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私の話9🇷🇼

チュニジアに来て1ヶ月
折り返しのころ私はまた悩んでいました

もちろんチュニジアでの生活は
楽しいですし、
大好きな船についても学べる良い機会だったのですが
もともとアフリカ文化を学びたくて
決めた留学
チュニジアでの生活は
トイレの蓋がやたら取れることと
ご飯がなくて、パスタやパンが多いこと
あと、たまにバスのタイヤがパンクする程度で
ほとんど日本の生活と変わらなかったのです
(私にとってね笑
普通の女子大生なら無理かも
でも、そういうの無理って言われるの嫌い😠
だって、その世界は私の友達たちが育ったところだから)

それに留学といえど
毎日起きて会社に行き
夕方に帰って
昼寝して友達と遊びに行くか
YouTubeみるか日本の友達と電話の日々

なんと、私
刺激たくさん大冒険中に別の冒険に行きたくなってしまったんです


それで、決めたのが
今度はもっとアフリカっぽい国に行くこと

これも運命的でした
大学の掲示板を見てた時に見つけたのです

ルワンダ🇷🇼ボランティアインターン募集

これだ!って思いました!

日本の口座の残金は知りませんでしたが
いけるだろうと思いそのまま
飛行機やビザを調べて申し込みました

そして、日本に帰り
疲れで高熱にうなされ
大学後期の授業を大いに楽しみ
今回は前回のようにテストが終わった日に
飛行機に乗らなくていいよう
予定もしっかり確認して
2023年の春、今度はルワンダの空港に立っていました

今思い出したのですが、
私は沢木耕太郎の深夜特急が大好きで
本当は敬愛する沢木氏のようなエッセイを書けたら
と思うのですが、読んでいただいてわかるように
文才が欠落しておりますので
起こったことを羅列する形になります


とりあえず、ルワンダに着き
今度はやっぱりっと納得しました
道路はオレンジの土
バイクがたくさん走っていて
舗装された道路もすぐに土に変わり
天気は少し曇り
千の丘と言われるルワンダは
本当に丘の上にたくさんの家が立ち

チュニジアは白い家が多かったですが
ルワンダは赤い家が多かったです

夜は涼しく、丘に家が立ってるため
キラキラとしてそれが星空と繋がり
素敵でした

私はルワンダの幼稚園で
ボランティアインターンとして働きました

まあ、保育士としてではなく
会計士としていろいろな仕事を任されたのですが

ここは
日本人の女性が活動の場を運営されているため
いろんなプログラムが揃っており
ルワンダの現地の方の家にいったり
食事を楽しんだりしました

ただとにかく子供たちの可愛いこと

私はアフリカについて学びたいと
思いルワンダに向かいましたが
1ヶ月以上をそこで子供達と過ごすうち
まあいいかそれは学者の方に任せておけば
という気持ちになりました

だって、貧困とか難しいし
私は理系だから
社会的なこととかわからないし
(勉強は必要だと思います、ただそれを実行に移すのは私には難しい)

それより、子供たちがなんて可愛いのだろうと
チュニジアでも思いましたが
国や文化で分けるのは
アイデンティティや個性として大切ですが
それ以上に同じ人間であり、
どの国でも同じように
尊い命が生活している
ということの素晴らしさを思いました

もちろん、先進国が搾取して貧困の皺寄せが
あるというのは解決すべき問題ですが
日本にいる時によく言われる

よくそんなとこ行けるね
危なくないの?
蒼ちゃんだからいけるんだよ
私には無理
っという言葉に返せるのは
この言葉に尽きる気がしました

私の大切な子供たちは、その危ないって言ってる
国で元気に遊んでるんだよ!って
嫌味じゃなく、
そんなに怖がらなくていいんだよ
同じ人間だよ!みんな!って言いたいです笑

それは、チュニジアで出会ったハミッドや
他の国の私を宇宙人呼ばわりした
子たちにも伝えたいですね笑

サファリのキリン🦒

続く

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