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無関心の怖さ

無関心というのはちょっと怖い。

色々な物事が自分から切り離されて
全てがどうでもいいと思ってしまうのだ。

結果、何もしたくなくなってしまう。

一度切り離されてしまったものを
紡ぎ直すのは自分の力では無理なのかも知れない。

今日は仕事だった。

9時が始業だ。12時に起きた。

豪快に寝坊をしているが
そもそも目覚まし時計を設定していない。

どうでもいいのだ。

どうせ日本はお休みなんだから。

無関心は罪悪感を覆い隠す。

ただ罪悪感は消えたわけではないのだ。

ゆっくりとベールは剥ぎ取られ
知らない間に身体に溜まっていく。

無関心の範疇が広がれば広がるほど
このループは際限なく続いていく。

ある時、見えていなかった感情が
身体に溜まっている事に気がつくと
もう遅いのかも知れない。

乳酸のように身体を重くする。

最悪、リタイアすら勧めてくる。

人生はマラソンだと言うものであるが
マラソンだって水分を補給しながら走っている。

ある意味、関心こそが水分のようなもので
人が前を向く為に必要なものなのかも知れない。

この水分もまた厄介者で皆が同じ物を飲んで
吸収出来るのかはまた別の話なのである。

だから関心という得体の知れない概念に対して
決して考えたり感じたりする事を諦めずに
自身の中で育くむのが生きる為に必要なんだろう。

そうすれば自分に合った水分を補給して
また足に乳酸を必要以上に溜め込む事なく
最後まで走り続けられるのかも知れない。

だからこそ、無関心は怖いのだ。

小まめに水分補給して下さいね。

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