如月青

既に人生の折り返し点を過ぎたシャカイ系研究者。 バッハとシューベルトとラヴェルを愛し、…

如月青

既に人生の折り返し点を過ぎたシャカイ系研究者。 バッハとシューベルトとラヴェルを愛し、マッドサイエンティストに憧れている。 趣味は(音痴ながら)歌唱

最近の記事

方向音痴の道案内

私は稀代の方向音痴である。初めて行く場所で道に迷わないほうが珍しい。カフカの「城」は、遠くには見えているのにどの道を通ってもこれから自分がそこで仕事をするはずの城にたどり着かない男の話だが、学生時代に冒頭から1/4くらい読んで、もしかしてこれは自分?と恐ろしくなり、未だに読了していない。 学部の3年のときの話だが、同じ科の人々がよく参考資料を買いに行く専門書店が西新宿にあった。自分も週に一度くらい心してJR新宿駅の西口を出る。が、一向にたどり着けない。人から道順も聞いたし地

    • 何トチ狂ってる?(2)

      (1)では慶大塾長の発言に(届きもしない)反論を述べ立ててしまったが、次は前静岡県知事の言。 2 県庁はシンクタンクであって、モノを作ったり動植物を育てて売るような仕事より知性の高い人が入ってくる。 第一次産業、第二次産業はお役所でPCを扱うより体を使うから「アタマを使わなくてよい」と決めつけるとは、いつの時代の人?という批判はもうされ尽くしたであろう。例えば自分が農家を営むと想像すれば、動植物の生態を知悉し、様々な機械を使いこなし、自営業者としての経営スキルも要るのだか

      • 何トチ狂ってる? (1)

        柄にもなく時事問題。Noteを秘めたる怒りの表出の場にしてしまうなど、折角読んで下さる方には申し訳ない。が、目につくんです。(多分)同年配で、十分に社会経験もあるはずなのに「学歴(知性)」自慢のために現実が見えてない人って。いわゆる「高学歴難民」だけじゃなくて、組織のトップに上り詰めても浅薄な思い込みから抜けられない人がいる、と驚いた例。 1 金持ちの子でないと東大に入れない時代だから、国立大の授業料を私大並みの150万に引き上げるべき 慶大の塾長の言。これを聞いて「ちょ

        • 「文学作品の作者あるいは作中人物に対するMBTI分析の試み」ってお遊びの範疇ですが

          1 一応はプロフィール 如月青はハンドルネーム。2月(如月)生(セイ→青)という以上の意味はない。本名は生まれた時代(昭和後期)には石を投げれば当たる類で平凡極まる。「〇〇都民(東京近県のベッドタウンから都心に通勤する人々)」の子供で、自身もそうなった、半ば「高学歴ワーキングプア」覚悟で某私大の文学部(専攻は仏語仏文学)修士課程まで進んだが、博士課程の試験には落ちた。それから多少の紆余曲折があったものの、とある官庁系財団で通信政策調査研究の職を得て、20数年間それを続けてい

        方向音痴の道案内

          夢の続きの夢を見る

          他人の夢の話を読んで何が面白い?と思われるのは覚悟のうえで。 数日前、記憶にある限り、初めて夢の続きの夢という体験をした。夢か現かあいまいなまま切れ切れにストーリーが続いていくというのではなしに、いったんはっきり目が覚めて、でもまだ起き出すには早い、と寝床にいるうちにまた眠ってしまうまでの時間が10数分はあったはず。 私は精神分析的な「深層心理が夢で表現される」という象徴論にはあまり興味がない。が、夢に出てくる出来事や事物が実際のどんな経験に結びついているかとか、夢はどの

          夢の続きの夢を見る

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(4) おフランスは甘くない

          これまで「MBTI」を分類ツールにして日本の作家や作中の登場人物を見てきたが、外国の作家ではどうだろう、と考えてみて、案外?なところにぶち当たった。 私は学生時代の専攻が仏語仏文学で、主として19~20世紀*の「象徴派」と言われる詩を扱っていたのだが、そのうちBig Nameといわれる5人がいずれも「INT-」であるように感じる。 この5人の名前と作品に関する定説を時代順に抜き出してみるとこうなります。 ボードレール:退廃的な唯美主義を気取る自意識過剰ダンディ ヴェルレーヌ

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(4) おフランスは甘くない

          目出度くもない年度明け

          サンプラザ中野、と言えば「爆風スランプ」のヴォーカルで、代表作「Runner」が青春の歌だった、というとトシがまたばれる。今でも好きで時々歌うが、歌うたびにトシ食ったな、と感じさせられます。音域的には最高音はファルセットを使わないぎりぎりのところ、基本的には中音域と高音域の境目で、自分にはちょうどいいのだが、後半高音のサビが延々と繰り返されるところで、息が切れて上昇フレーズが難しくなる。 はさておき、年度末仕事が片付いたところで一日有休。現実の中野サンプラザ(中はもう空にな

          目出度くもない年度明け

          NHKは誰のもの?

          筆者はこのところ「放送政策」に関するプロジェクトに携わっているので、これはお仕事話です。が、回答は後にすることにして。 今はまだ春とも言えないが、八月になるとかならず「NHK特集」で、学徒出陣や沖縄戦の特集が出る。私はそういうものはあまり見たくないほうである。最後は「平和への祈り」で終わるにしても、若くして散った兵士たちが、いかに残される家族や恋人を大事に思っていたか、命をかけて守ろうとしてきたか、が強調されるのが、なんだかなあ、という気がする。 無論彼らの思いは純粋で美

          NHKは誰のもの?

          それでもしかし...

          「ゴジラ-0.1」がアカデミー撮影効果賞を受賞した。めでたし。 (以下ネタバレあり) 特撮映画ファンとしては見逃せない、と封切り後ほどなく見に行ったのだが、「シン○○」シリーズに比べ格段にスケールが大きい、と感じた。「シン・ウルトラマン」は楽しかったが、楽しいのはオフィスドラマっぽいところだったのですね。科特隊の部屋が現実の官庁の会議室そっくりだとか、「国際会議」がオンラインで、PCの前での演説が隣の席のオバサン役に笑われたりするのが妙にリアルだった。が、そういう地上のリアル

          それでもしかし...

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)-2―男性フェミニストはT?

          大河ドラマ「光る君へ」批判の続き。2月に入ってから、「青年時代の紫式部(本名まひろ)と藤原道長の悲恋」が障害のないところに障害を立てているように見えて見ていられない。道長の兄の道兼が彼女の母を殺して虫けら呼ばわりした、というのがメインの障害であるが、貴族としては中流まで落ちぶれたとはいえ、紫式部の父方は道長と藤原氏の同系で、庶民ではない。結局はもみ消されるにしろ、道兼は父親から叱責されて謹慎した、夫の為時には物品なり地位なりで謝罪の意が示された、というくらいにはしないとあまり

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)-2―男性フェミニストはT?

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(2)―2 FPは近づく、TPは遠ざかる

          もう一月あまり前になるが、正月休みに泉鏡花の「山海評判記(初稿)*」を読んでみた。鏡花の最後の長編ということで、書かれたのは昭和初期、関東大震災の記憶が未だ生々しいころである。話のあちこちに「震災」がある中で、主な舞台は能登半島。別に何の符合もないが、珠洲、輪島あたりの被災地のニュースを見ると、手に取るのが何だか怖くなった。 そういう中で、という訳ではないが、この長編を読み通すのは結構辛かった。話がつまらない、という訳ではない。が、読み返し読み返ししても粗筋がつかめず、なか

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(2)―2 FPは近づく、TPは遠ざかる

          かく生きて死ぬ...

          En Cette foi, je veux vivre et mourir…(この誓いの下、かく生きて死ぬ…) 相変わらずの衒学趣味、と言われそうだが、これはドビュッシーの歌曲「フランソワ・ヴィヨンの詩による三つのバラード」の第二曲「母の望みによりて聖母に捧ぐ」のリフレイン(太宰の「ヴィヨンの妻」で名が知られている中世フランスの悪党詩人ですね)。地味ながら切々とした曲で、人前では無理だがメロディだけはたどれるようになりたい、と日々楽譜とYouTubeのライブ中継相手に苦闘して

          かく生きて死ぬ...

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)ー1 しゃべり過ぎるのはドラマのほう?

          今度はいきなり紫式部です。なぜかというと、2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の人物像が妙に気になって、「紫式部日記」などを読み返してみたからで。 私は古典の専門家ではない。高校時代に古文がちょっと得意で、平安貴族の生活文化に関する解説書を読むのが好き、という程度である。「源氏物語」も原文を読みこなす力はない。対訳や評論でなんとなく分かったような気になっているだけ。 「紫式部日記」は式部が仕えていた彰子中宮の里帰り出産前後の藤原道長邸の人間模様を描いたものであるが、こ

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)ー1 しゃべり過ぎるのはドラマのほう?

          Intermezzo続き「高学歴難民」のどこが悪いのか

          最近ネット上で「高学歴難民」の記事を見かけるようになった。有名大学を出た、あるいは修士以上の学位を持っているにもかかわらず、就職できなかった人々を指すらしい。数年前までは「高学歴ワーキングプア」が話題になっていたが、どこが違うのだろう。「ワーキングプア」は曲がりなりにも何らかの労働をしているが、「難民」は働いていない、ということ? いずれにせよ嫌な言葉である。というのも私はかつて(かなり自覚的に)「高学歴ワーキングプア」予備軍であった。高3で文学部進学を決めた時点で、また大

          Intermezzo続き「高学歴難民」のどこが悪いのか

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI:Intermezzo

          Intermezzo、つまり間奏曲です。鏡花の続きを書くつもりでしたが、読み直しに手間取っているうちに別のことを思いつきました。わざわざイタリア語とはまたイヤミなペダンティスム、と言われそうですが、今筆者の頭のなかにはオペラ「カバレリア・ルスティカーナ」のIntermezzoが流れているので。これは器楽だけのバージョンと「Ave Maria」の歌詞が付いた歌曲のバージョンとありますが、特に歌曲バージョンがセンチメンタルに遠い日の憧憬をそそる。このオペラの冒頭の合唱曲は、高校時

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI:Intermezzo

          しゃべりすぎる作家たちのMBTI(2) : Fと思えばT、Tと思えばF

          装飾の多い饒舌な文体、といえば泉鏡花*か、と思って幾つか読み直してみた。案外一つの文は長くない。会話で地口や掛詞めいたやりとりは随所にあるが、地の文は意外に引き締まっていて、装飾以外に意味のない形容詞が延々と連なる、といった例はなかった。女性の着物や髪型の描写が細かいとか、強い感情を引き起こす表現を繰り返す、というのも雰囲気を醸し出すのに好適と思える。確かに「必要最小限」とは言えないが、ない方がよい、と言いたくなるフレーズは見つからない。 無駄が多いのはむしろプロットの方か

          しゃべりすぎる作家たちのMBTI(2) : Fと思えばT、Tと思えばF