大嫌いな母の日
今日は母の日
私は母の日が大嫌いだ なぜなら母からずっと虐待を受けてきたからだ
それでも母の日になると 気になることはなる
しかし カーネーションをプレゼントしたり、「お母さんありがとう」と言ったこと記憶にないような気がする
小学生の頃 母の日が気になって何か送ろうとした 別に母に感謝したかった訳ではない 「何かしなければ」と幼少ながらに思った記憶がある
そうしないと何か怖いと思ったからだ
母は世間体をとても気にする人だった 母の日に子供からプレゼントを貰えば、周りに自慢するような感じだろうと考えていた
今思えば よくそこまで母の事を分析できていたと思う
私達は毎月のお小遣いが500円ぐらいだった まぁ40年以上前のことだからお金の価値は、今とは違う所もある
私は読書が好きだったので、お小遣いは殆ど本を買うことに使っていた だから母の日だからと言って、カーネーションを買うお金はなかった
持っていたお小遣いを全部握りしめて花屋さんへ行った
「一番安いお花を下さい」
お花屋さんは私が持っていた金額があまりにも少なかったのを見て困っていた。「あーどうしようかなぁ・・・・・」 お花屋さんは悩んでいた
そして提案されたのは「ほおずき」だった
「これが一番安いかなぁ」 お花屋さん 困らせてごめんなさい。
でも「ほおずき」はお花でしょうか?と心で思ったが、なんせお金を持っていないのは私なのだ! 仕方ない 普通のお花を1輪でも良かったのだが、その金額すら持っていなかったのだろう。
「じゃぁ それを下さい」
結局ほおずきを1本買って、母の日のプレゼントとしてあげることにした
「お母さん 母の日のプレゼント」そう言って」渡した でも「いつもありがとう」は言えなかった
母は「なんでほおずきなのか」と不思議そうな顔をしていた記憶はあるが、「ありがとう」とは言われなかった気がする
そりゃそうだよ カーネーションじゃなくて「ほおずき」なんだから。
その先にも後にも母の日に何かした記憶はない 母の日が来るたびに嫌な思い出がよみがえるからだ
でも自分が母になり 娘は性同一性障害で息子になり 今は彼女と暮らしている
先日 その彼女と息子から「母の日ありがとう」とお菓子とお茶セットが届いた 普段何もしてやれなくても、こうして母の日にプレゼントをもらうことは単純に本当に嬉しいと思う
母からは虐待を受けた事実と、それでも育ててくれたと言う相反する事実がある この年になり 私が生きていることは、やはり母のおかげかなと思えるようになった
母は昨年他界したけれど、今日改めて言おう
「お母さん ありがとう」 と。
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