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しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)-2―男性フェミニストはT?

大河ドラマ「光る君へ」批判の続き。2月に入ってから、「青年時代の紫式部(本名まひろ)と藤原道長の悲恋」が障害のないところに障害を立てているように見えて見ていられない。道長の兄の道兼が彼女の母を殺して虫けら呼ばわりした、というのがメインの障害であるが、貴族としては中流まで落ちぶれたとはいえ、紫式部の父方は道長と藤原氏の同系で、庶民ではない。結局はもみ消されるにしろ、道兼は父親から叱責されて謹慎した、夫の為時には物品なり地位なりで謝罪の意が示された、というくらいにはしないとあまりに…と思う。

家族は「どうせドラマなんだから」と言うのだが、それならば「紫式部がモデルのフィクション」としてほしい。平安後期には、異母兄妹の性自認が反対で混乱を招く「とりかえばや物語」とか、「女向き」の芸事を嫌い、身だしなみもめちゃくちゃで昆虫観察に没頭する「虫愛ずる姫君」などがあったのだから、そのノリで「顔も隠さず外を出歩く物好きな姫がベストセラー作家に」という物語とすれば、違和感なしに楽しめる。実際、「平安朝の変わった姫」はヤングアダルト文庫では伝統のテーマで、古くは故氷室冴子氏の「なんて素敵にジャパネスク」(コバルト文庫)、最近は小田菜摘氏の「なりゆき斎王の入内」(ピースログ文庫)などがあって、どれも面白い。

藤原道長の正室は左大臣家の姫君で元は皇族の源倫子であるが、ドラマのとおり道長が彼女に目を付けるまえに紫式部と恋仲になっていれば、式部のほうが正室になっていた可能性はある。当時の貴族の若者は複数の女性の婿になってよいが、そこで「正室」になるのは必ずしも身分の順ではなく、「早いもの勝ち」だったような気がするが?日本史に詳しい方がいればご教示願いたいところだが、現代の婚姻届と同じく、とにかく役所に届けてしまえば、本人同士の意志でない限り簡単にひっくりかえせなかったのではないかと。道長の父の兼家の側室で、他の妻への嫉妬で夫を悩ませる様子を延々とつづった「蜻蛉日記」の作者は中流貴族の娘だが、正室の時姫の父も階級は変わらない。ただ、子供の数や年齢から見て、時姫のほうが先に妻の地位を得ているのは確かである。時姫の長男で道長の同母兄道隆の正室貴子の実家高階家は、式部と同じ中流貴族で学者の家柄である。少女時代の高階家はやはり不遇で、貴子は宮仕えに出たところで道隆と「オフィスラブ」で結婚した。道隆は権力者だし、見映えが良く女あしらいも上手かったというから、彼女より身分の高い妻もいておかしくないと思うが、道隆の死まで彼女は正室の地位を保っている。

むしろ「身分の高い方が正室」という伝統を作ったのは道長では?兄2人の死後、秀才の評判の高い甥を押しのけて太政大臣の位についたのは、皇太后であった姉がプッシュしたから、というのが史書に記載されているが、加えて倫子の実家の源家の影響力も無視できないような気もする。長男の頼通が親王の娘と結婚することになったときも、「男の子は妻柄なり(男の地位は妻の家柄で決まる)」と言ったという記録が「栄花物語(ドラマで娘たちの教師役を務める赤染衛門の書いた藤原一族絵巻)」にある。

道長のMBTIは「大胆ながら愛嬌があり、気配りのできる野心家」ENFJ(主人公)かな。人心掌握に長け、周りの人々の総意をくみ取って、と思わせつつ思い通りの方向にコントロールしていくタイプ。「日本型」かも知れないが、私が経験上リーダーには必須と考えている「相手が誰でも人の話をよく聞き、長所を見つけるのが得意」という資質を持っている。一昔前までは権力者のおごりと解されていた「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることの なしと思えば」の歌も、近年は自身ではなく娘たちの出世を喜ぶというのが本来の文脈で、だから公卿たちも追従でなく賛同したという説が有力らしい。

現実の紫式部が、道長の娘に仕えながら彼に励まされて「源氏物語」を書き続けるうち、彼に憧れるようになった、ということはありそう。トシを考えて「お手付き」にはならなかったが、もう少し若かったら…という気分が「源氏物語」にも出ているのではないか。式部は美しくはないがたしなみ深く、元は高い身分ながら落ちぶれて伊予の守の後妻になった「空蝉」に自分を仮託しているといわれる。空蝉は光源氏に一度は愛されるが、身分を考えてその後は避けて通し、夫の死後出家すると源氏が隠居所を与える、というおいしい役どころである。これが式部の現実に近い理想だとすると、もう少し高望みの理想像として「藤典侍」があるように思う。

これは光源氏の秘書役の中流貴族である藤原維光の娘で、源氏の娘の代役として五節の舞姫となったのち、この階級出の女官としては最高位の典侍として宮仕えに出る。そこで光源氏の息子夕霧に見初められ、彼の「宮中妻」になる。この時夕霧には共に育って幼時から「正室」と心に決めていた従姉がいたのだが、伯父がなかなかOKを出さないので、満たされない心身を典侍に慰めてもらう、という設定。典侍は夕霧の結婚後も「正室公認」で彼との関係を続ける。女官を続けながらも何人かの子供を産み、娘の一人は光源氏の孫で東宮(皇太子)候補の一人である匂宮の正室にまで昇りつめるのである。

さて、道長を一例とする「日本型?リーダー」を見ていると、このところネットブラウザを開くたびに出てくる「Woman Excite」のモラハラエリート夫の位置づけが怪しく思えてくる。特に妻が思惑通りに動かないと口を極めて非難し、完璧な家事を押し付ける「極論妄想モラハラ夫」。「専業主婦」の妻がいないと家がゴミ屋敷になると文句を言い*、「養ってやってるんだから責任を果たせ」と迫る。にしては、一回のDV録音で狼狽するとか、両親に叱られるとひるむというのが弱すぎる。その果ての言い訳が「愛ゆえの暴力」というのはよくある話だが、出来の悪い妻を体罰で躾けているという言い訳は今時通用しない、ということを、社会経験を人並以上に積んだはずの「エリート」が分からないのだろうか?こういう「支配」を確立したいゆえの詭弁を「カッコイイ」と信じる人間が「エリート」である職場が恐ろしい。

自分が知っている例では、DVの証拠写真を「こんな写真を撮られるのはかわいそう」と言ってみせれば、相手が自分の「思いやり」に感動するだろう?という「論理のすり替え」がある。が、これを言った人間は、本人の過剰なエリート意識と実経験のギャップのためにどこでも受け入れられない「高学歴難民」であった。まともな組織で長く働いていれば、「○○のせい」といったすり替えが通用しない経験を何度も経て泣いて、自分の中でさえ「すり替え」が出来なくなるのではないか?無論幾つになっても「すり替え」が上手で人に責任転嫁する中間管理職はいる。が、「上に媚びても下の言うことに耳を傾けない」人間はトップには立てない。逆に言えば、「すり替え」が信じられてしまう、あるいはそれが分かっていても党派の利害関係から容認されてしまう組織はアブない(世界情勢を憂える文脈ではないのだが…)

夫婦の力関係に話を戻せば、「経済力があるほうが強い」のは否定できない。が、「専業主婦」は本当に「被扶養者」であり、「養ってもらう見返り」として家事をするのだろうか。「家族への愛情」と「労働としての家事」を一体化させるのは無理では?このあたり、コラムニストの酒井順子氏の提案する「夫婦間主婦契約」は良い解決と思われる。家族関係とは別に雇用契約として夫と「主婦契約」を結び、労働の対価として「家計費」を受け取る。酒井氏は極めて「女子校的」な方と思われるが、このあたりのアイデアは卓抜である(MBTIは「ENTJ」指導者?)。「主婦契約」がなければ外で働かねばならないが、そうであれば婚姻時に家事分担を話し合って決めるか、金銭的に余裕があれば外注もよし。これ、坂口安吾がすでに昭和20年代に言ってます。共働きがしたい奥さんがいれば働いてもらって、そのお金で家事を外注して家族の時間をゆったり過ごせるようにすればよい、と。彼のエッセイはきっぱりと合理主義で心地よい。先月、中学時代に愛読書だった私小説集「暗い青春・魔の退屈」(角川文庫)が復刊したのを見つけたのは嬉しかった。安吾の小説は「下手だなあ」と思うこと多々なのだが、「尽くす代わりに家内の実験を握る」タイプの伝統的主婦が嫌いで、「女王様」タイプの女性を描くと光るあたり、外見のマッチョぶりとは逆に「隠れM」だったかも。

安吾のMBTIは、I(友人や編集者には親切で気前がよかったらしいが、「交際嫌い」と自称していて、大勢に囲まれるタイプではない)、N(細かい描写はせずにアイデアで勝負)、T(合理主義。情が浅い訳ではないが、「理屈じゃないんだよ、察してよ」という甘えがないのがよろしい)、P(プロットがしっかりした長編を残していない。売れる売れないにかかわらず全時期を通して良いものは短編)だろうか。「INTP」であれば、是非残してほしかったのが、「信長」の掘り下げ。「桶狭間から先は周到に計算して勝てる戦いしかしなかった」という当時としては割と新しい解釈を述べた短編がある。もうひとつ突っ込んで、「合理主義ゆえにかえって人の言葉や態度の裏が読めず足をすくわれる」人物像を書き込んでいてくれたら、と思う。

最後に脱線。昨年の大河「どうする家康」の信長像はあまりに猜疑的で、解釈が行き過ぎている、と感じた。特に女性への威圧的な態度。こちらが知る限り、出戻ってきた妹や娘が居心地が悪い思いをしていたという説はなく、割と伸び伸びと暮らしていたようだし、豊臣秀吉の妻には彼女が一生「宝物」にしていた手紙を残している。秀吉が長浜城主になったときに視察に行き、「夫が浮気で女遊びして困る」と愚痴を聞かされた返答に、「しばらく会わないうちにすっかり立派になって、こんないい女はあんなハゲネズミにはもったいないと皆思うだろうから、下らぬやきもちは焼かずに女城主らしくどっしり構えていなさい」と。女には優しい人だったと思えるが…

*「平安朝の生活と文学(池田亀鑑、ちくま文庫)」
**個人的な経験では、家をゴミ屋敷にする人間は、他人が掃除するのも嫌いで、ものを片付けると何がどこにあるか見えなくなるとか、人のものを勝手に捨てるなとか文句をいうものである。


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