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憎い上司が死んだ

※この記事を読む前に。
パニック障害の発作を抑えるための薬と、自律神経を整える薬を同時に飲んだせいで、元気になるどころか神経バッキバキにキマった状態で書いてます。
躁鬱の躁状態を薬で無理矢理作ってる状態なので、病気になった期間の中でも特別ハイな状態です。
倫理的にアウトなこともがっつりと書いてると思いますので、苦手な方はこの記事を読むことをお勧めしません。
あと、自分自身の気持ちが冷静になったり、また体調面で苦しい状況が続いたりすれば記事そのものを削除すると思います。
そんな感じでよろしくお願いします。



精神疾患を患う流れ

本題に入る前に、自分が精神疾患を患う流れをざっくり書いておきます。

2023年春頃 
パワハラ上司Pからのパワハラが始まる。

2023年秋 
適応障害、自律神経失調症、中等度うつの診断を受ける。

2023年冬 
1ヶ月間の休職後、部署を変えて復職。

2024年元旦 
以前から抱えていた仕事以外の悩みもあり、パニック発作が出始める。

2024年2月 
パニック障害の診断を受ける。適応障害とパニック障害のキメラ俺、誕生

このような流れで、今の自分は薬なしでは普通の生活ができない状態になっています。
薬があってもパニック発作を起こして数日間寝込むこともあるし、上手く体が動かせない日も多々あります。
そんな体調なので現在の仕事は、他の社員よりも業務量を減らしてもらいリハビリに努めてます。


死んだ上司について

ここからが本題になります。

タイトルにある亡くなった上司は、パワハラ上司のPではありません。

人事部のJという上司です。

Jは社員の希望に沿って働き方を改善する役割もしていました。

過去に数人の社員が部署異動の申請を出して異動しているのを知っていた自分は、Pのパワハラが始まった時期に“2回”部署異動の申し出をしていました。

しかし、自分の希望は2回ともJによって却下されました。

理由は、自分がいなくなるとその部署のダメージが大きいからとのこと。

こうなったらパワハラを受け続けることは覚悟して、急いで転職先を探そう。

そう思いパワハラに耐え続けながらも転職活動をしていたら、まともに起き上がれる日が減っていき、適応障害の診断を受けることになりました。

もちろん悪いのは、パワハラを繰り返したPですが…

自分としてはJも許せない気持ちがありました。


人事部Jが許せない理由

これは復職後に知ったことですが、人事部Jはパワハラ上司Pと裏で手を組んでいたようなのです。

P「ナカムラ(筆者)は自分の補佐になってほしいから、うちの部署から離さないでほしい」

詳細は分かりませんが、こんな内容をJに言っていたようなんです。

それならパワハラなんかするなよという話ですが…

こんな風に裏で手を組んでいたことで、自分が部署移動の申し出をしていたことはそもそも社内で共有されていなかったそうです。

つまり、自分がパワハラによってズタボロになった件については、Jも加害者サイドなんですよね。

これが判明してから自分はパワハラ上司Pだけでなく、人事部Jが許せなくなりました。


突然の訃報

この記事を書く数日前のこと。

社内メールに訃報が届いていました。

その内容こそが、Jの死去を報せるものだったのです。

Jは体調不良による療養のため、休職していたのですが療養中に亡くなったそうです。(病状などの詳細はわかりません)


訃報を受けて思うこと

誰もが一度は考えたことがあるだろう「あーあいつウザいな、死なないかな」なんて気持ち。

まさかそれが現実になるとは思わず、訃報を受けた直後はよく分からない感情になりました。

悲しくはないけど、嬉しくもないな…
人が亡くなってるんだし、こういう複雑な気持ちになるのは当たり前かな…?
でも、身内とか他の知り合いが亡くなった時とは違う感情だな…

こんな風に色々考えくらいにはよく分からない気持ちになっていました。

そうして自分の気持ちを整理した結果…バリ嬉しいです。

こんな感情を持つ人間は相当なクズですよね。

自分でもそう思います。

でも、自分からすればJとPが手を組んでいなければ1年間味わってきた苦痛も、今患っている精神疾患も無かったかもしれないんです。

適応障害なってからの体調もかなり酷いものでしたが…特にパニック障害になってからは本当にしんどくて。

仕事に行こうと玄関のドアを開け、外の空気を吸った瞬間に過呼吸を起こしたり。
仕事中に僅かにでも気を抜いたら、発作を起こしそうなギリギリの状態で仕事がままならなかったり。
電車や車、閉鎖空間にいるとパニック発作を起こして周囲の人に迷惑をかける。
一度は本気で死のうと思って家族に迷惑をかけたし。

これらを薬で無理矢理抑え込むような惨めな生活になることはなかったかもしれない。

そう考えたら、こうなる原因の一端である人間が死んで嬉しくなるのもしょうがないじゃないんかな。

そんな風に自分に言い聞かせてます。

やっぱり亡くなる時は苦しかったのかな。
自分が発作起こして何日も寝込むのと同じくらいには苦痛を味わったかな。

どうしてもそんな考えが出てきてしまいます。


嬉しさはあれど…

ただ、自分にも人並みの感情はあるので、こんな風に他人の不幸を喜んでいる現状がとてつもなく嫌になる瞬間があります。

なんで人の不幸でこんなに喜んでいるんだろう、最低じゃん自分…って。

こんな最低な人格になるのを回避できる道はいくらでもあったかもしれないのに…とか、どうしても過去を後悔しちゃいますね。

人の不幸は蜜の味なんて言葉があるけど、結局毒でしかないですよ。


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