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「音楽」との出会い Vol⑧

はじめまして!オサリバンです!
ライフワークとして、作詞・作曲・編曲・歌唱をしています。
いわゆる、「シンガーソングライター」です。
音楽にまつわる知識やノウハウを発信していきます。
よろしくお願いします!



音楽迷走時代

事務所とも相方とも疎遠になったわたしは、半ばヤケクソ気味にアルバムを二枚作った。自分のペースで制作ができたのもあり、クオリティはともかく曲はポンポンできた。


バイト先の方々にアルバムをワンコインで買ってもらって、なんとかアイデンティティを保っていた気がする。特に4枚目のミニアルバムは、個人的に今でも気に入っている。ただ、夢はどこか遠くにそれた。


ちょうどその頃、相方が埼玉の教員採用試験に合格した。
一方、自分はバイトしながら惰性で音楽を続けていた。
このままではいけない。嫉妬のような、焦りのような。
ここでわたしは、大きな決断をした。


「地元を出て、東京に行く!そして、一旦就職して、音楽も続ける!」


ビジョンも特になく、よくそのマインドや状況で飛び込んだなと。田舎者は無条件に東京に憧れるものだ。きっと、環境を変えることで、後戻りできなくしていたんだと思う。

「何とかなるっしょ!」

実際、何とかなってしまったのある。

東京


東京編 ~就職、ボイトレ、再びバイト~

なんやかんやで、塾の教室長になった。八王子の校舎。
スーツを着て、毎日電車に揺られた。初体験だったので、最初はそれも楽しかった。給料も普通に生活していく分には困らなかった。


ここで、ついにゲットしたのが「Cubase」
自宅のミニウォークインクローゼットをスタジオに改造し、休みの日に再び音楽制作に取り組んだ。使い方に苦戦したものの、新しいレコーディング環境に胸が躍った。こうして、アルバムがまた1枚完成した。


悪あがきが過ぎるわたしは、このデモテープをまたバラまいた。するとまた何件かリアクションがあった。いくつか事務所を訪れて話をしたが、結局は前の事務所と基本的な部分は変わらなかった。「音楽で飯を食う!」という熱は冷めていた。いよいよ、音楽は趣味の領域へと加速していった。


休日が暇になったあたりに、ふと思った。
「ボイトレに行ってみよう!」


思い立ったらすぐに行動するタイプのわたしは、1週間後にはなぜか六本木のボイトレスクールに入会していた。グループでの指導だったが、おもしろいボーカリストがわんさかいた。V系、アイドル系、ソウル系、ロック系。


みんな、夢に向かっている目をしていた。あと、自分より若かった。
なんかキラキラしていて、「この若者たちに幸あれ・・・」となぞの上から目線をぶちかましていた。3回くらい通って、すぐ辞めた。

六本木

もうこのあたりから、「大森さんの言葉を胸に抱き、生きていこう!」と心に決めた。ジタバタするのはもうやめよう。


そう思ったわたしは、一年務めた会社を辞めた。
なんでそーなるの?!って聞こえてきそうだ。


何を隠そう、ついに「教員を目指す」ことにしたのである!
免許もあるし、商売じゃない教育をしたい!と思った。


会社員だと勉強できる時間も限られるし、やりがいを感じられなかったし。
ここでも「勢いで飛び込む」という強みを発揮し、池袋のゴールドラッシュでバイトしながら教員採用試験の勉強を始めた。

教員


そして無事に合格するのである。



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