ひかる番長

抗がん剤専門の資格を持つ看護師です。産まれた時から波乱万丈の人生を歩いてきました。親か…

ひかる番長

抗がん剤専門の資格を持つ看護師です。産まれた時から波乱万丈の人生を歩いてきました。親からの虐待、夫からのDV、離婚娘は性同一性障害で息子になりました。現在は1人で趣味の筋トレや映画鑑賞と楽しく過ごしています。目標はNHKの「プロフェッショナル」に出演することです。

最近の記事

娘の成長記録 2

とても女の子らしくすくすくと成長した娘は 6か月になりやっと保育園に入所できた やっと座れるようになった娘を 保育園に連れて行き 「今日から宜しくお願いします」と座らせた  とたん 娘は後ろにひっくり返り 後頭部を殴打した 泣き出した  しかたない 母は仕事がある 泣く泣く保育園を後にした  頭はへこんでいなかったからまぁいいだろう こんな初日から始まった人間となるための社会生活の第1歩を 娘は歩き出したのであった…

    • 娘の成長記録 1

      出産予定日ちょうどに産まれてきた1人の小さな人間は 泣いてばかりで何を言いたいのかさっぱり分からない 母乳をあげても飲んでいるはしからすぐに寝てしまい またすぐに起きて泣いている 産まれた時から髪の毛の色が茶髪ですごく可愛かった 3か月ともなると顔がしっかりしてきたので ますます可愛くなった 寝ている顔なんて最高に可愛い しかし 本当に自分が産んだのかまだ疑問は残ったままであった でも ここに居るからにはどうにかして育てなければ… と言う気持ちで頑張った 母親に愛

      • 大嫌いな母の日

        今日は母の日 私は母の日が大嫌いだ  なぜなら母からずっと虐待を受けてきたからだ それでも母の日になると 気になることはなる しかし カーネーションをプレゼントしたり、「お母さんありがとう」と言ったこと記憶にないような気がする 小学生の頃 母の日が気になって何か送ろうとした 別に母に感謝したかった訳ではない 「何かしなければ」と幼少ながらに思った記憶がある そうしないと何か怖いと思ったからだ 母は世間体をとても気にする人だった 母の日に子供からプレゼントを貰えば、

        • 短かった家族の時間

          母親の虐待にあっていた私は 好きな人ができた事をきっかけに早く家を出たかった そしてそれは実現した 家出をして夫と小さなアパートで一緒に暮らし始めた 引っ越してすぐに掃除の仕方が悪いとすごく怒られたと言うより怒鳴られた あれ? この人こんなに怖い人だったっけ? 世間知らずの私だから仕方ないと思ったけれど ちょっと悲しかった 今まですごく優しかったのに 何か違う一面を見た気がした 母親の姿が目に浮かんだ 私は昼間働きながら夜間看護学校に行っていたから 21時過ぎに

        娘の成長記録 2

          「運がいい」と言うことの意味

          ブログのタイトルとはちょっと離れていますが 今日はこれをどうしても書きたくて。 みなさんの「運がいい」と言うのはどういう時ですか? 「宝くじが当たって運がいい!」とか「欲しいものがもらえた!」とか あとはちょっと危険なことがあった時に「運が良かったから助かった」とかですかね… 私は強運の持ち主だと良く言われますし、自分でもそう思っています(思うようにしています) 私が思う「運がいい」 それは自分の目標や夢に向かって 前を向いて達成しようとしている時 ちゃんと達成で

          「運がいい」と言うことの意味

          大寒波の中での1泊旅行

          昨年1月の出来事です 1月24日から25日にかけ 北極圏なみの寒波がくるらしい 不要な外出は控えて下さいとニュースが言っていた こんな時にしか行けない旅行がある それは「病院へ宿泊!! 1泊ツアー」だ 雪が積もって仕事に行けなくなる事を想定し 病院に宿泊すると言う訳だ 3日前に当直で病院に泊まったが 仕事の泊まりとは訳が違う 普通の1泊旅行と同じだ しかも幸せな事に 「朝起きたら病院」 というシチュエーション なんてラッキーなんだろう  当直の仮眠中 夜中に

          大寒波の中での1泊旅行

          みんなの忠告を振り切って

          私はメチャメチャ頑固で負けず嫌いである 小さい時に食べ物の好き嫌いが激しかった私は がんとしてうどんしか食べなかったらしい 大きくなってから母が教えてくれた 私は総婦長室に呼び出され 「付き合いと結婚はやめなさい」攻撃にあった 元夫は入院患者だったから 先輩看護師にも猛烈に反対された 夫が入院していた病名は「糖尿病」だった それも29歳で発症した1型糖尿病だ 若くしてインシュリンも打っていた この病気を持っているだけでも大変だと心配してくれたと思う ここで 私の

          みんなの忠告を振り切って

          人から愛されること

          病院で働きだして 先輩が気になっていた入院患者さんから告白され なんとなく承諾した私はちょっととまどっていた この状況は夢ではないのか? 私を好きな人はすぐ私を嫌いになるのではないだろうか? 色々な不安をよそに 9歳年上の彼は優しかった なんせ人から愛されることに不慣れだったから いつか夢だったと終わりがくるような気がしていた 私は実家が嫌いだった 早く家から出たいと思っていた 20歳までには結婚して 家を出るんだと考えていた まだ若く 世間も知らない私は 私を

          人から愛されること

          小学生の時の通知表

          最近断捨離が流行っていますよね 古い写真やアルバムの整理をしていたら 小さい頃の女の子らしい息子の写真が沢山出てきた まぁ 一人っ子なので赤ちゃんの頃からの写真は1か月ごとにちゃんと撮影し綺麗に保存していた その中で 小学生時の通知表が出てきた 3~4年生頃の通知表だっただろうか 担任の先生がコメントに書かれていたことにちょっとビックリした 「たまには女の子とも遊びましょう」 息子が小学生の時から2人暮らしだったため お友達の把握などしていなかったが 確かに男

          小学生の時の通知表

          帰宅拒否の始まり 

          私が育ての母親に引き取られてから3年後 妹が産まれた 妹が生まれてからというもの 幼稚園に通っていた私はとにかく家に帰るのが大嫌いだった なぜなら 家に帰れば怖い母親がいる 顔を見るだけで怖くてなにもしゃべれなかった あの頃の家は集合住宅で 家族の部屋は別だが トイレは共同だった記憶がある 確か2~3世帯住んでいたと思う 部屋はキッチンと居間の2部屋 狭い所で家族4人で暮らしていた 母親が怖いからと言って自分の部屋はない と言っても私はまだ3~4歳だった 幼稚

          帰宅拒否の始まり 

          今年のお正月のこと

          ちゃん♪ ちゃらららーん♪ ちゃらー♬ 今年も無事に新年明けました(2024年1月の記事です) 昨夜は1人で行く年くる年を見て ネットフリックスで今際の国のアリスをで見て年越ししたら 腰が痛くなりました とし腰なだけに…  朝起きたら普通の日常だった でも何も変わらないこの日常  これこそが大きな幸せだと思う 今の時代 明日がくることは奇跡に近い やると決めたことは 後回しにせずに すぐにやる そして諦めない  これが私のモットーです 言い方変えれば 諦めが悪

          今年のお正月のこと

          悲しかった大晦日 

          父が生きていた頃 母がまだ施設に入らず元気な頃 私が結婚して家を出た後は 年末年始は実家で集まっていた 妹・弟・私・娘と両親 両親は寿司盛りを頼んで煮物やお惣菜を準備していてくれた 実家に行くのはだいたい夕方 みんなであつまり少し話しをした後 夕ご飯の時間になる すると決まって母は私に「ひかるは食べて帰らんやろ?」と聞いた 毎年だ  それは「あんたは食べなさんなよ」と聞こえた 「みんなで食べようや」ではない 「食べて帰らんやろ」だ うなずく私に父は 「食べて帰

          悲しかった大晦日 

          無敵への道のり

          先週火曜日から上司からの理不尽な対応やパワハラを受け私はどん底だった もう10年にはなるだろうか 私の事を何故かしら気に入らないのだろう 部署が異動になり、やっと離れたと思ったら、また同じ部署になった 火曜日 明らかにおかしいのは師長の方で しかしおかしいので話しが通じない ましてや そんな時に師長と言うポジションパワーを発揮し威嚇してくる 「こんな事言われたからと言って明日休みなさんなよ」最後の言葉がコレだった・・・  悔しかったから言われた通りに心身喪失しながら

          無敵への道のり

          今年の年末年始も(2022年 年末)

          この投稿は2022年12月のものです ご了承下さい コロナ禍で息子に会えなかった3年間 今年のゴールデンウィーク前に 彼女に振られたとはいえ久しぶりに帰ってきたので 今年の年末年始は2人で「ゆく年くる年」を見て新しい年を迎え お雑煮を食べ 初詣に行くものだと思っていた なんということでしょう… 「来年から彼女と一緒に住むよ 大晦日も一緒に過ごす」 ( ̄▽ ̄)ノ… 来年どころか 数日帰ってきていない これを猪突猛進というのか 思い立ったら即実行と言うのか そ

          今年の年末年始も(2022年 年末)

          サンタさんを信じていたあの頃

          みなさまいつも読んで頂きありがとうございます 私の投稿は、現在Wordpressから移行中なので若干投稿は季節感がずれていますので、ご了承下さい 「さて 今年もいい子にしてたから 今からサンタさんに電話してプレゼント頼もうね」 毎年12月の初めに行うイベントだった 私は毎年娘の目の前でサンタさんに電話をした 「もしもし サンタさんですか?福岡のひかるです。今年も娘は大変良い子にしていました。クリスマスのプレゼントはおままごとセットでお願いします」 またある年は「ナ

          サンタさんを信じていたあの頃

          親と子の人生の始まり 

          娘を出産後 退院した私は自分が産んだ子供に対し不思議な感覚を持った あれ?ここに赤ちゃんがいる はて 私が産んだのか? 母親は出産の痛みを忘れるために 出産後特殊なホルモンが分泌されると聞いた だからお母さんは痛い思いをして出産しても また子供が産めるそうだ 私は違った この人間は本当に自分が産んだのか? しばらく考えた ここにいて泣いている小さな人間は 間違いなく私が産んだ赤ちゃんである となると この一人の人間を育てなければならない 特殊なホルモンが分泌され

          親と子の人生の始まり