207. アカウントを削除することの意味を考えていたら、noteが自分の「人生」の大切な一部になっていることに気がついた。
大好きだった人のアカウントがなくなっていることに気がつき、
すごくさみしくなりました。
やむを得ない理由があったんだと思います。
アカウントがなくなっても、その人は心の中にいます。
でも、更新されていなくても、
過去の記事を読みに行くことができたら
どんなにいいだろうと思いました。
それで、アカウントを削除することの意味を考えたとき、
上達の探求(note編)さんの記事を思い出しました。
「アカウントを削除する」ことは「人生をリセットする」こと
私は過去に、適当につくり発信が続かず見る専になっていたTwitterのアカウントを削除したことがあります。
削除したのは、適当な見る専である自分を「リセット」して、軸をもって発信するアカウントとして再出発したかったからです。
ただ、このnoteのアカウントを削除することは「ない」と思います。
今後、更新を休みたくなったり、やめたくなったり、
過去記事を恥ずかしく思ったりしたとしても、です。
それはなぜか。
上達の探求さんが、アカウントを削除することは「人生を」リセットすることを意味すると指摘されているように、
noteが私の大切な大切な「人生」の一部であるからです。
限りある貴重な時間とエネルギーを使って、
自分の大切な大切な思いを日々表現し続けてきたからです。
noteで発信を継続されている方は、みなさんそうだと思います。
限りある貴重な時間とエネルギーを使って自己表現を続けてきた結果、
noteは私の大切な「人生」の一部になっていることに気づきました。
私は私が大切です。
私は私の人生の一部=noteが大切です。
だから、私はnoteのアカウントを削除することはありません。
この点について、PFアキさんのメッセージが心に刺さりました。
なかったことにしないでね。
私はなかったことにしたくないです。
自分自身が綴った思いも、
コメントしてくださった方の思いも、
なかったことにしたくないです。
拙くても、かっこ悪くても、恥ずかしくても、
必死に生きた足跡を残しておきたいです。
むしろ、何度でもそこに立ち返り、
再出発したい、成長していきたいです。
自分自身が綴った思いに、
コメントしてくださった方の思いに、
日々励まされて生きています。
いつもありがとうございます。
読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。