしたり、暴力に耐え切れなかったりして、家出をした子どもたちは、その受け入れ先となる「宿カレ」からレイプ(デートレイプ)されたり、DV被害にあったり、管理売春下に身を置かれ、性的搾取被害にあったり、その過程で、薬物を使われる被害にあったり、生活費を得るために、寮のある風俗店で働いたりすることがあります。
 こうした子どもたちは、現行の『配偶者暴力防止法』の適用から外れる、つまり、同法に準じ、一時保護を決定し、「母子生活保護施設」に入居させ、福祉事務所の介入で、福祉(生活保護の受給)と医療を受け、生活の再建(自立)のためのサポートを受けることができません。
 こうした子どもたちが18歳になると、『児童虐待防止法』『児童福祉法』の適用からも外れます。
 日本政府は、こうした子どもたちを救おうとせず、放置し続けています。
 なぜなら、日本政府は、「人権」を尊重するのではなく、「人格」を尊重する、つまり、社会としての問題ではなく、「個人の心のありよう」、個人の問題と考えているからです。
 この日本政府の姿勢は、『世界人権宣言』『女性差別撤廃条約』『子どもの権利条約』に添っていない、つまり、反していることになります。

⑤ 「DV=犯罪」として警察が介入するアメリカ。子どもの保護を前提
 「配偶者からの暴力を禁止」するアメリカでは、日本と異なり、「DV=犯罪」として警察が介入します。
 DVのある状況に子どもがいるときにも、アメリカの対応は日本と大きく異なります。
 アメリカでは、子どものいる家庭におけるDV事件では、児童保護局(CPS)に通報されます。
 このとき、加害者逮捕に至らなくても、CPSが、「子どもに危険性がある」と判断したときには、子どもを裁判所の保護下に置き、加害者・被害者の親から分離させます。
 その間に、両親(加害者と被害者)ともに、加害者プログラムやカウンセリングなどを受け、子どもを安全に育てる環境を整えなければなりません。
 面前DV(=心理的虐待)のケースでは、DV被害者の親に対しても「子どもの保護を怠った」と考え、DV被害者の親にも指導・介入が行われます。
 また、「現時点では危険性がない」と判断したときであっても、「将来的に、子どもの安全が脅かされる危険性がある」と判断したときには、裁判所の命令で、子どもを親の保護下に置いたまま同様のサービスを受けさせたり、CPSが、裁判所への申請をする代わりに同様のサービスを受けさせたりするなど、その家庭に対して半強制的に介入します。
 時に、被害者の意志に反する介入も実施されるが、CPSの“姿勢”は、あくまでも「子どもの安全が第1」です。
 日本社会では、「子どもの安全(権利)」よりも、「親の考え」「親の意志」が優先され、結果、多くの悲劇をもたらしています。
 また、日本では、DV(デートDV)下で、別れ話が発端となったストーキング事件で、被害者が惨殺されたとき、「接近禁止命令は、心理的な規制しか働かない」、「警察に相談、通報したことを恨みに思う加害者には効果が期待できない」、「加害者に対し、被害者がどれほど傷ついたか伝えるのは意味がなく、効果がないだけでなく逆効果になる」などが議論(これでも、「接近禁止命令が効果的」という短絡的な議論からは脱し、少し進んだ)され、法律の専門家は、いまだに、制度論として「警告後に接近禁止命令を発令するときには、意識改革や行動改善を働きかける加害者更生プログラムの受講命令をだすようにすべき。」などと発言しています。
 アメリカ、オーストラリアなどこの問題に先進的にとり組む欧米諸国では、実施状況を検証し、その検証結果として、効果が限定的であることが明らかになっています。
 これらの議論は、この問題に先進的にとり組む欧米諸国では、四半世紀前に議論されてきたことで、その後導入に至り、いまは、その実施状況が検証され、新たな対策に向けて動きだそうとしています。
 にもかかわらず、日本では、義務化(命令)されていない『加害者更生プログラム』の導入がベストのような周回遅れの発言、議論が繰り返されています。

⑥ アメリカ、オーストラリアなどのDV対策は、次の段階に入った
 「DV加害者介入」の効果は、ミネソタ州東部に位置する大都市ミネアポリスにおける加害者逮捕の調査では、再犯率として表れています。
 『加害者プログラム』を完遂した者と脱落した者の再犯率を警察記録から調べた7つの調査では、完遂者の再犯率は0-18%、脱落者の再犯率は10-40%となっています。
 一方で、被害者の証言から調べた6つの調査では、完遂者の再犯率は26%-41%、脱落者の再犯率は40%-62%となっています。
 いずれの調査結果でも、脱落者に比べて、完遂者の再犯率が低くなっています。
 ただし、この警察に記録と被害者の証言を比較すると、再犯の認識において、警察の認識と被害者の認識には大きな開きがあることがわかります。
 この再犯率に対する認識の大きな開きの原因は、アメリカにおいても、被害者は、必ずしも被害を警察に届けたり、相談したりしていないと想定できます。
 この大きな認識ギャップを踏まえると、当事者としての被害者視点に立つことの重要性がわかります。
 それでも、『加害者プログラム』を完遂することは、暴力抑止に効果があるのは事実とはいえ、問題は、逮捕されたDV加害者に参加が義務であるにもかかわらず、『加害者プログラム』の脱退率は25%-65%に及ぶことです。
 「CCR(Coordinated Community Response;地域連携対応)」は、この高い『加害者プログラム』の脱退率の改善に必要とされています。
 「CCR」は、「加害者に自分のとった行動の責任をとらせ、再発を防ぐことで被害者を保護していく」ための総合的な対策(DV加害者介入施策)としての4つの対策のひとつです。
 「CCR」以外の3つの対策は、加害者に対する保護命令の発令、DVや保護命令違反を犯罪として逮捕・起訴、加害者介入プログラムの実施です。
 アメリカのシアトルで実施された調査では、『加害者プログラム』の脱退率は40%でした。
 この脱退率の高さの要因として、『加害者プログラム』を途中で止めたり、裁判所の命令を無視してプログラムに登録しなかったりしたDV加害者に対して、ア)司法機関があまり介入をしていないこと、イ)『加害者プログラム』と司法機関の連携体制、CCRが組まれていないことが指摘されています。
 一方で、プログラム完遂者の調査では、プログラム完遂者の特徴のひとつとして、自身が「暴力を犯したと認めている」ことがあげられています。
 つまり、アメリカの法律として、「DV=犯罪」として逮捕・起訴され、参加を義務づけられたとしても、自身の暴力行為を正当化したり、矮小化したりするDV加害者は、『加害者プログラム』に登録しなかったり、途中で止めたりしやすいことになります。
 「DV=犯罪」として逮捕・起訴されず、参加を義務づけられない日本において、「暴力を犯した(DV加害者)と認めないDV加害者」が、自らの意志で、『加害者更生プログラム』に参加することは期待できません。
 日本において、警察が介入したDV事件であっても、交際相手や配偶者に暴力を加える男性の約70%は、「自分には非はない。暴力を加えさせる(暴力のきっかけを与える)お前が悪い。」と認識し、警察が介入に至る「暴力を犯した」と認めていません。
 日本において、アメリカのように、逮捕・起訴されたDV加害者に対し、『加害者更生プログラム』への参加義務づけたとしても、CCRなどシステムが整っていない中では、高い脱会率となるか、(日本人の特性として)形式だけ受講し続けるかが想定できます。
 カリフォルニア州の加害者プログラムの認定制度のガイドラインには、「加害者プログラムはCCRの一部でしかなく、単体で存在するものではない」と明記され、「幾ら質の高い加害者プログラムでも、CCR、介入の連携体制がしっかりと組まれていなければ、加害者介入の意味を成さない」としています。
 つまり、このガイドラインに従うと、「DV=犯罪として逮捕・起訴をしない、加害者の治療を含むCCR(地域連携対応)が存在しない日本で実施される『加害者更生プログラム』は、幾ら質が高く、被害者支援の一環としての体裁が整っていても、加害者介入としては、意味をなしていない」ことになります。
 CCRとして重視しているのが、ア)司法制度以外の支援機関との連携、イ)加害者の危険性やおかれている状況を把握し、それぞれのニーズに合わせた介入を行っていくこと(リスクとニーズのアセスメント、ケースマネージメント)です。
 CCRは、DV加害者の生活環境を整えなければ、暴力をなくすことは難しく、DV加害者に対するメンタルヘルスの治療、アルコールや薬物依存の治療は、DVの再発を防ぐには欠かせないと考えています。
 アルコールや薬物依存の治療の重要性は、アメリカでは帰還兵のPTSD発症に起因するDV、児童虐待、レイプ、殺人・暴行、自殺、アルコール・薬物依存が社会病理として問題となっているからです。
 この点だけにフォーカスすると、阪神淡路大震災、東日本大震災などの自然災害後の被災地では、この帰還兵と同様の問題が起きることから、一般のDV対策に加え、アルコール・薬物依存の治療は重要です。
 阪神淡路大震災後の被災地で、DVや児童虐待が増加し、そのときに子どもだった人が子育て世代になり、被災地で再び、DVや児童虐待が大きく増加したことを踏まえると、加害者に加え、被害者と子どもの心のケアを疎かにしてきた結果が明確に表れています。

 しかし、日本ではいまだに、DV行為としての「身体的暴力」だけにフォーカスし、「性的暴力」、「精神的暴力」をDV行為から切り離し、それらは、「DV行為ではない」と主張したり、軽視したりする人たちが一定数います。
 このことは、DVの“本質”を理解していないことを意味します。
 その日本では、アメリカで『DV介入プロジェクト(DAIP)』が組織されてから43年経ったいまでも、地域社会の裁判所、警察、福祉機関などの関係機関が連携した『DV加害者更生プログラム』の実施体制、つまり、アメリカのようなCCR(地域連携対応)は構築できていません(令和5年(2023年)7月現在)。
 しかも、それ以前に、日本社会は、世界で唯一、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」が、明治29年(1896年)の制定から127年経過しても残り続けるなど、「G7の中でもっとも遅れている。」、「G7の中で、これほどまでに後ろ向きな国は他にない。」と指摘される『家族法(民法)』の問題を抱えています。
 その『家族法(民法)』に問題を抱えたままの日本の『配偶者暴力防止法』は、平成13年(2001年)の制定から22年経過したいまも、つまり、同16年(2004年)、同19年(2007年)、同26年(2014年)の3回の法改正(改正新法を含む)を経ても、いまだに、効果のない、多くの不備があり、欠陥だらけの法律です(令和5年(2023年)7月現在)。

⑦ 令和5年(2023年)5月12日成立、法改正
 平成26年(2014年)の改正新法から9年を経て、令和5年(2023年)5月12日、同法の法改正が成立し、同改正法は、一部を除き令和6年(2024年)4月1日に施行となります。
 今回の法改正では、加害者のつきまといなどを禁止する「保護命令」の要件として、「物理的な暴力だけでなく、ことばや態度による精神的な危害が加えられた」ことを受け、身体的暴力に加え、精神的暴力が対象となったと新聞などのメディアが記述しました。
 この状況は、「4-3)-①」で述べているように、平成16年(2004年)の法改正で、「言動」という文言が加えられ、「精神的暴力」が加えられたと解釈した状況と同じです。
 なぜなら、接近禁止命令等の申立てをすることができる被害者について、追加されたのは、「配偶者からの身体に対する暴力を受けた者、「生命又は身体」に対する加害の告知による脅迫を受けた者に加えて、「自由、名誉又は財産」に対する加害の告知による脅迫を受けた者」と再び、「脅迫の対象を限定しただけ」に過ぎないからです。
 「4-3)-②」の平成19年(2007年)の法改正では、この「言動」に「脅迫」に置き換えただけで、「生命または身体に重大な危害を受ける恐れの大きさ」を立証しなければならないのは変わらないと述べています。
 それから、16年後には、この「脅迫」の対象と状況を、「自由、名誉、財産」に対する「加害の告知による脅迫」と“限定”しました。
 立証と主張のあり方次第で、発令を決定する地方裁判所の裁判官の裁量で、保護命令の発令に持っていくことができた事案が、「言動」としての「脅迫」と限定された状況は変わらず、「自由、名誉、財産」に対する「加害の告知による脅迫」と“限定”されたことで、逆に、発令できないケースが増える可能性がでてきました。
 もうひとつ要件を従来の「身体に重大な危害を受けるおそれ」から、「心身に重大な危害を受けるおそれ」に改めていますが、重大な危害を受けるおそれのある「心身」と改めたとしても、「言動」としての「脅迫」と限定された状況は変わらず、「自由、名誉、財産」に対する「加害の告知による脅迫」と“限定”されているので、ほとんど意味をなしません。
 今回の法改正は、メディアなどが成果とした「精神的暴力を保護命令などの対象とした」とはいえず、むしろ、保護命令の発令をさせ難くした“後退”といえます。
 日本政府の目論見は、「保護命令の発令をさせ難くする」ことと考えられ、させ難くさえすれば、その後のア)つきまといの禁止期間は6月から1年に延長したり、既に、『ストーカー規制法』で規定しているイ)禁止行為に、緊急時以外の連続した文書送付・SNS送信、性的羞恥心を害するメール送信、位置情報の無承諾取得などを追加したりしたことは、重要な意味を持ちません。
 しかも、「被害者と同居する未成年の子どもに対する接近禁止命令の要件」として、創設された「当該子への電話等禁止命令」となる対象行為は、ア)監視の告知等、イ)著しく粗野乱暴な言動、ウ)無言電話、エ)緊急時以外の連続した電話なっていますが、イ)言動として「著しく粗野粗暴」の定義はなく、ウ)非通知での無言電話は、録音した音源での「音声/声紋分析による人物特定」が困難で、エ)なにを持って「緊急時」といえるのかの定義はなく、しかも、“連続”という条件まで設定されているのなど、被害者と同居しる15歳未満の子どもとの電話などの禁止を求めるときの立証は、かなり難しくなっています。
 これは、「4-3)-①②」で述べたように、「生命または身体に危害を及ぼすほどの(に準する)言動(脅迫)」「心身に有害な影響を及ぼした言動(脅迫)」」を立証するのが困難であるのと同様に、従来のア)「被害者への接近禁止命令」の要件に加え、イ)「被害者が当該子に関して配偶者と面会することを余儀なくされることを防止するため必要がある」こと、ウ)「15歳以上の子についてはその同意がある」ことなどがあり、イ)の事実を立証するのが困難であることに加え、新たに、立証困難な要件が加わった印象です。
 また、本来なら意味のある「命令違反に対しする罰則を厳しくした」、つまり、「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」から「2年以下の懲役または200万円以下の罰金」と変更したことも、「保護命令の発令をさせ難くした」ことで、効果は限定的なものになります。

⑧ 今回の法改正でも、「女性差別撤廃委員会」の是正勧告を無視。
 今回の法改正も、「女性差別撤廃委員会」が、いまから20年前の平成15年(2003年)8月、締結国である日本政府に対し、「ドメスティック・バイオレンスを含む女性に対する暴力の問題に対し、女性に対する人権の侵害としてとり組む努力を強化する」こと、「『配偶者暴力防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)』を拡大し、様々な形態の暴力を含めること」と要請(勧告ⅰ)-a))に対し、抵抗し続け、見せかけの法改正でしかありませんでした(令和5年(2023年)7月現在)。
 「女性差別撤廃委員会」のいう「様々な形態の暴力を含めること」の“様々な形態の暴力”のベースは、「4-1)-②」で述べた1984年(昭和59年)、被害女性たちの声をもと、暴力を理解する理論的枠組みとしてつくられた『パワーとコントロールの車輪』で示しているDVの構造に他ならず、『パワーとコントロールの車輪』で示されている「車輪」の一番外側には、「身体的暴力」と「性的暴力」があり、内側には8つの「精神的暴力」があります。
 「精神的暴力」の8つは、ア)脅し、怖がらせる、イ)情緒的虐待、ウ)孤立させる、エ)暴力の過小評価・否認・責任転嫁、オ)子どもを利用する、カ)男性の特権をふりかざす、キ)経済的暴力を用いる、ク)強要と脅迫です。
 つまり、日本の『配偶者暴力防止法』において、保護命令などの対象となるDV行為は、「車輪」の一番外側の「身体的暴力」とその内側の8つの「精神的暴力」のうちク)強要と強迫と極めて限定的です。
 日本政府が、「女性差別撤廃委員会」の要請(勧告ⅰ)-a))から19年9ヶ月にわたり対応を無視し続けているのが、平成29年(2017年)6月2日の110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」にひき続き、令和5年(2023年)6月16日に可決した「刑法改正(性犯罪の規定を見直し)」と深く関係する「車輪の一番外側に位置するDV行為としての性的暴力」です。
 日本政府は、この「車輪の一番外側に位置するDV行為としての性的暴力」が、被害者の「身体に重大な危害を受けるおそれ」、「心身に重大な危害を受けるおそれ」のある暴力行為と認めていないのです。
 日本政府は、家庭内、夫婦間レイプ(強姦)に対し見て見ぬふりというよりも、明治29年(1896年)の制定から令和4年(2022年)10月14日に削除されるまでの126年間、「親の子どもに対する懲戒権(民法822条)」を認めてきたように、『民法770条1項5号(その他、婚姻を継続し難い重大な理由がある)』のひとつ「夫婦間の性関係がない(セックスレス)」を踏まえ、夫婦間は性関係があることが“前提”として、「夫婦間における(DV行為としての)性的暴力」の存在を認めようとしません。
 この認識は、いうまでもなく家父長制にもとづきます。
 交際相手や配偶者との間におけるDV行為としての「性的暴力」おける重要なポイントは、a)性行為の強要と性行為の拒否に対する暴力、b)暴力に対する和解の強要としての性行為です。
 DVの“本質”は、「本来、対等な関係にある交際相手との間、夫婦との間に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせたり、その関係性を維持したりするためにパワー(力)を行使する」ことです。
 つまり、交際相手との間、夫婦との間に、「b」の性暴力が存在するとき、既に、この関係性には、上下の関係、支配と従属の関係が成り立っていることになります。
 b)「暴力に対する和解の強要としての性行為」とは、「暴力後の“仲直り”としての性行為」のことで、基本的に、加害者の一方的な仲直りを意味します。
 しかし問題は、b)とともに、a)拒むと暴力を加えられるので、それを避ける(回避する)ために、被害者自らが率先し、加害者が期待する性的行為に及んでいることが少なくないことです。
 1973年(昭和48年)8月23日にスウェーデンのストックホルムで、銀行強盗が人質をとり、立てこもる事件がおきた「ノルマルム広場強盗事件」で犯人と人質がのちに結婚しています。
 とりわけ性的な加害男性と被害女性の関係性において、被害女性に見られる傾向を説明しているのが「ストックホルム症候群」です。
 被害女性が、「ストックホルム症候群」に陥った有名な性犯罪事件として、「オーストリア少女監禁事件(1998年)」、「エリザベス・スマート誘拐事件(2002年)」があります。
 性犯罪の中には、加害男性が「リマ症候群」に陥り、被害女性は、その加害男性に「拒否したければ、拒否してもいいよ。」と意志を尊重することばをなげかけられ、被攻撃的な性行為の要求を受け入れているうちに、被害女性が「ストックホルム症候群」に陥り、通常の性行為に変質してしまうことがあります。
 問題は、見かけ上は「被害を被っている女性がいない」ことになり、性的虐待、DV行為としての性的暴力(デートレイプを含む)、セクシャルハラスメントなどの性暴力事件としての立件が困難になることです。
 ところが、被害女性がこの状況から解放され、我に返り、少しずつ自分の身になにが起きていたのかを理解しはじめると、加害男性である犯人への憤り、怒りが正常に自覚されるようになります。
 しかし、加害男性が近親者となる性的虐待、加害男性が交際相手や配偶者となるDV行為としての性的暴力に加え、同級生、先輩、上司、同僚、取引先の人からのレイプなどの性暴力においては、被害女性に加害男性に対する「親愛感情」がしばらく継続することが少なくありません。
 性的虐待加害者である近親者、DV加害者である交際相手や配偶者に「親愛感情」を抱き、「ストックホルム症候群」に陥っている被害者にとって、自身の性暴力被害体験、つまり、自分の身になにが起きているのかを自覚することは容易なことではありません。
 特に、「ストックホルム症候群」に陥っている性的虐待、DV被害者にとって、支援者、医師、警察、保健センター、福祉事務所、児童相談所など行政機関の職員、子どもが通う学校園の教職員、弁護士などの第3者の安易な介入は、性的被害体験に耐え抜く自己の実現を脅かす“外敵”の侵入となりかねません。
 そのため、これらの第3者に対し、激しく敵意をむきだし、攻撃することがあります。
 この「激しく敵意をむきだし、攻撃する行為」は、PTSDの覚醒亢進(過覚醒)症状のひとつ「攻撃防御の機能不全」によるもので、「易刺激性」と表現されます。
 「易刺激性」とは、ちょっとの刺激によって興奮しやすいことで、その「爆発性」、「易刺激性」は、いわゆる「気が短い(自他を問わず、あらゆる人のあらゆる行為に対して、直ぐに腹を立てる)」ことと違い、それまで穏やかな心理状態であった人が、相手のほんのひとこと、ちょっとの刺激によって突然興奮しはじめるPTSD(C-PTSD)の症状です。
 さらに、b)「暴力に対する和解の強要としての性行為」、つまり、「暴力後の“仲直り”としての性行為」という性暴力被害を受けて被害者の多くは、自身が性暴力被害を受けていること、あるいは、その行為がPTSD主症状の「回避」であることを認識することは困難です。
 「性的同意」という人権意識が極端に低い日本では、このa)とb)の視点で捉えると、交際相手や配偶者との無自覚な性行為の幾つかが、DV行為としての性的暴力に該当します。
 『暴力のサイクル理論』とともにDV行為の基礎理論となるのが、アメリカの心理学者レノア・E・ウォーカーウォーカーが、著書『バタード・ウーマン』の中で示した「学習性無力感の理論」と「暴力のサイクル理論」です。
 暴力を「第一相」から「第三相」に分類した『暴力のサイクル理論』では、このb)の「暴力に対する和解の強要としての性行為」について、PTSDの回避行動であることを「「第三相」では、「二度としない」と悔い、優しさを見せたり、セックスに持ち込んだりします。」と説明しています。
 このとき、被害者は、苛烈な暴力を加えられたツラい体験に蓋をして、「本当は、いい人」、「優しく愛してくれた」と思い込もうとする心理が働きます。
 つまり、この「暴力後に、セックスに持ち込む行為」こそが、交際相手や配偶者との間における「DV行為としての性的暴力」の重要なポイントです。
 暴力を加えられたツラい体験に蓋をするのは、人の脳機能が影響しています。
 人の脳は、ツラく哀しいことよりも、楽しいこと、嬉しいこと(快楽刺激)を優先して反応します。
 つまり、人の脳は、“快楽刺激”を優先させて働くようにできています。
 DV(デート)や性暴力被害者は、正確に被害の状況を把握し、言語化することが困難であることが少なくありませんが、それは、その被害と向き合うことが、快楽刺激を優先する脳の働きとは“真逆”の働きを求める行為だからです。
 つまり、脳は、自身の被害を認識することに対し、「ツラい、苦しいからもう止めろ!」と指令をだします。
 この状態が、ツラく、苦しい記憶とつながることを避けようとする、つまり、脳が傷つくことを避ける(回避)行動です。
 この回避行動は、PTSDの主症状のひとつです。
 この「配偶者である夫からレイプ(同意のない性行為、意に反する性行為)される」ことは、レイプ被害者が、レイプ加害者と同じ家で、生活をともにしなければならないという想像を絶する過酷な状況を強いられることを意味します。
 この想像を絶する過酷な状況は、レイプ被害者が、レイプ加害者から逃げ(離れ)、安全で、安心できる生活環境を得るとともに、重篤なPTSD(C-PTSD)を発症し、その症状は重症化し、うつ病、解離性障害などの併発症を次々に発症し、長く苦しみ続ける事態を招きます。
 つまり、DV行為としての「性的暴力」は、被害者の「身体に重大な危害を受けるおそれ」、「心身に重大な危害を受けるおそれ」のある暴力行為以外のなにものでもありません。
 しかし、いまだに、この保守的な価値観を支持する人が圧倒的に多い日本社会では、「交際相手や配偶者が性行為を求めてきたら、応じなければならない」とのステレオタイプ的な固定観念が常識化し、純粋なリベラル政党が存在しない日本では、フェミニストを名乗る人たちでさえ、「レイプ被害者が、レイプ加害者と同じ家に住み、生活をともにしなければならない異常さ」に対し、声をあげたり、問題を提起したりする人はほとんどいません。
 ナイジェリア北東部及び北部を拠点に活動するスンニ派過激組織「ボコ・ハラム」が、村々を襲撃し、女性や子どもを連れ去り、子どもは兵士に、女性は兵士の妻にする行為は、いうまでもなく犯罪行為です。

⑨ 家族優遇の「社会保障制度」、世界で唯一「夫婦同姓」の日本。背景は家父長制
a) 世界で唯一の「夫婦同姓制度」
 世界で唯一、「夫婦同姓」と民法750条、および、戸籍法74条1号法で定められていることに対し、国連の「女性差別撤廃委員会」から平成15年(2003年)、同21年(2009年)の2回勧告されています。
 同28年(2016年)2月、「女性差別撤廃委員会」の63会期において、同21年(2009年)の勧告に対する日本審査が行われました。
 その課題リストで、a)制度的枠組み、b)暫定特別措置、c)ステレオタイプおよび有害な慣行、d)女性への暴力、e)売春の搾取と人身売買、f)政治的・公的機関への参画、g)教育、h)雇用、i)健康、j)災害、k)不利な立場にある女性、l)結婚および家族関係、m)『(女性差別撤廃条約)選択議定書』への批准といった13の分野における情報を提供するよう政府に求め、同30年(2018年)12月、この日本側の報告に対し、さらなる行動に関する情報を求める見解が送られるなど、国連は、日本に対して法改正を繰り返し求めています。
 なぜなら、日本の夫婦同氏制が実質的に女性に不利益を強いる制度として機能していることが、昭和60年(1985年)に日本が批准した『女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約))』に違反するからです。
 しかし日本は、この19年間、国連の「女性差別撤廃委員会」の勧告などに対し、頑なに対応を拒んできました。
 「家父長制」は、女性差別、長子・男子を優先するという子ども間の差別などが『日本国憲法』の24条(法の下の平等など)に反するとして廃止されました。
 しかし一方で、「夫婦同姓」を規定する『民法750条』、および、『戸籍法74条1号法』を削除しませんでした。
 その「夫婦同氏制」のもとで、日本社会では、家父長制は、戦後77年経過したいまも実質的に残存しています(令和5年(2023年)7月現在)。

b) 家族を優遇する日本の「社会保障制度」
 DV加害者の目論見の“後ろ盾”になり、DV被害者が家庭内での暴力から逃げられない状況の一因になっているのが、日本の「社会保障制度」の中核が個人ではなく家族におかれていることです。
 日本の「社会保障制度」は、家族を優遇する制度設計です。
 このことは、欧米諸国に比べて、女性や子どもを家に縛りつけやすい構造を伴うことを意味します。
 つまり、日本社会では、女性は、結婚し、嫁として家族に属し、子どもを儲けたとき、その関係性を維持し続けなければ、国の制度として、経済的に不利を被りやすくなります。
 この家族に重点が置かれた日本の「社会保障制度」では、ひとり親家庭(シングルマザー)では生活が困窮しやすくなります。
 この家族に重点が置かれた日本の「社会保障制度」では、ひとり親家庭(シングルマザー)では生活が困窮しやすくなります。
 「子どもの7人のうち1人が貧困」となっているいまの日本における「ひとり親世帯貧困率」は50.8%で、主要41ヶ国の中で4番目に高く、G7ではもっとも高くなっています。
 そして、改善の見通しはまったく立っていません。
 日本は、ひとり親家庭(シングルマザー)がなぜ貧困に陥りやすいのか、その背景には男女間の賃金格差があり、OECD(経済協力開発機構)に加盟38ヶ国の中で、男女間の賃金格差が24.5%と2番目に高い(同12文)という経済的な側面から説明しているが、ここでは、もうひとつ側面を示します。
 それは、冒頭で述べた「G7の中でもっとも遅れている。」、「G7の中で、これほどまでに後ろ向きな国は他にない。」と指摘される『家族法(民法)』の問題です。
 日本では、家族内に紛争があっても公的機関はほとんど介入しません。
 世界に類がなく、離婚の90%を占める「協議離婚」では、養育費の支払いや離婚後に子どもとどうかかわるかなどについて、離婚する夫婦間でとり決められ、そのとり決めには法的義務は生じません。
 日本の母子世帯で、離婚した父親から養育費を受けているのは24.3%に留まり、結果、ひとり親家庭のシングルマザーと子どもは困窮しやすくなるひとつの要因となっています。
 「婚姻破綻の原因が、配偶者である夫からのDV行為」であるときには、DV被害の後遺症として、後発性が特徴であるPTSDの症状が重篤化し、その併発症としてうつ病を発症しやすく、その影響で、安定した職に就くことができず、結果として、経済的に破綻し、困窮を極めるリスクが高くなります。
 加えて、日本の「社会保障制度」として、DV行為に及ぶ配偶者と別れ難い側面には、DV被害者が、暴力のある環境から逃れたあと、不自由な生活を強いられるという不合理さが含まれます。
 それは、「DV被害者は、DV加害者のDV行為から自分の命(身)を守る」ために“逃げる(身を隠して生活をする)”という重い選択をしたときに顕著になります。
 この「DV被害者が、DV加害者から自分の身(命)を守る“選択”」をしたとき*、DV加害者は、これまでと同じ生活(仕事、学校を含む)を送ることができるのに対し、DV被害者は、これまでの生活(仕事、学校を含む)を捨て、一から生活を再建しなければならないなど、不合理さ、理不尽さがつきまといます。
 一方、欧米諸国では、離婚、ならびに、離婚後のとり決めには、裁判所が関与し、離婚給付や養育費が算定され、執行されます。
 さらに、公的機関が、養育環境が子どもにとって適切かを判断し、必要があれときは、子どもは速やかに保護されます。
 この日本の「家族法の不備」と「家族を優遇する社会保障制度」は、DV問題・児童虐待問題の解決を困難にする大きな要因となっています。
 こられの指摘は、いまの日本の「家族法の不備」が解消され、「家族を優遇する社会保障制度」の中核が家族から個人にパラダイムシフトされれば、ひとり親家庭の貧困率は低下し、同時に、日本特有のDV(デートDV)被害が減少する可能性を示唆します。

* 女性センターや所轄警察署は、『配偶者暴力防止法』に準じ、DV被害者の「一時保護」を決定したり、地方裁判所が、DV被害者の申立てにより接近禁止を含む「保護命令」を発令したりできますが、『ストーカー行為等の規制等に関する法律(ストーカー規制法)』を含めて、現実として、加害者から被害者の命(身)を完全に守ることはできません。
 なぜなら、DV加害者は、時に、常軌を逸した行動にでる可能性があるからです。
 そのため、DV加害者の属性、特徴や傾向を踏まえて、正確なストーキングリスクの分析と、警察、医療、福祉などの連携体制の構築が必要不可欠です。


 126年間、5-6世代にわたる育児で「しつけ(教育)と称する体罰を加える」ことにお墨付きを与えてきた日本政府、『女性差別撤廃委員会』から是正勧告に20年間応じず、夫婦間レイプを放置し続ける(被害者を生みだし続ける)日本政府は、国家としての犯罪行為に類するといえます。
 この状況で得をするのは、女性と子どもが獲得してきた権利(法などの整備を含む)を疎ましく、鬱陶しく、忌々しく思っている“保守的”な価値観の持ち主たちで、その「権利」を奪い、かつての権威(特権)をとり戻そうと政治的に強く働きかけている保守的な権力者たちです。
 それは、家庭内での絶対的な権力を握る「家父長制」をとり戻す目論見として、「共同親権」を成立させようと必死になっている権力者と、その権力者が「共同親権」という名の下で後ろ盾となっている「配偶者である夫からのDV行為に耐え切れず、子どもを連れて家をでて行った配偶者である妻から子どもを連れ戻そうと目論むDV加害者たち」です。
 平成13年(2001年)4月に『配偶者暴力防止法』を制定されたことに対し、当時のフェミニストは「制定は、奇跡だった」と口を揃えた当時のフェミニストは、22年経過したいまもその奇跡に思いを馳せ、表面だけの法改正に「一定の評価はできる」と述べ続けるだけで、「女性差別撤廃委員会」による要請(勧告ⅰ)-a))とともに声をあげ、効果のない、多くの不備があり、欠陥だらけの法律に抗う姿勢を見せず、しかも、DV被害を受けても“家(家父長である夫)”から逃げ難くなるひとつの要因である日本の「社会保障制度」に対し、ほとんど言及しないことがとても残念です。
 そして、子どもに対する暴力の問題については、「子どもの権利委員会」による第1回審査(平成10年(1998年))以降、締約国の日本政府は、「親によるものも含む体罰の全面的禁止」について繰り返し勧告受けてきました。
 平成30年(2018年)3月に東京都目黒区の女児(5歳)が、平成31年(2019年)1月下旬に千葉県野田市の女児(10歳)が、児童虐待行為により殺害されるまで、『児童虐待防止法』において、「しつけ(教育)と称する体罰」を禁止する法改正に向けた動きが具体化することはありませんでした。
 その後の「子どもの権利委員会」の所見では、ア)学校や代替的養護の現場における虐待への対応の強化、イ)子どもの重傷事案・死亡事案の全件検証制度の導入、ウ)学校におけるものも含む事故防止対策の強化、エ)効果的ないじめ対策の実施なども勧告されるなど、子どもの生命・発達・健康を守るために、子どもの権利の視点に立ったとり組みが求められています。
 さらに、「子どもの権利委員会」は、オ)子どもの権利条約およびその他の人権条約にもとづいて設けられている個人通報制度の受入れ、カ)人権条約機関等への報告およびフォローアップの調整・監視を担う常設機関の設置などを勧告しています。
 さまざまな人権条約機関から勧告されているキ)独立した国内人権機関の設置も含め、子どもの権利を含む人権の保障のための最低条件を整えることが求められています。
 日本政府による次回(第6回、第7回)の報告書の提出期限は、2024年11月21日と指定されています。


5.家父長制と子どもや妻に対する「懲戒」
 日本は、明治29年(1896年)の制定から令和4年(2022年)10月14日に削除されるまでの126年間、「親の子どもに対する懲戒権(民法822条)」を認めてきました。
 つまり、『懲戒権(民法822条)』が削除されたのは、いまから8ヶ月前、施行されたのは6ヶ月前のことです(令和5年(2023年)7月現在)。
 「懲戒権」は、親は子どもに対し「懲戒」を行う権利を有することです。
 「懲戒」とは、不正、または、不当な行為に対して制裁を加え、懲らしめることで、一般的には、「しつけ(教育)と称する体罰」のことです。
 この「しつけ(教育)と称する体罰」という行為は、いうまでもなく、「児童虐待」に該当する行為です。
 明治政府が「国民皆兵策」「富国強兵策」を背景に軍国化を進める中で、日本社会は、この「懲戒権」は、親から子どもに対するものだけではなく、家父長である男性は、都合よくその範囲を拡大解釈し、夫(男性)は配偶者(や交際相手)の妻(女性)に対し、教師や指導者などは生徒に対し、上司は部下に対し、「しつけ(教育)と称する体罰」と加えることを容認してきました。
 太平洋戦争の敗戦後、家父長制が廃止されたあともその価値観は残り、親の子どもに対する懲戒(しつけ(教育)と称する体罰)は「児童虐待」、夫(男性)の配偶者や交際相手の女性に対する懲戒は「DV(デートDV)」、教師や指導者などの生徒、あるいは、上司の部下に対する懲戒は「体罰」「パワーハラスメント」となり、日本社会、日本国民の多くは、これらの暴力(人権侵害)行為を容認しています。
 ここでの容認には、見て見ぬふり、知らないふりが含まれます。
 つまり、保守的な価値観のもとでは、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)行為は、容認されることになります。
 そして、ここには、多くの見て見ぬふり、知らないふりをする市民、つまり、「傍観者」の市民が多数存在しています。


1) 『子どもの権利条約』と『児童虐待防止法』の制定
 「家庭での親密な関係における暴力を犯罪と認める」という考え方のもとで、いまから23年前の平成12年(2000年)に制定された『児童虐待防止法』の背景には、国際連合の『子どもの権利委員会』において、「体罰を撤廃することは、社会のあらゆる形態の暴力を減少させ、かつ防止するための鍵となる戦略である。」と明確に示された人権解釈の存在があります。
 この人権解釈が存在する『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』は、いまから34年前の平成元年(1989年)11月20日、第44回国連総会において採択され、1990年(平成2年)に発効しました(以上、令和5年(2023年)7月現在)。
 日本政府は、発効から4年後の1994年(平成6年)に批准しました。
 では、日本が、『子どもの権利条約』を批准し、『児童虐待防止法』の制定、そして、「体罰の禁止」、「懲戒権(民法822条)」を削除するまでの流れを見ていきたいと思います。

① 日本社会における児童虐待問題
 日本では、昭和22年(1947年)、『児童福祉法』の制定に伴い、昭和8年(1933年)に制定された『(旧)児童虐待防止法』が統合・廃止されました。
 日本社会では、1990年代(平成2年-)に入るまで、マスコミをはじめとする国民の多くが、児童虐待にほとんど関心を持っていませんでした。
 しかし1990年代以降、都市化・核家族化が進む中で、児童虐待は増加し、深刻化していると報告されるようになり、平成12年(2000年)、家庭での親密な関係における暴力を“犯罪”と認め、深刻化する児童虐待の予防および対応方策とするために、『児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)』が制定されました。
 小児精神科医の池田由子が、アメリカでの虐待研究をもとに、昭和54年(1979年)に『児童虐待の病理と臨床』、昭和62年(1987年)に『児童虐待―ゆがんだ親子関係』を出版したことを受け、児童虐待が社会問題として認知されるようになりました。
 池田氏は、児童虐待を2つに区分しました。
 ひとつは、“貧困”や“人権無視”といった「社会病理」としての児童虐待で、もうひとつは、平和で、飢餓による食料不足もなく、人間の権利が尊重される先進国で、親個人の「精神病理」、あるいは、「家族病理」としての虐待です。
 高度成長を成し遂げた当時の日本は、「社会病理」としての虐待は減少している一方で、親の「精神病理」、あるいは、「家族病理」としての児童虐待は増加しつつあると述べています。
 つまり、後者の児童虐待は、戦前から戦後直後の1950年代(昭和25年-同34年)まで問題とされてきた「社会病理」としての児童虐待とは異なる様相を示すものでした。
 その特徴は、第1に、児童虐待の加害者が、ほぼ親に限定されていることです。
 昭和8年(1933年)の『児童虐待防止法』では、「保護者が虐待をしたときは、処分をする」と規定している一方で、児童虐待を保護者による行為とは定義していませんでした。
 ところが、平成12年(2000年)に制定された『児童虐待防止法』の第2条で、「児童虐待とは保護者がおこなう行為である」と規定しています。
 この「保護者」には、未成年後見人、その他現に子を監護するものが含まれますが、そのほとんどが継父母、養父母を含む親です。
 このことは、貧しい時代の親は子どもを虐待しなかったが、いまの親は虐待するようになったという意味ではありません。
 第2次世界大戦後、高度成長を経た日本社会では、家の家計を支えたり、助けるために、女中、子守、芸妓、丁稚、工員として働きにだされる子どもがいなくなったことで、子どもを虐待したり、酷使したりする親以外の保護者がほとんどいなくなり、残ったのが親による虐待ということです。
 時代背景の結果として、虐待は、親がおこなうものとなったということです。
 このことは、家庭の中で、親が子どもを一人前になるまで育てることがあたり前の社会となったことを意味します。
 子どもの養育と教育を家族の重要な役割・機能と見なす「子ども中心主義」の「教育家族」は、江戸時代では人口の7%だった武家に限られ、日本社会では明治、大正、昭和を経て形成されたものです。
 特に、顕著になったのは、高度成長期以降です。
 「核家族」など、新たな家族観のもとでのあるべき規範が、日本社会に広く定着していく中で、児童虐待が社会問題化していったことになります。
 親が責任を持って子どもを育てることがあたり前の社会になったからこそ、そこから逸脱した親の言動やふるまいが「虐待」と捉えられるようになり、家族の「病理」と認識されるようになりました。
 そのため、かつての虐待と今日の虐待では、意味や概念が異なります。
 かつての虐待は、「人身売買や児童労働、酷使、暴力など、様々な大人による子どもに対する残虐な行為(cruelty)」を意味していましたが、現在の虐待は、「親の権限の濫用(abuse)」であり、「親による不適切な子どもの扱い(maltreatment)」を意味します。
 平成25年(2013年)、『子ども虐待の手引き(厚生労働省)』には、諸外国で一般的に使われている「マルトリートメント(不適切な養育)」という概念が、日本の児童虐待に相当すると記載しています。
 今日の虐待の基準は、「親の言動が残酷かどうかではなく、適切かどうか」であり、「虐待の範囲は、親としてふさわしくない言動や不適切な子どもの養育方法へと大幅に拡大」しています。
 第2に、虐待の原因や責任がもっぱら親や家族に求められ、社会的な背景や要因がほとんど問題にされないことです。
 池田氏の調査において、虐待を受けた子どもの「家族の問題」としてもっとも多いのが「経済的問題」であり、次に、「家族関係の不和」「父親の転職の多さ」と続いていたことから、池田氏は、「概括的にみれば、日本でも外国でもやはり経済的に困窮している階層の割合が高い。」と指摘していました。
 にもかかわらず、池田氏は、親の学歴や社会階層を問わず、「どんな家庭でも虐待は起こる」として、貧困や階層などの社会的問題を切り捨て、虐待を親個人の病理や家族病理と見なしました。
 そのため、社会的な背景や要因がほとんど問題にされなくなってしまいました。
 しかし、児童虐待の背景に経済的な問題があることは、多くの調査で明らかにされています。
 平成17年(2005年)、東京都福祉保険局の「児童虐待の実態Ⅱ」では、虐待をする家庭では「経済的困難」、「ひとり親」、「孤立」、「就労の不安定」、「育児疲れ」などが、離れがたく結びついていることを明らかにしています。
 アメリカで虐待調査を実施してきたリーロイ・H・ペルトンは、「児童虐待やネグレクトが貧困や低収入に結びついているという事実を超える事実はひとつもない。」と述べ、「親の監護力が十分か否かは、環境が十分か否かによる。」と断言しています。
 先の『子ども虐待の手引き(厚生労働省)』では、「養育環境のリスク要因としては、家庭の経済的困窮と社会的孤立が大きく影響している。」と指摘しています。
 にもかかわらず、日本の経済的支援の拡充は、虐待対策には位置づけられていません。
 「経済的支援」は、児童扶養手当など、既存の制度の「周知」だけに留まっています。
 その理由は、現代の児童虐待問題では、経済的困窮は虐待をひき起こす社会的要因や背景ではなく、個々の家庭が抱える様々な「リスク要因」のひとつとして捉えているからと考えられます。
 つまり、虐待家庭の背景に存在する貧困は、それぞれの家庭の問題に過ぎないとされ、社会が解決すべき問題としては位置づけられていません。
 第3は、概念の拡大とその広さです。
 昭和8年(1933年)制定の『児童虐待防止法』、昭和22年(1947年)制定の『児童福祉法』のどちらも、「なにが虐待であるか」を規定していませんでした。
 その中で、親による家庭内の虐待として想定していたのは、「身体的虐待」と「監護の怠慢・懈怠(けたい;ネグレクト)」で、しかも、子どもにひどいケガを負わせるなどして生命に危険が及んだり、刑罰法令に触れたりするような重大な行為に限っていました。
 それに対し、いまから23年前の平成12年(2000年)制定の『児童虐待防止法』は、「身体的虐待」と「ネグレクト」に加え、「性的虐待」と「心理的虐待」の4つを虐待として規定し、その範囲を大幅に拡大しました(令和5年(2023年)7月現在)。
 いまから19年前の平成16年(2004年)に改正された『児童虐待防止法』では、子どもが、両親間のDVを目撃する、つまり、面前DVは、「心理的虐待にあたる」と位置づけました(令和5年(2023年)7月現在)。
 「DVは、直接被害を受けた女性のみならず、それを目撃している子どもたち(面前DV被害下にある子どもたち)は、恒常的なストレス状態の中で暮らしていることになり、その恒常的なストレス状態は、子どもの心(精神)までも破壊する可能性のある犯罪である」と認められました。
 しかし、日本社会では、いまだに、子どもが暴力のある家庭環境で暮らし、育つこと、つまり、「子どもが、両親間のDV行為を見たり、聞いたり、察したりすること(面前DV)が、子どもには心理的虐待にあたる」という認識には至っていないのが現状です。

② 『子どもの権利条約』と『児童虐待防止法』の制定
 日本では、昭和22年(1947年)、『児童福祉法』の制定に伴い、昭和8年(1933年)に制定された『(旧)児童虐待防止法』が統合・廃止されました。
 この両法には、「なにが虐待であるか」を規定していませんでした。
 その中で、親による家庭内の虐待として想定していたのは、「身体的虐待」と「監護の怠慢・懈怠(けたい;ネグレクト)」で、しかも、子どもにひどいケガを負わせるなどして生命に危険が及んだり、刑罰法令に触れたりするような重大な行為に限っていました。
 日本社会では、1990年代(平成2年-)に入るまで、マスメディアをはじめとする国民の多くが、児童虐待に関心を持っていませんでした。
 しかし、「5-1)-①」で述べたように、1990年代以降、「都市化・核家族化が進む中で、児童虐待は増加し、深刻化している」と報告されるようになりました。
 しかし実態は、「児童虐待が増加」したわけではなく、表面化し難かった児童虐待行為が、都市化・核家族化が進み、団地・アパートなどの居住環境が変化したことで、第3者に家庭内の虐待行為が見えやすく、聞こえやすくなっただけと考えるのが妥当です。
 1979年(昭和54年)、スウェーデンが、世界で最初に体罰禁止を法制化してから10年後の1989年(昭和62年)11月20日、国連総会で『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』が採択されました(平成2年(1990年)発効)。
 日本は、平成6年(1994年)4月22日、158ヶ国目の批准国になりました。
 『子どもの権利委員会』は、人権解釈として、「体罰を撤廃することは、社会のあらゆる形態の暴力を減少させ、かつ防止するための鍵となる戦略である。」と明確に示しています。
 平成12年(2000年)、深刻化する児童虐待の予防および対応方策とするために、『児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)』を制定し、「身体的虐待」と「ネグレクト」に加え、「性的虐待」と「心理的虐待」の4つを虐待として規定し、『(旧)児童虐待防止』に比べ、その適用範囲を大幅に拡大しました。

a) 「面前DV=心理的虐待」と規定
 平成16年(2004年)の『児童虐待防止法』の改正では、子どもが両親間のDVを目撃する、つまり、「面前DVは心理的虐待にあたる」と位置づけました。
 「DVは、直接被害を受けた女性のみならず、それを目撃している子どもたち(面前DV被害下にある子どもたち)は、恒常的なストレス状態の中で暮らしていることになり、その恒常的なストレス状態は、子どもの心(精神)までも破壊する可能性がある」と認められました。

b) 体罰の禁止、『懲戒権(民法822条)』削除の見送り
 令和2年(2020年)4月1日、『児童虐待防止法』が改正され、「体罰が禁止」されましたが、「懲戒権(民法822条)」の削除は見送られました。
 そのため、その効果は、それ以前と同様に、ほとんど変わりませんでした。
 「それ以前」とは、『児童虐待防止法』が平成12年(2000年)に制定されてからずっとという意味です。
 例えば、近隣住民からの通報を受けて、警察官が駆けつけたり、児童相談所の職員が訪問したりしたとき、「しつけ(懲戒)の一環だ!」と応じられ、子どもと直接面会できない状況下では介入し難く、虐待の疑いがあっても、いまも、子どもの保護に至らない状況が続いています。
 しかも、儒教思想にもとづく「道徳」を重んじる保守的な価値観が圧倒的多数を占める日本や韓国では、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持ち、父母に孝行することであり、子どもにとっての幸せは、たとえ、暴力のある家庭環境(機能不全家庭)であっても、両親の下で育ち、両親を敬い、孝行することである」との認識がある『児童相談所』の所長、『福祉事務所』の所長、または、市区町村の首長の下では、「親子関係の再構築」として、一時保護された子どもの多くが、虐待行為を加える親が待つ家に帰されてしまいます。
 こうした状況(制度、仕組み)を許してきたのは、日本政府が、「しつけ(教育)と称する体罰」を禁止してこなかったこと、同時に、『懲戒権(民法822条)』を削除してこなかったことが主な要因です。
 歴代の日本政府は、126年間にわたり、「親が、子どもに対し、しつけ(教育)と称して体罰を加える」ことにお墨付きを与えてきました。
 その結果、日本国民の一定数では、5-6世代にわたる子育てにおいて、「しつけ(教育)と称する体罰」は加え続けてきました。
 この「日本国民の一定数」は、戦前、昭和のことではありません。
 平成30年(2018年)、子ども支援の国際的NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が2万人の日本人を対象に実施した調査での「しつけ(教育)に伴う子どもへの体罰を約6割-7割が容認し、体罰(虐待行為)を加えている」といった結果や他の調査結果でも同様な結果がでていることを踏まえると、まさに、いまの問題です。
 しかも、「子どもに対する体罰はいけない」と回答した一定数に、「お尻を叩く行為」などを体罰と認識していないなど、大きな認識ギャップが存在しています。
 太平洋戦争の敗戦から73年経過し、いまだに、日本国民の70%-60%が、子どもに虐待(しつけ(教育)と称する体罰)を加えている異常な状況は、日本を蝕む深刻な社会病理といえます(調査結果が発表された平成30年(2018年)現在)。

c) 日本より先行して「体罰を禁止」した国々がとり組む姿勢
 スウェーデンが、世界で初めて体罰禁止を法制化したのは、第2次世界大戦が終戦してから34年後、いまから44年前の1979年(昭和54年)のことです(令和5年(2023年)7月現在)。
 その内容は、子どもと親法6章1条「子どもはケア、安全および良質な養育に対する権利を有する。子どもは、その人格および個性を尊重して扱われ、体罰または他のいかなる屈辱的な扱いも受けない」(1983年改正)というもので、『世界人権宣言(昭和23年(1948年))』の第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。…」に添っています。
 続けて、フィンランド(1983年(昭和58年))、子どもの監護およびアクセス権法1章1条3項「子どもは理解、安全および優しさのもとで育てられる。子どもは抑圧、体罰またはその他の辱めの対象とされない。独立、責任およびおとなとしての生活に向けた子どもの成長が支援されかつ奨励される」、ノルウェー(1987年(昭和62年))、親子法30条3項「子どもは、身体的暴力、またはその身体的もしくは精神的健康を害する可能性がある取扱いの対象とされない」と体罰を禁止しました。
 そして、1989年(平成元年)、『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』が締結されました。
 この『子どもの権利条約』の19条には、「子どもが両親のもとにいる間、性的虐待を含むあらゆる形態の身体的、または、精神的暴力、傷害、虐待、または、虐待から保護されるべきである」と記述されています。
 つまり、被虐待体験(小児期逆境体験)をした子どもは保護しなければならないと明記しています。
 『子どもの権利条約』の締結以降、体罰を禁止した「キプロス(1994年(平成6年))」では、家庭における暴力の防止および被害者の保護について定める法3条1項「この法律の適用上、暴力とは、いずれかの不法な行為、不作為または行動であって、家族のいずれかの構成員に対して家族の他の構成員が身体的、性的または精神的損傷を直接加える結果に至ったものを意味し、かつ、被害者の同意を得ずに性交を行なうことおよび被害者の自由を制限することを目的として用いられる暴力を含む」(1994年/2000年改正、刑法154章)と規定しています。
 これは、日本が、平成29年(2017年)6月2日に可決、成立した110年ぶりの「刑法改正(性犯罪を厳罰化)」において、家庭内の性的虐待も厳罰化し、親や養父が監護者としての影響力により18歳未満の子と性行為をした場合について、新たに、『監護者性交等罪(刑法179条2項)』、『監護者わいせつ罪(刑法179条1項)』を設け、「暴行や脅迫要件は撤廃」したことに踏み込んだもので、実に、この問題に23年前に法改正をしています。
 2004年(平成16年)に体罰を禁止した「ルーマニア」は、徹底した言論統制をした共産党書記長チャウシェスク政権時代(1974年3月-1989年12月)、親に捨てられた膨大な数の子どもたちが劣悪な環境の国営孤児院で非人間的な扱いを受けていました。
 「非人間的な扱いを受けていた」というのは、収容された子どもたちは、社会的・知的な刺激を最低限しか与えられずに育っていたことです。
 その結果、収容されていた子どもたちは、認知機能の発達が遅れたり、社会的行動に深刻な障害が生じたり、ストレスに対する異常な過敏性が見られたりすることになりました。
 そして、個々の孤児院の質的状況や里親家庭の環境、孤児院にいた期間などによって差はあったものの、おしなべて養子になるのが遅いほど回復が進みませんでした。
 このルーマニアの国営孤児院において意図せずに実施された、ルーマニアの国営孤児院において、意図せずに実施された生まれたばかりの子どもたちを対象とした邪悪な実験は、幼少期に深刻なネグレクトを受けた子どもが、認知や情動、そして、健康に長期的な問題を抱えることが多くなる事実を示すものです。
 ルーマニアは、悪名高きチャウシェスク政権が終焉(逮捕後に処刑)を迎えてから僅か16年後に体罰を禁止しました。
 その『子どもの権利保護促進法28条』では、「子どもは、その人格および個性を尊重される権利を有し、体罰またはその他の屈辱的なもしくは品位を傷つける取扱いを受けない。子どものしつけのための措置は、その子どもの尊厳にしたがってのみとることができ、体罰または子どもの身体的および精神的発達に関わる罰もしくは子どもの情緒的状況に影響を及ぼす可能性のある罰は、いかなる状況下においても認められない」/同90条「いずれかの種類の体罰を実行することまたは子どもからその権利を剥奪することは、子どもの生命、身体的、精神的、霊的、道徳的および社会的発達、身体的不可侵性ならびに身体的および精神的健康を脅かすことにつながるおそれがあるので、家庭においても、子どもの保護、ケアおよび教育を確保するいずれかの施設においても、禁じられる」と記述しています。
 この規定は、日本が、令和2年(2020年)4月1日、『児童虐待防止法』を改正し、「体罰が禁止」を盛り込んだ16年前、令和4年(2022年)10月14日に『懲戒権(民法822条)』を削除する18年前のことです。
 もう少し、日本より先んじて体罰を禁止した他国の条文を見ていきます。
 ハンガリーは、2005年(平成17年)に体罰を禁止し、子どもの保護および後見運営法6条5項で、「子どもは、その尊厳を尊重され、かつ虐待(身体的、性的および精神的暴力、ケアの懈怠ならびにいずれかの情報によって引き起こされる被害)から保護される権利を有する。子どもは、拷問、体罰およびいずれかの残虐な、非人道的なまたは品位を傷つける処罰または取扱いを受けない」と規定しています。
 オランダは、2007年(平成19年)に体罰を禁止し、民法1:247条で、「1)親の権限には、未成年の子をケアしおよび養育する親の義務および権利が含まれる。2)子のケアおよび養育には、子の情緒的および身体的福祉、子の安全ならびに子の人格の発達の促進への配慮および責任が含まれる。子のケアおよび養育において、親は、情緒的もしくは身体的暴力または他のいかなる屈辱的な取扱いも用いない」と規定しています。
 ウルグアイは、2007年(平成19年)に体罰を禁止しました。
 民法等改正法第1条(2004年9月7日の法律第17.823号に以下の条を追加する)とし、「第12条bis(体罰の禁止)親、保護者、および、子どもおよび青少年の養育、処遇、教育または監督に責任を負う他のすべての者が、子どもまたは青少年の矯正または規律の一形態として、体罰または他のいずれかの屈辱的な罰を用いることは禁じられる。子ども青少年機関、その他の国の機関および市民社会は、次のことについて共同の責任を負う。a)親、および、子どもおよび青少年の養育、処遇、教育または監督に責任を負う他のすべての者を対象とする意識啓発プログラムおよび教育プログラムを実施すること、b)体罰その他の形態の屈辱的取扱いに代わる手段として、積極的な、参加型のかつ非暴力的な形態の規律を推進すること、第2条(2004年9月7日の法律第17.823号第16条Fの規定を次の規定に代える)「f)子どもまたは被保護者の矯正にあたり、体罰または他のいずれかの種類の屈辱的取扱いを用いないこと。」、第3条(民法第261条ならびに第384条第2文および第3文を廃止する)、子ども・青少年保護法32条A「すべての子どもおよび若者は、よく取り扱われる権利を有する。この権利には、愛、愛情、相互の理解および尊重ならびに連帯に基づく、非暴力的な教育および養育を含む。/親、代理人、保護者、親族および教師は、その子どもの養育および教育にあたり、非暴力的な教育および規律の手段を用いるべきである。したがって、あらゆる形態の体罰および屈辱的な罰は禁じられる。国は、社会の積極的参加を得ながら、子どもおよび若者に対するあらゆる形態の体罰および屈辱的な罰を廃止するための政策、プログラムおよび保護措置が整備されることを確保しなければならない。/体罰とは、子どもの養育または教育における力の行使であって、子どもおよび若者の行動を矯正し、統制しまたは変化させるためにいずれかの程度の身体的苦痛または不快感を引き起こす意図で行なわれるものをいう(ただし、当該行為が刑罰の対象とならないことを条件とする)。/屈辱的な罰とは、子どもおよび若者を養育しまたは教育するため、その行動を規律し、統制しまたは変化させる目的で行なわれるいずれかの形態の取扱いであって、攻撃的な、人格を傷つける、おとしめる、汚名を着せるまたは嘲笑するものとして理解しうる(ただし、当該行為が刑罰の対象とならないことを条件とする)」、同358条「子どもの養育責任には、子どもの尊厳、権利、諸保障または全般的発達を侵害しない適切な矯正措置を用いながら、自己の子どもを養育し、しつけ、教育しおよび世話しならびに金銭的、道徳的および情緒的に支えおよび援助する、父および母の共有の義務および権利(この義務および権利は平等でありかつ逸脱不可能である)を含む。したがって、あらゆる形態の体罰、心理的暴力および屈辱的な取扱いは、子どもおよび若者を害するものであり、禁じられる」と規定しました。
 日本より先んじて体罰を禁止してきた国々は、『世界人権宣言』『子どもの権利条約』に添い、(体罰により)子どもが辱められるのは子どもの尊厳を損ない、子どもの人権を蔑ろする行為である、(体罰は)身体的、精神的健康を害する、子どものケア、子どもの安全が優先されるなどと明確に言語化しています。

d) 日本の「体罰禁止」、「懲戒権(民法822条)」削除に伴う条文
 1989年(昭和62年)11月20日に『子どもの権利条約』が採択されてから5年後の5年後の1994年(平成6年)4月22日に158ヶ国目の批准国になった日本は、2019年(令和元年)に『児童虐待防止法』において、「親権者等による体罰の禁止(2020年(令和2年)4月1日施行)」するまでに、25年を要しました。
 では、その『児童虐待防止法』では、体罰の禁止について、どのように記述しているのでしょうか?
 同法第14条第1項で、「児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、体罰を加えることその他民法第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲を超える行為により当該児童を懲戒してはならず、当該児童の親権の適切な行使に配慮しなければならない。」と記述しています。
 ここには、『世界人権宣言』『子どもの権利条約』に添った子どもの「人権」、「尊厳」、「保障」などの文言は一切記述されないだけではなく、「監護及び教育に必要な範囲を超える行為」でなければ体罰を加えてもいい、「親権の適切な行使に配慮」とどのような行為が“適切”なのか不明確で、どのようにでも解釈できるようになっています。
 ここに、この問題に対する日本政府の姿勢が明確に表れています。
 では、いまから8ヶ月前の令和4年(2022年)10月14日に削除され、いまから6ヶ月前の同年12月16日に施行された「懲戒権(民法822条)の削除」に伴う関連法の条文を見ていきます(令和5年(2023年)7月現在)。
 「民法820条(監護及び教育の権利義務)」で、「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」、「同822条(懲戒)」で、「親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。」との規定が、この「同822条(懲戒)」は削除され、「同821条(子の人格の尊重等)」の後段が追加され、「親権を行う者は、前条の規定による監護及び教育をするに当たっては、子の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」と規定されました。
 この『民法』の一部改正に伴い、『児童福祉法』と『児童虐待防止法』も以下のように改正されました。
 「児童福祉法33条の2の②」で、「児童相談所長は、一時保護が行われた児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護、教育及び懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置を採ることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」、「同47条の③」で、「児童福祉施設の長、その住居において養育を行う第六条の三第八項に規定する厚生労働省令で定める者又は里親は、入所中又は受託中の児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護、教育及び懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」との規定が、「同33条の2の②」で、「児童相談所長は、一時保護が行われた児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護及び教育に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる。この場合において、児童相談所長は、児童の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の児童の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」、「同47条の③」で、「児童福祉施設の長、その住居において養育を行う第六条の三第八項に規定する厚生労働省令で定める者又は里親(以下この項において「施設長等」という。)は、入所中又は受託中の児童で親権を行う者又は未成年後見人のあるものについても、監護及び教育に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる。この場合において、施設長等は、児童の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の児童の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」と改正されました。
 「児童虐待防止法14条(親権の行使に関する配慮等)」で、「児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、体罰を加えることその他民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲を超える行為により当該児童を懲戒してはならず、当該児童の親権の適切な行使に配慮しなければならない。」との規定が、「同14条(児童の人格の尊重等)」で、「児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、児童の人格を尊重するとともに、その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の児童の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」と改正されました。
 驚愕なのは、「2-1)-②」で、「例えば、昭和23年(1948年)に定められた『国民の祝日に関する法律』には、「こどもの日」は、「こどもの人格を重んじ、・・」と「人権」ではなく「人格」と記述しています。」と述べているように、「民法822条」の削除に伴う法改正において、「民法821条(子の人格の尊重等)」の中段「…、子の人格を尊重するとともに、…」と、「児童虐待防止法14条(児童の人格の尊重等)」の中段「…、児童の人格を尊重するとともに、…」と、「人権」ではなく「人格」と記述していることです。
 以下、「2-1)-②」の記述を引用します。
 「人権」は、「人間が人間らしく生きるための権利で、生まれながらに全員が持っている権利のこと」です。
 人間であれば、誰もが持っている権利です。
 つまり、どのような人であっても、出生後、決して否定されない権利です。
 一方で、「人格」とは、個人の心理面での特性、人柄のことで、あるいは、人としての主体(中心となるもの)を意味します。
 「人格権」は、「個人の名誉など人格的利益を保護するために必要な権利のこと」ですが、人格権自体には、権利として、具体的に保障されているわけではありません。
 この「人権」と「人格」の違いは、日本の「人権教育」は、社会のあり方を考えさせるものではなく、個人のあり方にフォーカスする「道徳教育」を実施していることにつながります。
 「道徳」は、「子どもは父母に孝行しなさい」という儒教的道徳観にもとづきます。
 「儒教」は、(江戸時代、人口の7%に過ぎなかった)武家社会の思想です。
 この「儒教思想」は、明治政府により、家父長制にもとづく「内助の功」「良妻賢母」の価値観構築の礎となり、結果、日本は、「男尊女卑」社会になりました。
 この「儒教的道徳観」は、明治政府下で進められた「国民皆兵」「富国強兵」を進める大きな役割を担った家父長の権威づけるものです。
 つまり、「人権」と対極にある家父長に権威づける役割を果たすのが「道徳教育」です。
 儒教思想にもとづく「道徳」、その「道徳」により家父長を権威づけ、その「道徳観」を保持しようとするのが、「保守」です。
 つまり、権威づけられた家父長制こそが「いままでの伝統や文化や考え方、社会」で、「その家父長制を維持していく昔からのやり方に従うのがあたり前だ!」といった保守的な価値観は、家庭やコミュニティはいうまでもなく、「道徳」の授業(絵本・童話の読み聞かせ、遊戯などを含む)で、ステレオタイプ(固定観念、イメージ、思い込み)として保守的な価値観が無意識下でつくられていきます。
 この「2-1)-②」の記述のように、多くの人は目にも留めず、気にもしないかも知れませんが、この「人権」と「人格」の違いは重要です。
 なぜなら、保守政権、保守政党の政治家、その支持団体、支持者は、『世界人権宣言』、『人権条約』としての『女性差別撤廃条約』『子どもの権利条約』で位置づける社会的な問題としての「人権」解釈をとり入れず、「儒教的道徳観」に起因する「人格」、つまり、“個人の心のありよう”にフォーカスしようと目論み、実際、法文に盛り込みました。
 この問題について、「1-4)-②」では以下のように記述しています。
 こうした「ジェンダー平等」のテーマについて、生き難さという「個人の心のありよう」にフォーカスしている限り*6、ジェンダーギャップ解消に向けた真剣な議論は望めず、結果、「ジェンダー平等」は遠のき、同時に、差別・排除、DV(デートDV)児童虐待(特に、しつけ(教育)と称する体罰)、性暴力(緊急避妊薬、中絶薬の導入を含む)、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権侵害)問題に対する解決の道筋は見えません。
 問題は、保守的な価値観の人たちの集まる政党、政権は、「ジェンダー平等」は望んでいないし、「暴力(人権侵害)問題に対する解決」も望んでいないことです。


2) ユニセフ、妊娠期を含めたDV被害、胎児-出生後の発達に及ぼす影響に言及
 『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』の19条では、「子どもが両親のもとにいる間、性的虐待を含むあらゆる形態の身体的、または、精神的暴力、傷害、虐待、または、虐待から保護されるべきである」と定め、「それが起こるとき、親権や監護権、面会交流の決定において、親密なパートナーからの暴力や子どもに対する暴力に対処しないことは、女性とその子どもに対する暴力の一形態であり、拷問に相当し得る生命と安全に対する人権侵害である」、「また、子どもの最善の利益という法的基準にも違反する」と規定しています。
 国連児童基金(ユニセフ)は、「2017年(平成29年)時点で2-4歳の子どもの約63%(約2億5000万人)が、尻を叩く体罰が認められている国に住み、保護者から定期的に体罰を受けている」と報告しています。
 この時点では、日本の子どもはこの約63%に含まれます。
 令和4年(2022年)6月25日、一般社団法人『日本乳幼児精神保健学会』は、離婚後の子どもの養育のあり方について声明を発表しています。
 その声明の冒頭で、ユニセフの提言、つまり、「人間の脳は、乳幼児期・児童・思春期にもっとも発達し、とりわけ、受胎という命の誕生から最初の数年の間に、急激な回路の発達を遂げる。この時期に形成された人としての土台が人生全体へ強く影響を及ぼすことは、いまや発達科学の常識として良く知られたことである」、「発達阻害を防ぐには、妊娠から2歳の誕生日を迎えるまでの3年間-人生の最初の約1000日-への関心を高め、集中的に取り組む必要がある」を引用し、強調しています。
 この「ユニセフの提言」、つまり、「人間の脳は、乳幼児期・児童・思春期にもっとも発達し、とりわけ、受胎という命の誕生から最初の数年の間に、急激な回路の発達を遂げる。この時期に形成された人としての土台が人生全体へ強く影響を及ぼす…、…」との指摘で、重要なことは、「いまや発達科学の常識として良く知られたことである」という記述です。
 したがって、“発達科学の常識”となっている「妊娠から2歳の誕生日を迎えるまでの3年間」で、妊娠している女性がDV被害を受けたり、出生した子どもが、両親間のDV行為を見たり、聞いたり、察したりする状況(面前DV=心理的虐待)に置かれたり、子どもが親から虐待行為を受けたりすると、どのような発達阻害がもたらされるのかについて正確に知る必要があります。
 この事実を知ることなく、なぜ、早急に、これらの虐待問題にとり組む(行動をおこす)必要があるかを理解することはできないと考えます。

① 妊娠している女性のDV被害、それは、「胎児虐待」。
 このユニセフの提言は、妊娠している女性のDV被害が、胎児に与える影響について明確に述べています。

a) 妊娠5週目以降の胎児、母体のDV被害で、高濃度のコルチゾールに曝露
 しかし、日本では、DV(デートDV)や児童虐待の被害者支援に携わる人でさえも、このユニセフの提言に着目している人は少なく、しかも、日本には、「胎児虐待」という法的概念がないことから、妊娠5週目以降の女性がDV被害を受けると、胎児は濃度の高いコルチゾールに暴露し、中枢神経系の発達が損なわれ、機能不全が生じる高いリスクがあります。
 胎児が影響を受ける「中枢神経系」とは、神経系の中で多数の神経細胞が集まり、大きなまとまりになっている領域のことで、「脳」と「脊髄」からできています。
 脳は、大きく大脳、小脳、脳幹の3つに分けられ、人では、特に大脳が発達し、その重量は、脳全体の約80%を占め、思考や判断し行動する機能などを司る「前頭葉」、知覚や感覚などを司る「頭頂葉」、視覚を司る「後頭葉」、聴覚や記憶などを司る「側頭葉」の4つの領域があります。
 「前頭葉」の大部分を占めるのが「前頭前野」で、「考える」「記憶する」「アイデアをだす」「判断する」「応用する」「行動や感情をコントロールする」「コミュニケーションをする」「集中する」「やる気をだす」など、人にとって重要な働きを担っています。
 この「前頭前野」が発達不全であったり、衰えたりすると、物忘れをしたり(増えたり)、考えることができなかったり(できなくなったり)、感情的であったり(になったり)、やる気がなかったり(低下したり)します。
 脊髄は、脳につながっており、脊椎(背骨)の中央を上下に貫く脊柱管の中に入っていて、脊髄は、脳とからだの各部の間に起こる刺激(知覚)や命令(運動)を伝えなど反射中枢としての役割を担います。
 では、この「中枢神経系」は、胎児期のいつ発達するのでしょうか?
 それは、妊娠5週以降です。
 妊娠5週になると、脳と脊髄のもとである神経管が膨らみはじめ、妊娠7週までに、脳や脊髄の神経細胞の約80%がつくられ、目の視神経、耳の聴神経など、感覚器官の神経細胞も発達しはじめます。
 妊娠第1、第2、第3三半期における大脳皮質発生の概略は、以下のようになります。
・第1三半期(妊娠0週0日-13週6日):神経幹細胞の発生・分裂、神経発生・移動、シナプス結合形成開始
・第2三半期(妊娠14週0日-27週6日):神経発生・移動、軸索・樹状突起の形成やシナプス結合形成、髄鞘形成開始
・第3三半期(妊娠28週0日以降):軸索伸長・樹状突起の分枝やシナプス形成促進、グリア増生および髄鞘形成
 「妊娠第1三半期」は、胎児の形成に大変重要な時期であり、流産・奇形の発症と大きく関連します。
 「統合失調症」の発症の感受性の高い時期は、この「妊娠第1三半期」と生後の「思春期後期(12-15歳)」「青年期前期(15-18歳)」で、妊娠第1三半期に母体がストレスにさらされると、胎児の大脳皮質の発生や機能構築に影響を及ぼし、統合失調症発症のリスクを高めます。
 「大脳皮質」は、脳の表層を覆うシワシワの部分で、前頭葉(前頭前野)、頭頂葉、側頭葉などと呼ばれる部位の総称で、大脳皮質の厚さは、(脳の外側を覆うシワシワの層)」の厚さは、2歳頃にピークを迎え、知覚、言語、意識などのプロセスに関与しています。
 つまり、人の高次認知機能は、大脳皮質(前頭葉(前頭前野)、頭頂葉、側頭葉など)の神経回路が担っています。

b) 胎児の高濃度のコルチゾール曝露は、中枢神経系の発達を阻害
 妊娠期に受けるストレスは、統合失調症と同様に、子どもの発達障害発症のリスクを増大させますが、その事実が示されたのは、1980年-1995年(昭和55年-同平成7年)の16年間に、アメリカのルイジアナ州で、サイクロンによる災害にみまわれた妊婦から生まれた子どもの自閉症発症のリスクが増大したことです。
 同様に、妊娠中の離婚、転居などによるストレス、妊婦の妊娠中の重度の不安状態は、生まれてくる子どものADHDの発症リスクを増大させたり、脳の炎症性反応を惹起しやすくしたりします。
 脳の炎症性反応が発症原因となる疾患は、「慢性疲労症候群」「過敏性腸症候群」などです。
 母体がストレスにさらされると、「視床下部-下垂体-副腎系」が活性化します。
 慢性的な妊娠期のストレスは、血中コルチゾール、および、胎盤からの副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン分泌を増加させ、胎児の神経前駆細胞の分裂、神経分化の抑制、HPA軸の発達異常をひき起こします。
 「HPA軸(HPA機能)」とは、PTSDの発症に大きくかかわる「ストレス応答や免疫、摂食、睡眠、情動、繁殖性行動、エネルギー代謝などを含む多くの体内活動に関して、視床下部、下垂体、副腎の間でフィードバックのある相互作用を行い制御している神経内分泌系」のことです。
 このようなメカニズムにより、妊婦がDV被害などの強烈なストレスにさらされると、胎児は濃度の高いコルチゾールなどの曝露により、胎児のストレス応答系、脳の発生に影響、つまり、胎児の「中枢神経系」の発達が損なわれ、出生後のうつ病、不安障害、統合失調症などの精神疾患、ADHD、自閉スペクトラム症、LD(学習障害)などの発達障害を発症する高いリスクを負います。
 さらに、胎児が女児であるときに限り、母体のコルチゾールの濃度が高いと、古代脳(古皮質)の「扁桃体」が絡む神経ネットワークの結びつきが強くなり、また、出生後、抑うつ的な行動が増えるという結果がでています。
 この事実は、特に重要で、胎児期に濃度の高いコルチゾールに曝露した女児は、同じ状況で生まれた男児に比べ、生まれながらにして、強い不安、恐怖を覚えやすく、将来、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、うつ病、不安障害、パニック障害などの精神疾患に発症しやすくなることを意味します。
 PTSDを発症しやすい人に共通しているのは、不安・緊張を覚えやすかったり、不安・緊張に陥りやすい状況になったりすることです。
 この「不安・緊張」と深くかかわるのが、胎児期、濃度の高いコルチゾールに被爆した女児だけに認められる古皮質の「扁桃体」が絡む神経ネットワークの結びつきが強くなった」ことです。
 強い不安を示す人は、そうでない人と比べて、「扁桃体」と「海馬」との結合が強いことがわかっています。
 物事を記憶する能力の他に、興奮したり、恐怖を覚えたりする能力に深く関連している「扁桃体」と「海馬」が機能不全に陥ると、恐怖を覚えやすくなったり、逆に、興奮し難くなったりします。

c) 危険に遭遇し、ASD(PTSD)、うつ病発症のメカニズム
 胎児期の発達する中枢神経系(脳と脊髄)中で、「扁桃体」「視床」「脳幹」などが、危険(危機)に合うとどのような反応を示すのかを知ることはとても重要です。
 トラウマ(心的外傷)体験となる危機に遭遇すると、脳のⅰ)「視床」は、危険の情報をキャッチし、ⅱ)「扁桃体」が危険信号をだします。
 そして、ⅲ)「視床下部」で、「CRFホルモン」が「脳下垂体」を刺激し、ⅳ)「脳下垂体」は、「副腎」を刺激し、緊張ホルモン「コルチゾール」「アドレナリン」を分泌させます。
 その結果、ⅴ)「脳幹」が血圧を上げ、心拍を早くし、血糖値を上げます。
 「CRF(corticotropin releasing factor:副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)」は、視床下部から分泌されるペプチドホルモンのひとつで、「ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)」の放出を刺激します。
 CRFが分泌され、前頭連合分野に伝達されると「不安」が生じます。
 その不安を抑えるために、抑制性の神経伝達物質「セロトニン」の分泌を亢進させ、抑制性の神経伝達を亢進させることで、「前頭連合野」の興奮を抑制することができると不安が解消されます。
 慢性的なストレス刺激は、「扁桃体」を異常に興奮させるので、CRFの分泌が異常に促進し、不安が強まります。
 「セロトニン」がその不安を抑制することができないと、理由のわからない不安感に苛まれることになります。
 「コルチゾール」や「アドレナリン」などの緊張ホルモンが、脳や体内に回って、危険と立ち向かう超人的な力をださせたり、物凄い勢いで逃げたり、気絶したりするなどの反応をおこさせます。
 このことを「HPA機能」といいます。
 この結果、ⅵ)「前頭葉」とことばをだす「ブローカー野」は機能を停止します。
 この「HPA機能」により、「ⅵ)「前頭葉」とことばをだす「ブローカー野」は機能を停止する。」ことを“フリーズ”といいます。
 レイプされたり、殴られたりしたときに、「助けて!」が声にならなかったり、茫然と佇んだり、からだが動かずに逃げられなかったりするのは、「HPA機能」が働くからです。
 そして、予期できないできごとは、恐怖が拡大し、「扁桃体」の興奮が続くと「ストレス障害」になります。
 「急性ストレス障害(ASD)」が示す症状が4週間以上継続するか(診断は、1-3ヶ月程度を目途にする場合が多い)、なにかがきっかけとなりあとに表れるのが「PTSD」です。
 大脳辺縁系の「扁桃体」は、恐怖感、不安、悲しみ、喜び、直観力、痛み、記憶、価値判断、情動の処理、交感神経に関与しています。
 「扁桃体」は神経細胞の集まりで、情動反応の処理と短期的記憶において主要な役割を持ち、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に、不安や緊張、恐怖反応において重要な役割を担います。
 味覚、嗅覚、内臓感覚、聴覚、視覚、体性感覚など外的な刺激を「嗅球」や「脳幹」から直接的に受け、「視床核(視覚、聴覚など)」を介して間接的に受け、「大脳皮質」で処理された情報、および、「海馬」からも受けとります。
 また、扁桃体は、「記憶固定」の調節にかかわります。
 学習したできごとのあとに、そのできごとの長期記憶が即座に形成されるわけではなく、そのできごとに関する情報は、「記憶固定」と呼ばれる処理によって長期的な貯蔵庫にゆっくりと同化され、半永久的な状態へと変化し、生涯にわたり保たれます。
 衝撃的なできごとが起こる(トラウマとなり得る体験をする)と、そのできごとは、「海馬」を通して大脳に記憶として生涯的に残ります。
 この衝撃的な記憶を反復して思いだす(トラウマを追体験する)ことにより、「扁桃体」が過剰に働きます。
 つまり、強い不安や恐怖、緊張が長く続くと「扁桃体」が過剰に働き、ストレスホルモン(コルチゾール)の分泌が長く続くことから神経細胞が萎縮し、他の脳神経細胞との情報伝達に影響し、「うつ病」の症状が発現します。
 これが、「PTSDを発症し、その後、PTSDの併発症としてのうつ病を発症するメカニズム」です。
 このように、PTSDとうつ病の発症には「扁桃体」が深くかかわり、その「扁桃体」は、胎児期に、女児に限り、濃度の高いコルチゾールに曝露することで影響を受けます。
 つまり、胎児期に、母親がDV被害を受け、慢性反復的(常態的)に濃度の高いコルチゾールに曝露した女児は、先天的に(生まれながらにして)、PTSD、うつ病、不安障害、パニック障害など発症しやすく、同時に、「固定記憶」の調節にも影響が及びます。
 このことが、出生後、女性が男性に比べて2倍、不安障害、うつ病、PTSDを発症しやすい要因となっています。

 このように、胎児期に濃度の高いコルチゾールに曝露し、中枢神経系の発達が阻害されると、出生後、統合失調症、うつ病、不安障害、パニック障害、ASD、PTSD、ADHD、自閉スペクトラム症、LD(学習障害)などの発達障害を発症する高いリスクを負います。
 加えて、出生後の被虐待体験(小児期逆境体験)によるコルチゾールなどの曝露により、その高い発症リスクはさらに高くなることは発達科学、精神医学として説明できます。
 にもかかわらず、日本では、妊婦に適切な対応やサポートは行われず、妊娠している女性のDV被害がもたらす胎児への深刻な影響が放置されています。

② 被虐待体験(小児期逆境体験)がもたらす後遺症。
 子どもが、「しつけ(教育)と称する体罰」などの虐待、両親間のDV行為を見たり、聴いたり、察したりする「面前DV=心理的虐待」などによる心的外傷性ストレスを受けると、子どもの脳に“器質的変質(異常)”をもたらします。
 つまり、解離性健忘(解離性障害)と関連する「海馬」の萎縮、不安、興奮をもたらす「扁桃体」領域の血流障害、言語を司る「ブローカー野中枢部」の機能低下をもたらします。
 物事を記憶する能力の他に、興奮したり、恐怖を覚えたりする能力に深く関連している「扁桃体」と「海馬」が機能不全に陥ると、恐怖を覚えやすくなったり、逆に、興奮し難くなったりします。

a) 脳の各所がもっとも発達する「感受期(臨界期)」
 「ブローカー野」はことばを司り、感受期(臨界期)は9歳までで、7-8歳までにことばに接し、話す練習をしなければ一生ことばを話すことができなくなります。
 「感受期(臨界期)」とは、刺激を受けて、脳の各所がもっとも発達するタイミングのことです。
 「1-4)日本より先んじて「体罰を禁止」した国のとり組む姿勢」の中で、チャウシェスク政権時代のルーマニアで、「親に捨てられた膨大な数の子どもたちが劣悪な環境の国営孤児院に収容され、非人間的な扱いを受け、社会的・知的な刺激を最低限しか与えられずに育ったことにより、認知機能の発達が遅れたり、社会的行動に深刻な障害が生じたり、ストレスに対する異常な過敏性が見られたりした」と記述していますが、このことが、もっとも脳の発達する「感受期(臨界期)」に適切な刺激を受けることができなかった子どもの特徴を明確に示しています。
 つまり、脳機能は、もっとも発達するときに発達することができないと、脳機能の獲得を逸します。
 各脳機能の「臨界期(感受期)」は、以下のようになります。
ア) 運動神経の発達..胎児期-4歳半(ハイハイ、歩く、走るからはじまって自分のからだをスムーズに動かす。ハイハイで「脳梁」が発達)
イ) 感情の発達..3ヶ月-2歳半
ウ) 社交的愛着(愛着の絆)..3ヶ月-2歳10ヶ月(この間に愛着の絆ができなかった子どもは、人間関係が上手くとれない)
エ) 視覚(認知)..3ヶ月-2歳10ヶ月(脳神経回路が育つ4ヶ月までに側頭葉にある画像を認識する視覚を司る部分がもっとも育つ。4ヶ月-2歳半)
オ) 言語..6ヶ月-4歳半(ことばをつくり、発するブローカー野の発達は9歳までに確立される)
カ) 語彙..7ヶ月-(一生を通じて発達)
 胎児期の中枢神経系の発達に加え、ア)-カ)に示される脳がもっとも発達する「感受期(臨界期)」の多くが、ユニセフの提言の後半「「発達阻害を防ぐには、妊娠から2歳の誕生日を迎えるまでの3年間-人生の最初の約1000日-への関心を高め、集中的に取り組む必要がある」と重なることが、“妊娠から2歳の誕生日を迎えるまで”が、なぜ、重要なのかを示しています。

b) 虐待行為と損傷を受ける脳の部位
 虐待行為別に脳の器質的変質(異常)を見ると以下のようになります。
 ア)幼少期に激しい体罰(身体的虐待)を長期にわたり受けると、感情や理性を司り、思考をコントロールし、犯罪抑止力とかかわる「前頭前野」が19.1%萎縮し、集中力や意思決定、共感などと関係の深い前頭葉の「右前帯状回」が16.9%萎縮、ものごとを認知する働きを持つ「左前頭前野背外側部」が14.5%萎縮し、さらに、脳の一番外側に広がる大脳皮質の「感覚野」へ痛みを伝えるための神経回路が細くなります。
 つまり、身体的虐待(体罰など)により「前頭前野」が萎縮すると、感情や理性、思考をコントロールし難く、犯罪抑止力が低くなり、「右前帯状回」が萎縮すると、集中力が欠け、自分で決めたり、共感したりでき難くなり、「左前頭前野背外側部」が萎縮すると、ものごとを認知し難くなり、「感覚野」への神経回路が細くなると、痛みに対して鈍感になります。
 また、イ)しつけ(教育)と称する「体罰」と当時に受ける“暴言(否定、非難、侮蔑、卑下するなどのことばの暴力/心理的虐待)”を受けると、強い自己否定の気持ちを植えつけ、会話や言語を司る「聴覚野」の一部(上側頭回灰白質)が14.1%拡大します。
 つまり、心理的虐待により「聴覚野」が萎縮すると、聞こえ方、会話やコミュニケーションがうまくできなくなります。
 ウ)幼少期に性的虐待を受けると、視覚を司る大脳後方の「視覚野」が約18%萎縮します。
 ここに、エ)家父長である夫(交際相手の男性を含む)が、妻(交際相手の女性)に対し、しつけ(教育)と称する懲戒(体罰)、つまり、DV(デートDV)行為を子どもが見たり、聴いたり、察したりする状況(面前DV=心理的虐待)が加わると、覚野の一部が約16%(平均4.1年間DVを目撃して育った人の平均値)萎縮します。
 つまり、性的虐待や面前DV(心理的虐待)により「視覚野」が萎縮すると、他人の表情を読めず、対人関係がうまくいかなくなります。
 この面前DV=心理的虐待による「視覚野」の萎縮は、身体的暴力の目撃では3.2%の萎縮だったのに対し、ことばの暴力に接してきたときには19.8%の萎縮が認められ、前者に比べて6.19倍もダメージが大きくなります。
 オ)幼少期にネグレクトを受けると、喜びや快楽を生みだす「線条体」の働きを弱め、左右の脳をつなぐ「脳梁」を萎縮させます。
 つまり、ネグレクトにより「線条体」の働きが弱まると、心地よい、楽しい、嬉しい、喜ぶなどの感覚が損なわれ、「反応性愛着障害」をひき起し、「脳梁」が萎縮すると、「ボーダーライン(境界性人格障害(パーソナリティ障害))」をひき起こします。
 少し補足します。
 「発達過程に負う適切な養育によるストレス」は、認知機能の発達を阻害し、知的障害・学習障害のような様相を示したり、記憶や情動を適切に制御する力を損なうことで落ち着きのなさや多動傾向・衝動的な傾向を示したり(ADHDなどの発達障害)、フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり、記憶が欠落したりするような解離症状をもたらしたりします。
 子どもが幼少時期に安心して生活することができず、いつも不安や恐怖に脅え、自分を大切な存在であると感じることができずに育つと、良好な自己像を形成することが難しくなります。
 「自分は、愛される価値のないダメ人間だ」と感じ、“自己肯定感”を育むことができず、対人関係の築き方にも障害をきたします。
 なぜなら、怒りや恐怖などの感情をコントロールすることができず、不適切なところで急に、感情を爆発させてパニックになったり、衝動的、攻撃的な行動に走ってしまったりすることもあるからです。
 その結果、対等な対人関係を築いたり、円滑な集団生活を送るためのルールを身につけたりすることが困難になり、年齢相応の社会性の発達は阻害されていくことになります。
 抑うつに陥りやすかったり、ささいなことで不安を強めたり、無気力や自己嫌悪から「自傷(リストカット(セルフ・カッティング)/OD(大量服薬)/過食嘔吐)」・「自殺企図」などを示したり、かつての心的外傷(トラウマ)体験の影響を心身に色濃く残し、「不眠」や「悪夢」、「パニックアタック(パニック発作)」、「解離性障害」や「身体化障害(身体表現性障害)」、「独特の対人関係の問題」、薬物・アルコール依存等の「嗜癖行動等の情緒的、行動的問題」を抱え続けることなります。
 さらに、子どもの精神的な発達と脳に大きな傷跡を残し、青年期、成人期になってからも精神的後遺症となって残ります。
 つまり、トラウマが“固定化(固着)”し、「(反応性)愛着障害」、「後発性発達障害」、「人格障害(パーソナリティ障害)」のかたちをとったり、「解離性障害」や「身体化障害(身体表現性障害)」、「疼痛」や「不定愁訴」などの症状も認められたりします。
 身体疾患に罹患しやすくなるのは、長期的にストレスホルモンの「コルチゾール」が分泌されると、免疫力の低下がおこるからです。
 虐待経験者の怒り、恥辱、絶望が内に向かう場合には、抑うつ、不安、自殺企図、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)を生じ、虐待の影響が外に向かう場合、攻撃性や衝動性が高まり、「行為障害」「反抗挑戦性障害」を起因とする「非行」につながります。
 アルコール依存、薬物依存は、「C-PTSD」の過覚醒状態における“自己投薬(自傷行為)”ともいわれています。

 このレポート『保守政権下、国連の各委員会が、『条約』締結国に対し、「とり組みが進んでいない」と繰り返す“勧告”を受けて、令和5年(2023年)6月16日、「性犯罪の規定を見直した刑法改正(案)」が参議院本会議で可決、成立、同年7月13日に施行。-110年ぶりの刑法改正に続き、なぜ不十分なのか? 日本の特殊な保守体制との関係-』は、締約国の日本政府に対し、国連の各「委員会」から是正勧告を繰り返し受けている「女性と子どもに対する暴力」という人権問題にフォーカスしています。
 この視点に立つと、加害に及ぶ者の「加害トラウマ」にフォーカスすることはとても重要です。
 「加害トラウマ」という視点で捉えると、被虐待体験で身につけた考え方の間違った癖(認知の歪み)は、暴力のある家庭環境で生き延びるためにその環境に順応する必要があり、その環境で学び、身につけたもので、その家庭環境だけで成り立つ限定的なものです。

③ 「加害トラウマ」と暴力の連鎖
 「加害トラウマ」、つまり、「トラウマ」を起因とする暴力(「加害トラウマ」をひとつの後遺症と捉えることができる)は、暴力の連鎖として、世代を超えて受け継がれやすくなります。
 このことが意味するのは、「加害トラウマ」を抱えるものが、PTSDの症状「覚醒亢進(過覚醒)」が「攻撃防御の機能不全」を表出させるとき、差別・排除、児童虐待、DV(デートDV)、元交際相手や元配偶者に対するストーキング、暴行、傷害、殺害、レイプ、ハラスメント、動物虐待などあらゆる暴力行為のモチベーション(動機)にもなり得るということです。
 加えて、重要な視点は、「3-4)-①」で述べている2つの記述と、暴力のある家庭環境で育つとMOMA遺伝子が活性化することです。
 前者のひとつは、『そのペドファリアをはじめとする「パラフィリア」が見せる「性的興奮のパターン」は、思春期前の幼児期・学童期の前半、つまり、6-8歳ころに(小学校1-3年生までには)既に発達を終え、その性的興奮のパターンがいったん確立されると、その多くは一生続きます。』で、前者のもうひとつは、『ペドファリアなどの「パラフィリア」、つまり、性的な加害行為に及ぶ可能性のある者が見せる「性的興奮のパターン」の発達には、①不安または早期の心的外傷が正常な精神性的発達を妨げていたり、②性的虐待を受けるなど、本人の性的快楽体験を強化する強烈な性体験に早期にさらされることにより、性的興奮の標準的パターンが他のものに置き換わっていたり、③性的興奮のパターンとして、性的好奇心、欲望、興奮と偶然に結びつくことによって、そのフェティッシュ(物神崇拝、特殊な細部や部分対象への偏愛)が選択されるなど、しばしば象徴的な“条件づけ”の要素を獲得していたりするといった3つのプロセスが関係しています。』です。
 この2つの記述は、ペドファリアなどの「パラフィリア(性的倒錯/性嗜好障害)」の発症原因は、幼少期の被虐待体験(小児期逆境体験)です。
 その被虐待体験(小児期逆境体験)となる児童虐待行為は、「性的虐待」だけではなく、からだに痛みや苦痛を与える「身体的虐待(臀部を叩くなどの「しつけ(教育)と称する)体罰」を含む)」が該当します。
 人は、耐えられない苦痛を覚えると、脳内ではオピオイド(βエルドルフィンなど)が分泌され、自分自身で苦痛を和らげます。
 このとき、モルヒネの6.5倍もの鎮痛作用もたらす「βエルドルフィン」が分泌され、脳内で麻薬のように働き、幸福感や爽快感をもたらします。
 つまり、慢性反復的(常態的、日常的)に身体的虐待(「しつけ(教育)と称する体罰」を含む)を受けていると、脳は、「βエルドルフィンン」の分泌による“痛み”とともにもたらされる幸福感、爽快感を求めるようになります。
 それは、苦痛によりもたらされる幸福感、爽快感です。
 この「苦痛」には、実際にからだに痛みを覚えるだけではなく、自分に対する罪悪感、嫌悪感も含まれます。
 つまり、自分が罪悪感、嫌悪感に押しつぶされそうな「苦痛」を伴う罰せられる行為に至ることで、幸福感、爽快感がもたらされる脳がつくられます。
 これが、アルコール、薬物、ギャンブル、セックスなどの依存症者と同様に、ペドファリアなどのパラフィリアで犯罪行為に至る者が、「罪悪感、嫌悪感を覚え、苦しいから止めたいけれど、止められない」と訴える脳の状態です。
 被虐待体験(小児期逆境体験)をしてきて、自身が虐待される傷み(痛み)を十分に知りながら、4-5歳のころには、無意識下であっても、他者に傷み(痛み)を与えたり、敢えて「してはいけない」ことをしたりすることで罪悪感や嫌悪感(以上、苦痛)を覚え、幸福感、爽快感を得ている(高揚感に浸っている)こと少なくありません。
 笑みを浮かべながら蟻をつぶしていたり、虫の羽をむしりとるなど残虐な殺し方をしたり、砂遊びで使うスコップで、ミミズや金魚を切り刻んだりをする4-5歳の児童がいますが、このサディスティックな行為に至っているとき、まさに、高揚感に浸っています。
 そして、その殺害した虫たちを土に埋めたり、川に投げ捨てたり、ゴミ箱に捨てたりする行為(証拠隠滅)は、親や教師に見つかったら叱られる(不気味がられる)、つまり、罪悪感を打ち消すためです。
 サディスティックな行為に及び高揚感を覚えながら、同時に、自身に対し罪悪感も抱いている、つまり、自身も痛みを覚え、βエルドルフィンンが分泌されています。
 この状態は、リストカット(セルフ・カッティング)、OD(大量服薬)、過食嘔吐などの自傷行為に及んでいるとき、アルコール、薬物、ギャンブル、セックスなどの依存状態にあるとき、そして、自分の子どもに苛烈な虐待行為を加えているときと同じです。
 次は、後者の「MOMA遺伝子」についてです。
 出生後、人の暴力性を目覚めさせるか、目覚めさせないかは、攻撃性と関係のある「MOMA遺伝子」の“スイッチ”を入れる体験、つまり、被虐待体験、戦争や紛争による虐殺体験(目撃を含む)が大きく影響しています。
 虐待を受けた(暴力のある家庭で暮らし、育った)人は、攻撃性と関係のある「MOMA遺伝子」の“スイッチ”を入れることなど、遺伝子レベルでひき継がれることがわかってきました。
 2002年(平成14年)、イギリスのロンドン大学のリサーチセンターのカスピ博士らにより、人の攻撃性(暴力的な反社会的行動)に関係しているといわれる「MOMA」と呼ばれる遺伝子が、暴力のある家庭で暮らし、育つこととの関係性を調べた研究結果がまとめられました。
 この研究は、MOMA遺伝子の活性が低いタイプは攻撃性が高く、MOMA遺伝子の活性が高いタイプは攻撃性が低いとされていることを踏まえ、MOMA活性が低いタイプのグループと、MOMA活性が高いタイプのグループが、それぞれ3-11歳のころの虐待の略歴を調べ、さらに、26歳になったときの攻撃性について、精神科・心理学的な調査や警察の逮捕歴などで調べたものです。
 カスピ博士らは、「MOMA活性が低いタイプでも、暴力のない家庭で暮らし、育っている(子ども時代に虐待を受けていない)ときには、攻撃性は見られず、一方で、暴力のある家庭で暮らし、育っている(子ども時代に虐待を受けて育っている)ときには、高い攻撃性が見られた。」、「MOMA活性が低いタイプの子どもは、虐待を受けることで過度の恐怖を感じ、常習的に虐待を受け続けることで、神経伝達物質システムと呼ばれる脳の働き自体が変わってしまい、強い攻撃性を見せるようになったと考えられる。」、「攻撃性が高いと思われるMOMA活性が低いタイプであっても、虐待を受けなければ、活性が高いグループに比べても攻撃性はむしろ低いくらいであった。」、「MOMA活性が高いタイプは、虐待によって脳の機能を変えられることから、自分を守る力を遺伝的に持っているかもしれない。」との研究結果を発表しています。
 この研究結果は、「子どもが、暴力のある家庭環境暮らし、育つ(虐待を受けて育つ)ことによって、“攻撃性(暴力的な反社会的行動)のスイッチ”が入る」ことを示すものです。
 このように、人の攻撃性(暴力的な反社会的行動)に関係しているといわれる「MOMA遺伝子」を活性化させたり、暴力を受け、苦痛を覚えても、βエルドルフィンンにより幸福感、爽快感を覚える依存脳になったり、6-8歳ころまでに、パラフィリアとしての「性的な興奮のパターン」を覚えたりする原因は、すべて、被虐待体験(小児期逆境体験)です。
 被虐待体験(小児期逆境体験)をしてきた人は、その後の人生において、ア)対人関係に苦しみ、生き難さを抱え、困難な状況(不登校、ひきこもるようになるを含む)に陥りやすいだけでなく、イ)PTSD(心的外傷後ストレス障害)、その併発症としてのうつ病、解離性障害、パニック障害などを発症するなどの後遺症に長く苦しんだり(暴力に起因せず、事故、火災、自然災害で被災したとき、PTSD、うつ病を発症するリスクが高く、しかも重篤化しやすい。PTSD発症者は、同じ「海馬」のダメージが発症要因となるアルツハイマー型認知症の発症リスクが高くなるを含む)、ウ)統合失調症や双極性障害を発症したり、エ)破壊的行動障害(行為障害)、反抗挑戦性障害、性的サディズム、窃視症、性的マゾヒズム、ペドファリア(小児性愛)、窃触症(さわり魔、痴漢)、露出症などのパラフィリア(性的倒錯/性嗜好障害)、ボーダーライン(境界性)、サイコパス(反社会性)、妄想性、自己愛性などの人格障害を発症するなどの精神的なトラブルを抱えたり、オ)C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)の覚醒亢進(過覚醒)の自己投薬といわれるアルコール依存、薬物依存(白砂糖、ニコチン、カフェインを含む)に加え、ギャンブル、ポルノ、セックス、買い物、仕事に依存したり、カ)自傷行為(リストカット、OD(大量服薬)、過食嘔吐など)に及んだり、キ)スピリチュアル、占い、新興宗教・カルトに傾倒したり、ク)いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメント、デートDV・DV、性暴力(トラウマの再演、性的自傷を含む)の被害者になったり、逆に、ケ)「加害トラウマ」を起因として、暴行・傷害、いじめ、体罰、ハラスメント、デートDV・DV、性暴力、子どもへの虐待の加害者になったり、コ)非行、他の犯罪に手を染めたりするなど、対人的(対外的)なトラブルをひき起こすリスクが高くなります。
 これらの社会病理ともいえる状況を防ぐ唯一の方法は、ア)子どもに対する虐待行為(面前DV、しつけ(教育)と称する体罰、過干渉などを含む)をしないことと、イ)戦争・紛争下、飢饉下で子どもを育てないことです。 ア)のとり掛りとしてもっとも重要なことは、どのような行為が「児童虐待行為」「DV行為」に該当するのか、『児童虐待防止法』『配偶者暴力防止法』などで定める“規定”に準じ、正確に理解することです。
 次に、イ)のとり組みとしては、「1-2)」で詳述している「緊急事態条項に関する憲法改正」を絶対に通してはいけないことです。
 そのためには、なぜ、「緊急事態条項に関する憲法改正」が危険なのかを正確に理解することです。

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